表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/98

第94話 二回目 リンディは19歳~ルーファス?歳


茶色い液体の入った器が、サイドテーブルに運ばれる。スプーンで慎重に中をかき混ぜると、医師はルーファスに目配せした。


「後は自分がやる」

「ですが……」

「頼む、やらせてくれ」


医師は躊躇う。氷結花は、医師免許を持つ者以外が扱ってはならない毒物だからだ。

しかし、妻の為に残酷な決断をしたこの青年の、ささやかな希望くらい叶えてやりたかった。


「苦味がありますので、出来るだけ喉の奥へ流し込んでください。一匙、二匙……お飲みになれるだけで構いません。後は私が効き具合を確認して、最期まで苦しまれないよう管理させていただきます」


医師はそう言うと、患者の様子が見えるギリギリの位置まで離れた。



額に脂汗を浮かべ、全身で呼吸いきをする彼女は、苦しそうな表情の中で、時折うわごとを呟いている。


「リンディ……」


呼び掛けると、空よりも海よりも澄んだ青が、ルーファスを見上げた。


「薬……飲ませてやるから。楽になるよ」


するとリンディは、ふにゃっとあどけない顔で笑った。


「お兄……様……」


“ お兄様 ”


それはヨハネスでも親戚の兄とやらでもなく、自分のことなのだと、ルーファスはやっとわかった。


「おひ……ざ。お兄様……の……お膝……のりたい」

「……いいよ」


ルーファスは、なるべくベッドを揺らさない様静かに座ると、ヘッドボードに背を預け、足を伸ばす。リンディの身体を慎重に、少しずつ動かし、自分の太腿に彼女の頭を乗せた。金髪が汗でぐしゃぐしゃに絡まる中、疲れた天使の輪だけが哀しく光っている。


ルーファスは小箱から金の指輪を出すと、リンディの左手の薬指に嵌める。絵を描く彼女の邪魔にならない様にと、デザインまで細かく指示して作らせた、特別な指輪だった。


よく似合う……サイズもピッタリだ。


今となっては、適当に作らせた前の指輪なんか、詐欺師へくれてやって良かったのだと、ルーファスは思う。


心を込めて贈った指輪の下で、あの指輪が鈍い光を放っている。まるで嘲笑われているようだと、ルーファスは薬指から目を逸らす。そして彼女の手に、一本のルビー色のチューブを握らせた。


「誕生日プレゼントだ。どっちももう、手放すなよ」


分かっているのか、ふにゃふにゃと笑う。


苦しいくせに……そんな顔されたら、決心が鈍るだろう。


サイドテーブルに手を伸ばし器を取ると、スプーンの柄を持つ。何度も掬おうと試みるが、手が震えてうまくいかない。

このままでは、器ごと彼女の身体にひっくり返してしまいそうだと、一旦サイドテーブルへ器を戻した。


ルーファスは、小さな耳へ呼び掛ける。


「リンディ……薬だ。よく効くけど、少し苦い。だけど特別な魔法をかけたから。きっと喉の奥で甘くなるよ。さあ、口を開けてごらん」


幼い子供をあやすような言葉が、自然と口から出てくる。まるでそれは、叫んで器を払い落としたくなる自分を、無に変える呪文の様でもあった。


苦痛に耐える為噛んだのだろう。リンディはルーファスの方へ顔を向け、痛々しい唇を開く。

ルーファスはさっと器を取り、スプーンで目一杯掬うと、乾いた舌の奥へ流し込んだ。こくりと喉が上下するが、顔をしかめたり嫌がる様子はない。


「上手だ、リンディ。もう一口……次はきっと、もっと甘くて美味しいよ」


更に強い呪文を唱えると、彼女はさっきよりも大きな口を開く。もう一匙、たっぷりと流し込み、喉の動きを見届けると、ルーファスは今度こそ器を手放した。


力が抜け、絵の具のチューブを落としそうになる手を、ルーファスは自分の手でしっかりと包み込み、ただその瞬間ときを見守る。


「おに……さま……ねむい……」

「薬が効いてきたんだよ。頑張って沢山飲んだから。……偉いな、リンディは」

「お……う……おう……た……うたって……ちょっ……と……さみしい……」

「……いいよ」


さっきからずっと、もう一人の自分が、勝手にルーファスを動かしていた。言動も行動も。

だが、不思議と操られている感覚はない。どちらも自分なのだと、自然に受け入れていた。


すうっと息を吸い込んだ口が、勝手に何かをうたい出す。



“ カーラス、カラスさんーまっくろねー

だけどおめめはまっかっかー何を食べたらそうなるのー ”


変な歌詞に変なメロディー。

だけど、とてつもなく懐かしい。



“ カーラス、カラスさんーまっくろねー

だけどおふろは入ったのーせっけんつけても黒いままー ”


本当に変だな。

変は素敵、変は…………愛しい。



薄く開いている青い瞳は、どこまでも透明で。

もう多分、何も映していないのだろうとルーファスは思う。


寝てしまったのか?


そう思った時……

白い唇が微かに開き、何かを喋りたがっているのに気付いた。慌てて耳を近付ければ、ほろ苦い吐息に混ざり、四文字の言葉が聞こえる。


それっきり、彼女は瞼を閉じ、深い眠りの世界へ入ってしまった。



医師はリンディの様子を確認すると、静かに礼をし、ほとんど空になった器を手に、部屋を出て行った。




さっきまでの苦しそうな表情が嘘の様に、リンディは気持ち良さそうに眠っている。

華奢な身体を膝に引き上げ、思い切り抱き締めても、もう痛がる様子はない。


やっぱり……どんなに苦しくても我慢させれば良かっただろうか。もしかしたら、奇跡が起きて治ったかもしれないのに。彼女の意思も訊かず、勝手なことをしてしまった。


おかしいな……何でこんなに苦しいんだろう。


こんな猛獣、別に愛していた訳じゃない。

ただ、物珍しくて、少し可愛くて、ペットみたいに傍に置きたかっただけだ。


だけど、

もう二度と、あの高い声は聞けない。

もう二度と、あの間抜けな笑顔は見られない。

もう二度と、あのうさぎは食べられない。


苦しい……

堪らなく苦しい……


滲む視界を左手でぐいと拭えば、涙が指輪を濡らし、彼女の命みたいに儚い砂を、石の中で輝かせた。


どうかあの闇へ。

何も、誰も居ない、あの闇へ連れていってくれ……




暗い……真っ暗だ。

周りも、上も下も、何処を向いても暗闇ばかり。

心を無に包んでくれる、冷たくて心地好い世界の筈なのに。


……どうせお前だろ?

最近はずっと、暗い背中しか見せない男。


ああ、そのままそうしていてくれ。

今は “ 無 ” でありたい。


願いも虚しく、男はまた、肩を小刻みに震わせながら座り込む。


やめろ……何も見たくない、考えたくない。


自分の意思とは反対に、勝手に足が動き、男へと近付く。


やめろ……やめろ……!


目を背けたいのに、そうさせてくれない。このままだと、男の背からはみ出す、細い足が何なのか。一体誰をあの腕に抱いているのかが見えてしまう。


やめろ……やめろ……やめろ!!



──男の腕に抱かれていたのは、瞼を閉じ眠るリンディだった。

心臓には一本の矢。そのすぐ下には、ナイフが刺さっている。


男は自分に気付くと、うっと嗚咽を漏らしながら、縋る様にこちらを見上げる。

その情けないルビー色の瞳を見た瞬間────

記憶の波が押し寄せ、全てが甦った。



そうか……お前は、一度目の人生の……リンディの『兄』だった時の俺だったのか。

ずっとこうして闇の中で、正しい道を示してくれていたんだな。


もう一人の自分に手を伸ばし、その肩に触れると、目映い光に包まれ一体となった。

視線を落とせば、自分の腕の中でリンディが眠っている。


ここに居れば、永遠に君を抱いていられるだろうか。

『妹』だった君も、『妻』だった君も、永遠に……


ところが無情にも、残酷な何かに意識を掴まれ、無理やり現実へ引き戻されてしまった。




目を開ければ、月明かりとランプが照らす、薄暗いベッドの上だった。

現実こっちでも、眠るリンディを腕に抱いている。闇と違うのは、彼女の胸に、矢とナイフが刺さってないことだけだ。


彼女の左手を見れば、薬指にはあの指輪が輝いている。そっと持ち上げ唇を落とせば、指輪の説明書の文言が甦った。


……君は、あの湖で願ってくれたんだな。5歳の時に戻りたいと。きっと再婚を回避して、普通の男女として出逢う為に。

ずっと忘れていて、ごめんね。


もう一度戻れたらいいのに……そうしたら、一度目よりも二度目よりも、もっと君を幸せにするのに。

こんな風に、君を失いたくなかった。

たとえ19年間という短い寿命は変わらなくても、沢山愛を伝えて、もっと、もっと……


……もう一度?



()()()()一度だけ、相手を強く想う時にのみ、願った時に戻ることが出来る……』



そうだ……まだ自分は願っていない。

もう一度、願えるじゃないか。


ルーファスは自分の左手を見る。指輪の砂は、リンディの弱々しい呼吸と呼応し、今にも消えそうな弱い点滅を繰り返している。


早く……早く願わないと……!


「どうか、どうか時を戻して……」


願いかけて、ルーファスはハッとする。


時を戻す。一体いつに?

一度目か二度目か。どちらの人生の、どの時に戻るのが最善の道だ?

もし……選択を間違えたら?


震える左手を胸に当て問いかける。


きっとこれが最後になる、大切な願い。

自分が一番戻りたいと望む場所は……


「リンディが一番幸せになれる時に戻して欲しい」


ルーファスの指輪から、カッと閃光が放たれる。闇を切り裂き、二人を何処かへ導こうとしていた。


──ハラリ。それは、最期の一粒が落ちるのと、ほぼ同時だった。



◇◇◇


ゴーン……ゴーン……


鐘の音? 聞き覚えがあるな。

厳かで、腹にまでじんと響くような……

神殿……そうだ、これは神殿の鐘だ。

つい数ヵ月前に、自分の結婚式で聞いたじゃないか。


結婚…………式?


霧のかかった視界が徐々に晴れていく。

現れたそこは、セドラー家の見慣れた庭園だった。


「……お兄様?」


幼い子供の声に隣を向けば、白いワンピースを着た、懐かしい小さなリンディが自分を見上げていた。


「……リンディ?」


自分から発せられた声も幼い。

温かな感触に手を見れば、小さな自分の右手と、もっと小さなふくふくの左手が繋がっている。その細く短い薬指には、あの砂の指輪が、玩具みたいに輝いていた。


戻った……のか?

一体ここは、どちらの人生の、どの時だ?


どうやら自分も、子供用の黒い礼服を身に着けている。


そうか。これは、両親の結婚式だ。

一度目の人生……確かリンディが6歳、自分が8歳の時の。

では何故、この場所に?


「お兄様、小さくて可愛いわ」


小さくて可愛い?


まさかと息を呑むルーファスに、小さなリンディは続ける。


「お腹も痛くないし、熱くないし、寒くない!」


リンディは繋いでいた手をスルリと離し、ワンピースをふわふわ膨らませながら、辺りをスキップする。


「幸せ! 何でもない普通の時って、すっごく幸せ! ほんとにヨハン兄様の言う通りだわ!」


間違いない……彼女は、覚えている。

どういうことだ。願った者にしか、記憶が残らないんじゃないのか?


リンディはピタッと止まると、首を傾げる。


「ここは天国かなあ? ねえ、小さなお兄様、私死んじゃったの? でも、何でお兄様も一緒にいるの? お兄様は死んでないわよね? 私、お兄様には長生きして、幸せになってもらいたいのに。それとも、あなたは、お兄様の姿をした天使様なの?」


陽の光に、青い瞳がキラキラ輝く。

ああ……本当に綺麗だな。


小さなカラスは、もっと小さな白鳥を捕まえ、思い切り抱き締めた。

その時、一度目の人生のこの場所で、リンディと交わした会話が胸に響いた。



『そうだ……僕達は今日から兄妹になるんだね』

『きょうだい?』

『年齢的に、僕がお兄さんで君が妹。君の呼び方は……リンディのままでいいか』

『うん! リンディはリンディのままだよ』



あの時感じた、もやもやする様な、ぎゅっとする様な……そして怖い様な気持ちは……

全てこの瞬間に繋がっていたんだ。


両親が結婚して、二人が兄妹になった日。

リンディが一番幸せになれると、指輪に導かれたこの日。

自分の解釈が正しければ……きっと……


「リンディ!」


ルーファスは小さな手を取ると、屋敷へ向かい一目散に駆け出した。


眩しい陽が照らす二つの指輪の砂は、どちらも同じ量で輝いていることに、まだ二人とも気が付いていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ