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第68話 二回目 リンディは18歳(6)


結婚……結婚……

頭の中でその言葉を反芻はんすうする。

私の知っている結婚と、お父様のそれとでは意味が違うのかしら。


リンディの瞳の星はサッと散り、忙しなくキョロキョロと動き始めた。

「あの……結婚て、男性と女性が役所で婚姻届を出して……男性が夫に、女性が妻になって……同じ家で一緒に暮らすってことですよね?」

「ああ。君が考えている通りの意味で間違いないよ。私は君を、ルーファスの妻に迎え入れたいと思っている」


デジャヴだろうか……前にもこんな表情をした誰かと、こんなやり取りをしたことがある気がする。

デュークは首を傾げた。



やっぱり……結婚の意味に相違はないみたい。

でも……でも、どうして?

「デュークお父様は、何故私達に結婚して欲しいのですか?」

「……ルーファスの為だ。私が亡き後、彼が生きていける様に」

「亡き後……」


リンディの瞳から、涙が噴水の様に溢れる。

「何故……何故そんなこと言うの? お父様はお元気なんですよね?」

デュークは慌ててリンディの隣へ移動し、ハンカチを渡すと、温かな手で背中を擦る。

「ああ、今は何ともないよ。だが、いつ迎えが来てもおかしくない……私も、君だって。人の寿命は神のみぞ知る。そうだろう? だから、常に死には備えておかなければと、私は思っているんだ。明るく前向きにね」


「明るく、前向きに……」

「ああ。“死” がなければ、“生” の意味もない。そう考えたら、ちっとも怖くないんだ」


“生” の意味……

一回目の人生で、私が生きた意味は何だったのだろう。

僅か19歳で幕を閉じたことに、何の意味があったのだろう。


「だが……ルーファスを一人遺していくこと。それだけは怖くてね。考え出すと眠れなくなる」


デュークの瞳から、一筋の涙が溢れる。

今度はリンディが、柔らかな手で父の背を擦った。


「君が傍に居てくれたら……彼は生きて行ける。そう思うんだ。だけど、君が彼の傍で幸せになれるかどうかは分からない。……私は酷い人間だろう? 息子可愛さに、そんな所へ嫁いでもらおうとしているのだから」


リンディは激しく首を振る。


「おに……ルーファス様は何と仰っているんですか?」

「ルーファスも、君が良ければ結婚したいと、そう言っているよ」


お兄様が……私と…………どうして?


「実は今日、此処にルーファスも呼んでいるんだ。二人で話して、ゆっくり答えを出して欲しい」





ルーファスに呼び出されたのは、日が沈みかけた薄暗い庭だった。此処は前にヨハネスと歩いた、サム爺の花壇が並ぶ庭園。花の甘い香りはするのに、その色は濃淡の違いはあれど、全て墨の様に見えた。


さっきからこちらを振り向きもしないルーファスの背中も、そろそろ宵闇が覆い隠そうとしている。


このままでは、一言も喋らずに夜が明けてしまうかもしれない……


リンディはルーファスの前へ回り込み……そうになるも、『退け』と言われない様に横へ並んだ。チラリと覗いた顔は、周りの花と同じで何の色も窺えない。


「あのっ……この間、誕生日にお屋敷に招待して頂いた時……先に帰ってしまったので、とても心配しました」


帰りも同じ馬車で帰れると思っていたのに……


護衛も連れず急に帰った主人に、ヨハネスも何かあったのではと慌てて馬で跡を追ったが、結局理由は分からなかったそうだ。

その後、王宮で何度かすれ違う度に挨拶をしてみるものの、何も返ってくることはなく……そんな彼が、自分との結婚を考えていると聞かされても、全く信じられなかった。


……案の定、何も答えてくれない為、リンディはストレートに本題に入ってみる。


「あの……お父様からけっ……こんの話を聞いたのですが……おに……ルーファス・セドラーさんも、私と結婚したがっているって、本当ですか?」


それでも何も答えない。


「あの……もしかして、冗談ですか?」


なあんだ、やっぱりそうかなと、勝手に緊張感がほぐれ始めたリンディへ、ルーファスは勢い良く身体を向けた。

「お前みたいな変な女に、冗談で求婚する訳ないだろう!」


冗談で求婚する訳ない……冗談じゃない…………本……気?

リンディはその意味を必死に考える。

“変な女” の部分は重要ではなかったのか、彼女の中からすっぽ抜けていたのが幸いだ。


「……俺は、何かを持っている女とは結婚したくない。その点、お前には何もない」

「……はあ」

「母親は王都学園首席卒でやり手の事業家だが、身分的にはしがない男爵令嬢。娘のお前は、平民の父親の血も混ざった、更にしがない名ばかりの男爵令嬢。ランネ学園を飛び級で卒業したことしか取り柄がない」

「はあ」

「本来であれば、お前なんか王家の血を引くセドラー家には釣り合わない。妻どころか、一昔前なら使用人としてすら雇ったかどうか。……まあせいぜい、下女として置いてやれば良い方だっただろう」

「はあ」

「何の後ろ楯も、権力も……しがらみもない。それがお前と結婚してやる理由だ」

「はあ……」


気の抜けた返事をするリンディに、ルーファスは次第に苛々し始める。


「正直永遠に結婚などしたくない。だがセドラー家の長男たるもの、そういう訳にはいかない。実際、あれだけヨハネスを連れて牽制してきたというのに、最近は縁談の話が方々から持ち上がっている。……父も親戚連中も煩い。とりあえず、害のない女と形だけでも結婚しておけば、面倒なこともなくなるという訳だ」

「はあ」

「…………人の話を聞いてるのか!!」


リンディはひゃっと叫び、聞いてますよという風に、慌てて手を挙げる。


「あの……あのっ……」

「さっさと言え!」

「“害のない女”って、私のことですか?」

「今の話の流れで、他に誰が居る」


害のない女……害のない……無害……

嬉しい! ついにお兄様に、私は無害だって認めてもらえた!


ぱあっと顔を輝かせ、「やったあ!」と天を仰ぎながら、その場でくるくる回り出すリンディ。


こいつ……頭イカれてるのか。

本当にこんなやつを妻に迎えて、セドラー家は大丈夫なのだろうか。


「じゃあ、じゃあもう私の指を切らない? 剣で脅かしたりしない?」

両手を組み、にこにこと見上げてくるリンディに、ルーファスは冷たく言い放つ。

「……調子に乗るな。俺はお前を信用した訳じゃない。指輪のことも、傍で監視した方が安全だと考えたからだ。つまりお前が何を企もうとも、今の様に自由には動けない。おかしな行動をしたら、手の指どころか足も切り落としてやる」

「……おかしな行動って何?」


…………何だ?

改めて聞かれると返答に困る。


「あの、私はよく変とかおかしいと言われるのだけど、自分では自分の何が変とかおかしいとか、よく分からないの。だから、おかしな行動が何か具体的に教えてもらわないと、手も足も何本あっても足りないわ。一度切ったらもう生えてこないんだから」


言葉でねじ伏せることは得意な筈の自分が、こんなに返答に困るなんて……やはりこの女は侮れない。


「……結婚までに、契約書を作成しておく」

「あの、私、まだ結婚するとお返事してないわ」

「……はあ!?」

「お父様にも、ゆっくり答えをと言われています」


こいつっ……! 本当に……本当に……本当に!


冷静に考えれば彼女の言い分はもっともなのだが、散々ペースを乱された挙句のこの返答に、ルーファスの怒りは沸点に達する。

ベストから小型の短剣を取り出すと、鞘を放り投げ、リンディへ向ける。


「俺は待たされるのが嫌いなんだ。この場でさっさと返事をしろ!」


屋敷から漏れる灯りを、キラリと反射させる刃に気付くリンディ。バッと飛び退き素手で構えた。

「無害だって言ったじゃない!」

「煩い!やっぱりお前は有害だ!」

「そんな風に脅かすなら、私は絶対に結婚しません」

「何だと!?」


ぎゃあぎゃあ言い争う二人の間へ、黒い影がバサバサと忍び寄る。低空飛行で掠めるそれに、あっと驚き目を瞑る二人。再び開けた時──ルーファスの手からは、短剣が跡形もなく消えていた。

カアカアと嘲笑う鳴き声を見上げれば、光る物を咥えたカラスが、悠々と西の空へ飛び去って行く。

しばらく呆気に取られていた二人だが、リンディは次第にふるふると震え出した。


烏が……カラスのお兄様から短剣を……!


あははとお腹を抱えて笑い出す。

ルーファスはわなわなと震え出し、笑い続けるリンディの左手を掴んだ。


ああっ、とうとう指が切られてしまう……確かもう一本剣を持っている筈よ! どうしよう……誰か私の笑いを止めて!


覚悟し、リンディは笑い涙を溢しながら目を瞑る。

だが……いつまで経っても痛みは感じない。それどころか、自分の手をすっぽり包み込むルーファスの手は、意外にも優しかった。


「あの……」

驚きの余り、笑いが引っ込むリンディ。


……何故こんな風に、優しく握ってくれるの?

温かくて、心地好くて……折角笑い止んだのに、また涙が溢れてしまう……


その内、長い親指で彼女の薬指をなぞり始めるルーファス。指輪の存在と、それ以外の『何か』を確認する様に。上下、左右へ、何度も何度も往復する。

……やはりお兄様は烏かもしれない。

羽でくすぐられる様なその感覚に、リンディはただ心を委ねていた。


やがて手が離された時……リンディは、ずっと抱いていた疑問を口にしていた。


「……お兄様。私と結婚して……私の傍で……貴方は幸せになれますか?」


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