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第54話 二回目 リンディは17歳(4)


「此処よ!」


そのアパートの外観を見て、ヨハネスは言葉を失う。屋根なんか今にも崩れ落ちそうだし、蔦の隙間から覗く外壁は亀裂だらけ。ドアに至っては、薄っぺらい板が一枚貼り付けてあるだけと言った感じだ。


此処に、この人形みたいなが一人で住んでいるのか? 護衛も何もなしに?


「私の部屋は二階なの」

一歩踏み出す度に、ギシギシと鈍い音を立てる階段。赤い色が塗ってある部分は踏んでは駄目と言われ、すんでの所で飛び越える。


密室で男女が二人きりになるのは如何なものかと直前まで躊躇っていたが、この強烈なアパートのせいで、それもすっかり吹き飛んでしまった。



鍵をガチャガチャと回し、錆びたドアノブを捻れば、建て付けの悪い木の板が開く。

中からは──何やら甘い香りと、塗料の様な不思議な匂いがした。


「画材が散らかっていてごめんなさいね。そこの椅子に座って。すぐ片付けるから」


そうか、彼女は画家だったな。


確かに床やテーブルには、絵の具やパレットが散らばり、壁にはイーゼルとキャンバスが幾つも立て掛けてある。リンディはそれらをザッと片付ける(隅に寄せ集める)と、羽根らしきものが付いた見慣れぬ道具を彼に向けた。


「魔道具?」

「うん!氷と風の魔力で作られていて、とっても涼しいの。ほら、一緒にお家にお邪魔した男の子覚えてる? あの子が今、ランネ学園の魔術科に居るんだけど、こうしてよく魔道具の試作品を作っては送ってくれるの」

「へえ……まだ学生なのに、こんなに作れるなんてすごいね。氷だけでなく、風も使うなんて新しいな」


羽根はくるくると回りだし、冷気と共に流れた心地好い風が、額の熱を冷ましていく。昔、魔道具作りに興味はないと言っていたヨハネスだが、その精巧さに目を輝かせていた。


リンディは冷たいコップを彼の前に置くと、どこからか引きずり出した皺くちゃのエプロンを締め言う。


「ご飯作るから、休んで待っててね!」



一時間……更に30分経っても、彼女はまだ狭いキッチンに立ち続けている。さっきからずっと鍋を執拗にかき回し、味見をしてはああでもない、こうでもないとぶつぶつ唱えているのだ。その内、鍋の水分が全部蒸発して無くなってしまうのでは?と思う程に。


それ程空腹な訳ではなかったが、さすがに気になり彼女の手元を覗き込んだ。

「何を作っているの?」

返事がない為、青い瞳の前に手をかざすと、ひゃあと叫びながらこちらを向かれた。


「……ごめんなさい!お待たせしちゃって」

「ううん、いいんだけど……何か手伝おうか?」

「あのね、スープの味が全然美味しくなくて。どうしたらいいか分からないの。おかしいなあ……材料も調味料も合ってるはずなのに」


鍋の中には、野菜スープらしきものがどろどろに溶けている。


「……味付けに迷っている内に、煮過ぎて風味が変わってしまったのかもね」

「そっかあ。そういえばお兄様は、もっと手早く作っていたわ」

「君、お兄さんが居るの?」


口を滑らせてしまったリンディは、しまったとばかりに、杓子を激しく回し誤魔化す。


「あっ……親戚の、お兄さん。昔よく作ってもらったの」

「ふうん。ねえ、味見してみてもいい?」


ヨハネスはリンディから小皿を受け取ると、口に含み少し考える。

「うーん、悪くないんだけど、少し塩気が強いのと旨味が足りないかもね」

「そっかあ。どうしようかな」

首を捻るリンディに、ヨハネスは尋ねる。

「トマトある?」


慣れた手付きでトマトを細かく刻むと、スープに入れ味を整えていくヨハネス。リンディはパンを焼きながら、その様子を感心した様に眺めていた。


「すごい!上手なのね」

「祖父の家に引き取られてからは、僕が料理担当だったから……どうかな、お兄さんのとは味が変わってしまったかもしれないけど」


今度はリンディが小皿を受け取り、口に含む。

「……美味しい!お兄様のとは違うけど、すごく美味しい!私、これもすごく好き」

「良かった。トマトは加熱すると旨味が出るんだよ。あと、少しスパイスを足してみた」

「そうなのね!今度から入れてみるわ。ありがとう」


にこにこしていたリンディは、鼻をぴくっと動かすと、オーブンから手早くパンを取り出す。

「こっちもいい感じ!」

こんがりと艶やかな、食欲をそそられる焼き具合のパンが篭に乗っていた。



人形みたいなと、こうしてテーブルに向かい合うと、何だかままごとみたいに思えてくる。


意外に綺麗な所作でスープを口に運ぶと、顔を綻ばせ、うんうんと頷く彼女。喜んでもらえたなら良かったと、自分も香ばしいパンを口に運び頷く。


テーブルには他に美しいフルーツも用意されていた。花の様にカットされ、盛り付けられたオレンジとキウイ。食べてしまうのが勿体ないくらいだ。

あんなにスープに手間取っていたのに、いつの間に用意したのだろう。


「……綺麗だね。まるで芸術品だ」

「私、フルーツを切るのは好きなの。パンを焼くのも。料理は工程や味付けに迷ってしまうから、苦手なんだけど」

「そうなんだね。僕には料理よりこっちの方がずっと難しいけどな」


リンディはスプーンを静かに皿に落とす。

結婚を夢見ていた、あの穏やかな休日の会話が甦り、胸がギュッと締め付けられた。



『リンディは毎朝パンを焼いてくれる?あと、フルーツも切って欲しい。君の焼き加減は最高だし、フルーツも綺麗で嬉しいから』

『……そんなことでいいの?』

『もちろん。それぞれ得意なことをすればいいんだよ。僕は毎晩スープを作るからね』



……結局夢は叶わなかった。

今思えば、あの最後の休日が、人生で一番幸せな瞬間だったかもしれない。たとえ人生をやり直した所で、あの日以上の幸せなどないのでは? だとしたら……自分は何の為に生きているのだろうか。



こくり……こくりと頭を大きく揺らす彼女。何事かと見れば、スプーンを握ったまま船を漕いでいた。

まさか……食べながら眠ってしまったのか。子供みたいだな。

近付き、肩を叩いたり呼び掛けてみるも、一向に目を覚まさない。ヨハネスは諦め、小さな手からスプーンを抜き取ると、ひょいと抱き上げ奥のベッドへ寝かせた。


彼女の顔をよく見れば、長い睫毛の下にクマがある。元々寝不足だったのかもしれない。

すると不意に瞼が震え、目尻から、つうっと涙が一筋溢れた。


「お兄様……」


呟かれた寝言に、ヨハネスは想う。

“お兄様” か……もし妹が生きていたら、こんな感じだったかな。

産まれてすぐに亡くなった小さな妹。彼女と同じ金髪で、歳も大体同じ位だ。無事に成長していたら、今頃こうして二人寄り添って生きていたのかもしれない。


長い指で優しく目尻を拭うと、ヨハネスは一旦床に腰を下ろす。


どうしよう……帰るにも鍵が何処にあるか分からないし。

鞄に入れてたか? で、その鞄は何処だ?

乱雑な部屋を見回し、ヨハネスは諦めた。鍵もかけず、一人こんな年季の入ったアパートに置いていく訳にはいかない。


ヨハネスは残った食事を全て胃に収めると、テーブルとキッチンを片付け、再びベッドサイドの床に座る。

魔道具によって冷やされた室内と、彼女の規則正しい寝息が心地好く、自分も次第に瞼が重くなってくる。


こんな休日も……悪くないな。




カア カア

カラスが鳴いてる……今は朝? それとも夕方?


眩しい光に目を開けると、窓から真っ赤な夕陽が差し込んでいた。

……夕方だったのね。

リンディは身体を起こし、うーんと背伸びをする。

久しぶりによく寝たわ。よく……寝た? 私、いつの間に寝たのかしら。


ぐるっと部屋を見回し、最後に床に目を落とすと、見慣れぬ巨大な何かがある。こんな画材あったかな。

長い……足? 白い……シャツ? ミルクティー色の……髪の毛…………


「ヨハネス!!」


高い叫び声に、彼の瞼がピクッと開き、緑の瞳が覗く。

「……ああ、起きた?」

「ごめんなさい!私、家にご招待しながら寝てしまったのね」

「気にしなくていいよ。僕も昼寝してたし」


慌ててベッドから飛び降りれば、テーブルもキッチンも綺麗に片付いている。

「何から何までごめんなさい」

「ううん、ご飯美味しかったよ。ご馳走さま」


激しい烏の鳴き声に、二人は自然と窓へ目をやる。ヨハネスはその景色に、あっと声を上げた。

「すごい……王宮が燃えているみたいだ。絶景だね」

「でしょう!? この窓、生きている絵なのよ」

「生きている絵か……」

「ええ。お陰で、此処の暮らしはお城みたいに贅沢だわ」


なるほど……この美しい窓があるなら、今にも朽ち果てそうなこのアパートも、城と言えるのかもしれない。

彼女の自由な感性に、自分の心が解き放たれていくのを感じた。




「それじゃあ、そろそろ帰るね」

「うん、本当にごめんなさい。今日は楽しかったわ、ありがとう」

「こちらこそ。そうだ、ルーファス様と僕とのこと、誰にも言わないで。女性避けだってバレたら、クビになってしまうから」

「ええ、もちろん!」


そう答えると同時に、リンディは昔、彼に同じ様に言われたことを思い出す。


『呪術のこと、誰にも言わないで』


どうしよう……私、ワイアット教授に呪術のこと喋ってしまったわ。謝った方がいいかしら……でもそうしたら、指輪のことも話さなきゃいけないし。


「……君のこと、リンディって呼んでもいい?」

ヨハネスの問いに、リンディは罪悪感で混乱しそうになっていた意識を引き戻した。

「ええ、もちろん! あっ……私さっき、貴方のこといきなり呼び捨てにしまったけど、年上なのに失礼だったわよね」

「全然。ヨハネスでもヨハンでも、“お兄様”でも。何でも構わないよ」


お兄様……


哀しげに顔を歪め、「考えておくわ」とだけ答える彼女に、何故かヨハネスの胸が痛んだ。



赤い色を器用に避けて階段を降りた頃には、あんなに目映かった夕陽も薄い闇に消えていた。


「また遊びに来てね!」


階段の上から元気に手を振るリンディに、自分も大きく手を振り返す。

……またね、リンディ。





ヨハネスを見送り、薄暗い部屋に灯りを点けた瞬間、リンディは漸くあることに気付いた。

その衝撃と恐怖に、全身がブルブルと震え出す。


もしかしたら……ううん……もしかしたらじゃない。

私、私が、ヨハネスの人生を変えてしまったんだ。


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