第27話 一回目 リンディは18歳(9)
慌てて下へ降り、男……? に駆け寄れば、やはりその背中に負われているのはリンディだった。荷物を持って後ろを歩いていた護衛兵は、ルーファスに気付くとひきつった顔で礼をする。
「リンディ」
アリスは歌を止め、声の方を見た。
(まあっ! 酔いも覚める超絶美形! 黒髪にルビー色の瞳といったら……)
「もしかして、リンディのお兄様ですか!?」
それには答えず、ルーファスはアリスの全身をまじまじと見る。
「君は……アリスか?」
「あらあ! アタシのこと、お分かりになるんですか? 嬉しいわあ」
「……リンディから何度も聞いていたから」
「うふっ! アタシみたいなイイ女、なかなかいないから会えばすぐに分かるわよね! アタシもね、リンディからお兄様のお話をたっくさん聞いていたんですよぉ!」
ヘラヘラと赤い顔で笑うアリスに対し、ルーファスはにこりともせず腕組みをする。
「……で?」
「へ?」
「何で君の背中にリンディが?」
「ああ、偶然会ってね、一緒に夕飯を食べていたんです。お酒はそんなに飲んでいないんだけど、食べ過ぎて眠くなっちゃったみたいで。こんな時間だと馬車も煩いし、酔い覚ましがてら歩こうって……」
「二人きりで?」
「へ?」
「二人きりで酒を飲んだのか?」
ついさっきまで綺麗だと思っていたルビー色の瞳は、その目つきだけで人を殺せそうなほど冷たい。アリスはひいっと叫びそうになるも、何とか堪え、震える口を開いた。
「いえ……いえ! あのっ、お局さん……いえ、リンディの職場の、絵師のロッテ姐さんと。三人です! 三人!」
「……そうか」
ルーファスの顔が和らいだのを見て、アリスは安堵する。
アタシ……どうやら生き延びたみたい。
緩んだ背中から落ちそうになるリンディを、ルーファスはサッとむしり取り、腕に抱えた。
「悪かったな。礼を言う」
「いえ……いえ!」
お礼を言われているのに、やっぱり恐いのはどうして? と、再び震えが込み上げる。
二人が階段を上がり見えなくなると、アリスはふらりとよろける。汗が滲むほど暑かったはずのに、今は全身が粟立っていた。
リンディったら……どこが優しいお兄様なのよ! もっっっのすんごく恐いじゃない!
すっかり酔いの覚めたアリスは、一目散に家へ逃げ出した。
隣の部屋を開けようとする兵を制し、ルーファスはリンディを抱えたまま自分の部屋へ連れて行く。
慣れない酒を飲んだらしいからな……具合が悪くなったら心配だ。
ベッドへ寝かせてもまだ起きず、涎を垂らしながらスヤスヤと眠っている。ふと見れば、いつもは細い腹の辺りがパンパンに膨れていた。
一体どれだけ食べたんだ……
空の皿を積み上げていくリンディを想像し、ふっと笑いが込み上げる。
濡らしたタオルで顔を拭いてやり、なるべく見ない様に服を緩めると、その上にさっと布団を掛けた。そのまま枕元に座り、優しく髪を撫でながら、幸せそうな寝顔を見つめる。
不思議だな。さっきまでささくれ立っていた心が、こうしてリンディに触れるだけで凪いでいくなんて。
……時々思う。もしリンディに出会っていなかったら、自分はどんな大人になっていたのかと。今もあの暗闇を、一人彷徨い続けていたのだろうか。
「お代わりお願いしまぁす!」
勢いよく手を上げ、叫ぶリンディ。びくっと驚くルーファスを余所に、何事もなかった様に寝息を立てている。
なんだ、寝言か。
ぱふっと下ろされたリンディの手を、笑いながら布団に入れようとした時……あの指輪にコツンと触れた。
『石の砂は相手を表す』
『別離』
ルーファスは震える自分の手を、リンディの隣に置き比べてみる。ほとんど砂が残っていない自分の指輪に比べ、リンディの方はまだ七~八割は満たされており、輝きも比べ物にならない。
……万一、何かがリンディの命を脅かすなら、自分が絶対に守る。たとえこの命を投げ打ってでも。
小さな手を握れば、柔らかな温もりに、次第に瞼が重くなる。
最近、王女に振り回されて寝不足だったからな……
リンディの横にそっと身体を横たえると、いつの間にかルーファスは意識を失っていた。
……暑い。何でこんなに暑いのかしら。
手を上に突き出せば、少しだけ涼しい空気に触れる。それでもまだまだ暑く、今度は足を出そうとするも、何か重いものが乗っていて身動きが取れない。
リンディがゆっくり瞼を開けると、そこには黒い艶々の羽があった。手でそれを分ければ、今度は黒くて長い睫毛が現れる。
綺麗……本当に綺麗な烏ね。
カラ……ス?
徐々に覚醒したリンディは叫ぶ。
「お兄様!?」
その声にルーファスはピクッと動き、薄く目を開けた。睫毛の下に光るのは、濃いルビー色の瞳。リンディを捉えると、それは妖艶に瞬きをした。
お兄様……こんなお表情をするの?
身体中の血液がドクドクと昇り、リンディの顔は燃える様に火照っていく。
「……寝てしまったのか」
ルーファスは一言呟くと、気だるそうに手を伸ばし、リンディの頬に触れる。
「真っ赤だ……酒が残っているのかな。気分は?」
「お酒……?」
「うん。昨日ロッテさん達と飲んだんだろ? アリスにおんぶされて帰って来た。心配だったから、こっちで寝かせたんだ」
「私……ずっと寝てたの?」
「うん」
「ここで?」
「うん」
リンディは目だけを忙しなく動かす。ランプが点いたままの部屋には、カーテン越しに薄く朝日が差し込んでいた。
一晩中……ここで寝てたの? お兄様の隣で?
さっきから自分の身体に乗ってる重い物が、兄の足であることに漸く気付いた。
『……男は裸になると、狼になって女を食べてしまうんだ。死なない様に、見えない部分の肉をガリガリと齧り……』
リンディは「ひゃあっ」と叫び、ありったけの力でルーファスを押しのける。ベッドの端に寝ていたルーファスは、簡単に床に落ち、ごとんと鈍い音が立った。
「つっ……」
頭を擦りうずくまるルーファスに、リンディは真っ青な顔で飛び降りる。
「お兄様! ごめんなさい! 大丈夫?」
「……どうだろう。目は完全に覚めたかも」
そう言いながら、ふわあと欠伸をする兄は、とりあえず裸ではないようだ。慌てて自分の身体を触ると、襟元のボタンと腰のリボンはほどかれているものの、特に負傷している感覚はない。
ゆっくりと起き上がったルーファスは、いつもの優しい“兄”の微笑みを浮かべている。リンディはほっとするも、恐る恐る聞いてみた。
「お兄様……夕べ、裸にはなっていない?」
「裸?」
「ええ。寝る時は、いつも裸になるって言ってたから」
「……ああ」
ルーファスは笑いを堪える。
こんなに怯えた顔をして……ちゃんと覚えていたんだな。
「夕べはすごく眠かったから、服を着たまま寝てしまったんだ。だから大丈夫。君のことは一口も食べていないよ」
「そっかあ……良かった! 全然痛くないから、大丈夫かなとは思ったんだけど」
痛くない……ね。誰かが聞いたら、誤解しそうだな。実際、睡魔が襲ってくれて良かったと思う。色々と元気だったら、大変だったかもしれないから。
幾ら心配だったとはいえ何故自分の部屋で寝かせてしまったのだろうと、らしくない行動にルーファスは頭を掻く。
余程リンディ不足だったのかな……
「頭、本当に大丈夫?」
険しい表情を見て、リンディは心配そうに尋ねる。
「大丈夫だよ、何ともない」
安心させようと、おどけながらつんと金髪を引っ張ってみるが、彼女はしょんぼりと下を向いてしまった。
「お兄様は今が大事な時期なのに……迷惑かけてごめんなさい」
大事な時期? 一体何のことやら。
首を傾げるルーファスに、リンディは小さな声で問う。
「……王女様とご結婚されるんでしょう?」




