軽く確認のつもりがまさか話しかけられるとは
リーリエ視点です。
私はカウンターで酒を受け取り、端のほうの二人がけのテーブルに座った。
ここは紳士の社交場だ。
女人は立ち入り禁止となっている。
働いている者も全て男だ。
商談も密談も気晴らしもただの談笑もある。
待ち合わせなのか情報収集をしているのか、一人で座っている者もいるので私が一人で座っていても目立たない。
静かに視線を巡らせる。
いた。ノークスだ。
今日この場にノークスが来るという情報を掴んだので来たのだ。
一度この目でノークスを見ておきたいと思ってのことだ。
気づかれないようにノークスを観察する。
グレイスは浮かれきっていると言っていたが、普段はどうか。
今のところはそのような様子は見受けられない。
さすがにそこまであからさまであればもっと噂になっているか。
今は一部の人間の間で、もしや、という程度の話として囁かれている。
それが広がるか沈静化するかはノークス次第だろう。
浮かれて大胆になればあっと言う間に噂は広がるだろう。
我に返って距離を置くなり別れるなりすれば沈静化するだろう。
目立たないように逢瀬を重ねるならばーーそれはどちらに転ぶかわからない。
そちらも注視しておかなければならないだろう。
できればリーリエ嬢に余計なことを告げる輩がいないといいのだが。
知っていたとしても、心ない噂はリーリエ嬢を傷つけるだろう。
それはできるだけ避けたい。
また一人泣かせることはしたくない。
私が言えることではないだろうが、心の中で祈ることくらいは自由だ。
あまり見ていればノークスに気づかれるだろう。
気づかれる前に視線を逸らした。
酒をちろりと舐める。
視界の端でノークスがこちらに歩いてくるのを捉えた。
視線に気づかれたかと警戒はしたが表面上は気づいていないように装う。
足音が近づいてきた。
それでも顔を向けないでいるとテーブルの隣に来たノークスから声をかけてきた。
「こんばんは。こんなところでお会いするとは思っていませんでしたよ」
声をかけられてからそちらに視線を向ける。
「こんばんは。奇遇ですね」
一瞬だけ驚いた様子を見せてから何事もなかったように応じた。
勿論演技だ。
「ご一緒しても?」
軽く酒の入ったグラスを掲げて訊いてくる。
「少しだけでしたら」
「ありがとうございます」
ノークスが向かいの席に座る。
さて、何の意図があって私に声をかけてきたのだろうか?
こういう場でお互いに気づいても会釈だけで済ませてきた。このように同席を求められたことは初めてだ。
当たり障りのない最近の情勢について軽く意見を交わした後で。
「リーリエがお世話になっているようですね」
ふと思い出したというようにそんなことを言ってくる。
これは私と何か関係のあるように匂わせてリーリエ嬢に瑕疵をつけようとしているのだろうか?
そうはさせるか。
「リーリエ嬢? ……リーリエ嬢……。ああ、ユフィニー嬢のことですか。グレイスとは付き合いがありますが、私は一度挨拶させてもらっただけですので、私は何も。何か勘違いなさっているのでは?」
軽く首を傾げて言ってやる。
実際にグレイスが友人を呼んで開いたお茶会に顔を出したことはなく、初めて会ったあの時を除いて、リーリエ嬢に会ったのは正式に挨拶した一度きりだ。
調べられたところでその事実しか出てこない。
こればかりはグレイスに感謝だ。
リーリエ嬢が屋敷に来ている時に私は屋敷にいなかった。
全てグレイスの采配だ。
見事という他ない。
「ああ、そうでしたか。すみません、てっきりグレイス嬢だけではなく貴方とも親しくしているのかと。どうやら私の勘違いだったようですね」
「婚約者のことが心配なのはわかりますが、誤解を与えるような言い方は控えたほうがよろしいのでは?」
「ああ、そんなつもりはありませんでしたが、そうですね。気をつけます」
私は軽く頷くにとどめた。
ノークスがグラスに口をつける。
私も一口酒を呑む。
それからリーリエ嬢の話が出たのでその流れで訊いてみる。
「結婚はいつ頃のことになるのでしょうか?」
「……何故そのようなことを訊くのでしょうか?」
そんなに警戒されるようなことを訊いたつもりはなかった。
敵対しているのならともかくほどほどに付き合いのある家同士の話だ。
家の付き合いの程度から呼ばれるかは微妙なところだが、把握したいと思っても特段不思議ではないはずだ。
それにグレイスとリーリエ嬢は友人関係にある。
その関係からも訊いてもおかしくはない。
何を警戒しているのかと示すために軽く首を傾げて少しの真実を混ぜて話す。
「グレイスはきっとリーリエ嬢の結婚式に参列したいでしょうから。自分の結婚式と重なってしまったら残念に思うだろうと思いまして。ノークス殿がいたから訊いてみただけですが?」
その何が問題なのか? と疑問を滲ませる。
ノークスが慎重な様子で口を開いた。
「随分とリーリエのことを信用しているようですね」
「軽くは調べさせていただきましたよ。ですが、さすがユフィニー家のご令嬢だ。清廉潔白でしたよ。それに、婚約者との仲も、悪くありませんでしたしね」
何もなければどうということのない言葉だ。
家人が新しく付き合う相手のことを調べるのも高位貴族なら当然のこと。
どんな意図を持って近づいたのか。
目的は何なのか。
ただの偶然か。
後ろに誰がいるのか。
それとも個人の計画か。
等々。
知らなければ、知ろうとしなければ足下を掬われるだけだ。
だから調べるのは当然だ。
何の不思議もない。
たとえそこに他の意図が紛れ込んでいようとも。
「ああ、そうか。そうですよね」
後ろめたいことがあるから私の言葉を深読みしたのだろう。
私は素知らぬ振りで告げる。
「ええ。ですから是非結婚式にはグレイスを呼んでやってください」
「……グレイス嬢が参列してくれたらリーリエも喜ぶでしょう」
曖昧に濁した返事だ。
これはどちらだろう?
グレイスが参列するのに難色を示しているのか。
それとも。
リーリエ嬢と結婚する気がないのか。
計画が順調にいっていれば、後者なのだろうと思うがどうだろう?
あまり踏み込み過ぎると警戒されるだろう。
「グレイスも喜びますよ」
それ以上は踏み込まずに不自然ではない言葉を口にする。
ノークスはただ口許に笑みを刻んだだけだった。
引き際だった。
恐らくお互いにそう思ったはずだ。
後はこちらが席を立つか、ノークスが席を立つかだ。
離れたところで友人が軽く手を上げているのを視界に捉えた。
ちょうどいい頃合いだ。
予め友人とここで待ち合わせをしていたのだ。
それを少し早めに来ていたに過ぎない。
「失礼。友人が来たようなので」
「ああ。話せてよかったです」
「こちらこそ」
ノークスは立ち上がり、自身のグラスを持って立ち去った。
入れ替わるように友人が近づいてくる。
「一緒にいたの、フワル侯爵令息だろう? 親しかったか?」
「いや。グレイスが最近彼の婚約者と仲良くなったんだ」
「ああ、それで」
友人は勝手に納得したようだった。
「なあ、場所を変えないか?」
「ああ、構わない」
もうここでの目的は果たした。
ここにいる必要はもうない。
「よかった。じゃあ行こう」
「ああ」
カウンターにグラスを返して料金を払い、友人とともにその場を後にした。
読んでいただき、ありがとうございました。




