本当に愚かなことだ
サージェス視点です。
それは本当に偶然のことだった。
何か情報があって来たわけではない。
家の取り引き相手と会い、その帰りのことだった。
私は一足先に馬車に戻り、従者であるアルノーが戻ってくるのを待っていた。
何気なく外に視線を向けた。
それも本当に何の意図もなかった。
だから道の反対側を歩く見知った姿に素直に驚いたのだ。
ノークスと、彼と連れ立って歩く令嬢の姿を見つけた。
当然リーリエ嬢ではない。
彼女は伯爵令嬢だ。
仲良く腕を組んで歩いている。
エスコートの距離ではない。
恋人の距離だ。
誰に聞かれても誤魔化せない距離だ。
婚約者がいる身で堂々とし過ぎだ。
ここは馬車も通る往来だ。誰に見られるかもわからないというのに。
そんなことも判断できなくなっているのだろうか?
それとも誰に見られても構わないということなのだろうか?
もう少し観察してみることにした。
幸いノークスはこちらには気づいていない。
アルノーも戻るにはまだ時間がかかりそうだ。
私は目立たないところに停めた馬車の中にいるし、家紋のついていない馬車を使っているのでバレる可能性は低いだろう。
まあ、気づかれたところで大したことはない。
私がリーリエ嬢の味方をするほど親しいとは思っていないだろう。
警戒するとしたら私がグレイスに伝えるかどうかくらいだろう。
警戒したらさりげなく話さないようには頼んでくるかもしれないが、それくらいだろう。
あからさまな視線を送れば気づかれる恐れがあるので、背もたれに背を預け何となく外を見ている態を装った。
気づかれそうになったらカーテンを引けばいい。
今のところその気配はないが。
あまり気を張っていると外から見られた時に不審がられる。
だから適度に力を抜いて眺める。
ノークスと彼女は顔を近づけて微笑い合う。
二人とも楽しそうだ。
ノークスが手を伸ばして彼女の髪に触れる。
その手つきは端から見ても優しいものだった。
彼女をとても大事にしていることが伝わってくる。
彼女を見つめる瞳も優しく、熱を帯びていてーー。
普段のノークスからは考えられないほど素の表情を見せている。
あの姿を見せられればリーリエ嬢はまた傷つくのだろうな。
彼女にはまず間違いなく見せていない姿だろう。
このような光景を見ればリーリエ嬢は何度でも傷つくのだろう。
これ以上傷つけてくれるな、と思う。
リーリエ嬢は十分に傷ついた。
いや、本来なら傷つく必要はなかった。
ノークスが恋人を作らなければ、あるいはそれをしっかりと隠し、リーリエ嬢を大切にすればあれ以上傷つくことはなかったのだ。
ノークスがリーリエ嬢への配慮を欠いたのだ。
本当にリーリエ嬢のことを何だと思っているのか。
ふつりと怒りが沸く。
私ならーー
思いかけた考えと感情を振り払い、思考を戻した。
しかし、これはノークスはもう隠す気がないのだろうか?
噂は徐々に広がりを見せている。
まだ水面下ではあるが、表に出る時には一気に出てくるだろう。
この様子だと想定していたよりも早いかもしれない。
その噂を知った時にフワル侯爵夫妻はどう動くだろうか?
ノークスと恋人を別れさせようとするか、リーリエ嬢を切り捨てるか。
フワル家は典型的な高位貴族一家だ。
基本的に個人の感情よりも家の利で動く。
ノークスの恋人が伯爵令嬢であり、家に利がありそうだとなれば間違いなくリーリエ嬢のほうを切るだろう。
一応そういう令嬢を選出したつもりだ。
彼女だけではない。何人か候補がいた。
その中でノークスが選び、恋人関係になったのが彼女だっただけだ。
当然令嬢本人にもその家にも知らせてなどいない。
私はグレイスと協力して偶然出会うようにお膳立てしただけだ。
後は彼らの意志だ。
調べられたところで私たちが画策した証拠など出てきはしない。
その辺りは慎重に慎重を重ねて動いている。
万が一があってはならない。
それにしても。
もう一度ちらりとノークスに目をやる。
堂々と恋人とデートをしてその姿を晒している。
婚約者や伴侶には誠実に接するべし、とされているこの国で。
愛人を持つ者は高位貴族であろうと冷たい目で見られるこの国で。
あんなに堂々と浮気を喧伝している。
愚かな。
本当に愚かな男だと思う。
何よりリーリエ嬢の手を離そうとしていることが本当に愚かなことだと思う。
だが、リーリエ嬢がこれを乗り越えれば傷つけられることがないと思えばノークスが愚かでよかったと思う。
そんな愚かな者にはリーリエ嬢は勿体ない。
縁が切れるならそのほうがいい。
後で手放したものの大きさに気づいても遅いのだ。
ふっと息を吐く。
これ以上見ている必要はない。
窓のカーテンを閉めた。
座り直して姿勢を整えた。
これでリーリエ嬢に少しは有利な状況にできただろうか?
読んでいただき、ありがとうございました。