とある酒場にて
サージェス視点です。
とある酒場で。
男爵の地位にある男と隣り合って酒を呑んでいた。
さりげなさを装って接触したのは果たしてどちらになるのか。
私から隣に座ったが、もしかしたら誘い込まれたのかもしれない、とも思う。
グラスの酒をちろりと舐め、さてどうするかと考えを巡らせる。
せめて顔繋ぎ程度のことはしておきたい。
最低限、視界に入っても訝しげにされない程度には。
そうでないといろいろと動きにくい。
「さて、私は貴方にお礼を言わねばならないのかな?」
不意に話しかけられてちらりとだけそちらに視線を向けた。
男爵もちらりと私を見て手元のグラスに視線を戻した。
「……何のことでしょうか?」
迂闊な返事はできない。
何かの引っかけということも有り得るのだから。
男爵が横目で私を見て小さく笑った。
「ビジネスチャンスをもらえたようだ、と言えば伝わるかな?」
やはり誘い込まれたのは私のほうだったようだ。
「チャンスと捉えるかはそちら次第では?」
男爵は喉の奥で小さく笑った。
「まあ、確かにそうだ」
私は敢えてそれ以上は気にしていない様子でグラスに口をつける。
男爵はそんな私を横目で見るとはっきりと口にする。
「フワル侯爵家と組むのも面白そうだ」
格上相手の侯爵家相手にも萎縮せずにそう言ってのけるとはやはりなかなかの胆力の持ち主だ。
普通なら萎縮するところだ。
男爵位と侯爵位だとそれだけ爵位の差があるのだ。
呆れるより先に感心してしまう。
だが、だからこそ選んだのだ。
私は男爵に向けて苦笑するだけに留めた。
男爵がグラスの酒を舐めるように一口呑む。
「フワル家の嫡男と婚約しているのはユフィニー家のご令嬢だったな」
「そうですね」
「知り合いか?」
「妹の友人です」
「なるほど」
何に納得したのだろうか?
男爵が横目で私を見る。
「ユフィニー家とうちだと似たような事業展開になるだろう」
「そうでしょうね」
関心のない声で告げる。
またちびりと酒を呑んだ。
「その場合、フワル家はどちらかを選ぶことになるだろうな」
「それはそうですね。似たような事業を複数抱える利点はありませんから」
「それでいいのかね?」
「別に私は構いませんが?」
片眉を上げて答える。
少しだけ、男爵の目が細められる。
「それともそれが希望か?」
試されているのだろう。
あるいは、探られている。
ここが正念場だ。
「私はただそれぞれに良ければそれでいいと思いますよ」
「ほぅ」
男爵の声が少し低くなる。
「ユフィニー家にとってはそれが良いと? 事業が一つなくなり、場合によっては娘の婚約が解消されることが?」
「場合によっては、そのほうがよいこともありますよ」
男爵が少し考えるように黙り込んだ。
私は無言でグラスの酒をちびちびと呑む。
やがて、声を落として男爵が問いを投げかけてきた。
「もしや婚約者から暴力や暴言を受けているのか?」
それは、フワル家への中傷になりかねない。
万が一そんな話が流れたらまずいことになる。
ノークスにしてもフワル家としても徹底的に調べるだろう。
私がそう言ったとしてトワイト家が訴えられでもしたら、父はリーリエ嬢に責任を押しつけて家を守るだろう。
そして私とグレイスには今後一切リーリエ嬢にもユフィニー家にも関わることを禁ずるだろう。
自分から手を差し出しておきながら、リーリエ嬢に全てを押しつけて知らんぷりするような事態はあまりにも不誠実だ。
何より私とリーリエ嬢の関係を疑われたら困る。
私がリーリエ嬢に一方的に想いを寄せていると言われるだけならいい。
リーリエ嬢に非はないということになるから。
万が一私とリーリエ嬢が秘密の恋人などと邪推されるとリーリエ嬢に迷惑をかけてしまう。
下手したらリーリエ嬢有責での婚約解消になりかねない。
いや、今の状況なら嬉々としてそのようにするだろう。
それは避けなければ。
「……そういう話は聞いていませんね」
「そうか」
ほっとしたような響きが声にも出ていた。
おや、と正直意外に思う。
恐らく面識などないはずなのにそこまで気にかけているとは。
男爵には娘はいない。
だから娘に重ね合わせたということはない。
気になるが訊いたところで教えてくれるはずもない。
「それならどういう意味だ?」
思いの外問うてくる男爵の声が低い。
ユフィニー家かリーリエ嬢か、あるいは両方をか、とにかく気にかけているようだ。
もしかしたらユフィニー家へ何か仕掛けるつもりではないかと疑って近寄ってきたのだろうか、と一瞬思ってしまった。
だとしたら下手に策を弄すると却って不信感を招くかもしれない。
「少し、両家の契約を調べたのですよ」
それだけで伝わるかどうかはわからない。
「ああ、なるほど」
男爵は何も訊かずにそれだけを呟いた。
となると、男爵はどのようなものかおおよそ掴んでいるのだろう。
私はそれ以上は何も言わずにグラスに口をつけてゆっくりと呑む。
男爵は手の中でグラスを弄んでいる。
やがてグラスを置いて私を真っ直ぐに見た。
「いいだろう。私は乗ることにしよう」
仕掛けておいて何だが、何故? と疑問を持ってしまう。
その疑問が漏れ出てしまったのだろうか、男爵が苦笑した気配がする。
だがそれもすぐに引っ込み、割と真面目な声調で男爵が言う。
「正直、ユフィニー家がフワル家と組むのは荷が重いのではないかと思っていた」
ちらりと男爵に視線を向ける。
「ああ、誤解しないでくれ。私はユフィニー家を尊敬している。あの家もその領民も誠実に仕事をするからね。だからこそ職人気質の強いあの家ではいいように利用されてしまうのではないかと危ぶんでいたんだ」
「ああ、それは」
実際その通りだった。
相手が格上の侯爵家だったからか、子爵家はかなり不利な条件で契約が結ばれていた。
あれではほとんど利益など出ていないだろう。
辛うじて赤字ではない。
そのぎりぎりのところで契約が結ばれていた。
ユフィニー子爵は老獪な駆け引きなど出来ない人物なのだろう。
リーリエ嬢の父親なら納得できる。
「私のほうがうまくやり合えるだろう」
「そうかもしれませんね」
話しているだけでも緊張がある。
油断していると足下を掬われそうだ。
「フワル家への対応はこちらに任せてくれ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「それでは、お言葉に甘えます」
「ああ」
男爵がこちらに向けてグラスを持ち上げたので、同じように持ち上げて軽くぶつける。
りんと涼やかな音が鳴った。
先行きを祝福されているようだ。
そんならしくないことを考えながらグラスに口をつけたところで男爵が何てことない口調で告げた。
「ああ、あとこの話が外に漏れることはない。周りにいるのはうちの者だ」
……どうやら完全に男爵の手のひらの上だったようだ。
彼だけは敵に回したくない。
読んでいただき、ありがとうございました。




