第64話 二回目 リンディは18歳(2)
寝ている……
屋敷に到着したことにも気付かずに、二人ともすやすやと心地好さそうな寝息を立てている。
リンディは短剣二本を枕に、座席にごろんと身体を横たえている。背中には、可憐なドレスには似つかわしくない物騒なサーベルが。
アドバイスが役に立ったのか、武器を全て没収している様子を見て、ヨハネスは安堵する。
一方ルーファスは、背もたれではなく壁に凭れ掛かり、長い足を窮屈そうに折り曲げながら、座席に置いていた。足置きにされたリンディの鞄からは、ブロッコリーがひょっこり顔を出している。
床には緑の眼鏡と、脱ぎ捨てられたらしい彼の靴が、だらしなく転がっていた。
リンディはともかく……ルーファス様のこんなに気の抜けた姿を見るのは、仕えて以来初めてだ。常に神経を尖らせ、他人に隙など見せないのに。
しかも今、リンディは彼にとって、最も警戒すべき人物な筈。いわば敵の前で、こんなに熟睡しているなんて……やはり、愛していた時の、記憶の欠片が残っているのだろうか。
黒く長い睫毛を伏せ、少し口角を上げながら眠る主は、年齢よりもずっと幼く見えた。もしかしたら、これが彼の本来の姿なのかもしれないと。
自然に起きるまで二人を観察していたい気もするが、そういう訳にもいかず……
「ルーファス様、お屋敷に到着致しました」
しばし待つが、返事はない。今度は少し声を張り上げてみると、瞼が小刻みに瞬き、ルビー色の瞳が薄く覗いた。真っ先に彼の視界に入ったのは、どうやら足元のブロッコリーらしく……ひっと叫ぶと、足を引っ込め小さく縮こまった。
その声に、リンディも目をこすりながら、もぞもぞと起き上がる。寝ぼけ眼に飛び込んできたのは、長い足を両腕で抱え震えるルーファスと、鞄からはみ出たブロッコリー。
リンディはさっと向かいの座席へ飛び込むと、それを鞄に押し込み、後ろ手に隠した。
「お兄様、もう大丈夫よ! ブロッコリーはどこにもいないわ! 足を伸ばしても、顔を上げても大丈夫!」
素直にこくこくと頷き、腕の隙間からチラリと周りを覗くルーファス。本当にあれがいないことを確認すると、はあと脱力した。
その様子にリンディはにこりと笑う。散らばった彼の靴を拾うと、「はい、どうぞ」と揃えて置く。「これもどうぞ」と続けて眼鏡を差し出されたところで、ルーファスは漸く覚醒し、リンディを睨みつけながらそれを引ったくった。
慌てて目に掛けようとするも、ピタリと手を止め、胸ポケットへしまう。
こんなのをかけて帰ったら、父になんと思われるか……医師でも呼ばれたら面倒だ。
キラキラした瞳で彼の胸を見つめるリンディに、ルーファスが訝しげに尋ねる。
「何だ」
「それ……緑色に見えるんですか?」
「……さあな」
「掛けてみたい! 少し貸してもらえませんか?」
手を組み、懇願するリンディ。
「少しだけでいいから……ねっ。あっ、これと交換!」
差し出された二本の短剣を、ルーファスは即座に引ったくる。
「サーベルも寄越せ」
はい! と何の疑いもなく差し出すリンディに、内心ほくそ笑む。
……馬鹿め。策士かと思えば、大したことはなかったな。
無事に全ての武器を取り戻したルーファスは、意気揚々と馬車を降りた。
あれ……?
リンディも慌てて降り、ルーファスの後を追う。
「ねえ! 眼鏡は!?」
二人の背中が、屋敷へと遠ざかっていく。一連のやり取りを観察していたヨハネスは、うんうんと頷いていた。
これは……良い感じかもしれない。
笑いながら扉を閉めれば、車内から甘い香りがふわりと流れる。
リンディ……扉の外に居た僕を見向きもしなかったな。ルーファス様を追い掛けていたんだから当然か。
チクリ……チクリ……
今日は、いつもよりはっきりと胸が痛んだ。
屋敷に足を踏み入れたリンディは、鼻をすんと啜る。
懐かしい……何もかもが懐かしい……
重厚感のある門も、広間の茶色い大理石も、木製のシックなシャンデリアも。
「おかえりなさいませ」
自分に言われた訳ではないのに、まだこの屋敷の、セドラー家の一員であると錯覚してしまいそうになる。
「旦那様は外出されていまして、2時頃のお戻り予定です。昼食はお待ちにならずお召し上がり頂く様にと」
「部屋に運べ」
「かしこまりました。坊っちゃまの本日のお部屋は二階でございます」
従僕に先導され、ルーファスは階段を上がる。
本日のお部屋……? 自分のお部屋を使わないのかしら。
まるでホテルみたいと首を傾げるリンディに、一人の使用人が話し掛けた。
「リンディ様のお部屋は一階にご用意させて頂きました。ご案内致します」
そう微笑むのは、一回目の人生でよく身の回りの世話をしてくれた使用人だ。リンディは抱き締めたい気持ちを何とか抑え、「よろしくお願いします!」と握手をした。
彼女の後に続いて廊下を歩きながら、改めて屋敷を見回す。
何も変わらない……変わらないのに……あの頃よりもずっと広く、寒々しいと感じるのは何故だろう。モリーさんやサム爺の姿は見えなかったけど……此処に居る間に会えたらいいな。
ルーファスは、用意された二階の客間に入るなり、ソファーに重い腰を下ろした。
室内の窓という窓には厚いカーテンが閉められており、まだ正午前だというのに薄暗い。
“ 坊っちゃまのお部屋は予め暗くしておく ”
光の刺激が苦手なルーファスの為に、使用人達がいつもこうして整えている。
……今夜は眠れるだろうか。いっそ寝ずに一晩明かそうか。
不安気にベッドを見る。
この屋敷で眠ると、夜な夜な母の悪夢に魘される為、滞在する度に部屋を変えていた。気休めにしかならないが、それでも自分の部屋を使うよりはずっとマシだった。
それにしても……
ルーファスは武器をテーブルに並べながら考える。
あんなに熟睡したのは久しぶりだ。いつ眠ったかすら覚えていない。そうだ……あの女の涙を見ている内に、段々と瞼が重くなっていったんだ。やはり指輪の魔力のせいだろうか。
結局尋問はうやむやになってしまったが、まだ帰りの馬車もあるし焦ることはない。それに……こいつも餌に出来そうだしな。
胸ポケットから緑眼鏡を取り出す。
ブロッコリー女だけあって、相当緑に興味があるらしい。特注品の高価な眼鏡を、そう簡単に渡してたまるか。少しだけなどと言って、奪い取る気に違いない。
自分の胸へ短い腕を伸ばし、ピョンピョン跳ね回っていた無様な姿を思い出す。
そういえば……今日の女は緑ではなく、青と白だったような。まあ、何色でも構わない。とにかく油断せず、この目でしっかりと監視をしなくては。一体何を企んで、父に魔道具を渡すのか……
「失礼致します。お食事をお持ち致しました」
給仕が昼食のトレイを置く。熟睡した為か、頭も胃袋もスッキリしており、ルーファスは珍しく全ての皿を空にしていた。
◇
「予定が長引いてしまい済まなかった。本当は一緒にお茶を飲みたかったんだが」
「いえ! お招き頂きありがとうございます」
夕方近くなってから屋敷に戻ったデュークは、礼をする美しいリンディに目を細める。
「リンディ、今日は一段と綺麗だ。王女様よりずっと綺麗なんじゃないか」
『うちのお姫様が世界一だ』
もう娘じゃないのに、一度目の人生と同じことを言ってくれるなんて……とっておきを着てきて良かった!
二人は父娘だった時と、何も変わらぬ笑顔を交わした。
誕生日を祝う夕食の席には、主役のリンディをはじめ、デューク、ルーファス、それと教室の仕事を終えてから到着したフローラの、元家族4人が無事に揃った。また、デュークの配慮で、リンディが兄の様に慕うヨハネスも同席を許された。
長いテーブルの中央には、リンディが大好物だと手紙に書いていた、苺と生クリームたっぷりの巨大なバースデーケーキまである。
幸せ……今日はなんて幸せな日なの。
お兄様に優しく触れてもらって、家族だった皆が揃って、ヨハン兄様までお祝いしてくれる。
本当に18歳で……32歳で死んでしまってもいいって、そう思えるくらい嬉しい!
二度目の人生で一番幸せだったかもしれないこの日、リンディは涙ぐんだ瞳で、正面のルーファスへ微笑みかけた。




