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第42話 一回目 リンディは18歳(24)


「リンディ……」


しゃがみながら自分を見下ろすルーファス。

そのルビー色の瞳は大きく見開かれ、今にも泣き出しそうだった。


お兄様……どうしてそんな顔をするの?

今、私は、お兄様の目にどんな風に映っているのだろう。


何気なく頭に手をやれば、元々くるくるな金髪がボサボサに絡み合っており、ズキズキ脈打つ額に触れれば血が滲んでいる。

そしてその手や腕にも、紫色の痣があることに初めて気付いた。


「リンディ……リン……」


とうとう泣き出してしまったルーファスに、リンディは身体の痛みも忘れ、慌てて近付く。鉄格子の隙間から手を伸ばすと、震える彼の手に触れ明るく言った。


「大丈夫!私は大丈夫! きっと見た目は痛そうだけど、きっと見た目より全然痛くないの!」


声を上げて更にしゃくり上げるルーファスに、リンディはどうすることも出来ない。


私は昔から落ち着かなくて……特に子供の頃は、しょっちゅう転んだり、ぶつけたりして怪我が絶えなかった。少し血が出るだけでもお兄様は心配して、その度に丁寧に手当てをしてくれた。

なのに今、私はこんな酷い姿なんだもの……優しい彼が、泣いてしまうのも当然だ。


「お兄様は大丈夫? 私のせいで酷い目にあっていない?」

「……どうだろう。心が……潰れそうだ」


「ごめんなさい……私、どうしてこんなことになったか全く分からないけど、でも、私は王様に絵の具を飲ませたりしていないわ。絶対に。だってルビー色は家に置いてあるもの」

「……本当か?」

「ええ。ほら、この間のお休みに、お兄様の絵を描いたでしょ? 多分イーゼルの上に置いてあると思うわ」

「そうか……」


ルーファスは鼻を啜りながら、何かを考える。そして、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。


「リンディ……僕は君に謝らなければいけない」

「……どうして?」

「安易に離縁届を出してしまったこと。もし妹のままだったら……公爵令嬢のままだったら、君を守ることが出来たのに」

「ああ」


何だ、そんなことと言った調子で、リンディはにこりと笑う。


「ううん!逆に良かったわ!もし私が罰を受けても、お兄様とお母様は無事で居られるもの。さっきも一人でね、良かったなって考えていたの」


何を……


叫びそうになるのを、ルーファスはぐっと堪える。

リンディは何を言っているんだ? 罰なんて、そんな生易しいものじゃない。死刑になるかも……死んでしまうかもしれないのに。


ガタガタと一層震え出すルーファスの手を、リンディは優しく撫でる。その温もりにぶわっと溢れる涙を、ルーファスは垂れ流したまま崩れ落ちた。



「離縁して……結婚すれば、君を指輪から守れるんじゃないかと……それが裏目に出てしまった」

「指輪……?」


リンディはすっと手をずらし、ルーファスの左手を見つめる。長い薬指にはあの指輪が、一粒の砂を大事そうに抱え、すがる様に光っていた。


「説明書の文、覚えてるだろ?『石の砂は相手を表す』というのは、恐らく相手の寿命のことだ。だから僕の指輪の砂は、君の寿命を表している。それがいつなのかは分からないけど……でも……でも……」


自分の左手……そして薬指と、悲痛な視線を這わせるルーファス。ピクリと動かし、傍に置かれたリンディの手を握ると、掠れた声を振り絞った。


「君を怖がらせてしまうと思って……ずっと言えなかった。ごめん……ごめんね。ちゃんと言っていたら……何かが変わっていたかな」


思いもよらないルーファスの言葉に、リンディは自分の左手を見る。


じゃあ……こっちがお兄様の寿命?


細い薬指にはあの指輪が、まだたっぷりと砂を抱え、キラキラと光っている。

それに呼応する様に、リンディの顔もみるみる輝き、ふわっと大きく微笑んだ。


「そっかあ……じゃあ、お兄様はやっぱり長生きなのね。嬉しい……すごく嬉しい!黒髪のおかげね」


ルーファスは言葉を失う。もう震えることしか出来ず、ぼんやりとリンディを見つめていた。そんな彼とは反対に、リンディはしっかりした口調で続ける。


「寿命なら仕方ないわ。神様が決めたことには逆らえないもの。この指輪は、人生の残り時間を教えてくれる、優しい魔道具だったのね」


「やさ……しい?」


握られたままのルーファスの手から、徐々に力が込められていく。ピリッと痛みを感じたリンディが、顔をしかめたと同時に、鋭い叫び声が響いた。


「優しいものか!これは呪いの指輪だ!呪術で作られた、呪いの魔道具なんだよ!あの日祭りに行かなければ……あんな怪しい老人に会わなければ……君が指輪を嵌めるのを止めていれば……!」


悲鳴に似た泣き声が地下牢に反響し、リンディの胸をえぐる。

私のせいだ……私が指輪を嵌めてしまったせいで、こんなにお兄様を悲しませてしまった……



「時間です」


兵に呼び掛けられると、ルーファスはごくりと涙を飲む。

リンディの手を頬に寄せ、痛々しい痣に唇を落とすと、暗い声で言った。


「……こんな指輪に従ってたまるか。神にも……悪魔にだって逆らってやる」


自分を通して何処か遠くを見る、虚ろなルビー色の瞳に、リンディはゾクリとする。

「お兄様……」


その声にルーファスは焦点を合わせると、幼い頃から変わらぬ、優しい笑みを向けた。


「必ず、君を守る。一人でなんか……逝かせたりしない」






『結婚よ。私と結婚するならリンディを助けてあげる』


『……正気か?』


『冗談でこんなこと言う訳ないでしょう。貴方さえ手に入れば、あのなんてどうでもいいわ』

『自分をここまで嫌っている男と、よく結婚なんて出来るな。……こっちは考えるだけで反吐が出そうだというのに』


射る様なルーファスに、さも愉快そうに笑う王女。


『ふふっ……だからいいのよ。私を嫌っている間は、私に誠実で居てくれるもの。王女だからと、腫れ物扱いされるつまらない結婚よりずっとマシ。それに、私は次期宰相の妻という立場も欲しいの。王座に就けなかった、私の無念を晴らしてくれるでしょう』


『王座に就くのは王太子殿下で、宰相はあくまでも補佐をするだけだ。あんたに王座を狙う野心がある限り、例え結婚しても、自分は宰相にはならない。いいや、宰相どころか大臣だって辞めてやるよ』

『……まあいいわ。まだ先の話ですから。それにクリステン公爵夫人という立場だけでも、充分魅力的だもの。セドラー家は王女が降嫁するのに最高の家柄だわ』


王女はフォークを手に取ると、フルーツを刺し口に運ぶ。ごくりと飲み込むと、赤い舌を覗かせた。


『今此処で、私との結婚を了承するなら、リンディはすぐにでも釈放してあげる。でも断るなら……明後日には国に布令を出し、処刑するわ。貴方の答え一つで、可愛い元妹の首が城壁に曝されることになるかもしれないわね』


思わず飛び掛かりそうになるのを、ルーファスは歯を食い縛り必死に堪える。


堪えろ……ここで感情的になったら、王女の思うつぼだ……

あの女は自分の父親すら手にかけた非道な人間だ。リンディの命なんて、虫けらも同然だろう。

約束なんてまともに守る訳がない。結婚を了承したところで、書面にサインさせてから、裏でリンディを処分するのがオチじゃないか。拷問で力尽きたとか適当なことを言って……


だったら……


ルーファスはふうと長い息を吐くと、紳士の仮面を被った。そう、最初に王女に会った時の様に。


『……王女殿下。いくら殿下とはいえ、女性から結婚の申し込みをするなど、淑女として恥ずべき行為です。ましてやすぐにお返事を求められるのも、マナー違反です』


突如ガラリと変わったルーファスの態度に、王女は目を輝かせる。


そう……だから私は、貴方を欲するのよ。


『構わないわ。私にはこれ以上、恥ずべきことなんて何もないもの。貴方には全てさらけ出してしまったしね』

『貴女はそうかもしれません。ただ私の方は……まだ、貴女にお見せしてない部分が沢山あるのですよ』


官能的な笑みを浮かべると、その長い指で王女の首をつっとなぞる。

それは王女の奥深くの欲望を刺激し、急激に熱を帯びた身体をぞくぞくと震え上がらせた。


『まずはリンディに会わせて下さい。彼女の身の安全を保証して下さると、確信を持てたらお返事を致します。……結婚には、信頼関係が何より大切ですから』


首から顎へと上る長い指は、真っ赤な唇の窪みでピタリと止められる。強すぎず、弱すぎず、絶妙な力加減で。

艶やかな睫毛が縁どるルビー色の瞳に映るのは、王座を狙う野心家でも、国王を暗殺した重罪人でもない。

ただの滑稽な『女』の顔だった。






兵と共に地下牢から上がると、王女が欠伸をしながら退屈そうに待っていた。


「どう?まだ生きてたでしょ。話は済んだ?」


殺意が込み上げるも、今ではないと必死に押し殺す。

「……リンディの傷の状態は確認しました。私の返事が欲しいなら、これ以彼女を痛めつけないで下さい」

「分かったわ、約束します。でも私はせっかちだから、いつまでも待てる訳ではないわ。お返事は明日中に必ず下さいね」

「ええ。……必ず、お約束致します」


「信頼関係、大切にしましょうね。お互いに」


王女は満足気に頷くと、ドレスを翻した。






ルーファスは転がる様に王宮を出ると、アパートへ向かう。馬車も使わず、気付けばただ、一心不乱に駆けていた。



髪を振り乱しながらリンディの部屋を開けると、灯りを点け、イーゼルが置かれた奥の部屋へと進んでいく。

絵の具と、彼女の甘い香りが残る、その奥へ。


白いキャンバスで笑うのは、幸せに微睡む自分の顔。この数日後に何が起こるかも知らない、愚かな……


リンディの言う通り、ルビー色のチューブは確かにぽつりとそこに置かれていた。

震える手でそれを取ると、祈りを捧げ、再び暗い街へと飛び出して行った。


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