第43話 一回目 リンディは18歳(25)
「……国王陛下暗殺の罪を、リンディ・フローランスに着せた。王女殿下が暗殺を企て、実行し、君はリンディ嬢に罪を着せる為、有毒の絵の具を管理した。間違いないな?」
「はい、間違いございません。王女殿下に家門を潰すと脅され、従うしかありませんでした。ですが、やはり兄妹として育ったリンディを、犠牲にすることは出来ないと気付いたのです」
亡きデュークの後、新しい宰相となったこの男は、複雑な面持ちで絵の具のチューブを見つめる。顔を上げると、傍らの記録係に手を止める様目配せした。
「……記録は取った。証拠品は、一先ず私が預かろう」
「お願い致します。これは無謀であり、また、娘が父親を殺害するという重大事件です。王女殿下に気付かれませぬ様、慎重に調査をお願い致します」
「分かった。……王女殿下を泳がせる為に、君の身柄はあえて拘束しない。それでよいか?」
思っていたよりもあっさり話が通じたことに、多少の違和感は感じたものの、ルーファスは安堵した。それはこの新しい宰相が、父によって次期宰相へと育て上げられた後輩だからであり、ルーファス自身も絶大な信頼を寄せていた為だろう。
「はい。ご配慮に感謝致します」
頭を下げ、部屋を出て行くルーファス。パタリと閉められたドアを見ながら、宰相はグラグラと座り込んだ。
先程と同じ王女の私室を訪れると、ネグリジェにガウンを羽織った王女が出迎えた。ルーファスを見ると、欠伸を噛み殺し、気だるそうに腕を組む。
「今何時だと思っていらっしゃるの?こんな状況で、心身共に疲れきっているというのに。マナー違反はどちらかしら」
「申し訳ありません。心が決まりましたので……居ても立っても居られず、こうして飛んで来てしまいました」
「へえ……」
王女は薄いネグリジェを、わざと足に絡み付かせる様にさばきながら、ルーファスへ近付く。
「意外と情熱的なところがあるのね。それで、お返事は?」
「……貴女と結婚致します。ご提案通り、リンディの釈放と引き換えで」
「……そ。随分簡単に決めたのね。明日一杯時間をあげたのに」
「どれだけ考えても同じです。どのみち誰と結婚しても不幸せなのですから、貴女と結婚してリンディを助けた方がいいでしょう」
「懸命な判断だわ」
ニヤリと笑うと、ガウンのポケットから無造作に折り畳まれた紙を取り出す。
「じゃあ早速、これにサインと印をちょうだい。気が変わらない内にね」
皺の入った婚姻届を見下ろすと、ルーファスは厳しい声で言う。
「リンディの釈放が先です。立場の弱い者を先に救って下さらなければ、貴女を人生のパートナーとして信頼することは出来ません」
「……そうね。貴方の言う通りだわ」
王女は呆気なく婚姻届を引っ込めた。
「きっと貴方は良いお返事を下さると思ってね。リンディは既に釈放しているのよ。……今、向かいの部屋で休んでいるわ」
飛び込んだ部屋の先には、身綺麗なリンディが座っていた。
「リンディ!」
駆け寄り肩を掴むと、頭から爪先まで、何度も視線を往復させる。痛々しかった傷は医師の回復魔力ですっかり消え、新しい服を身に纏っていた。
「大丈夫か!? 痛い所はないか?」
また泣きそうなルーファスを見て、リンディはにこりと笑う。
「うん、大丈夫よ。全部綺麗に治して下さったの。お水もお食事も頂いたし、とっても元気!」
「……本当に?」
「うん!」
さっきまで傷のあった額や手に、そして見えない部分も服の上から触れ、確かめていく。リンディの表情から、本当に治療されていることが分かると、ルーファスは漸く息を吐いた。
「お兄様……ごめんなさい、心配かけて」
ルーファスは、華奢な身体をぐっと抱き寄せる。何も言葉にならずに、ただ黙って背中を撫で続けた。
リンディも広い背中にそっと腕を回し、小さな手で同じ様に撫でる。
「ごめんなさい……ずっと、ずっと、ごめんなさい。いつかちゃんと謝りたいと思っていたの」
「……何を?」
「子供の頃、お兄様と会って、すぐに大好きになって、一緒にお昼やおやつを食べることになって、兄妹になって、いつも世話をしてくれたり海まで迎えに来てくれたり……私はとても幸せだったけど、お兄様には沢山沢山、迷惑を掛けてしまったわ。お兄様の大切な時間を、沢山沢山奪ってしまったわ」
震えるリンディの声に、ルーファスは身体を離し、その顔を覗き込んだ。
「何故そんなことを言うんだ。奪ったなんて……そんなこと。君が居なかったら、僕はきっと大人になれなかった。逆に僕は、君から時間をもらったんだよ。大切な時間を分けてもらったんだよ」
「お兄様……」
澄んだ青い瞳は、自分を通して何処か遠くを見ている。彼女の身体の傷は全て癒えた筈なのに、一番大切な部分が痛みに耐えている様で、ルーファスはゾクリとした。
リンディは微笑むと、ルーファスと自分の左手を重ね、指を絡めていく。互いの指輪が、異なる砂の輝きが、はっきりと目に映った。
「ありがとう……お兄様」
ノックもなく、カチャリとドアが開き、王女が入って来る。
「そろそろいいかしら。眠くて堪らないのだけれど」
先程の婚姻届とペンをルーファスに突き出し、ドカッとソファーに座った。
「無事は確認したでしょう?ここまでしてあげたのだから、いい加減信頼して欲しいわ。……リンディの前で、今すぐサインをして。じゃなきゃ家に帰さない」
ルーファスは左手にリンディの手を、右手にペンを持ったまま、王女の腹を探る。
……大丈夫。自分は先手を打った。こうしている間にも、宰相が動いてくれている筈だ。
一字一字、時間を掛けてサインをすると、捺印し王女へ渡す。
「……確かに。後は私の気分次第で、いつでも夫婦になれるわね」
目を通し満足気に頷く。
「……では、一旦リンディを家に連れて帰ります」
リンディの肩を抱き、部屋を出ようと向けた背を、王女の低い声が掴んだ。
「ねえ、さっき一旦家に帰ったでしょ?何しに帰ったの?」
ルーファスは一瞬ピクッと震え、足を止める。振り返ると、懐から小さな袋を取り出し、王女へ掲げて見せた。
「……応急セットです。塗り薬やらガーゼやら。リンディの傷を見て、どうやら気が動転していた様で。こんな物を取りに帰ってしまいました。どうぞご確認下さい」
王女はふっと息を漏らしながら笑い、大袈裟に手を振る。
「いいえ、結構よ。貴方の方はどうであれ、私は貴方を信頼しているもの」
「……身に余るお言葉に感謝致します」
「でもね、一つだけ教えて欲しいわ。さっき宰相と何を話していたの? それを取りに家に帰って、王宮に戻るなりすぐ宰相とコソコソ……気になるじゃない」
「国政に関するこです。守秘義務がありますので、例え王女殿下でもお教えすることは出来ませ」
ルーファスが言い終わらない内に、王女は弾みをつけて勢いよくソファーから立ち上がる。
「模範的な解答ね、セドラー大臣。でも私……そういうの大っ嫌い。国政よりも、何よりも、妻となる私を優先してくれなきゃ」
彼女の冷たい目に、嫌な汗が伝う。
「……失礼致します」
手にしていた袋を花台に置き、再び王女に背を向けた時──
バンとドアが開き、なだれ込んだ兵によって二人は囲まれた。そして兵の後ろからは、暗い顔の宰相が現れる。
「……これは、一体どういうことですか」




