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第77話 二回目 リンディは18歳(15)


頬を膨らませ、ざくざくと噛み砕くルーファスに、リンディはもちろん、シェフまでもが呆気に取られている。

ごくりと飲み込むと、リンディの手からサッと皿を取り上げ、シェフにこう命じた。


「ヨハネスの分はお前が剥け」


皿とフォークを手にスタスタと廊下に出ていく夫の跡を、リンディは慌てて追い、横に並んだ。

「旦那様!それ、どうするの?」

ルーファスは突然、ゴホゴホと咳をし出す。

「喉が痛い……風邪かもな」

「旦那様も!? お熱は?どこか苦しいとこない?」

心配そうに自分を覗く妻に、僅かに口角を上げ答えた。

「フルーツを食べれば良くなりそうだ」

再び歩き出そうとするも、必死の形相のリンディに行く手を阻まれた。


「そのフルーツは駄目!ヨハネスはいいけど、旦那様は食べちゃ駄目!」

「……何故だ」


そこで妻はやっと気が付いた。夫は今、すこぶる機嫌が悪い。彼の纏う冷気は吹雪となり、自分をも襲おうとしている。

前に回り込んじゃったからかしら。でも……ここはきちんと言わないと。後で契約違反だって怒られたら嫌だもの。

リンディは控えを取り出し、指差す。


「契約書 “2” の補足。『夫の食事には決して手を触れてはいけない』ってあるでしょ? 私、切る時も皮を剥く時も、散々手で触ってしまったわ。だから、それは食べちゃ駄目」

「……夫が許可する時は構わない」

「そうなの?」

「ああ」

「それじゃ……それじゃあ、明日の朝も、旦那様にフルーツをカットしてもいい?」

「……別に構わない。ブロッコリーに触れた手でなければ」


両手を組み、ぱあっと顔を輝かせるリンディ。


「嬉しい!パンはトングを使うから、手で触らなくても焼けたんだけど、フルーツのカットはさすがに無理だったから」

「パン……お前が焼いていたのか」

ルーファスは目を見開く。

「ええ。焼き加減はどうでした? 何か希望があったら言ってね。フルーツも好きな形があったら教えて」

「焼き加減は……特に問題ない。形は任せる」

「分かりました!楽しみにしててね」


何故か吹雪が収まったことに安堵し、リンディはすっと横に退く。が、ルーファスはその場を動かず、ぼそっと呟いた。

「……今後、夫以外にフルーツをカットすることは禁止する。パンを焼くことも」

「えっ……でも “2” の補足に、『夫以外の食事は調理可』って」

「煩い。変更だ」

「……もうサインしちゃったのに。契約ってそんなに簡単に変更出来るものなの?」

「…………出来る」


もっともな妻の言い分を強引にねじ伏せ、夫は階段を上がって行った。




美しい薔薇のオレンジをフォークで刺し、口に運ぶ。どんな切り方だろうと味は変わらない筈なのに、パンと同様何かが違う。


『……は毎朝パンを焼いてくれる?あと、フルーツも切って……』


優しく甘酸っぱい香りに、誰かの言葉が呼び起こされ、じわりと目頭が熱くなる。

……最近こんなことばかりだ。自分の頭は一体、どうしてしまったのだろう。

喉を落ちながらもまだ香る切なさに、ルーファスは目尻を拭った。


よくよく考えれば、闇が不完全に……闇にあの男が現れたのも、妻と出会ってからだ。

妻と指輪とあやふやな記憶──全てが関係している気がしていた。

ルーファスは目を閉じ考える。物心ついた時から今までの記憶の何処かに、妻が居なかったか。そしてそこに、指輪の情報もないかと。母が亡くなった辺りと、闇に飲まれている間の記憶は曖昧だが、それ以外の記憶の上に、確かに彼女の姿は見当たらない。王宮のあの廊下で会ったのが初めての筈だ。


はあとため息を吐き、今度はキウイの蓮を口に運ぶ。

あっという間に空になった皿を見て、名残惜しそうに呟いた。

「……うさぎは一つしかないのか」




ふんふんと鼻歌交じりの主人をドレッサーに座らせると、侍女プリシラは丁寧に金髪を梳いていく。

洗髪後の絡まりやすいくるくるの髪も、彼女の手にかかれば大人しいウェーブに収まるから不思議だ。身の回りの大抵のこと(片付け以外)は自分で出来るリンディだが、これだけは必ず彼女に委ねていた。


「奥様、今夜は一段とご機嫌ですね」

「あのね、旦那様が明日の朝フルーツをカットして出してもいいって、そう言ってくれたの!食べてくれるの嬉しいなあ、何の形にしようかな」

「まあ……それはようございましたね」


それがそんなに嬉しいことなのだろうかと、内心では首を傾げていた。

この主人に仕えてから、約二週間。世話することには慣れてきたが、どうにも若夫婦の関係がプリシラには理解出来ない。


夫の朝食に関わることだけでこんなに喜ぶということは、奥様から旦那様への愛情は間違いなくある。朝食の件以外にも、普段の言動や行動からそれは感じていた。

分からないのは旦那様だ。適度に会話され、最近では食事も一緒におとりになることが増えているが……なんと言うか……妻へ対する情愛というものが、一切感じられないのだ。

奥様がお腹を壊されたあの夜、一晩だけベッドを共にされたが、やはり何の痕跡もなかった。この屋敷へ移ってからは、ベッドとソファーどころか寝室もきっちり分けられている。


そもそも何故お二人は結婚されたのだろう。片や王家の血を引く公爵令息、片や何の後ろ楯もない男爵令嬢。

聞いた噂は主に二つ。一つは王宮で勤務中に出会われ、大恋愛の末結ばれた。もう一つは、大旦那様が奥様を娘の様に可愛がっていらっしゃり、それがご縁で結ばれたという。

大恋愛……は、お二人のご様子からしてないだろう。だとしたら大旦那様がご縁という話の方が信憑性がある。

父親に命じられ、気の乗らない結婚を渋々受け入れた……といった所だろうか。


とすれば……これは不味い。非常に不味い。

お気持ちがない上に、真っ白なお肌の奥様では、黒いお肌を好まれる旦那様の食指が伸びないのも無理はない。

このままではお世継ぎが……最悪外で愛人を囲われたり、離縁なんてことにも……


こうして考えている内にも、いつの間にか艶々と波打つ金髪。ブラシを置いたというのに、まだ鏡の中でふんふんと歌い続ける主人に、プリシラは微笑んだ。

この妹の様な……ペットの様な愛らしい主人が夫に捨てられ、悲しむ姿は見たくない。何とかしなければ。


「……奥様、最近は旦那様と同じお部屋でお休みにはならないのですか?」

「ええ。けいや……」


リンディは慌てて口を押さえる。

契約書の “10”

『この契約の内容、及び存在すること自体、一切他人に口外してはならない』


「あ……私、いびきが煩いから。旦那様は歯ぎしりが煩くて、お互いよく眠れないの。ほら、今は仕事が佳境に入っているでしょう。睡眠は大事だから」


いびきに歯ぎしり……まさかそんな問題まで。

プリシラは更に頭を抱えながらも、口を開いた。


「そうですか……ただ、せめて一週間に一度はご一緒にお休みになられませんと、旦那様のお身体は苦しくなってしまわれるかもしれません。私はそれが心配なのです」

「……そうなの?」

「ええ。一緒にお休みになることで、男性のお身体は楽になるのですよ」


楽に……

“楽” は旦那様の “幸せ”。

リンディはプリシラの目を真剣に見つめる。


「奥様、明日も休日です。どうぞ勇気を出して、旦那様の寝室でお休み下さい。そうすれば旦那様は、明日の朝のフルーツを、一段とスッキリと美味しくお召し上がりになれることでしょう」


主人の手を両手でギュッと包み、成功を祈った。





「旦那様、リンディです」

「入れ」


毎晩夫の寝室を訪れ、左手を触らせるのはいつものルーティーン。薬指を中心に全ての指に触れると、満足するのか、「出てけ」と追い払われるのもいつもの事。

だが今夜のリンディは、右手に持っていた枕をずいっと出し、ポンポンと叩いた。


「……それは何だ」

「私の枕です!今夜は旦那様のベッドで一緒に寝てもいいですか?」

「契約書の……」

「“3” でしょう? でもね、これは “1” の有事でもあるの。プリシラさんが、私達が一緒に寝ないのをとても心配していて……でも契約のことは内緒だから、何も言えなくて」

「仕事で疲れてるとでも言っとけ」

「言ったわ。旦那様の歯ぎしりが煩くて眠れないと、嘘まで吐いてしまったの。でも、一週間に一度は一緒に寝ないとって、明日は休日だからって」


……面倒な侍女だ。

どうしたものかと腕を組み考えるルーファス。


実家で一度だけ同じベッドで寝たが、特に不快感はなかった。むしろ二人で入る布団の中は温かく、闇の男もいつも以上に穏やかだった。寝るだけなら問題はない。ただ……

万一“反応”でもしたら厄介だ。

あの日の朝も、何となく妻の寝顔を見ている内に、“反応”してしまったのだ。自分がここまで情けない動物だったとは……これでは妻を猛獣呼ばわり出来なくなってしまう。


「ねえ、旦那様」


気付けば枕に半分顔を埋めた妻が、青い透んだ瞳で自分を見上げていた。


「一緒に寝ると、旦那様の身体が楽になるって本当?」


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