砂漠の花園
しくじった。
敵の弾を食らってしまった。
右脚の感覚がない。
動かそうとしてみるが、動いているのかどうか、その感覚すらない。
もちろん、自分の右脚が千切れたわけではない。
敵の放った弾丸によって、今俺が乗り込んでいる機動歩兵の右脚部と俺自身の右脚とが共有していた感覚を遮断されてしまったのだ。
哨戒任務からの帰還途中だった。
暗黒の宇宙空間を飛行中に、どこからともなく現れた敵機にいつの間にか背後を取られていた。
追尾してくるのは、漆黒の機動歩兵1機。こっちと同じ機動歩兵とは思えない速度だった。肩や腕のところどころに施された赤い塗装が闇の中でその輪郭を際立たせていた。
「くそ、こんなところでついてねえな」
コクピットの中でぼやいてみたところで状況は変わりはしない。
とてもじゃないが、逃げ切れない。
それは彼我の機体の性能差からも明らかだった。
自軍の拠点へとたどり着くためのジャンプポイントはまだ遥か先だ。
とにかく、これ以上弾を食らったらまずい。
全神経を背後の敵の挙動に集中する。だが、次の攻撃は来なかった。
むやみに弾をばらまくタイプではないのだろう。狙撃型か。
こっちはあいにく、そのむやみに弾をばらまくしか能のない旧式だ。
コクピットの中で身をよじり、腕を回す。
それに寸分の遅れもなく機動歩兵が呼応する。上半身をねじり、手に装備された機関銃を後方に向けた。妨害電波混じりの大量の弾を後方にばらまく。
当たってくれとは言わない。
せめて、少しでも足止めになってくれ。
儚い祈りとともに前方に向き直り、最大推力で駆ける。
現在地を網膜ウインドウで確認。
ポイントE35-J。くそ。遠い。
眼下に広がるのは無人の惑星、フロース。
戦略上、何の価値もないことから、基礎調査だけされた後でほったらかされている小さな星だ。
フロース上空を通過するまで、あと12秒。
ジャンプポイントまでは、あと何秒だ。考えたくもない。
次の瞬間、背中に衝撃を受けた。
やっぱりあの程度の弾幕じゃ足止めにはならなかったか。
それにしてもいい腕してやがる。百発百中かよ。
急激に速度が低下していく。
背中の制御盤をやられた。
コントロールを奪われ、俺は乗機の機動歩兵とともに無様に身を泳がせる。推力を失っていく。
後方の敵の姿がぐんぐん大きくなる。
まるで旧史の映画に出てくるサムライみたいな姿の機動歩兵だ。ここ最近、このあたりで姿を消した仲間たちも、大方みんなこいつにやられたんだろう。
勝ち目はない。
それなら、このまま追いつかれるよりは。
ままよ。
俺はもう一度気休めの弾幕を張ると、フロースの大気圏に飛び込んだ。
どこまでも続く、銀色の砂漠。
何とも殺風景だが、この砂のクッションのおかげでどうにか着陸に成功したといえる程度の格好がついた。
機動歩兵は砂の中に斜めに突き刺さるようにして立っている。
敵は追ってはこなかった。
たかが一機の機動歩兵相手に惑星の重力圏まで追ってくるほど暇ではないということか。
それとも、いまだに旧式になんか乗ってるへぼパイロットだから、どうせまともに着陸もできずに死ぬとでも思ったか。
お生憎さまだったな。こっちはこう見えてもエル=ドレイク戦役の数少ない生き残りだ。
十七の年に初めて母星を出てからこっち、銀河中の戦場を渡り歩いてきたんだ。
死にかけるような目になんて、もう何回出くわしたか数えてもいない。この程度、屁でもないのさ。
システムで機体の状態を確認。
大丈夫だ。メインは生きてる。修理さえすれば、帰還できそうだ。
続けて、外気の成分を確認。
環境適応スーツの着用は必須だが、外には出られるようだ。
助かった。外に出れば、修理箇所をじかに見て触ることができる。
感覚共有の切れた状態でコクピットからリモートで作業するなんて、ぞっとする。
俺は機動歩兵との全ての感覚共有をいったん解除し、後ろの収納から環境適応スーツを引っ張り出した。
こいつを着るのも、ずいぶん久しぶりだな。
両足両腕を通し、最後にマスクを着用する。
まるで旧史時代のガスマスクのようだと評判の悪い、マスク。
我が軍のセンスが時代がかってるのは、今に始まったことじゃない。
新型はそれでも多少は洗練されたデザインに変わったらしいが、辺境の戦場にそいつが届くのはいつになることか。
周囲の状況を確認してから、ハッチを開く。
コクピットから身を乗り出して、機体の外に出た。
機動歩兵の胸部にあるコクピットから地表まではかなり距離があるが、この重力の弱さなら飛び降りても大丈夫だ。
地表に向かって身を躍らせようとした時だった。
ぱちん、と頭の後ろで何かが弾けるような感覚があった。
とっさに手で払うと、花びらが散った。
……花?
一面銀色の世界に、場違いな赤が舞う。
ぱちん、ぱちん、という微かな音が頭の後ろから断続的に聞こえる。
なんだ、これは。
マスクの限られた視界を、黄色と赤が塞いだ。
自分の目が見たものが一瞬信じられなかった。
花だ。
花が咲いてやがる。
それも、俺のマスクからだ。
振り払おうとして、気付く。
いや、マスクだけじゃない。スーツからも、同じように花が咲いている。
何だか分からないが、これはやばそうだ。
とっさの判断でコクピットに飛び込み、ハッチを閉めた。
換気システムを作動。この星の空気を追い出す。
それと並行してシステムに接続し、外気の成分を詳細に分析する。
その間にもぱちん、ぱちん、と音がする。
スーツやマスクの表面から茎と葉がまるで魔法のように伸びてきて、その先に蕾が生まれ、花が開く。定点カメラの早回しの映像を見ているかのようだ。
あまりに一気に生長するものだから、花が開くときに、ぱちん、と微かな音がするのだ。
コクピットの中の空気が、内蔵されていた圧縮空気と徐々に入れ替わっていく。それとともに花の生長は鈍くなり、やがて止まった。
切り花のようになった鮮やかな花が、ぽろぽろとスーツから落ちる。
何だ、こりゃあ。
それを呆然と見ているうちに、分析は終わった。
「ほんとかよ……」
分析結果に、また目を疑う。
惑星フロースはこんな一面砂漠だらけの星のくせに、どうやらその大気には特定の植物に反応して異常生長させる成分が含まれているようだ。
俺のマスクやスーツに付着していたごく微量の花粉がそれに反応して、通常の生長過程を無視した異常な発育を見せたのだ。
しばらく分析結果を眺めてから、意を決して再びハッチを開いた。
惑星フロースの大気が俺を包む。
ぱちん。ぱちん。
たちまちマスクとスーツは色とりどりの花に包まれていく。
花なんて愛でるような人間ではないから実際のところは分からない。けれどそれは遥か遠い俺の母星の、懐かしい花々に似ていた。
機動歩兵の胸から地表へと飛び降りる。その間にも花は増え続けた。
赤。黄色。オレンジ。ピンク。
幾輪もの花が、俺を包む。
砂の大地に降り立った俺は、そのままゆっくりと仰向けに寝転がった。
たくさんの花が、俺の身体を包み込むように広がっていく。
機動歩兵の向こうに、薄い青空が見えた。
ああ、悪くない。
マスクによって切り取られた視界を、鮮やかな色の花が遮っていく。
ここは花園だ。
銀色の砂漠に広がる小さな花園。
まるで、あの日飛び出した俺の故郷のようだ。
悪くない。
確かに、柄じゃねえけどな。
それでも、たまには戦場からはぐれたところで、こんな風に花に囲まれるのも。
悪くはない。
ウバクロネさまのイラスト「ピースフル」をイメージした作品となります。