第14話 一回目 リンディは13歳(1)
海に来るのはもう半年ぶり位だった。
リンディは最近家で絵を描いていたし、自分も勉強が忙しかったから。
こうして東屋で二人、潮風に吹かれていると、心が和らいでいく。
前は毎日の様に、此処へリンディを迎えに来たな……
ふとノートから顔を上げると、リンディはキャンバスに海の絵を書きかけたまま、今はスケッチブックに向かっている。
キラキラ光る金色の睫毛、潤んだ青い瞳、柔らかく微笑む薔薇色の唇……
その表情のあまりの美しさに、ルーファスはペンを持つ手を止め、しばし魅入っていた。
「……何を書いているの?」
予想通り、返事はない。
立ち上がり、リンディの前へそっと歩み寄る。
「リンディ」
リンディはルーファスの呼び掛けに気付くと、さっとスケッチブックを伏せた。
「何を書いているの?」
「……内緒」
リンディが自分に絵を見せてくれないことなど初めてだ。寂しいやら悲しいやら、もやもやした気持ちがルーファスの胸に広がっていく。
「そうか……」
一言だけ呟き、また自分の椅子へ戻って行った。
再びペンを持ちノートへ向かった時、左手の指輪が視界に入る。
また減っているな……
石の砂は更に量が減り、もう僅かしか残っていない。
リンディの方も着けた時に比べると少し減っている様だが、それでもまだタップリと入っている。
これを作った職人の情報を聞いておけば良かったと、あれからルーファスは後悔していた。
そうしたら何かが分かったかもしれないのに。
あれきり、あの業者の老人が魔道具店に出入りすることも無くなり、一切の手掛かりを失っていた。
欠陥品を上手いこと押し付けられたのか?
……だとしたら魔力が暴走する可能性もあり、厄介だ。
魔道具とは、魔力の保有者が少ないムジリカ国で生まれた文明の利器である。特殊な技術により、個人の魔力を物体に吸収させ、発動させる。
これにより、魔力を持たない者でも、簡単に日常生活で魔力を使える様になったのだ。
主な魔力は、炎、光、水、氷……珍しいもので風や雷か。
よくよく考えれば、時を戻す砂には、一体何の魔力が使われていたのだろう。
もし職人が存命であったならば、あの砂時計は、きっと勲章を授かっていた程の画期的な魔道具だった。
砂時計が10分時を戻せたなら、この指輪は一体?
一時間、一日、一ヶ月、一年……
まさか赤ん坊の姿になったりはしないだろう。
『石の砂は相手を表す』
今のところは何事もないが……
この砂が全て無くなった時、リンディの身に何か良くないことが起こるのではと、不安が押し寄せた。
夕陽が海を赤く染め出した頃、リンディはスケッチブックを閉じ、立ち上がった。
「お兄様、もう帰ろう」
片付け終わり、ルーファスが手をすっと差し出すと、リンディは首を振る。
「もう繋がなくても大丈夫だよ」
思わぬ言葉に戸惑い、つきんと痛みが走る。
「……そうか」
兄らしく、余裕のある表情で笑った。……笑えていただろうか。
静かに下ろした手は、トラウザーズの影で震えていた。
こうして僕達は離れていくんだな。別の学校へ行き、別の道へ進み……それぞれ別の誰かと結婚して。
時を戻すのではなく、時を止める道具があったらいいのに。
大人になんか……なりたくない。
部屋に戻ったリンディは、スケッチブックを抱いたまま、ごろんとベッドに寝転ぶ。
パラリと紙を捲れば……そこにはルーファスが居る。
光の魔力を込めて描かれている為、角度によって、瞬きをしたり手を動かしている様に見える。
ノートへ向かう兄の顔があまりにも綺麗で、気付いたらこうしてスケッチブックへ描いていたのだ。
艶々の黒い髪、ルビー色のアーモンドアイ、いつも優しい音色みたいな言葉をくれる薄い唇。
動物でも、妖精や人魚などの創造物でもない、ただの『人』を描いたのは、彼女にとって初めてのことであった。
スケッチブックを胸で閉じると、リンディは自分の両手を見つめる。
ペンを持つお兄様の手は、自分と全然違った。
大きくて、指が長くて……いつもあの手に触れてるんだなって思ったら、何だかドキドキして。
帰りは手が繋げなくなってしまった。
本当はずっと繋いでいたいのに……もう、このまま繋げないのかな。
でも、それでいいのかもしれない。
私と一緒に居ることで、お兄様まで変って思われたら悲しいもの。
手を揺らせば、石の砂がサラサラと輝く。
本当に綺麗だな。
大好きなお兄様と繋がっていられる、大好きな指輪……
「お帰りなさい!」
翌日、昼過ぎに首都から戻った両親を、二人は揃って出迎えた。
デュークはリンディの頭に手を置くと、優しい目を子供達へ向ける。
「ただいま、リンディ。ルーファス、代わりはなかったか?」
「はい、父上。今日は休日なので、二人で勉強をしていました」
「そうか。午前中に帰る予定だったのに、すまなかったな」
「いえ、問題はありません」
フローラは腕一杯の包みを、嬉しそうに二人へ見せる。
「お土産をあちこち見てたら遅くなってしまって。留守番をありがとう、ルーファス。さあ、みんなでお茶にしましょう。珍しいお菓子を買ってきたのよ」
「わあ!楽しみ!」
はしゃぐ母娘へ愛しげな眼差しを向ける父に、ルーファスは何故か罪悪感に似た気持ちを感じていた。
その日の夕方、ルーファスは封筒を手に、父の執務室を訪れていた。
封筒の中から取り出したのは、首都の王都学園高等部の入学願書。必要事項は全て埋められ、後は親のサインのみである。
「決心したのか?」
「いえ……まだ迷っています」
「提出期限はもう一週間後だろ?」
「はい……」
デュークは顎に手を当て、何かを考える。
「お前が迷っているのは、リンディが理由か?」
何も言わない息子の顔は、肯定の意を示していた。
「リンディなら大丈夫だ。慣れるまでは寂しがるかもしれないが、あの子も徐々に家以外の世界に関心を向け始めている。私とフローラでサポートしていくから」
「本当に……大丈夫でしょうか」
「ルーファス、お前がリンディの為に進路を変えることは、フローラも決して望まない。お前の学力では、今のまま王律学園の高等部に進んでも物足りない筈だ。その点、ムジリカ国の最先端である王都学園のカリキュラムなら、きっとお前も素晴らしい体験が得られると思う。首都に居るだけで、色々な刺激に触れることも出来るし……家族と離れ、寮で暮らす価値は充分にあるよ」
……どうだろう。本当にリンディと離れるだけの価値が、王都学園には、首都にはあるのだろうか。
「父上……リンディのことでお伝えしたいことがあります」
ルーファスは、昨日のリンディとの会話をそのまま父に伝えた。
聞き終えると、デュークは悲しい顔で下を向く。
「そうか……やはり学校に馴染めていなかったか。フローラも最近、リンディの様子がどことなく変わったのを心配していてね。実は今回首都へ行ったのは、晩餐会の招待を受けた為だけではなく、別の目的もあったんだ」
デュークは一冊のパンフレットを取り出し、ルーファスへ差し出す。
「どう思うか、お前も兄として意見を聞かせて欲しい」