第15話 一回目 リンディは13歳(2)
「サレジア国……ランネ学園芸術科」
パンフレットの文字を見たルーファスは、両親の考えを理解し、はっと顔を上げる。
ランネ学園とは、隣国サレジア国にて四十年以上前に創立された学校で、身分や貧富の差に囚われない自由な校風だ。
確か芸術科などの専門コースは高等部のみだったと記憶していたが……
「来年度から、中等部も専門コースが選べるらしい。転校という形にはなるが……リンディには普通の女学校よりも合っている気がしてね」
「リンディを一人で外国へ行かせるということですか」
「調べた所、他国の生徒の受け入れ体制も非常に整っている。寮での生活も、慣れるまでは手厚くサポートしてくれるらしい。……勿論、リンディの気持ち次第だが」
再びパンフレットに目を落とし、渋い顔をするルーファス。デュークは静かに口を開いた。
「実は……リンディの転校を勧めたのは、王室だ」
「王室が? 一体何故ですか?」
「先月、リンディが絵画コンクールで賞を取っただろう。あの絵を国王陛下がご覧になった」
「陛下が……!」
「ああ、大層お気に召して、いずれはリンディを王室専属の絵師として迎えたいと仰ったんだ」
王室専属の絵師とは、いわゆる記録係であり、王室から指定された絵を描く。その絵は外交に使われたり、歴史資料として永久に保管される為、正確に、鮮明に描くことが求められるのだ。
よって転写能力に長けた、光の魔力の保有者が選ばれることが多い。
「……リンディの絵は、感性で描かれている物がほとんどで。確かに素晴らしいのですが、記録には向かない様に思うのですが」
「ああ、私もそう思う。お伝えしたところ、陛下はそれでも構わないと仰った。記録係でなくても、王宮に飾る絵や、壁画などの芸術的な作品を描いてくれれば良いと。ただリンディの為にも、リアルな絵も描けた方が仕事の幅が広がるのではと仰ってね。折角光の魔力を保有しているのだから、勿体ないと」
「それで転校を……?」
デュークは頷く。
「確かに女学校で一般的な教養を身に付けるよりも、得意なことを伸ばしてやった方が、あの子にとっては良いと思う。フローラも、もしリンディが望むならと前向きだ」
個性を押さえ付けられることなく、好きな絵を思い切り学べる。リンディにとって、これ以上の恵まれた環境はないだろう。だが、ルーファスは複雑だった。
「……フローラとリンディも此処へ呼ぼう。お前達の進路について話し合う、丁度良い機会かもしれない」
リンディはデュークに渡されたパンフレットを、目が食い入る様に見つめる。
「どうだ?リンディ」
問い掛けられるも返事がない。パンフレットに描かれている絵を指でなぞりながら、リンディはひたすら目を輝かせていた。
それは芸術科の生徒達がデッサンをしながら笑い合う、何気ない授業の光景。だが、生徒達の生き生きとした表情や、話し声が伝わるほど躍動感のある絵だ。
「この絵……すごく素敵! 光の魔力でもないし、魔道具でもないし、ただ普通の黒いインクで刷られてるだけなのに!」
「ああ、その絵は芸術科の卒業生が描いたものらしいよ」
「私、今まで絵を描く時は色を大事にしていたの。でも、色がない絵がこんなに素敵だなんて……」
ほうっとため息を吐くと、リンディは言った。
「お父様、私この学校へ行きたいです。此処へ行けば、こんな絵が描ける様になるかもしれないから」
「リンディ……」
ルーファスは、頭をガンと殴られた様な気がしていた。
フローラはリンディの手を握り、真剣に向かい合う。
「リンディ、この学校があるランネ市は、いくら国境とは言え外国なのよ? あなた一人で、家族と離れて、寮で暮らせる?」
「……うん! だって、いつかは本当に家族と離れなきゃいけないんだもの。私は此処にいると甘えてしまうし……今から少しずつ練習するわ」
思った以上にしっかりしたリンディの答えに、家族は驚き、そして胸に込み上げるものがあった。
「絵を勉強して、絵を仕事に出来たら、自分の力で生きていけるんでしょう? 私、将来誰とも結婚は出来ないと思うから頑張るわ」
「リンディ! 何故そんなことを」
声を荒らげるデューク。
「だって……私、変だから。誰も結婚したがらないと思うし、私も結婚したくない。子供まで数字が見えなくなったら嫌だもの」
デュークは立ち上がり、泣きそうな顔で娘の元へ近付く。
「リンディ……何故、女学校を卒業したいと言ったんだ? 本当はずっと辛かったんだろう?」
「……公爵令嬢なのに卒業出来なかったら、お父様やお母様やお兄様……みんなも変に思われてしまうでしょう? 私が何か言われるのは本当だからいいけど、みんなが言われるのは絶対に嫌だったから」
もうデュークはリンディを抱き締めていた。
フローラも横から二人に抱き付き、泣きながら金色の二つの頭をわしわしと撫でる。
ひとしきり泣くと娘から離れ、デュークは微笑みながら言う。
「私は君のことを、変どころか誇りに思っているよ。まだ13歳なのに、あの気難しい王様に認められたんだから」
「……そうなの?」
「いつかご自分の部屋を、全て君の壁画にしたいとも仰っていたよ。壁も天井も」
「すごい……王様の御部屋に絵が描けるの?」
「ああ、君は本当にすごい子だ。初めて会った時から私は、君を娘にしたかったのかもしれないな」
フローラの胸には、あの雨の日が浮かんでいた。自分の帽子にかたつむりを入れて差し出すデュークと、それを嬉しそうに受け取るリンディ。
血の繋がりはなくても、二人は紛れもない父娘だ。
この人と結婚して良かった……
フローラは心からそう思っていた。
「私とフローラはまだ話があるから」
「はい。では失礼致します」
リンディと共に部屋を出ようとするルーファスに、デュークは声を掛ける。
「……ルーファス、お前も自分の将来を考えて、真剣に進路を決めなさい」
パンフレットを胸に、嬉しそうに廊下をスキップするリンディ。こんな義妹を見るのは久しぶりだった。
自分ではなく、まさかリンディが離れていくなんて……考えもしなかった。
首都と外国。
遠く離れて……僕と離れて……君は平気なのだろうか?
思わず聞き掛けて、口をつぐむ。
彼女があっさりと転校を決めてしまったことに、自分はショックを受けている。そしてそんな自分に腹が立つ。
兄として、リンディの幸せを一番に考えてあげなきゃならないのに。何て身勝手なんだろうと。
リンディが此処に居なくなるなら、自分も此処に居る意味はない。──もう進路は決まっていた。
部屋でパンフレットを何度も開いては、絵をなぞるリンディ。
寂しいな……お兄様と離れるの。私一人で、上手く歩けるかしら。
でもいつか、お兄様の隣に並んでも恥ずかしくない大人になる為に、しっかりと勉強しなきゃ。
美しい絵が、涙で滲んでいった。
◇
それから二週間程経ったある日のこと、ルーファスの通う王律学園の廊下には、慌ただしい足音が響いていた。
「お義兄様!!」
ルーファスは顔をしかめる。自分をそう呼ぶのはリンディとあともう一人……
振り返れば、ひょろっと細長い少年が立っている。茶色い髪と茶色い目以外には、全く昔の面影はない。この姿に見慣れるまでに、随分時間がかかったものだ。
声変わり中のハスキーな声で、少年は叫ぶ。
「リンディがサレジア国に行っちゃうって、本当ですか!?」




