第65話 二回目 リンディは18歳(3)
やはり、青と白だな。
正面でニタニタ笑う女の顔を見て、改めて思う。
白い顔に巨大な青い瞳。……そういえば髪は金髪だった。
それだけ確認すると、ルーファスはふいと目を逸らす。とりあえず、緑でも粒々でもないことに胸を撫で下ろしながら。
祝杯を挙げると、和やか……いや、賑やかに食事が始まる。リンディとデュークの出会いから、毎日やり取りしている手紙の話まで。フローラが質問を繰り出すと、更にそこからリンディが四方八方に話を広げる為、一つの話題がなかなか進まない。
ルーファスが驚いたのは、それにデュークが一々反応し、大きな笑い声を上げていることだ。おまけに信じられない程饒舌で。
離れて暮らしている今、ほとんど顔を合わせることはないが、記憶の中の父は寡黙でこんな風に笑う所など見たことがない。
……女が父に、変な魔術でもかけているのだろうか。
「そうだ、リンディ。君に特別なメニューを用意したんだ」
デュークが合図をすると、給仕が銀のクローシュを被せられた皿をリンディの前へ置く。と同時に、目にも止まらぬ速さで、リンディをすっぽり隠す程高い衝立てが設置された。
嫌な予感に、ルーファスの背筋がぞわりとする。
そんな息子を余所に、デュークはフローラへ楽しげに語り出した。
「お嬢さんと初めて会った時、全身緑の服を着ていたから理由を尋ねたのです。特に陛下は、それがサレジア国では流行のファッションだったのかと非常に関心をお持ちでしてね。そうしたら、なんと彼女はブロッコリーが好物だから、これは自分の流行だと答えたんです。陛下はそれに非常に感心され、確かにブロッコリーだ、粒々や膨らみまで見事に再現していると、彼女の洋裁の腕を絶賛されたのです」
フローラはぷっと吹き出す。
「リンディ……あなた、幾らブロッコリーが好きだからって、服まで作ってしまったの?」
「はい、お母様。王様が “変” を理解して下さって嬉しかったわ」
王様に嘘を吐くことなんて出来ない。でもまさかお兄様を威嚇する為に着ているなんて言えない。ブロッコリーが好きなのは本当だから、嘘じゃないしね。
リンディはにこにこ笑う。
「さあ、君の好きなブロッコリーメニューの盛り合わせだ。お代わりもあるから、沢山召し上がれ」
衝立ての向こうでは、クローシュの中から現れた皿に、女が歓喜している。
「ありがとうございます!わあ~美味しそう!頂きます!」
幾ら見えないとは言っても、すぐそこにブロッコリーがあると思うだけでぞわぞわする。耳をすませば、もしゃもしゃと咀嚼音まで聞こえる様だ。
ルーファスは神経を麻痺させようと、震える手でグラスを呷った。
「そう!変と言えば、おに……ルーファス・セドラーさんの眼鏡がすごく変で素敵なんです!」
ピタリと手を止めるルーファス。
こいつ……なんてことを!
「ほう……もしかしてその胸ポケットから覗いているやつか。実はさっきから気になっていたんだ」
皆の視線がルーファスへ注目する。彼は慌てて胸ポケットを押さえるも、時既に遅し。
「レンズもフレームも緑なんです!」
「それは凄い。ルーファス、私にかけさせてみてくれないか?」
家長の命には逆らえない……
ルーファスは苦い顔をしながら、渋々眼鏡を父に渡す。
無邪気な顔でそれをかけたデュークは、辺りを見回し、興奮した声で叫ぶ。
「おお!全て緑に見える」
天井、壁、食卓と視線を移し、緑の息子の前でピタリと止まった。その瞬間……ふるふると肩を震わせる。
「ルーファス……緑に見えるだけじゃ、ブロッコリーは克服出来ないぞ。粒々にも慣れないと」
眼鏡を作った意図を即座に父に見抜かれたルーファスは、カアと顔を赤らめる。
そんな息子の様子に、デュークは豪快に笑い出した。
ほろ酔いのヨハネスも、今まで制御していた分たがが外れ、デュークに負けず劣らずの声で笑い出す。ルーファスにギロリと睨まれても、もはや止まれない。
「デュークお父様、私にもかけさせて下さい!」
「ああ、いいよ」
女め! 折角の餌を、あっさり手に入れやがって。
……やはり策士だ。
本当に緑だわ!と騒ぐ衝立てを睨み続けるルーファス。
「私もかけてみて宜しいでしょうか?」
「僕にも……」
賑やかで、騒がしく……そして明るい食卓に、給仕達は驚きの視線を交わす。こんな風景は、此処へ勤めて以来初めてのことであった。
楽しそうに笑う主人を見るのも、表情のある令息を見ることも……
食事が済み、お茶の用意が整うテーブル。
デュークは席を立つと、隣の部屋からある物を持って来た。
「誕生日おめでとう、リンディ。ささやかだが、私からのプレゼントだ」
大きな花束と、小箱が渡される。
「ありがとうございます!」
促され開けた小箱からは、一本の絵の具のチューブが出てきた。
見覚えがある……これは……
普通の“赤”とは違う、赤にピンクを混ぜた様な、不思議な色の紙が巻かれたチューブ。
そう、それは一回目の人生で、自分を冤罪へ追いやったあのルビー色の絵の具だった。
「……大丈夫か?」
はっと顔を上げれば、デュークが心配そうに自分を覗き込んでいる。自分はきっと酷い顔をしていたに違いない……小刻みに震える手をギュッと握り締め、礼を述べた。
「前に肖像画を描いてもらった時、この色が上手く出せないと言っていたから。ヘイル国原産の氷結草から作られた絵の具らしい。甘いそうだが、毒性があるから決して口に含んではいけないよ」
デュークは幼い子供を諭す様に言う。
「そのような高価なお品を……何とお礼を申し上げたら良いか」
馬一頭と交換出来る程の価値と知っていたフローラは、慌てて頭を下げる。
「いえ、彼女には素晴らしい絵を描いてもらいましたので、そのお礼です」
優しいお父様の瞳と同じ……ルビー色の絵の具。
リンディはチューブを取り出し、まだ震える手の平に乗せた。
温かい……王女様からもらった物よりも、ずっとずっと温かい……
大丈夫。この絵の具は人を殺める毒なんかじゃない。お父様が私を想って下さった、優しくて温かい絵の具だ。
パッと顔を上げると、リンディはとびきりの笑顔で、もう一度礼を述べた。
「ありがとうございます!この絵の具で、沢山素敵な絵を描きますね」
大切に箱に戻すと、今度はリンディがデュークへ何かを渡した。
「これは、私からデュークお父様へプレゼントです」
「私に? 誕生日でもないのにもらっていいのかい?」
「はい!どうぞ開けてみて下さい!とっておきの魔道具です」
……魔道具!
ついに来たと、ルーファスは前のめりになる。
包みから出てきたのは、もちろんあの魔道具。底に細かい穴の空いたコップ二つを手に取り、デュークは何だろうと覗き込む。
「これは、離れた人に声を届ける魔道具です」
「声を?」
「はい!こうやって……」
耳に当てたコップから、部屋の隅で囁くリンディの声が聞こえると、デュークは目を輝かせた。
「なんと楽しい道具だ。これがあれば、一分前の出来事だってすぐに話せるな。手紙を待たなくても」
「はい!前にデュークお父様が欲しいと仰っていた道具です」
「前に……私はそんなことを言ったのだろうか」
「一回目の……もうずっと前のことなので、デュークお父様は覚えていらっしゃらないかもしれません」
デュークは不思議そうに、でもどこか納得した顔で頷いていた。
「君がそう言うならそうかもしれない。だが……私はその時、一体誰と話したかったんだろうな」
哀しい顔で息子を見ると、視線を落とした。再び顔を上げ、今度は明るい顔でリンディへ言う。
「では、片方のコップはリンディが持っていてくれないか。君と毎日話が出来たら嬉しい」
リンディも嬉しそうに返事をしようとした時……
「いけません!!」
ルーファスは立ち上がり、鋭い目でリンディの手からコップを奪い取った。




