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第72話 二回目 リンディは18歳(10)


「私の護衛? ヨハン兄様が?」


兄という響きに、ルーファスの眉がまたピクリと上がる。


「そうだ」

「旦那様の護衛なのに?」

「お前と結婚したんだから、もう男好きの演技をする必要もないだろう。それに、お前付きにしろと命じたのは父上だ」

「お義父様が……」


私のことを想って、兄と慕っている彼を傍に付けて下さったんだわ。

デュークの優しさに、リンディの胸が温かくなる。

自然と浮かんでいたその微笑みに、ルーファスは得体の知れない不快感を覚えた。


「……今日からお前はヨハネスの主だ。兄などと馴れ馴れしい態度は一切止めろ」

「休憩中とか、お休みの日も駄目? ヨハン兄様は年上だし、やっぱり私のお兄様な」


ガン!!


話を遮るように、空のグラスが乱暴に突き出される。


「注げ」


リンディは満面の笑みで、ピッチャーから水を注ぐ。

早く飲んでもう一度お代わりしてくれないかなあと、美しい喉仏を見ている内に、さっきまでの会話はすっかり何処かへ消え失せてしまった。




昼食後、親と滞在客への挨拶を一通り終え、休んでいた新婚夫婦の元へ、制服姿のヨハネスがやって来た。


「失礼致します。本日より奥様の護衛の任に就くことになりましたヨハネス・ウェンです。よろしくお願い致します」


無表情で礼をするヨハネスは、見知らぬ人に見える。

リンディは立ち上がると、床に片膝を付き目を伏せる彼の元へ近付く。自分もしゃがみ同じ目線になると、ヨハネスの頬に両手を添えて、そっと上を向かせた。

さらりと流れるミルクティー色の髪の毛。優しい緑色の切れ長の瞳……


「良かった! やっぱり本物のヨハン兄様だわ! 知らない人かと思って……心配になってしまったの」


こうして自分を覗き込み目を輝かせる彼女は、昨日までと何も変わらないのに。正式な主従関係が結ばれた今日からは、自分の意思で彼女に向かうことは出来ない。頬の華奢な手に触れることも、兄様だよと安心させてやることも……


ヨハネスは想いを悟られぬ様に、潤んだ瞳をふいと逸らした。

二人の様子を見ていたルーファスは、おもむろに立ち上がり、リンディの首根っこを掴んでヨハネスから引き離す。


「……さっき言ったことをもう忘れたのか」


冷たい夫の声にリンディはハッとし、改めてヨハネスへ向かった。


「お願いね。ヨハ……ネス」


新しい主に忠誠を誓う為、ヨハネスは体勢を整え再度堅い礼をする。頬に残る、柔らかな温もりから逃れる様に……



「失礼致します。お客様がいらっしゃる前に、奥様のお支度を整えさせて頂きたいのですが」


侍女に声を掛けられる。

この後、式には招待しなかった貴族らが屋敷へ祝いに訪れる予定だ。領民達の為にも庭園を解放し、酒や食事が盛大に振る舞われる。

わざわざ小規模な式にしたのに面倒なことだとルーファスは思うが、これが公爵家として不名誉な噂を立てられることのない、最低限のもてなしだった。


「じゃあまた後でね! 旦那様、ヨハネス」


ぶんぶんと手を振り、侍女と部屋を出ていくリンディに、ルーファスはため息を吐いた。



──騒がしい者が出て行き、しんと静まる室内。

ルーファスは片膝を床に付けたままのヨハネスへ命じた。


「立て」


背筋を伸ばし、元主の前へ立つ護衛。ルーファスは再び椅子に腰掛け足を組むと、ヨハネスの繊細な顔をじっと眺める。しばらく探り続けるも……そこには何の感情も見られない。さすがだなと、冷たい笑みを浮かべながら口を開いた。


「……あいつはもう、お前の “ 妹 ” ではない。そもそも何の血の繋がりもないのに、兄だの妹だの言うことが馬鹿げているが」


全く動じないヨハネスに、ルーファスの声音は一層低く鋭さを増す。


「これまでのことは全部見逃してやる。あの汚い密室で、お前とあいつが情を交わしていたとしても」


情を……交わす?

元主のとんでもない誤解に黙っていることなど出来ず、ヨハネスは目を剥き反論する。


「私と奥様はその様な関係ではございません!」

「身体は重ねていないと……では心は? あいつを一度も女として見たことがないと、純粋に妹として接していたと、胸を張って言えるのか?」

「……はい。奥様は、血の繋がりはなくとも、私の大切な妹です。それ以上のよこしまな気持ちなど一切ございません」


そう答えるヨハネスのこめかみが、小刻みに震えているのをルーファスは見逃さない。


「あいつはもうセドラー家の人間で……夫である俺の物だ。法的にも……肉体的にも」


その言葉に、ヨハネスの顔色がサッと変わる。


「……何だ。意外そうな顔をしているな。俺がアイツを抱かないとでも思ったか。まあ、あんな猛獣みたいな女でも、目を瞑って強引に組み敷けば訳無かった」


クッと笑う自分を、鋭く睨みつける緑色の目を見て確信する。


……やはりそうか。


黒いものが沸き上がったルーファスは、椅子を倒す勢いで立ち上がる。つかつかとヨハネスへ詰め寄ると、その胸ぐらを乱暴に掴んだ。


「お前も知っているだろうが……姦通罪はおぞましい重罪だ。もし俺を裏切ることがあれば、大切な “ 妹 ” をこの手で処分してやる。……お前の目の前でな」


緑色の目が恐怖を孕んだのに満足すると、ルーファスは掴んでいた胸ぐらを振り払う。千切れた制服のボタンが、自由を求めてころころと床を転がるが、壁にぶつかり呆気なく倒れた。


「アイツを護り、監視する。お前の仕事はそれだけだ。アイツに話し掛けることも、感情を出すことも、今後は一切許さない」




昨日からリンディ付きの侍女となったこのプリシラと言う女性は、デュークが雇っただけあり、二十代半ばとまだ若いが非常に優秀だった。ベビーシッターとペットシッターの経験もある為、自由奔放な主人の扱いもお手の物。

今も主がとりとめのないお喋りに夢中になっている間に、金髪を手早くハーフアップにし、ピンク色の薔薇と真珠の髪飾りを迷いなく挿していく。


長時間着けていても苦にならず、かつドレスが綺麗に見える絶妙な強さでコルセットを締め、鏡の前でくるりと回してやる。キャッキャとご機嫌な内にピンク色のドレスを被せ整えれば、愛らしい結婚二日目の花嫁が完成した。


「このドレス、凄く可愛い!」

「はい、お胸元から裾まで、薔薇が沢山咲いていますね」

「薔薇は木に咲くけど、これはまるで薔薇の畑に見えるわ。夢みたいなドレスね」


うっとりと手を広げる主人に、プリシラはうんうんと頷き微笑む。


「奥様はお肌のお色が真っ白なので、このような淡いピンクもよくお似合いですね。本当に素敵です」


真っ白……


リンディはピタリと動きを止める。舞い踊っていた手をドレスの上にふわりと下ろすと、悲痛な顔でプリシラへ問うた。


「プリシラさん……白いと不味いの?」


……奥様は何のことを仰っているだろうと、プリシラは考える。これから彼女に仕えるなら、この様な突飛な会話にも、冷静に対処していかなければならない。とりあえず不味いといえば……


「食べ物ですか?」

「私」

「……奥様?」

「ええ。おに……旦那様にね、夕べ、お前は白すぎて不味そうだって言われてしまったの」


知識、経験……プリシラが身に付けてきたあらゆるものが、目まぐるしく動き、答えを弾き出そうとしていた。だが……この新しい主人の情報が、まだ明らかに少なすぎる。超難問……故に回答不能である。


「それで……どうされたんですか?」


まずは情報収集だ。


「食べないで寝てしまったわ。前にね、少し味見されたことはあるんだけど、その時は甘くて少ししょっぱいけど美味しいって言ってくれたの。でも、本当は不味かったのに、優しい嘘を吐いてくれたのかなって」


「……はあ」


「不味そうって、とてもショックだったけど……私も “ 旦那様 ” には食べられたくないだなんて、酷いことを言ってしまったから。だってね、何だか恐いんだもの。あの綺麗で狂暴そうな歯でガリガリ齧られたら、私きっと一晩で骨になってしまうわ。血を啜るだけならいいのだけど……骨になったら、こんな綺麗なドレスだって着られないし、絵筆だって持てないかも」


駄目だ……情報を収集すればする程解らなくなる。

ここはシンプルに考えよう……奥様の話は、九割が無駄話なのだから。


優秀なプリシラは、余分な情報を削ぎ落としていく。


『お前は白すぎて不味そう』

『食べないで寝てしまった』

『旦那様には食べられたくない』


点と線が繋がった。

何の痕跡もないのに、わざと乱されていたベッドもこれで合点がいく。

……と同時に、若い夫婦の今後が危ぶまれた。セドラー家に立派な跡継ぎをもうけさせることは、侍女である自分の務めだからだ。


旦那様は色黒がお好みなのかしら。では奥様を少し日焼けさせてみる? それともメイクを暗くするか……前途多難だわ。


プリシラの悩める日々が始まった。




「旦那様!」


先に支度を終え、別室で待っていたルーファスの元へリンディが駆け寄る。

ピンクの薔薇を全身に飾り付けた妻は、やはり白くて強烈だと目を逸らす。


「うわあ! 旦那様、今日の礼服も凄く素敵!このクラヴァット、旦那様の瞳と同じルビー色ですね。無地もいいけど、今度これに刺繍してみたいなあ。ねえ、金糸と銀糸、どちらがお好き?」

「……契約書の “ 1 ” 」

「ああ、でもまだサインしていないわ。ゆっくり読むから、もう少し待っててね」

「必ず今日中に寄越せ!」

「無理よ。だって昼間は忙しいし夜はねむ」

「煩い!」


ぎゃあぎゃあ言い争いながらも、妻の手を取り引きずっていく夫。

そんな二人の背中を、一人の護衛が張り裂けそうな胸で追いかけていた。


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