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第30話 一回目 リンディは18歳(12)


「私は、王女殿下と結婚するつもりは一切ありません」


父に向かい、きっぱりと言い放つルーファス。デュークは優雅にカップを持ち、ハーブティーの香りを楽しんだ後で静かに答えた。


「毎日の様に王宮で会っているそうじゃないか。国王陛下から、お前の意思を確認して欲しいと頼まれたんだ」

「会いたくなくても、誘われたら断れないでしょう。先程王女殿下とお話をして、私の気持ちはご理解頂きました。もう二度と誘われることはないと思いますので、ご安心を」

「……一体何を言ったんだ?」

「結婚したい女性の理想像をお話ししただけです。ご自分とはかけ離れていると、王女殿下もご理解された様ですよ。もう次の約束は必要ないと言われましたし」


カップを持つデュークの手が、ふるふると揺れ出す。

「お前の理想像とは?」

「威張りくさらず、思いやりがあり、自立した女性です。王女殿下とは正反対でしょう。……断言します。彼女は宰相の妻にも、セドラー家の女主人にも向きません。絶対に」


デュークはカップを置くと、ははっと声を上げて笑い出した。予想外の父の反応に、ルーファスは唖然とする。

「……お叱りにならないのですか?」

「いや、よくやったよ。それでいい」

「宰相の息子が、王族を罵倒したのにですか?」

「罵倒したのか?」

「いえ、それは…………しました」

更に笑うデューク。やがて落ち着くと、目尻を拭いながら口を開いた。


「我がセドラー家と、王室の絆は固い。王女様との結婚を断ったくらいで、どうこうならんさ」

「国王陛下がお怒りにならないでしょうか?」

「陛下も王女様の気質はご承知の上だ。仕方がないとご理解下さるだろう」

「……父上、王女殿下があのようなのは、やはり王太子殿下が原因ですか?」

「生まれつきの気質もあるし、何とも言えないが……王太子殿下のことは、多かれ少なかれ影響しているだろうな。私達臣下にも、その責任はある」



王女の父である現国王は、気難しい所はあるものの、思いやり深く国民に寄り添った政治を行う王である。王妃は物静かな女性で、表舞台に立つことを好まないし、現在12歳になる王太子も同様、温厚で優しい性格だ。あの王女だけが何故……と考えれば、その背景には複雑な事情があった。


王女は病死した前王妃の娘で、王太子とは腹違いの姉弟である。前王妃の死後すぐに、国王も持病をこじらせ、再婚しても次の子供は望めないと言われていた。

ムジリカ王室において、女性である王女には王位継承権はない。だが、傍系にも世継ぎがないことを懸念した当時の大臣らが、優秀なアリエッタ王女に王位継承権を与えようとしたのだ。法律の改正案が出ていた正にその時、新薬の効果で国王の持病は完治した。


その後、国王は新しい王妃を娶り男児を設けた為、改正案は見送られた。女王になるつもりで密かに帝王学まで受けていた王女は、その頃から荒れ出したという。また、王太子の発達が緩やかで、帝王学の進みが遅いことも、王女の怒りに拍車をかけたと囁かれている。


確かに王太子は、リンディの様に学問において得手不得手の差が激しいが、王女よりも余程将来の国王に相応しい。難しい点は、宰相となった自分が全力でサポートしようと、ルーファスは心に誓っていた。


もしかしたら……女学校時代、王女がリンディに辛く当たったのは、王位を奪った弟と性質が似ているリンディを重ねたのかもしれない。

ルーファスはそう考えていたのだ。



「ルーファス。お前は、他に慕っている女性はいないのか?」

父の真摯な眼差しに、ルーファスは耐えられなくなり下を向く。膝の上で手を握り締め、やっとのことで言葉を発した。

「いえ……父上もご存知でしょうが、男性ばかりの職場ですから。出会いなどありませんよ」

「そうか……」


しばらく沈黙が続く。


「さあ、お茶が冷めてしまう。熱い内に飲みなさい」

「……はい。頂きます」


ティーカップの触れる音だけが、静かな執務室に響いていた。




帰り支度をするルーファスに、デュークが問う。


「折角来たのに、泊まって行かないのか。明日も休みなんだろ?」

「すみません。きっとリンディが、首を長くして私を待っていますので」

「……そうか、リンディが。それなら仕方ないな。早く帰ってあげなさい」


優しい笑みを浮かべるデュークは、どことなく寂しげに見えた。



仕事が立て込んでいるから見送りは執務室(ここ)で、と言うデュークと別れ、広間でフローラと挨拶を交わしていた時だった。廊下の奥から、慌ただしく使用人が駆けて来る。


「奥様! 旦那様がお倒れに……!」




主治医が帰り、親子三人だけになった寝室。ベッドの上で、デュークは気まずそうに言った。


「あともう少しだったのに……バレてしまったな」


ルーファスは険しい顔で、父を問い詰める。

「何故本当のことを言って下さらなかったのですか。私はこのセドラー家の後継ぎであり、貴方の息子です。こんな時こそ頼りにして頂きたかったのに……そんなに私は未熟ですか?」

「……すまない。でも、未熟だなんて思っていないよ。ただ心配をかけたくなかっただけなんだ。お前もリンディも、今が大事な時期だからね」

「結局こうして心配をかけているじゃないですか!」


タオルでデュークの顔を拭いながら、「本当よねえ」とフローラが笑う。

「だから言ったのに。貴方はお芝居に向いていないんですから、すぐにバレますよって。ルーファスったら、突然帰って来るものだから、屋敷中みんなヒヤヒヤしましたわ。予行練習も何も出来なかったし」

「私は咄嗟に杖を蹴り飛ばして、机の下に隠したんだ」

「あら、お元気じゃない。その調子なら大丈夫よ」


呑気に笑い合う夫婦に、どっと疲労感が押し寄せる。ルーファスは、椅子の背もたれにぐったりと身体を預けた。


「すまなかったな。結局帰れなくなってしまって。リンディは大丈夫か?」

「兵に言伝ことづてを頼みましたから、ご心配なく」

ぶすっとした顔で言う息子に、デュークは笑う。

「……ルーファス、少し二人で話をしようか」


デュークが目配せすると、フローラは桶を持ち部屋を出て行った。



「セドラー家の血について、お前に話しておかなければならないことがあるんだ。いつかいつかと悩んでいる内に、こんなギリギリになってしまって……本当に情けない。きっと神が、そんな私の尻を叩いたんだな」

眉を下げるデュークに、ルーファスは黙って耳を傾ける。


「我がセドラー家の男子は、代々ルビー色の瞳を受け継ぐ。この瞳を持つ者は知能が高く、宰相などの公職に就いてきたが、非常に短命なのだ。私の父を含め、多くが30~40代、比較的長生きした先祖でも、50代で亡くなっている。子供の時に父に教えられてから、私もずっと覚悟し、死に備えて準備をしてきた」


では何故……という顔をするルーファスに、デュークは一層眉を下げた。


「お前になかなか話せなかったのは、お前の本当の母親……ナタリアが絡んでいたからだ」


“ナタリア”

その名を聞いたルーファスの瞳に、影が差す。


「セドラー家の男子の宿命を理解しつつも、私は自分の息子には出来るだけ長生きし、人生を謳歌して欲しいと考えていた。成人し結婚を意識し出した頃、黒髪を持つ人間は長寿であるという研究結果が正式に国内に発表されてね。私は数ある縁談の中から迷わず、黒髪を持つナタリアを妻に娶ったんだ」


ルーファスは無意識に、自分の黒髪を触っていた。


「バチが当たったんだな……そんな理由で結婚したんだから。見限られて当然なのに、私は彼女を引き止めてしまった」


落ち窪んだデュークの瞳から、涙が溢れる。


「ナタリアが亡くなった時、私は気付いたんだ。始まりはどうであれ、彼女を愛していたことに。……生きていて欲しかった。例え他の男と、別の人生を歩んだとしても。ただこの世で、生きていていてくれれば、それで良かったのに」


ルーファスは目を瞠る。

父上はずっと、不義を働いた母を憎んでいるものだとばかり……

夫と子を捨てた、哀れな母の最期だけがこの目に焼き付き、幼い自分を闇に飲み込んでいったのだ。


「すまない、ルーファス……お前から母親を奪ったのは、この私だ。本当にすまない……」


いつの間にか、自分の瞳にも涙が溢れていることに気付く。ルーファスはさっと拭うと、骨張った肩を震わせる父へ向かい微笑んだ。


「……黒髪とこの瞳、どちらが勝つか分かりませんが、長生きする可能性があるということですよね?でしたら私は、希望を持って生きて参ります。それにもう、あの闇は忘れました。……可愛い妹と明るい母が傍に居てくれたので」

「そうか……そうだな……」


デュークもまた、リンディとフローラの姿を思い浮かべ微笑む。


「フローラは、私の寿命を承知の上で結婚してくれたんだ。短い人生なら、私が楽しませてあげると。……彼女らしいだろ?」

「そうですね……さすが、私とリンディの母です」




寝室を出ると、廊下にはフローラが立っていた。デュークの前での明るい表情とは異なり、疲れている様に見える。それでもルーファスに気付くと、母親の顔でにこっと笑った。


「ルーファス、お父様のお芝居を許してあげてね。親はいつでも、子供の前では頼れる存在でありたいものなのよ。あと……リンディにはまだ内緒ね。きっとあの子、何も手につかなくなってしまうから」

「……はい」


返事をするルーファスを、急に強い不安が襲う。



『悪性の癌です。大分衰弱しておられますので、あと数ヶ月のお命でしょう』



父が居なくなったら、自分はどうしたらいいだろう。この家を、遺された家族を守っていけるのだろうか。

やはり自分は、まだまだ未熟な子供だ。父が本当のことを言えなかったのも無理はない……


震えるルーファスの背中を、フローラは強く擦り続けた。



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