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第25話 一回目 リンディは18歳(7)


「……ごめん、今日も一緒に帰れなくなった」


毎日作業室に顔を出しては、申し訳なさそうに謝るルーファスに、リンディはぶんぶんと首を振る。


「いいの! 一人で帰れるから大丈夫。お仕事頑張ってね、お兄様」

「……うん。明日の朝も一緒に行けないかもしれない」

「いいの! 朝ご飯ちゃんと食べてね」

「……うん」


とぼとぼと廊下を歩くルーファスの背に、笑顔で手を振るリンディ。やがて姿が見えなくなると、静かに手を下ろし、リンディもとぼとぼと机に戻った。


「お兄さん、今日も一緒に帰れないって?」


ジョセフ絵師長の問いかけに、リンディは「はい……」と力なく答える。


「まあ、あの容姿だもんな。王女様もお気に召すだろうよ」

「この様子だと、結婚は間違いない。王女の夫で、次期宰相。将来は安泰だな」


絵師達の会話に、リンディはピクリと反応する。


「けっ……こん?」

「ああ、お兄さんと王女様。何か聞いてないのか?」

「何も……」


絵師達は顔を見合わせた後、取り繕う様に言う。


「まあ妹に言うのは恥ずかしいのかもな。今は大事な時期だから、お兄さんをそっとしておいてあげるといい」

「大事な時期?」

「ああ。上手くいけば王女様と結婚出来るんだから」

「……王女様と結婚出来ると、お兄様は嬉しいんですか?」

「そりゃあそうだよ! いや、元々セドラー家は由緒正しい家柄だろうけどさ。王女と結婚となれば更に箔がつくだろうし。人生上がりだな」


下を向くリンディの肩に、ロッテはポンと手を置きながら言い放つ。


「あんな小娘と結婚する位なら、乞食になった方がマシよ。……私だったらね」


過激な発言に絵師達は慌てる。ロッテがアリエッタ王女を嫌っていることは、この作業室内では周知の事実あり、彼女の前で王女の話をすることはタブーとされていたからだ。


「ロッテさん、駄目ですよ! 誰が何処で聞いているか分からないんですから」

「ふん、不敬罪でも何にでも処せばいいわ。王女の器もないくせに、親の権力でふんぞり返って。絵師を見下すあの態度、大嫌い!」


絵師達は更に慌て、口にしっと指を当てながら、周りをあたふたと窺う。

そんな彼らを気にも留めずに、ロッテはリンディへ明るく笑い掛けた。


「リンディ。暇なら、今夜一緒に夕飯を食べに行かない? 仕事も落ち着いたし、王様からの特別手当で財布も潤ってるし。気分が良いから、パーッと奢るわよ」




ロッテに連れられてやって来たのは、一見民家の様なこぢんまりした店だった。ドアを開けると、賑やかな笑い声と、美味しそうな匂いがふわっと飛び込む。


「ここは私が勤め始めた頃から通っている店なの。お酒もお料理も、安くて美味しいんだから」


藍色に塗られた天井を、月や星型のランプが照らす店内。薄明かりの中丸太の椅子に座ると、まるで夜空の下にいるような気分になり、わくわくと高揚する。


「雰囲気も良いでしょ? 室内なのに、外で食事してるみたいで」

「はい! お祭りみたいに楽しいです!」

「お祭り……そうね。素敵」


見慣れた店内を、ロッテは新鮮な気持ちで見回す。

運ばれてきたグラスを交わすと、二人は笑顔で口を付けた。


「貴女はどうして絵師になろうと思ったの?」

「絵が大好きで、絵を仕事にしたかったからです。そうすれば、一人で生きていけるし」

「一人? 結婚は考えていないの?」

「私は変なので、誰も結婚したがらないと思います。ずっと絵を描いてる奥さんなんて、嫌でしょう?」

「そうね……あまり聞いたことはないわね」


ロッテはふふっと笑うと、グラスを空にし、早々にお代わりを注文する。


「でも私が貴女だったら、幾ら絵が好きでも、わざわざ絵師にはならないかも。別に趣味で描いてもいいんだし」

「どうしてですか?」

「だって貴女、とびきり可愛いもの。おまけに公爵令嬢でしょ? たとえ結婚しなくても、生活に困ることはないじゃない」

「そうなんですか?」

「そうよ。あのお兄さんなら、いずれ爵位を継いで家長になっても、貴女を大切にしてくれるでしょうし」


するとリンディは悲しげな顔で言う。


「迷惑をかけたくないんです。お兄様が結婚したら、お兄様には新しい家族が出来るし。やっぱり、ちゃんと自分のお金で生活したい」

「……そう」


新しいグラスを傾けながら、ロッテはリンディの背中を優しく撫でた。


「ロッテさんは、何で絵師になったんですか?」

「私が家長だったから」

「家長?」

「ええ。家は貧しい没落貴族でね、父が病気で亡くなった後は、長女の私が家を守らないとと必死だったの。幸い私には光の魔力があったから、絵を勉強して宮廷絵師になってやろうってね。お給料もいいし。だから、別に絵が好きだった訳じゃないわ」


ロッテの言葉に、リンディは驚く。


「……絵が好きじゃないんですか!? あんなに素敵なのに」


ロッテの描く絵は、繊細な線を引くリンディとは対照的で、力強く躍動感がある。中でも人物画は特に素晴らしく、戦時中の兵士達を描いた絵を見た時には、感動してしばらく涙が止まらなかったほどだ。


(それなのに、絵が好きじゃないなんて……)


「生活の為だったもの。笑われてしまうかもしれないけど……本当はね、私はごくごく普通のお嫁さんになりたかったのよ。優しい人と結婚して、子供を産んで、美味しいおやつを作ってあげるの。最高じゃない?

今は弟が成人して家を継いでるから、心配しなくてもいいんだけど。結婚したくても、こんな年齢としになっちゃった。折角自由になったのにね」


普段は男性の絵師達よりも凛々しいロッテが、リンディの目には今、儚い少女のように映っていた。


「でもね、貴女がいつも楽しそうに絵を描いているのを見ていたら、私も何だか描くのが楽しい気がしてきたの。もしかしたら、本当は絵が好きだったのに、気付いてなかっただけなんじゃないかって」


その言葉に、リンディは勢いよく立ち上がった。


「そうです! きっとそうです! じゃなきゃ、あんな素敵な絵は描けないわ! 私、ロッテさんの絵が大好きです!」


拳を握りながら力説するリンディに、ロッテは一瞬きょとんとした後、顔をくしゃりと歪める。


「……ありがとう、リンディ」


倒れかけたグラスを押さえるロッテの手は、小刻みに震えていた。




「いらっしゃいませ!」


店のドアベルがカランとなり、新しい客が入ってくる。目をこすりながら、何とはなしにそちらを見たロッテは、思わずギョッとする。蝶々の様な奇抜なヘアスタイルに、派手な化粧と服。それにどうみても……


その客が店員に案内されてやって来たのは、すぐ隣のテーブルだった。


(はっ、人のことをジロジロ見たりして……私ったら良くないわ)


ロッテは下を向くが、何故か今度はその客から視線を感じる。


「……リンディ! いやだ、リンディじゃないの!」


え? と隣を見るのと、リンディが嬉しそうな顔で立ち上がるのとは同時だった。ロッテは再び、波打つグラスを押さえる。


「アリス! アリスだわ!」


接点など全くなさそうな二人は、近付きひしと抱き合った。


「こんな所でリンディに会えるなんて! 帰国して一度お茶して以来だから……かれこれ三ヶ月ぶりかしら。お互い忙しかったものね」

「嬉しい! ずっと会いたかったの! アリスもお夕飯?」

「ええ。もう~聞いてよリンディ! お客様がね、男になんか触られたくないって……。同じ理由で断られたの、今月だけでもう十回目よ! 悔しくて一人で自棄ヤケ酒しに来たの! うっ……うわーん!!」


低い声でおいおいと泣くアリスを、リンディは慰める。


「断るなんてもったいないわね。アリスのヘアメイクはとっても素敵なのに」

「そうなの! せめて仕上がりを見てから文句を言って欲しいのに、元男ってだけで門前払いだもの。やるせないったらありゃしない! ……あらリンディ、そちらの綺麗なお姉様は?」


(綺麗……)

ロッテはまんざらでもない様子で、結わいた黒髪をファサリと掻き上げる。


「絵師の先輩のロッテさんです! 一緒にご飯を食べに来たの」

「まあ! リンディがお世話になっています。アタシは学生時代の友人で、アリスと言います。本名はアリソンですけど、害はないのでご安心を」


リンディが個性的なら、その友達もとてつもなく個性的だと頷くロッテ。何だか面白そうな夜になる予感がしていた。


「よろしく、アリスさん。……よかったら、皆で一緒に食べる?」



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