言動は慎重に
サージェス視点です。
そこではたと気づいた。
ここで名乗り合うのも誰かに聞かれる可能性がある。
人目のつかないところでお互いの名前を言っているのを聞かれてしまえば、彼女にとって不名誉なことになる。
かと言って名乗り合わずに別れることもできない。
彼女の名前はノークス・フワル侯爵令息の婚約者とわかっているから調べればすぐにわかる。
だが、逆に彼女は私については何も知らないのだ。そのはずだ。
彼女は慎重だ。
知らない男や付き合いのない家からの呼び出しには応じないだろう。
少し考え、手帳を取り出した。
適当なページを開き、前後のページに何も書かれていないことを確認してからそこに自分の名前を書いた。
そのページにペンを挟んで、そっと彼女のほうに落とす。
窺うように見られたので頷く。
真意は伝わったようだ。
思いがけず素早い動きでそれを拾い上げた彼女がペンの挟まれたページを開いた。
視線が文字の上をなぞる。
そして動揺したように視線が揺れた。
私の家が侯爵家だと気づいたのだろう。
定まらない視線で彼女が動揺しながら思考を巡らせていることがわかる。
急に彼女がはっとした様子を見せた。
慌てた様子の彼女がペンを握り、そこで動きを止めた。
どうしたのだろう?
見ていると少し悩んだ様子だった彼女が私を見上げてきた。
そして指を一本立て、ページを捲る動作をした。
一ページ捲っていいか、と訊いているのだとすぐに気づいた。
無闇矢鱈と名前を書くなとでも言われているのだろう。
本当によく教育されている。
そしてよく吸収して実践している。
彼女は本当に努力家だ。
私は頷いた。
特に小細工等はしていないし、前後一ページには何も書かれていない。
確認されたところで何でもない。
彼女はほっとした様子で慎重に前後一ページを捲って確認する。
大丈夫そうだと判断したのだろう、ペンを握り、丁寧な様子で名前を書いている。
書き終えた彼女はインクが乾くのを少しだけ待ってペンを挟んで閉じた。
それからこちらに気を遣ったのだろう、腕を伸ばしてできるだけ近くに置いてくれた。
精一杯腕を伸ばす姿に疚しい気持ちはないはずだが、そっと目を逸らした。
胸元が見えそうで紳士としては見ているわけにはいかない。
彼女は少しも気づいていないようだが。
もう少し、注意してほしい。
彼女が元の位置に戻ったのを確認してから何事もなかったように手帳を拾い上げた。
ペンの挟んであるページを開く。
私の名前の下に綺麗な字で名前が書かれていた。
リーリエ・ユフィニー
彼女の名前だろう。
控えめな彼女に似合う可愛らしい名前だ。
どこの家の者かよりも先にそんなことを考えた。
そして、それに気づき動揺してしまう。
内心で慌てて取り繕う。
そして彼女に視線を向けた。
読んでいただき、ありがとうございました。




