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第87話 二回目 リンディは18歳(25)


「だから、もうこれ以上は譲れないと言っただろう」

「そこを何とか……お願い致します」

「お前の所だけ特別扱いする訳にはいかない。今までどれだけ援助してきたと思っているんだ」

「申し訳ありません……情けないことも重々承知です。ですが……どうにもならないのです」


ルーファスはため息を吐くと、頭を下げ続ける男の白髪頭を、改めて見下ろす。

年齢はまだ30代半ば頃だろうに、その窶れ具合とくたびれた服のせいで、大分老けて見える。

苦労はしてきたのだろう、そこに嘘偽りはないのだろう。しかし……どうも釈然としない部分が、ルーファスの中にあった。


「年老いた父親が、病気だということは承知している。だがお前には妻も居るだろう。協力して働けば、この位の地代など訳ない筈だ」

「それは……実は……妻も病気で。最近はあまり働くことが出来ないのです」

「病気? 何の病気だ。診断書は?」

「いえ、それが……」


言葉を濁す男に、ルーファスは首を振る。


「三年分の地代を一部免除し、更に分割して負担を軽くしている。治療費や物資の援助も散々行ってきたし、父親を介護しながらでも働きやすい仕事を、幾度も斡旋した。……記録によると、最長で半年、最短で半月しかもたなかったそうだが」


男の肩がピクリと震える。


「お前と似た境遇の人間が、この領地にどれだけ居ると思う? それでも皆、懸命に地代を納めている。この誠実な領民達に、お前は自分をどう説明するんだ」

「それは……申し訳ないと思っております。ですが、どうしても……」

「他に払えない理由が……他の領民と違う理由があるなら正直に言え」


下を向いたまま、またしてもモゴモゴと言葉を濁す男に、顔を上げろと命じる。



『上辺だけじゃない。奥を真っ直ぐに見るんだ』



父から教わった通り、男の汚れた眼鏡の奥を慎重に探れば……何かに怯え、必死に隠す姿が現れる。

ルーファスは大きく息を吐くと、静かに口を開いた。


「……お前を信用することは出来ない。期日までに払えないなら、領地を出て行け」

「そんな……! 病人を連れて出て行けと仰るのですか!? 前の公爵様は待って下さいましたのに、息子である貴方様はなんと非情なことを」


余程切羽詰まったのか、急に不満を捲し立てる男に、ルーファスは苛立ち、強い口調で言う。


「甘えるのもいい加減にしろ! 前公爵の善意に甘え続け、支払う姿勢を微塵も見せない自分を恥ずかしいと思わないのか!」


再びよろよろと下を向き、頭を震わせる男に苛立ちが増す。

同情を誘うつもりか。生憎俺はそんな手には乗らない。


「病気の父親や妻が大事なら、必死で働け。……それだけだ。地代を用意するまでは、二度とお前には会わない」


背を向け、護衛と共に屋敷へ戻ろうとするルーファスへ向かい、男はざらついた声で叫んだ。


「私だけなら……私一人なら今すぐにだって出て行きますよ! けれど家族を外へ放り出すなんて出来ない! 貴方だって……貴方だって奥様が居るでしょう! 私の気持ちが分からないのですか!?」


顔だけ振り向き冷たい目を向けるルーファス。男はその視線を恐れることなく、更に声高に叫び続ける。


「生まれながらに身分があって、金持ちで。護られてチヤホヤ育った貴方に何が分かる!? 情けない俺の何が分かる!?」


兵に取り押さえられた男の元へ近付くと、ルーファスは毅然と言い放った。


「……全く分からないな。今日突然、身分も金も失くしても、俺は妻を死ぬ気で護る。妻の為なら、地べたに這いつくばって、何だってしてやるよ。どんなに情けなくてもな」



屋敷の外へ放り出された男は、ふらふらと歩き出す。

すれ違いざまに通ったセドラー家の紋章入りの馬車を、暗い目で睨み付けていた。




車輪の音に振り返れば、妻が乗っているであろう馬車が、敷地内へ入って来る所だった。思わず顔を綻ばせるも、慌てて表情を戻し、腕組みをして馬車の扉を見つめる。


ヨハネスが開けた扉から降り立つ妻。トンと華奢な足が地面に着けば、柔らかいすみれ色のドレスが広がり、ルーファスの胸はトクリと高鳴る。

……最近はあのエプロン姿だけでなく、何を着ていても可愛いと感じてしまうのだから重症だ。


目が合い、一瞬ふわっと笑いかけられるも、すぐにあっと口を押さえ、目線を落とされてしまった。

つかつかと近寄ると、礼をするヨハネスを押し退け、白い手を取る。


「早かったな」

「はい。折角の休日なんだから、早く帰りなさいって」


当然だ。休日に新妻をわざわざ首都まで呼び出すなんて。王妃でなければ文句を言っている所だ。


「……旦那様、もしかして、外で私を待っていてくれたんですか?」

「いや……来客を見送ったら、たまたまお前が帰って来た。執務が溜まっているから、早く屋敷に入りたい」

「……ごめんなさい」


しょんぼり囁く、彼女の声が哀しくて。

待っていたと嘘を吐いてやったら笑ったのだろうか……

ほら、こんなことを考えると、また胸が苦しくなる。


苦痛を振り切る様に大股で歩けば、ふわふわとドレスを膨らませながら、小走りで付いて来る。

……獰猛なくせに、本当に小さな生き物だ。





「多目にフルーツをカットして、お前が持って来い」


帰って来たばかりの妻に命じたその10分後、山盛りのうさぎや花が盛り付けられたガラス皿が到着した。


「お待たせしました」


机に皿を置き、出て行こうとする腕を掴む。

「こんなに沢山食べきれない……お前も一緒に食べろ」



フルーツと妻の腕を手に、半ば強引にテラスへ出ると、向かい合って座る。夕暮れ前の穏やかな日差しが、ガラス皿の模様を白木のテーブルに映していた。


「あ……」


ルーファス一人で食べると思っていた為、フォークを一本しか用意していなかったことに気付くリンディ。

いいわ、旦那様が残した分を食べよう。

そう思っていたが……突如目の前に、美しいぶどうを刺したフォークが現れた。その奥を見れば、得意気な顔で夫が笑っている。


「食べろ」


いいえ、旦那様がお先に……と言うべきだったかもしれないが、帰って来てから慌ただしく動いていたリンディは、まだ水すらも飲んでおらず、喉がカラカラだった。

我慢出来ず、潤いを求めてパクリと食い付けば、甘酸っぱい果汁が渇いた舌に広がる。


ふにゃりと緩んだ顔が可笑しくて……ルーファスはクッと笑うと、もう一粒刺したフォークで、もっと食べろという風に唇をつんとつついた。


猛獣に餌付けをしている気分だな……


それを何度か繰り返すと、ルーファスは自分の口にキウイを入れ、おもむろにフォークを置いた。


「……王太子殿下の御様子は?」

「思っていたよりもお元気そうだったわ。選ばれる色も、筆遣いも明るかったし。王妃様も傍でよく笑っていらっしゃったわ」

「そうか……」


数日前、王妃からクリステン公爵夫妻へ届いた密書によると、国王の持病が悪化し、もう何日も寝込んでいるらしい。

そんな父親の様子に、王太子が不安定になっている為、気分転換の為リンディに絵を教えてもらいたいという内容だった。


「今日は王様のお顔を描いたの。殿下の描く王様はね、すごく優しくて、ちょっと可愛くて。これはきっと、“王様”じゃなくて、殿下にだけお見せになる“お父様”のお顔なんだなって思ったわ。あんな素敵な絵をご覧になったら、王様もお元気になって下さる筈よ。そうでないと……」


一回目の人生の色々な記憶が、リンディの顔を苦しげに歪ませる。


王様の寿命も、お義父様と同様、きっと変わらない。同じ日、同じ時刻に神様に召される筈だ。

一回目の人生では絵の具を飲んで亡くなってしまったけど……二回目はどうなんだろう。

もうルビー色の絵の具は持っていないし、絶対御部屋で二人きりにはならないって決めているけど……正直王様に近付くのは怖い。


一方で、もし罪人として裁かれるのが運命なら、抵抗せず受け入れようと覚悟を決めている自分も居る。

ああ、でもそうしたら、旦那様まで巻き添えに……一回目の人生では離縁して他人になっていたけど、今はれっきとした夫婦だ。今から離縁届を出しても、受理されるまでに数ヶ月はかかってしまうだろうし……とても間に合わない。

ああ、どうしてここまで考えられなかったのかしら。

辛い……二回目の人生って、本当に辛い。何が最善の選択なのか、本当に分からない。


口を開く元気もなく、ただ恐怖に冷えていく身体が、不意に温かなものに包まれた。広くて固いそこからは、とくとく心地好い鼓動と、日だまりみたいな匂いがする。

一回目も二回目も……変わらないこの匂い。お兄様が旦那様になったって、少しだけ意地悪になったって、何も変わらないこの匂い。

ずっと……ずっと……大好きなルーファスだわ。


ぐりぐりと顔を埋め、夢中で匂いを吸い込み、またぐりぐりと顔を埋める。


このまま時が止まってくれたらいいのに……


頭上からふっと漏れる息に顔を上げれば、ルーファスが笑顔で自分を見下ろしていた。美しい喉仏が動き、大好きな声が子守唄の様に響く。


「『旦那様じゃないと食べられたくない』んだろ?」


あまりの心地好さにとろんとしていたリンディは、よく考えずにこくりと頷いた。


「『痛いのも骨になるのも、旦那様がいい。不味いなら美味しくなる様に頑張る』んだろ?」


うん……そういえば、いつかそんなことを言ったかなあ。

またこくりと頷く。


「じゃあ今晩、希望通り食べてやるよ。味見なんかじゃなく、骨になるまで食べ尽くしてやる」


骨になるまで……やっぱり痛そうだなあ。

でも頑張るって言っちゃったしなあ。


ぼんやり考えながら頷きかけた次の瞬間──

耳朶をガブッと噛まれ、リンディはひゃあと飛び退いた。


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