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第66話 二回目 リンディは18歳(4)


リンディは、さっきまでコップを持っていた手をぽかんと見つめている。


ふん……間抜け面で欺こうとしても無駄だ。

この道具で父と一層繋がり、セドラー家の何かを探ろうとしているに違いない。


「父上、まだ市場にも出ていない、こんな怪しげな魔道具を使用してはなりません。他人と声で繋がるなど」

「ルーファス」

息子を咎めようと口を開いたデュークだが、リンディの「ああ!」という叫び声に、ピタリと止まった。


「そっかあ。お父様が私とばかり仲良くするから、ヤキモチを妬いてしまったのでしょう?」


「……は?」

ふふっと楽しげに笑うリンディを前に、そっくりの目を点にする父子おやこ


「じゃあそれは、おに……ルーファス・セドラーさんにあげます。私はお手紙を書くので大丈夫!お父様と、沢山お話して下さいね」


ルーファスはコップを持ったまま固まった。

何故だ……何故こんなあっさりと手離す。本当にただ会話をしようとしていただけなのか?

いや……騙されるな。この女は策士だ。きっと何か魂胆が……


ふと父を見れば、目を潤ませながら自分を見ている。

「ルーファス……私と……これで話をしてくれるのか?」

「……それは」


父と話すことなんて何もない。“哀れな息子” そんな視線が煩わしく、あえて距離を取ってきた。

なのに……

縋る様な目をしているこの男は、今自分にとって、“哀れな父親” 以外の何者でもない。反抗する気も起きず、自然と「はい」と答えていた。


「そうか……楽しみだな」

くるりと向けた背は、僅かに震えている。昔は大きく見えた父が、いつの間にかこんなに儚く見えることに、ルーファスはただ驚いていた。






今夜は月も星も綺麗ね……夜空まで私を祝ってくれているみたい。

本当に素敵な一日だったと、庭を踏みしめながら思う。

此処はリンディが幼い日、よく遊んでいた中庭。そう、案内されたのは、なんと一回目の人生でリンディが使っていた部屋だったのだ。当然のことながら、お気に入りだったブランコも、よくエリザベスを覗いていた池もない。柔らかく、平らな芝生が広がっているだけだ。


使用人に尋ねてみた所、庭師のサム爺は、身体が辛くなり数年前に退職したと言われた。

一回目の人生では、まだ元気に働いてくれていたのに……何故かしら。

そしてモリーという使用人はこの屋敷には居ない。長く勤めている自分が知らないのだから、間違いないと。

そうか……モリーさんは、一回目の人生でお父様が私の為に雇って下さったシッターさんなんだ。だから、私が此処に居なかった二回目の人生では、彼女も居ない。


サム爺によく手入れしてもらった庭……

モリーさんによく遊んでもらった庭……

二人にはもう、きっと二度と会えないだろう。芝生を撫でながら肩を落としていると、室内からチリチリとベルの音が聞こえた。


「リンディ。ハーブティーを頂いたから、一緒に飲みましょう」



中庭と部屋を繋ぐガラス戸を開ければ、ハーブの良い香りが、室内に充満している。

母フローラの待つテーブルへ行くと、自分も腰を掛けた。


懐かしい味……

カップに口を付けたリンディは、ほうっと息を吐く。

幼い頃は、興奮して寝つけない自分の為に用意されていたホットミルク。女学校に入った頃からは、それがこのハーブティーに替わり、優しい味と香りが疲れた心を慰めてくれた。

たまに無性に恋しくなって、カフェで飲んだり、茶葉を買って自分で淹れてみたりしたけど、何かが違う。何でだろうな……


「……デュークお父様って呼んでいるのね」


顔を上げれば、母が楽しげに笑っている。


「ええ。娘みたいだから、そう呼んでもいいと仰って下さったの」

「そう。クリステン公爵様、気さくでとても素敵な方ね。領地で教室を開いた時から、いつかご挨拶したいと思っていたのだけど」

「……素敵だった?」

「とっても。初めてお会いしたのに、まるで親友みたいに感じたの。何故かしらね」

「親友……」


リンディはカップを置くと、膝の上で手をギュッと握った。

「お母様……お母様は今、幸せですか?」

思わぬ問いに、フローラは一瞬目を見開くも、はっきりと答える。

「ええ、とても幸せよ。愉快な友達に囲まれて、仕事も順調で、何より可愛い娘も居てね」

頬をつつく母の温かな指に、リンディはふにゃりと笑う。


こんなに綺麗な娘に成長したというのに……幼い時と変わらぬ表情に、フローラは目を細めた。

今の答えに偽りはない。自分は幸せだし、最高の人生を送っていると思う。

「でも……」

ずっと心に引っ掛かっていたものが、ふと零れた。


「出会うべきだった大切な人に出会っていない。いつもそんな気がしているの。“幸せ” の中で、そこだけ隙間が空いている様な……その大切な人を探し求めている様な気がして……」

フローラは、改めてその可笑しな感覚に首を捻る。きっとリンディにも笑われてしまうわねと、目線を上げた瞬間、青い瞳からはボロボロと大粒の涙が落ちていた。


「ごめんなさい……お母様、ごめんなさい……」


私のせいだ……お母様が大切なお父様と出会えなかったのは……結婚出来なかったのは私のせいだ……

お母様は、大切なものを失くしたことを、心の何処かでちゃんと覚えていた……


お兄様と義兄妹になりたくないからって、普通の男女として出会いたいからって、この二回目の人生を選んだのは自分なのに。……家族4人揃った今日を、自分はこんなに喜んでいる。本当に……本当に身勝手もいいところだ。



謝りながら泣き続ける娘。どうしていいか分からず、フローラは赤子の時と同じ優しさで、背中を撫で続けた。






暗い……真っ暗だ。

周りも、上も下も、何処を向いても暗闇ばかり。

心を無に包んでくれる、冷たくて心地好い世界。


何も、誰も居ない。自分さえも存在しない……筈なのに……


……ああ、またお前か。

黒髪で、気味の悪い赤い目の、自分にそっくりな男が笑っている。何かを見て、何かと話して笑っている。


やがて、哀れむ様な視線をこちらを向けるのだろう。


だが……自分を見る男の顔は、今までにない程穏やかで。笑みさえ浮かべている様に見える。



──瞼を開ければ、小鳥のさえずりと、カーテンを通す僅かな光。

不完全な闇に居ながら、恐怖も苦しみもなく朝を迎えられたことに、ルーファスは驚いていた。






夕べと同じ、賑やかな朝食を皆でとる。

ほとんど喋らず、食後はさっさと部屋へ戻って行ったルーファスだが、息子の纏うその空気が穏やかであることにデュークは気が付いていた。

空になった皿を片付けながら、給仕も驚く。朝の坊っちゃまは特に食欲がなく、数口召し上がれば良い方なのに、今朝はお代わりまでされていた。昨日に引き続き、一体どうされたのか……と。



もう何杯目のお茶だろう。食事が済んでも、デュークとフローラの話は尽きることがない。まるで失った十数年分を埋めている様だと、リンディは罪悪感に襲われていた。

「どうした? リンディ」

急に口数の減った彼女を、デュークが気遣う。

「あっ……お腹が一杯で、眠くなってしまいました」

「まあ、昨日成人した筈なのに。ミルクをよく溢していた時の、小さな女の子みたいね」

愛しげに笑う母に、リンディの胸は一層痛む。


「フローラ先生、よろしければ貴女の教室を案内して頂けませんか? 領地の子供達が、どんな最先端の教育を受けているのか、この目で見てみたい」

「ええ、喜んで。今日は休講日ですが、教材やカリキュラムなど色々とご案内致します」


デュークは、テーブルの端で静かにフルーツを摘まむヨハネスへ言う。


「ヨハネス、私達が留守にしている間、リンディが退屈しない様に、庭や屋敷を案内してくれないか? 本当はルーファスの役目なんだが……」

仕方ないという風に、デュークはチラリと天井を見た。






花が咲き乱れる美しい庭を歩く二人。

色や種類ごとに丁寧に植えられた花壇はサム爺が愛していたもので、それを次の庭師が大切に引き継いでくれていることに、リンディは感動していた。


「リンディ、今日の服もいいね」

「ありがとう!とっておきじゃないけど、何回か着ちゃったけど、お気に入りなの」


白地に青とピンクの小花柄のドレスを着たリンディは、本当に生ける人形そのものだ。

眼鏡なしでこんなに愛らしい彼女を見ているというのに……ルーファス様は、あっさり部屋に戻ってしまわれた。

外見は彼にとって重要ではないのか? それとも美的センスが?

ヨハネスは首を傾げるも、まあそんなにトントン拍子にはいかないかと、自分を納得させる。それでもああして、二人で会話をしていただけでも、すごい進歩なのだから。


「さっきお茶していた時……少し元気がなかった気がしたけど、どうしたの?」


優しい緑色の瞳に、リンディの心は和らぎ、ふわっと開く。

「あのね……夕べお母様が……」


話に集中し出した途端、おぼつかなくる彼女の足元。ヨハネスは耳を傾けながら、華奢な左手を握った。

見えない指輪のある薬指を、親指で無意識になぞりながら……





何故だろう……何故だか無性に光を浴びたい。

窓に近付き、少しだけカーテンを開けてみると、強烈な陽光が目に刺さる。

やはり無理だと落とした視線の先──

そこには闇の中のあの男と、あの“リンディ”という女が、手を繋ぎ歩いていた。


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