第21話 一回目 リンディは18歳(3)
────まるでお人形みたいなお嬢ちゃんね。
「リンディ・セドラーです!」と元気一杯に挨拶した令嬢を、宮廷絵師のお局……いや、ベテラン絵師ロッテはじろじろと眺める。
セドラー宰相の娘ね……試験も受けずに王様の推薦で入ったと聞いたわ。いわゆるコネってやつ。
一応光の魔力は保有している様だけど、それだけじゃこの仕事は務まらない。宮廷絵師がどんなに大変な仕事か、初日から思い知らせてあげなきゃ。
「貴女の教育係を務めさせて頂く、ロッテ・オーブリーです。よろしく」
「よろしくお願い致します!」
にこにこと握手をする令嬢に、ロッテは不敵な笑みを浮かべる。
そうやって笑っていられるのも今のうちよ。
「今日は早速、貴女に宮廷絵師としての適性があるかどうかを見させてもらうわ。勝手な幻想を抱いて入っては、辞めていく人が後を絶たなくてね。最近は初日から簡単な試験をさせてもらっているの。……付いてきて」
そう言うとロッテは、令嬢をある部屋へ案内した。ドアを開けた瞬間、令嬢は言葉を失う。
そこは、壁一面に美しい壁画が描かれた広間だった。黄金の柱の一本一本には見事な彫刻が施され、天井にはダイヤモンドの様なシャンデリアが幾つも輝いている。
「舞踏会に使われる広間よ。この広間の壁画を全て、日没までに正確に模写しなさい」
「……全部ですか?」
「ええ、全部。正確にね」
「全部? 一日……ずっと!?」
「ええ、画材はここにあるのを自由に使って。床を汚さない様に、この板を敷いてね」
令嬢はほええと変な声を出し、壁画を見上げたまま動かない。
……ショックで固まってしまったのかしら。ま、お手並み拝見てところね。
ロッテは広間を後にした。
「おいおいロッテ、また新人いびりか?」
作業室に戻るなり、絵師長のジョセフが苦笑する。
「いびりではありません。試験です」
「宰相のお嬢さんなんだから、失礼のないように頼むよ。王様からも、くれぐれもよろしくと言われているんだ」
「要はコネでしょ。そういう甘い考えは最初からぶっ潰しておきませんと。このクソ忙しいのに、使い物にならないお嬢ちゃんを押し付けるのが悪いのよ」
「おお……怖っ」
その場の絵師達は震え上がり、こそこそ話し出す。
「この間の新人も、ロッテお局のせいでひと月ももたなかったしな」
「猫の手も借りたい程だっていうのに、勘弁して欲しいよ」
「聞こえてるわよ」
ロッテの一声で、絵師達は慌てて仕事に戻った。
筆を置き、ふと壁の時計を見れば既に昼の一時を回っている。ロッテの空っぽの胃は、空腹感と共に、広間に放置した令嬢のことを思い起こさせた。
昼食はどうしたかしら。早々に投げ出して、もうどこかに食べに行ってるかもしれないけど。……倒れられても面倒だし、仕方ないわね。
パンと林檎を手に広間へ足を踏み入れたロッテは、その光景にあっと口を覆った。
既に描き終えたと思われる壁画の前には、紙が並べて置いてある。そっと近付いてみると、それは十枚で一つの壁画になっていることが分かった。神殿の複雑な線、天使の羽の一枚一枚まで正確で、模写というよりは、壁画をそのまま縮小しただけの転写に見える。
肝心の令嬢はと言えば、遥か向こうの壁画に取り掛かっている様子で……残りは三分の一程度と言ったところか。この調子でいけば、本当に日没までには全て描き終わってしまうかもしれない。
ロッテはゴクリと息を呑む。
そもそもこの広間の壁画を、一日で描き終えることなどベテランの彼女とて出来ない。この無謀な試験にあえて挑戦させるのは、絵師のタイプとやる気を判断する為である。
スピードよりも正確性を重視する者、正確性よりもスピードを重視する者、プレッシャーに負けどっちつかずの者、途中で放棄する者(問答無用でクビ)……
令嬢に近付き手元を見れば、その動きには一切の迷いがない。凄まじい速さで鉛筆を動かし線を描いていく。更に驚くことに、彼女はほとんど壁画の方を見ていない。恐らく最初に見ただけで、壁画の細部までを記憶しているのだ。光の魔力の保有者と言えど、これは人知を超えた能力ではないだろうか。
額には汗の玉を浮かべながらも、令嬢のその顔は実に楽しそうだ。今まで数えきれぬ程この試験を行ってきたが、こんな顔で壁画に向かう者を見たことがない。
ロッテの中で、俄然この令嬢に対する興味が湧き起こった。
「……ねえ、お昼休憩にしない?」
近くで呼び掛けても全く反応がない。
「ねえ」ともう一度呼び掛けて、ロッテは止めた。壁画に向かうこの令嬢そのものが、芸術品である気がしたからだ。
黙って広間を出ると、廊下で絵師長に出くわす。
「おお、お嬢様はどうだった? 逃げてなかったか?」
「……今のところは」
「それは期待出来るな。よし、俺も覗いてみよう」
「集中しているので邪魔しないで下さい。それより、明日以降の仕事を一人分……いえ、とりあえず二人分割り振って下さい。猫の手どころか即戦力になりそうですから」
絵師長は、はあと気の抜けた返事をすると、珍しく機嫌の良いロッテの背中を見てニヤリと笑った。
リンディが城の裏門を出た時には、もう日はどっぷりと暮れ、空には夜の気配が漂い始めていた。
「リンディ」
少し離れた所から、低くて優しい大好きな声が聞こえる。
「お兄様!」
駆け寄った街灯の下には、ルビー色の瞳がキラキラと輝いていた。
「待っててくれたの?」
「うん。初出勤はどうだった?」
「とっても楽しかったわ! 日没まで、ずっと広間の壁画を写していいって言われたの! もうすっごく綺麗な壁画で……お兄様も見たことある? 時間がなくて彩色までは全部終わらなかったんだけど、家で好きな時に塗ればいいって」
「それは良かったな」
嬉しそうなリンディの頭にぽんと手を乗せると、華奢な肩からひょいと鞄を取り上げる。画材がぎっしり詰まっていて、なかなかの重さだ。
「明日は三ヶ国会議の資料を作るんですって。どんな絵が描けるのかしら……楽しみ!」
「もう資料の絵を任されるのか? 凄いな。各国の王族方が目を通す、大事な資料なのに」
「私の絵が外交を左右するかも知れないんでしょ? 頑張るわ!」
屈託のない笑顔にルーファスはやや心配になる。画力だけでなく、彼女の性質が他の絵師達に受け入れてもらえると良いが……と。
「……怖い人はいなかったか?」
「いいえ! とても優しくしていただいたわ」
そう言いながら、リンディはポケットをガサガサと漁り、キャンディの包みを幾つも取り出す。
「絵師長さんにもらったの。宮廷絵師の大事な食料なんですって。忙しい時はこれしか食べられないから、お守りに持っていなさいって。あと、ロッテさんからはパンと林檎をもらったわ。沢山あるから、一緒にお夕飯に食べましょう」
女学校に通っていた時の様な暗い顔は見られず、ルーファスはほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとう、じゃあ僕はスープを作るよ」
「嬉しい! お兄様のスープ、大好きなの」
月明かりが柔らかく照らす道には、二つの影が寄り添っていた。
アパートに着きポストを開けると、リンディがあっと叫ぶ。
「タクトからだわ!」
部屋まで待てず、嬉しそうにその場で封を切る姿に、ルーファスはもやっとする。
……まあ、兄の前でこうして簡単に封を切るということは、変な隠し事はなさそうだな。
そう自分に言い聞かせては気持ちを整えるルーファスに、リンディは興奮しながら、更に大きな声で叫んだ。
「……お兄様! タクト、成功したんですって!時を戻す魔道具に成功したんですって!」




