第35話 一回目 リンディは18歳(17)
デュークの葬儀に参列した国王は、酷く憔悴していた。年齢も近い二人の間には、君主と臣下という関係を超えた、深い友情が存在したからである。
セドラー家の男子の宿命を理解し覚悟はしていたものの、信頼する右腕かつ親友でもある彼を亡くした現実を、まだ受け止めきれないでいた。
そんな国王を支え、寄り添う様に歩く王太子と……少し離れたその後ろを、無表情で歩く王女。
参列者は、皆さっと道を開け、頭を下げた。
フローラが国王と挨拶を交わしている間、王女はその隣に立つルーファスとリンディを窺う。
(……気持ち悪い。あれだけ言ったのにまだ彼の傍を離れないなんて。家族ごっこをしていられるのも今の内よ)
自分の死期を悟っていたデュークは、仕事の引き継ぎはもちろん、相続手続きから葬儀の準備まで、全て入念に済ませていた。そんな彼の想いに遺された者達は救われ、ゆったりと心を込めて見送ることが出来た。
ルーファスは父の執務机に座ると、書類や遺品の整理をしていく。整理と言っても、デュークが分かりやすくまとめた物を、確認していくだけの作業だった。
……もう、自分がクリステン公爵であり、セドラー家の家長だ。
父が愛用していた万年筆を取ると、両手でぐっと握り締める。
領地、屋敷、使用人達、セドラー家の歴史、そして……義母と義妹。これからは自分の肩に、様々な責任を背負わなければならない。
代々セドラー家の家長は、成人して間もない若さで、このプレッシャーに耐えてきたのだ。甘えてはいけない……自分も耐えなければいけない。
頭を抱え震えていると、ノックの音が響いた。
「ハーブティを淹れたの。ひと休みしてね」
フローラはデュークにそうしていた様に、ルーファスの前にもティーカップを置いた。
「整理はどう?進んでる?」
「ええ……ほとんど父上が済ませて下さいましたから」
「あの人、仕事の合間にちょこちょこ片付けてたものね。ねえ、知ってる? その一番上の引き出しにはね、チョコレートやキャンディがぎっしり入っていたのよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。少しでも減るとすぐに補充してね。若い頃からずっとなんですって。……きっと心の安定剤だったのだと思うわ」
完璧に思えた父も、ずっと孤独やプレッシャーと戦っていたのだろうか……
ルーファスは空の引き出しに想いを馳せた。
「だから貴方もね、この机を好きに使っていいのよ。お父様みたいに好きな物を入れたり、ヤスリでつるつるに磨いたり、ピンク色に塗ったりね」
「ピンクですか……」
張りつめていたルーファスの顔がふっと和らぐ。
「王都へはいつ戻るの?」
「戻って……よろしいのでしょうか」
「もちろんよ。此処から毎日通うのは大変でしょう」
「母上はお一人で大丈夫ですか?」
「ええ、問題ないわ。忘れてるかもしれないけど、私こう見えて王都学園を首席で卒業した才媛なのよ。お父様と一緒に領地経営だって何だってやってきたし、自分で立ち上げた教材販売の事業も上手くいってる。結構器用なんだから」
ふふんと得意気に胸を張る。
「領地の管理と、屋敷のことは私に任せなさい。お父様が体調を崩されてからは私一人でやってたし、きっと貴方よりもずっと詳しいわ」
「母上……」
「貴方はとりあえず、王宮の仕事に専念してね。それがあの人の願いでもあるから。何だかね……青春を謳歌して欲しいんですって。お酒を飲んで仲間と語らったり」
楽しそうに笑う母に、ルーファスの肩の力が抜けていく。
父がこの女性を妻に選んだ理由を、心から理解し噛み締めていた。
「家族なんだから、荷物は色々分けっこしましょ。その代わり、リンディは貴方に任せたわよ」
「……ん? リンディも荷物ですか?」
「……あら!」
フローラはペロッと舌を出し、いけないという風に口を押さえる。母子は声を上げて笑った。
◇
王都に戻ってすぐ、ルーファスは王命により、大臣補佐から大臣へと昇格した。責任ある立場に置かれたことでより多忙を極め、リンディ達絵師も、王宮の歴史資料制作の為再び繁忙期を迎える。
父を失った悲しみを胸に仕事にのめり込む二人は、必要以上に互いに触れることはなくなった。
……心の何処かに、罪悪感を抱いていたせいか。自分達が兄妹の境界線を超えたせいで、父があんなことになったのではと。
あの日交わした唇は、遠い幻ようにだった。
そんなある日、ルーファスは突如アリエッタ王女から呼び出しを受けた。
一体何の用だと警戒しながら、王女が待つ王宮の食堂へと向かう。
「お久しぶりね、クリステン卿……いえ、クリステン公爵」
優雅にカップを置きながら自分を迎えた王女は、以前の派手な装いではなく、普段着らしい落ち着いたデザインのドレスを着ていた。
「……そんなに警戒しないでちょうだい。久しぶりに貴方と世間話をしたかっただけなのだから。さあ、座って」
ルーファスは渋々テーブルに着く。カップに茶を注がれ、給仕が下がると、王女は静かに口を開いた。
「お父様のこと、大変だったわね」
「いえ……」
「実はね、貴方のお父様が亡くなってから、父も体調を崩してしまって」
「……陛下が?」
「ええ。精神的なものもあるんでしょうけど、持病が悪化したの。今回は薬もあまり効かなくて」
ルーファスははっとする。国王の私生活や体調については守秘義務があり、家族と側近、一部の大臣しか知り得ない、知り得てはならないからだ。
「その様なこと、一大臣である私に漏らしてはなりません」
厳しい顔で王女に注意すも、軽くあしらわれる。
「貴方は特別よ。父にとっても息子みたいな存在だもの。……血の繋がりはなくともね」
『血の繋がり』
その言葉に、ルーファスの胸はズキリと痛む。
「貴方だけでなくリンディのことも心配していらっしゃるわ。何か力になりたいと」
「いえ、既に充分気に掛けて頂いております。まだ未熟な私を大臣に昇格させて下さいましたし。これ以上、何も望むことはございません」
「……本当に? 望むことはないの?」
探る様な王女の目に、若干緩んでいたルーファスの警戒心が一気に強まる。
「何を仰りたいのですか?」
「リンディのことよ。貴方達……兄妹のままでいいの?」
ルーファスは膝の上で、震える手を握り締める。
王女は自分達の関係をどこまで知っているのだろう。……何を企んでいるのだろうか。
顔色の変わったルーファスに、王女はほくそ笑みながら一通の書類を取り出した。
「これは死後離縁の手続き書類よ。特別な……ね」




