第37話 一回目 リンディは18歳(19)
「どうしたものかしら……」
山の様に積み重なった肖像画を前に、フローラは腕を組む。
デュークが亡くなってから、日に日に増える若いクリステン公爵への縁談話。社交界は大の苦手で、どうしても必要な場以外は避けていたルーファスだが、大臣に昇格し表に出る機会が増えた為か……家柄に加え、その美貌は巷の令嬢達の噂の的となっていた。
国内に止まらず国外からも連日届いては、部屋を埋め尽くしていく。今日の分をモリーから受け取り、チラッと目を通すと、山の頂上にそっと置いた。
自室へ戻り、自分の机から一通の封筒を取り出すと、フローラは更にうーんと考え込む。
「ねえ……どうしたらいいと思う? 私はついガツガツ動いてしまいたくなるのだけど、貴方は待つタイプよね?」
小さな額の中で笑う、デュークの肖像画に話し掛ける。
「来週丁度、王都に行く用事があるのだけど、どう思う? まだ早すぎるかしら?」
細く開いた窓から柔らかい風が吹き、フローラの頬を優しく掠める。
『君の思う通りにしなさい』
そんな声が聞こえた気がして、フローラは封筒を胸に抱き目を閉じた。
◇
ある休日、数日前に届いた手紙を手に、ルーファスは一軒のカフェへ向かう。
「ルーファス!」
すぐに気付いたフローラが、椅子から立ち上がり元気に手を振る。
「母上、お待たせ致しました」
「いいえ、忙しいのにごめんなさいね。リンディには気付かれなかった?」
「はい。仕事だと言って出てきました」
「そう、ありがとう」
屋敷や仕事のことなど近況を確認し合い、紅茶が運ばれてきたタイミングでルーファスは尋ねた。
「それでお話とは……」
「ああ、貴方の縁談についてよ。お話が沢山来ているの。今日此処にお相手の肖像画を全部持って来られたら良かったのだけど……さすがに重くて。物を小さくして、持ち運べる魔道具があったらねえ」
ふふっと笑うフローラに、ルーファスは渋い顔で答える。
「私はまだ……結婚は考えていません。大臣になったばかりで仕事も忙しいですし」
「そうよね」
フローラはあっさり引き下がり、カップに口を付ける。
「申し訳ありません。もう21歳ですし、結婚適齢期であることは重々承知しております。早く跡取りを残さねばならないことも……長く生きられるかも分からないのに」
「それなら大丈夫よ! きっと黒髪が勝つわ。だって目より髪の方が面積が広いもの」
(……そこ?)
緊張感がほどけクスリと笑うルーファス。
(なるほど、確かにこの義母がそう言うなら、長生き出来そうな気がしてきた。長生き……)
ルーファスは左手の薬指を見る。もうほんの数粒しかない砂。リンディの方はまだ充分入っているというのに。
(もしこれが本当に相手の寿命を表しているのだとしたら、リンディは……)
背筋がゾクリとし、違う違うと必死に否定し続ける。
顔つきの変わったルーファスに、フローラは心配そうに尋ねた。
「……どうしたの?」
「いえ……」
ルーファスは気持ちを落ち着かせる為に、温かいカップを両手で包んだ。
「あのね、今日は貴方にこれを持って来たの」
フローラは、すっと封筒を差し出す。
「これは?」
「開けてみて」
中から表れた書類に、ルーファスははっと息を呑む。
それは、父デュークとリンディの養子縁組解消の書類だった。デュークのサインと印、そして役所の印も入っている。
「……どういうことですか?」
「お父様が生前に手続きしていたの。結構複雑だったらしいけど、亡くなった後でも離縁出来るように上手くやってくれたわ。あとは新しい家長……貴方と、リンディ本人のサインがあれば養子縁組は解消出来る。貴方達にその意思があればね」
書類に目を落としたまま、ルーファスの手は小刻みに震え出す。
「何故父は……何故これを……?」
「何故かしら。あ、法律上、離縁してから半年間は元近親者との結婚は出来ないから。時期はよく考えてね。あと、必要なければ構わず破棄してくれですって。……さあ! これで貴方の遺言は全部伝えたわよ」
軽やかに笑いながら、何処かを見上げるフローラ。
「母上……」
父の意思を理解したルビー色の瞳に、涙が溜まっていく。
「母上は……よろしいのですか? 私と……リンディが結婚しても……兄妹じゃなくなっても」
「ええ、全然構わないわ。夫婦でも兄妹でも……たとえ離ればなれになっても。貴方達が幸せなら、私は全然構わない。どんなに形は変わっても、家族には変わりないもの。でも……」
フローラは身を乗り出し、ルーファスに耳打ちする。
「本当にいいの? だって、あのリンディよ。よーく考えた方がいいわよ」
相変わらずの娘に対する言いっぷりに、ルーファスはぷっと噴き出す。その拍子に流れ落ちた涙が、紅茶にぽたり、ぽたりと波紋を描いていく。
「僕は……私はリンディが傍に居なければ、幸せにはなれません。それは……リンディも同じです」
「あら、もう話をしているの?」
「……はい」
「じゃあ後はタイミング次第ね。二人でよく相談して。セドラー家のご親戚方も承知してくださっているから何も心配ないわ」
フローラは微笑むと、ハンカチを取り出しルーファスの頬を拭った。
「あの子を愛してくれて……ありがとう、ルーファス」
隣に義母がいなければ、きっとうきうきとスキップしていただろうとルーファスは思う。そう、リンディのように……
喜びに溢れる息子の姿を見て、フローラは胸を撫で下ろすが、得体の知れぬ何かが絡み付く。
(良かったわ……良かった……けど……)
辿り着いた二人のアパートを見上げながら、フローラは漠然とした不安を抱いていた。
「おかえりなさい! ……お母様!わあっ、どうして!?」
「貴女を驚かせたかったの。どう? 元気?」
「元気! お母様は? あのね、すごい魔道具があるのよ! 入って!」
ひしと抱き合ったかと思えば、リンディは母をぐいぐいと室内へ連行する。
(……リンディ……)
ルーファスは左手に意識を向ける。
(もう結婚ごっこなんかじゃない。本当に結婚すれば、彼女を守れるかもしれない。いや……守ってみせる)




