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第39話 一回目 リンディは18歳(21)


眩しい休日の、昼下がりの部屋。

窓から流れ込む柔らかい風が、ルーファスの艶やかな黒髪をさらさらと撫でる。その度に天使の輪が形を変える様を、リンディは愛しげに見つめていた。


「欠伸したいんだけど……動いてもいい?」

「うん!」

横を向き、ふわあと息を吐くと、再び本に涙目を落とすルーファス。

リンディは微笑みながら、ルビー色を筆で丁寧にキャンバスへのせていく。


お兄様の顔なんて、もう隅々まで覚えてるから見なくても描けるけど……でも、今日はどうしても、顔を見て描きたかった。

海で初めてお兄様の顔を描いた、あの日の様に。


あの日 『人』を初めて描いたのは何故だったのか。

帰りに何故お兄様と手が繋げなくなってしまったのか。今更気付いた。


心は一足先に、彼への想いを伝えてくれていたのに……

私の頭はどんくさいから。


理由は分からないけど、最近一日一日がとても切ない。

今日の終わりが無性に悲しく、明日よ来ないでと願ってしまう。

私は何て勿体ない年月ときを過ごしていたのだろう。兄じゃなく、一人の男性として貴方を愛していると……もっと早くに自覚していたなら。



そっと筆を置くと、リンディはキャンバスから離れ、自分で描いた兄の瞳を見つめる。

綺麗……お兄様は本当に綺麗。初めて見た時から、ずっとずっと。


リンディの動きに気付いたルーファスは、立ち上がると彼女の背後に回り、身体を抱き寄せる。

絵に見惚れていたリンディは驚くも、大人しく寄り掛かり、彼の腕にすりすりと頬を寄せた。


「綺麗な色だね」

「うん、王女様が下さったヘイル国の絵の具なの」

「……王女が?」

ルーファスは警戒心を露にする。


「画家みんなに下さったのよ。“ 歴史資料作成の激励 ” ですって」

「……そうか」


ルーファスは身体を離すと、リンディの肩に手を置き、厳しい声で言う。


「リンディ、前も言ったが、王女には絶対に気を許すな」

「……うん。結婚出来なくなってしまうかもしれないんでしょ?」

「そうだ。それどころかまた兄妹にも戻れなくなってしまうかもしれない。どんなに誘われても、必ず二人きりになるな。困ったらすぐに僕を呼べ」

「はい! あれですぐにお兄様を呼ぶわ」


リンディは何かを持って話したり、耳に当てるジェスチャーをしてみせた。


「うん、必ずあれを持ち歩くんだ。約束だぞ、いいな?」

「はい!」


真剣な顔で頷くリンディを、ルーファスは強く抱き締める。


「結婚したら……もう少し広い部屋に引っ越さなきゃな。ここは二人じゃ狭い」

「私は今のまま、別々の部屋でお隣同士がいいわ」

「……どうして?」

慌ててリンディの顔を覗き込む。


「だって私の部屋は、いつもこんな風に画材で散らかっていて汚いんですもの。片付けようとしても、すぐに他のことで頭が一杯になってしまって」

恥ずかしそうに下を向くリンディに、ルーファスはほっと笑う。

「何だ……そんなことか。てっきり、僕と一緒に住みたくないのかと思った」


その言葉に、今度はリンディが慌てる。

「そんな訳ないわ! でも……一緒に住んだら、お兄様が私のことを嫌いになってしまいそうで」

「小さい頃から一緒に住んでいたじゃないか」

「あれは……大きいお屋敷だったし、身の回りのことは他の人がやってくれたでしょ? お兄様の妻になるのだから、しっかりしないとって」

「自分のことは自分でやるから大丈夫。君のアトリエもちゃんと用意するから、好きなだけ絵を描くといいよ。片付けは僕が手伝う」

「でも……」


不安げなリンディの両手を、ルーファスはギュッと握る。

「じゃあリンディは毎朝パンを焼いてくれる? あと、フルーツも切って欲しい。君の焼き加減は最高だし、フルーツも綺麗で嬉しいから」

「……そんなことでいいの?」

「もちろん。それぞれ得意なことをすればいいんだよ。僕は毎晩スープを作るからね」


リンディの顔にやっと笑みが広がる。

「そっかあ。私、少しずつ得意なことを見つけていくわ」

「僕もそうする。初めての結婚生活なんだから、手探りでいいんだよ」



まるで子供のままごとみたいだと、ルーファスは笑う。

朝起きて、キスをして、一緒に顔を洗う。君がパンとフルーツを準備している間に、僕はお茶の用意を。

君の楽しい話を聞いている内に、時計はあっという間に家を出る時間を示す。慌てて皿を片付け、もう一度キスをしてから玄関のドアを開ける。

そんな朝が……本当にそんな幸せな毎日がやって来るのだろうか。



「お兄様の指輪……もう砂がなくなりそうね」


ぽつりと呟かれたリンディの言葉に、ルーファスは震える。


「砂が全部なくなったら、魔力もなくなって、指から外れるのかしら。そしたら私、お兄様に新しい指輪を買ってあげるわ」

彼の薬指を撫でながら、にこりと微笑む。


リンディ……


緩んだ心の隙間に、恐怖が一気に押し寄せる。自分を支えられなくなったルーファスは、華奢な身体にすがり付いた。


「お兄様……どうしたの?」


もっと傍に居たいと……彼女を知りたいと……もっと、もっとと欲張り過ぎてしまった。

結婚なんかしないで、妹のままでも良かったのかもしれない。彼女が元気に、こうして笑っていてくれるなら……それだけで……


ルーファスはリンディの左手を、自分の両手で包み固く握る。そこにコツンと額を当てると祈った。



頼む……父が元気だった頃に戻してくれ。きちんと想いを伝えて離縁してもらうんだ。そして王女と会う前に結婚するんだ。頼む……どうか、どうか……



瞼を撫でる柔らかな風に、恐る恐る瞳を開くが……


そこには何も変わらぬ自分の部屋と、何も変わらぬリンディが不安気に立っていた。



────君と最後に過ごした、穏やかなこの日。

手を繋ぎ、何処か遠い所へ逃げてしまえば良かったね。




翌日、変わらず資料製作に慌ただしい作業室に、王女の侍女がやって来た。


「リンディ・セドラー嬢、国王陛下がお呼びだ。画材を持って、至急付いて来る様に」


ロッテはベルを鳴らしながら、何よこの忙しい時に! と侍女を睨む。


でも……変ね。何で王様のご命令なのに、王女の……しかも侍女が? 呼び出し程度なら、通常は小間使いを使うのに。


ベルの音に気付き、用件を理解したリンディは、慌てて画材を手に立ち上がる。その拍子に筆洗いが倒れ、折角描いた絵にじわりと色水が染みていった。


「ひゃあっ!」

「ああ、いいわよいいわよ、片付けておくから。早く行きなさい」

「ごめんなさい! よろしくお願いします!」


……あっ!

部屋を出ようとして、リンディはピタリと足を止める。


王女様じゃなくて王様だから……大丈夫かしら。

鞄に入れたままの魔道具のことを思い出すも、そのまま部屋を出て行った。


駆け出すリンディの背を見送ると、ロッテは雑巾を手に腰を上げる。濡れた紙には、王宮の牢獄の絵。赤黒い水に染まったそれに、彼女は得体の知れない不安を感じていた。


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