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第23話 一回目 リンディは18歳(5)


繁忙期の作業室は、毎度ピリピリして険悪だ。その険悪な空気の発生元は、主にロッテお局である。頭にタオルを巻き、眉間に皺を寄せながら紙に向かう彼女は、とてつもなく恐ろしい。用がある時は皆、腫れ物に触るように接し、気分を損ねない内にさっと離れていく。それが絵師達の暗黙の了解だった。


だが、今はどこか違う。頭にタオルを巻いたロッテの横には、同じくタオルを巻いた愛らしい令嬢の姿が。ロッテの頭を見た令嬢が、「カッコいい!」と興奮したその日から、同じ姿がこうして隣り合う机に並ぶようになったのだ。


「もう駄目だ……今日のノルマは?」

「あと一人5枚……死ぬ」


これまで繁忙期には口を開くことなどなかったロッテが、絵師達に向かって言い放つ。


「ぐだぐた言ってないで、リンディを見習いなさい。こんなに楽しそうに描いてるわよ」

「リンディがおかしいんですよ!」


他の画家達の倍以上の絵を、楽しそうに仕上げていくリンディ。信じられないといった調子で、皆首を振る。


「おかしくなきゃこんな仕事出来ないわよ! 絵師なんてね、そもそもみんなおかしいの! ええ、そうよ、私もイカれてるわ!」


疲労が限界を超えているのか、ロッテも支離滅裂だ。


「こんなん、全部同じ絵なんだから刷っちまえばいいじゃないすか!」

「王様のご命令なんだから仕方ないでしょ! 文句があるなら直訴しなさい。首を切られる覚悟でね」


絵画や彫刻などの芸術品を愛するムジリカ国王は、とことん印刷を嫌う。各国の要人が目にする物は、同じ絵であっても、全て手描きでと徹底しているのだ。特に今回の三ヶ国会議はこのムジリカ国で開催される為、恐ろしいほどの気合いの入りようだ。


ロッテは筆を置くと、キャンディを包み紙から出し、隣のリンディの口へ放り込んでやる。今は大分見慣れてきた光景だが、威圧感の塊のようなロッテがこうして他人の世話を焼くことに、一時はひょうでも降るか!? と大騒ぎになった。


騒がしい会話を余所に、リンディはカラコロと頬を膨らませながら筆を動かす。そのあどけない様子に、ロッテはふふっと笑った。


(お局が……あのロッテお局が、繁忙期に笑ってる……)


あんぐりと顔を見合わせる絵師達。その時、一人の訪問者が作業室のドアを叩いた。



「失礼致します。三ヶ国会議の資料が追加になりまして、絵をお願いしたいのですが」


「あら、リンディ、お兄さんよ」


案の定呼び掛けても返事がない。ロッテは手元のベルを取ると、チリチリと鳴らした。すると、リンディはピタリと手を止め、顔を上げる。


このベルは、作業室へ来た初日に、リンディがロッテへ手渡した物だ。


『私は何かに集中すると、中断出来なくなってしまうので、用がある時はこれを鳴らして下さい』


それは学生時代にアリスからもらったベルで、実技の終了時によく鳴らしてもらっていた。キンと高い音がリンディの鼓膜によく届き、何故かすんなりと意識を戻すことが出来るのだ。


「お兄さんよ」


リンディはパッと笑顔を浮かべると、ドアに飛んでいく。


「お義兄様!」

「追加の仕事だ。絵師長様にお渡しして」


まだ大臣の補佐と言えども、いずれは宰相へとエリート街道を歩む公爵令息。絵師のことなど見下しそうなものを、いつも礼儀正しいこの青年に、皆好感を抱いていた。


ルーファスはリンディの頭を見ると、優しく微笑む。


「リンディ、それ本当に似合うな」

「でしょ!? お気に入りなの」

「うん、可愛い」


艶やかな黒髪に神秘的なルビー色の瞳を持つ兄と、金髪碧眼の天使のような妹。美しい兄妹はやさぐれた絵師達の琴線に触れ……とにかく眼福だった。


「リンディ、少しお兄さんと休憩してきてもいいわよ」


今までのロッテであれば仕事に私情を挟むなと言っていただろうが、リンディはなかなか自主的に休まない為、ルーファスが顔を出した時はこうして声を掛けてやっているのだ。


「いえ、忙しいので、全部仕上げちゃいます! お義兄様と一緒に帰れるように頑張るわ」


ふんと鼻息の荒いリンディ。タオルの結び目をツンと引っ張りながら、ルーファスは笑う。


「本を読んで待っているから、焦らなくても大丈夫。また後でね、リンディ」


ルーファスが作業室のドアを閉めると、ロッテはパンと手を叩いて叫ぶ。


「……ほら! 目は充分潤ったでしょうから、みんな手を動かしてちょうだい! 会議まであと一週間よ! 大変でしょうけど頑張って」


こんな労いの言葉が飛んでくるのも、リンディが此処へ来てからの大きな変化なのであった。




一週間後────

ついに三ヶ国会議が開催され、絵師達が抜け殻になりながら仕上げた資料は、無事に各国の要人の手元に渡った。全て手描きの美しい絵は、大変な賞賛を浴び、ムジリカ国王は『我が国がどれほど芸術に造詣が深いかを示せた』と満足気であった。


夜は連日、広間で華やかな宴が行われた。ルーファスはまだ大臣補佐の身ではあるが、今回は自国での開催である為、勉強にと勧められ参加することになった。

大臣と共に挨拶に回る見目麗しい青年。なるべく目立たぬよう大臣の後ろに控えているにもかかわらず、その姿は注目の的だった。


中でも一際ひときわルーファスに熱い視線を注ぐ女性が居た。最高級の真っ赤な絹地に、煌びやかな金糸の刺繍が施されたドレスに身を包むその女性は、ムジリカ国王の隣に堂々と座りながら、彼を目で追い続ける。


(なんて素敵な男性ひとなの……あんな男性今まで見たことがないわ)


シャンパンをくいっと一口含むと、赤い頬を扇子の陰に隠し笑った。




それから数日経った頃、会議の資料を整理するルーファスの元へ、若い大臣がやって来て話し掛けた。


「ルーファス、今夜空いているか?」

「……仕事ですか?」

「いや……まあ仕事といえば仕事か。アリエッタ王女殿下が、大臣達を夕食にご招待くださったんだ。三ヶ国会議の労いをしたいと。特に若い大臣達は顔を覚えたいから、是非出席して欲しいとのことだ。実質ご命令だな」

「私はまだ大臣ではありませんが」

「補佐達も出席しろと」


大臣はキョロキョロと周りを見た後、ルーファスにこそっと耳打ちする。


「王女様の花婿選びかも知れないぞ。……先日の宴で、誰かが御目に留まったのかもしれない」


意味深にルーファスの肩をポンと叩くと、「18時からだからな」と言い残し、去って行った。



(アリエッタ王女……挨拶は交わしたが、派手だったということしか思い出せない。確かリンディと同い年だったか)


ルーファスはリンディが描いた資料の絵を撫でながら、はあとため息を吐く。


(今日は折角仕事が早く終わると思ったのに。……帰りたかったな、一緒に)


二人きりの時間を何よりも大切にしているルーファスはがっかりする。


(王女様のご招待であれば、無下に断ることも出来ないか。本当に花婿探しなら他所でやってくれりゃいいのに。面倒臭いな)


ルーファスは立ち上がると、一緒に帰れなくなったことを伝えに行く為、泣く泣く絵師の作業室へ向かった。



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