第62話 二回目 リンディは17~18歳
数週間後の休日、ヨハネスは手土産に買ってきたブロッコリーを、リンディのキッチンで調理して行く。
スープから炒め物、サラダまで。緑がずらっと並んだテーブルに、リンディは目を輝かせ、今にも涎を垂らしそうだ。
「いただきます」
口内に広がる極上のもしゃもしゃに、頬を押さえ蕩ける彼女。こんなに喜んでくれるなら作った甲斐があるなと、自分も同じ物を口に入れ笑う。
休むことなくどんどん食べ続けていたリンディだが、フォークで刺したブロッコリーを手に、不意にピタリと動きを止めた。
「どうしたの? リンディ」
「あのね……前から不思議に思ってたんだけど。一回目の人生でも、確かにお兄様はブロッコリーが嫌いで食べられなかったの。でも、普通に触ったり、私の為にお料理もしてくれたわ。どうして二回目の人生では、気絶してしまう程嫌いなのかしら」
ヨハネスもフォークでブロッコリーを刺すと、思案顔でそれを見つめる。やがて、ふっと微笑み、口を開いた。
「君が好きな食べ物だったからじゃないかな」
「私が?」
「うん。好きな人が好きな食べ物だったから。本当は気絶する程怖いのに、愛しさすら感じていたのかもしれないよ」
「……そっかあ」
リンディは、花束みたいなブロッコリーをくれた、かつてのルーファスを思い出す。
『木みたいだろ?気持ち悪いけど、今夜はこれを茹でてあげるよ。これだけ大きければ、サラダにスープに、何でも作れるな』
『君は、君のままでいいんだよ』
青い瞳はたちまち潤み出し、空のスープ皿にほろほろと涙を落としていった。
「可哀想……お兄様が可哀想。私の為に、頑張って沢山沢山美味しいお料理を作ってくれたのに……私、あんなに怖がらせてしまって。もう緑の服は止めるわ」
「……そうだね。もう着るのを止めても、警戒して近付いて来ないと思うよ。護身用のブロッコリーだけ持ち歩いていれば、きっと大丈夫」
「うん」
「あ、でも僕はあの服、楽しくて好きだよ。折角作ったんだし、僕と会う休日に着てくれたら嬉しいな」
「……分かったわ」
あの服を着ている限り、ルーファス様は永久にリンディに近付けない。(多分)
少し寂しいが、自ら脱ぐことを決意してくれて良かったと、ヨハネスは安堵していた。
リンディはフォークを置いたまま、溢れる涙をごしごしと擦り続ける。一向に減らない皿を見て、ヨハネスは試しに自分のフォークを薔薇色の唇に運んでみた。すると反射的にぱくりと咥え、泣きながらもぐもぐ咀嚼する。
……可愛いな。子供みたいだ。
笑いながら食べさせ続ける内に、皿の上の緑は、無事に彼女の胃袋へ収まっていった。
お茶を飲み一息つくと、ヨハネスは尋ねる。
「セドラー宰相とはどう?」
「毎日お手紙をやり取りしているわ。一回目の人生と同じ様で、とても楽しいの」
「そう……良かった」
「それでね、来月私の18歳……ええと、本当は32歳の誕生日なんだけど、丁度連休でしょう? セドラー家の屋敷でお祝いしないかって誘ってもらったの。もし良ければ、お教室の仕事の後、お母様も一緒にって」
「お母さんも一緒に!? すごいじゃないか!」
元家族が、元の屋敷で再会するのか……
ヨハネスは興奮していた。
人生というのは、やはり正式なルートが決まっていて、歪んだものを修復しようとする力が働くものなのかもしれない。
……だとしたら、本来出会う筈のなかった、僕とリンディは?
切ない考えに辿り着いた胸は、また浅く深い部分でチクチクと痛み出す。
「ヨハン兄様……どうしたの?」
心配そうに覗き込むリンディに、はっとする。
今、自分は一体、どんな顔をしていたのだろう……
「何でもないよ。ちょっと欠伸が出そうだったんだ」
そうおどけて取り繕うと、リンディは安心したのか、ふふっと笑う。
そして立ち上がると、戸棚から何かを取り出し、テーブルに置いた。それは自分がもらったのと同じ、コップ型の声を届ける魔道具だ。
「こっちはね、お父様にあげたくてずっと大切に持っていた分なの。一回目の人生で、欲しいって言っていたから。この間は王様が居たから渡せなくて……今度こそあげられたら良いのだけど」
セドラー宰相に……魔道具を……リンディが……
ヨハネスはピンと閃いた。
「リンディ……その誕生会に、ルーファス様も来たら嬉しくないか? 元の家族4人、全員揃うんだ」
青い瞳はみるみる大きくなり、ひゅっと息を吸い込むと、リンディは叫んだ。
「それは……嬉しい! もういっそ18歳で……32歳で死んでしまってもいいって、そう思えるくらい嬉しい!」
「死んでしまうのは困るな。折角のお祝いなのに」
ヨハネスは笑いながら、興奮する彼女の頬をふにっと摘まむ。
「でも……お兄様が来てくれるなんて、そんなこと出来るの?」
「うん、僕に任せて」
切れ長の瞳を更に細め、ヨハネスはニッと笑った。
「ルーファス様、ブロッコリー女が動き出しました」
「……何?」
ルーファスは鋭い目をヨハネスへ向けた。
「肖像画を描いたことでお父上と親密になっていることは既にお伝えしていましたが、来月お屋敷に招待されており、そこである魔道具をお父上にお渡しするそうです」
「魔道具!」
バッと立ち上がり、ヨハネスへ詰め寄る。
「それはどんな魔道具だ!」
「私も存じ上げません。ただ、まだ市場では売られていない新しい物だそうです」
ルーファスの目は更に鋭さを増し、指輪の光る左手を握り締めた。
「……女を此処へ連れて来い。俺が取り調べてやる」
「全身緑ですが、宜しいのですか?」
「……玄関で脱がせろ。俺の目に触れる前に」
真面目に答える主人に、ヨハネスは笑いを堪え、こう助言する。
「そうですね……強引に口を割らせるのも結構ですが、もう一つ、別の手もありますよ」
「……どんな手だ」
「ルーファス様ご自身で、彼女を監視するのです。お父上にどんな魔道具を渡すのか、その意図は何なのか。もしかしたら、指輪についても何か分かるかもしれませんよ」
ルーファスは顎に手を当て考える。
「それに、人の目を気にせず毎日あのおかしな服で通勤する所を見るに、彼女は相当頑固だと思われます。取り調べた所で素直に吐くかどうか」
「拷問すればいい」
「昔一度死にかけたことがあって、痛みには相当強いと言っていました。また、身体には常に護身用のブロッコリーを仕込んでいるそうです。絶対に気付かれない所と言っていましたので、服を脱がせても無駄でしょう」
ぞわっと悪寒が込み上げ、ルーファスは身震いした。
「……俺も屋敷に行けと言うことか」
「はい。指を傷付けられそうになったことで、彼女もルーファス様を相当警戒しております。表面上は少し友好的な態度をお取りになり、油断させてみてはいかがですか? ボロを出すかもしれません」
確かにこのままでは、女に弱みを握られたまま、指輪について何の情報も引き出せない。
石の砂が全て無くなることで、指輪から解放されると思っていたが……今では逆に、何か不吉なことが起きる気もしていた。とすれば、あまり残り時間はない。
自分のと違い、まだ砂が沢山残っていた女の指輪も気になる。至近距離で、もう一度確認してみたいとずっと思っていた。
ヨハネスの言う通り、ここは自ら動くべきか。
ルビー色の瞳に左手をかざせば、指輪の僅かな砂が、決意を後押しする様に光っていた。
リンディの誕生日当日──
おんぼろアパートには似つかわしくない、セドラー家の立派な馬車が、彼女を迎えに到着した。
貸し馬車で向かおうとしていたリンディだが、ヨハネスからルーファスと同じ馬車に乗車することを勧められた。なんと、ルーファスもそれを了承していると……
誕生会に来てくれるだけでなく、同じ馬車で行けるなんて! 一体ヨハン兄様は、お兄様へどんな魔法を使ったのだろう。
リンディは緊張しつつも、嬉しさのあまり、約束の一時間も前からアパートの周りを何周もスキップしていた。
蹄の音にぱっと振り返った彼女を見て、御者の隣に座るヨハネスは息を飲む。
『自分が一番可愛く見える、とっておきの服を着てね』
ヨハネスのその言葉を忠実に守り、まだ一度も袖を通したことのない新しいドレスを、風になびかせながらやって来るリンディ。
彼女の青い瞳と白い肌に映える、水色のシフォン生地のドレス。広く開いた襟からは美しい鎖骨が覗いており、豊かな胸元から下へ辿れば、ほっそりしたウエストとふわふわ膨らむスカート。大人びているが、下品に見えない。清楚な色気を放つ彼女の魅力を、最大限に引き出す、絶妙なデザインだった。
暑いからと、いつもポニーテールのくるくるの金髪は綺麗に下ろされ、パールのバレッタがサイドに光る。耳元からも、同じパールのイヤリングがキラキラと揺れていた。
これは……とっておき過ぎないだろうか。
御者台からふらっと降りるヨハネスは、危うく躓きそうになった。
「おはよう!ヨハン兄様!」
その声は、自分のよく知っている彼女でホッとする。
だが、“綺麗だね”も、“よく似合っているね”も、喉の奥に絡まり何も出てこない。
「……お待たせ、リンディ」
何とかそれだけ絞り出し、ルーファスが待つ馬車の扉を開いた。




