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第19話 一回目 リンディは18歳(1)


噴き出しかけた紅茶を慌てて飲み込んだ為、ルーファスは激しくむせた。


「お義兄様!」


リンディに背中を激しく叩かれ、その衝撃で余計にゴホゴホとむせ返る。何とか品位を保とうと、ハンカチで口元を優雅に拭ってから尋ねた。


「……此処で、この部屋で寝るって? 一緒に?」

「ええ、だって折角帰って来たんですもの。沢山お喋りするには、きっと時間が足りないと思うわ。お兄様も一人は寂しいでしょ?」


にこにこしながら答える彼女に、ルーファスは頭を抱える。



正気か? リンディは何を考えて……いや、何も考えていないに違いない。もう18だと言うのに、男女のアレコレに関して何も知識がないのか。それとも、自分を男ではなく、兄として信頼しきっているからだろうか。

まさか! タクトとも同じ部屋で寝ていたりしないだろうな。……女子寮だから、さすがにそれはないか。

でもアリス(アリソン)とは、同じ部屋で夜遅くまで喋ってたんだよな。


リンディが綺麗なお姉さんと手紙に書いてきた友達が、生物学上は男性であることを知ってから、ルーファスは正直どうしても受け入れられなかった。最初は自分同様に困惑していた父も、母から事情を聞いて納得していたというのに。


こんなに無防備な彼女を、今まで一人外国に置いていたかと思うとゾッとする。……アリスのことはさておき、ここは今後の為にもきちんと言わなければならない。



リンディが数回瞬きをする間に、ルーファスは忙しなく頭を動かし考えをまとめた。ゴホンと咳払いすると、真剣な顔でリンディへ向かう。


「同じ部屋で寝ることは出来ないよ、リンディ」

「どうして?」

「僕達はもう成人を迎えた大人なんだ。たとえ兄妹であっても、婚姻前の男女が同じ部屋で夜を過ごしてはいけない」

「どうして? どうして昼は良くて、夜は駄目なの?」


ルーファスは百パーセント確信する。リンディには本当に何も知識がないのだと。

どうしようか……変な男に引っ掛からない為にも、ここはさらっと説明すべきか。……さらっとって?どこまでがさらっとだ?

顔を赤らめながらルーファスが考えていると、またもやリンディの口から爆弾発言が飛び出した。


「だってお兄様と私は、夜になっても裸にならないから平気でしょ?」


「はだ……か」


ちょっと待て、ちょっと待て。何も知らないんじゃないのか?ルーファスは激しく混乱しながら問う。

「夜に裸って……どういうことだ?」

「タクトが持ってた本に書いてあったの。ベッドの上で、『旦那様、おやめ下さい』って夫人が言うんだけど、伯爵が『お前は俺の妻だ。好きにさせろ』って言って、無理矢理夫人を裸にしちゃうの。結婚すると、毎晩裸になって一緒に眠るんでしょ?」


ルーファスの思考は一時停止した後、怒りにふるふると震え出す。

タクトのヤツ……リンディに何て物見せたんだ!

「……で? その後は? 裸になった後どうなるんだ?」

低い声で問うルーファスに、リンディは首を傾げる。

「分からない。タクトに取り上げられちゃったから。見ちゃ駄目って怒られたの」

故意に見せた訳ではないことが分かり、ルーファスの怒りは落ち着く。


「私はお腹を冷やすから、どんなに暑くても裸にはならないし、お兄様もきちんとしてらっしゃるから寝巻きで寝るでしょ? だから平気だと思うわ」


一気に脱力感に襲われたルーファスは、椅子の背もたれに寄り掛かった。

さて、どうすべきか。『裸で寝る』以上の知識が彼女にはないことを知った上で、自分が取れる最善策とは……

よしと気合いを入れると、再び真剣な顔でリンディへ向かった。


「リンディ、実は今まで隠してたんだけど……僕は夜、いつも裸で寝ているんだ」

「えっ、そうなの!?」

目を瞠るリンディ。ルーファスは立ち上がりリンディの横にしゃがむと、愛らしい耳元にこそっと囁く。

「……下着も身に付けない」

艶めくルビー色の瞳に、リンディの顔が真っ赤に染まっていく。いい反応だ……男というのは怖いものだと、この際しっかり教えておかなくちゃ。


「リンディに教えてあげる。……男は裸になると、狼になって女を食べてしまうんだ。死なない様に、見えない部分の肉をガリガリとかじり、血をすする」

視線を外さぬまま妖しい声色で囁くと、赤かったリンディの顔が、さっと青ざめていく。

「そっかあ……だからあの夫人も嫌がっていたのね。ねえ、お兄様も狼になるの?」

「どうだろう。裸の時はいつも一人だから分からない。……試してみる?」

鋭い目で舌なめずりをしながら、金髪をくるくると指で弄ぶ。リンディは激しく首を振った。


「私、痛いのは嫌。他に食べる物がないなら私を食べてもいいけど……今は沢山あるでしょ? ほら! お土産にお菓子も買って来たし」

鞄をひっくり返す勢いで菓子の包みを取り出すリンディに、噴き出しそうになるのを堪える。

「はい、お兄様。これを食べて、ね?」

差し出されたマドレーヌを、わざとリンディの指ごとガブっと口に入れる。ひゃあっと叫びながら手を引っ込めるリンディが可笑しくて堪らない。

「美味しいな……リンディの手の方が美味しいけど」



────作戦成功だ。なんとリンディの方から、夕飯を食べたら自分の部屋に戻ると言い出したのだ。食べている間も、『お兄様、まだ裸にならないでね』と何度も念を押され、可笑しいやら可愛いやら。


ルーファスは自分の名誉の為に、一言付け加えることも忘れなかった。

『リンディ、僕が裸で眠っていることは秘密だよ。女性達が怖がって、僕と結婚してくれなくなってしまうからね』





翌日、二人で実家へ帰る為、ルーファスは早朝から隣の部屋をノックした。

返事も気配もない為、もしやと窓から覗けば、リンディは張り切って一足先に外へ出ていた。「おはようございます!」と元気に振り返った姿を見て、ルーファスは言葉を失う。


眩しい朝日が、リンディの肌を更に白く透き通らせ、青い瞳を輝かせている。白い清楚なドレスを見に纏った彼女は、本当に美しい白鳥の様で……これではどんな男も狼になるに違いないと、ルーファスは思う。

少し脅かし過ぎた様な気がしていたが、やはりあれで良かったのだと、一人頷いていた。



昨日あれだけ話したのに、馬車の中でも尽きることのないリンディのお喋りに、ルーファスの顔が綻ぶ。片道二時間の距離もあっという間に、馬車はクリステン公爵邸へ到着した。


「おかえりなさいませ! お嬢様、お坊っちゃま!」

「ただいま!」

もう高齢だというのに、どの使用人よりも早く飛び出し、軽やかに出迎えるモリーとサム爺。

「こんなにお綺麗になられて……一緒にお砂遊びをした、私の小さなお嬢様は一体どこへ?」

毎回会うたびに同じことを言うモリーが愛おしい。リンディは少し背の縮んだ彼女を抱き締めると、決まって同じ言葉を返す。

「モリーさんのリンディは此処よ。何も変わらないわ」


フローラもはじける笑顔で「おかえりなさい!」と出迎え、両手で二人の頭をわしわしと撫でる。相変わらずの勢いに、ルーファスは実家に帰って来たことを実感していた。が……母の隣を見て尋ねる。

「父上はお出掛けですか?」

「お風邪を引かれて、少しお身体の調子が良くないの。応接室にいらっしゃるから、先にご挨拶しましょう」




「おかえり、ルーファス、リンディ」


嬉しそうに微笑む父デュークを見て、二人は驚く。以前会った時よりも一回り痩せていたからだ。



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