第12話 一回目 リンディは10歳(5)
リンディは薬指を太陽にかざし、その石の美しさにポーッと見惚れている。
ルーファスは慌てて指輪を引き抜こうとするが、強い魔力に押しやられ、砂浜に尻もちをついた。
「ああ~嵌めちまったか。どうすんだ?もう作った職人はこの世に居ないんだぞ」
軽い調子で言う老人。
「……お前がこんな物見せたからだ!」
「まさかいきなり嵌めるとは思わないだろう。訳が分からないって忠告してやったのに。文句ならその嬢ちゃんにいいな。で……ほら」
老人は手の平をルーファスに向け、くいっと動かす。
「代金を寄越せ。売り物にならなくなったんだから」
「ふざけるな!!」
護衛兵らが一斉に現れ、老人を取り囲む。向けられた剣に、老人はおどけながら両手を上げた。
「おいおい! 俺は何もしてないぜ」
「……こいつを捕えろ」
ルーファスの命で、兵が老人にじりじりと迫る。
「おじいさん!!」
リンディは兵の間をくぐり、老人の前に滑り込む。皺だらけの大きな手を掴み、ぶんぶん振りながら言った。
「ありがとう!私欲しかったの!こんな指輪!」
咄嗟のことに、兵は突き付けた剣をそのままに立ち尽くす。
「いや……」
老人もまた、呆気に取られている。
「これ、結婚式で交換する指輪でしょう?あの砂が入っていてすごく綺麗!私、大事にするわ」
「あ、ああ……気に入ったなら良かった」
「お礼にこれあげる!」
リンディはポシェットから、出店で買った小さな紙袋を取り出し、老人の手に置く。
「何だ?」
袋の中を見た老人は、一瞬真顔になった後、ふっと優しい笑みを浮かべた。
「俺はこんな物より金がいいんだが……まあどのみち売れなかったし、魔力が強過ぎて処分も手間だしな。これで手を打ってやろう」
「ありがとう! 甘くて美味しいから、おやつに食べてね」
老人はリンディの金髪に、ぽんと手を乗せる。
「大きくなったら、好きな男に片方の指輪を渡せ。お前は指輪に愛されて、幸せになれるかもしれないぞ」
「うん!」
二人のやり取りをぽかんと見ていたルーファスは、はっと我に返り、リンディを守る様に老人の前に立つ。
老人は面倒臭そうにルーファスを見ると、手でしっしっと追い払う。
「俺はこれから遅い昼飯を取るんだ。邪魔だからどっか行け」
そう言いながらバナナを取り出し、皮を剥いてぱくりと食べ始めた。
「……もしリンディの身に何かあったら、探し出して牢に入れてやるからな」
「好きにしろ。だが大人になってから来い。子供は煩くて嫌いだ」
とりつく島もないと感じたルーファスは、最後に老人をひと睨みすると、リンディの手を引き背を向ける。
「……行こう、リンディ」
「おじいさんありがとう!またね!」
老人はこちらを見ずに、ひらひらと手を振った。
バナナを飲み込み皮をぽいと投げ捨てると、老人はリンディに渡された袋を開けた。
手を突っ込み、中からごそっと取り出したのは、色とりどりの金平糖。
手の平一杯のそれを口に頬張ると、老人は思いきり顔をしかめる。
「甘いな……相変わらず甘過ぎる」
かつては膝掛けだった背中の布に触れながら、老人は遠い思い出に哀しく笑った。
あれから大通りに戻った二人だが、もうリンディは出店には目もくれず、薬指ばかり見ている。
転ばぬよう、人にぶつからぬよう、ルーファスが巧みに手を引き誘導する。
ルーファスは気が重かった。こんな怪しげな指輪をリンディが嵌めたと父に知れたら、自分は責任を問われるだろう。
説明書を読んで分かったのは、まず、男女が交換する指輪であること。そして、相手を想い、石に何かをすれば、それぞれ一度だけ時を戻せるということだ。
時を戻す……どれくらい?どんな風に?
願った方にしか記憶が残らないということは?
具体的には何も記載されていなかった。
確かなのは、あの砂時計とは桁違いの何かであること。
……なにせ一度嵌めたら外せない程の、強大な魔力を秘めているのだから。
リンディは突如ピタリと足を止めると、笑顔で言った。
「ねえ、お兄様。もう一つの指輪、お兄様にあげる」
「え?」
「おじいさんが、好きな男に渡せって言ってたもの。きっと大人になっても、私が一番好きな男の人はお兄様のままだと思うわ」
「リンディ……」
可愛い言葉に、ルーファスの顔が緩む。だが……
「僕は受け取れないよ、リンディ。僕も君が好きだけど……結婚は出来ないんだ。僕達は兄妹だから」
「そっかあ。困ったな……お兄様より好きな人なんて居ないのに」
一段と緩むルーファスの顔。
……まあ、兄の特権だなと、満足気に頷く。
「次に好きなのはお父様だけど、もうお母様と結婚しているし」
「そうだね」
「その次に好きなのは……」
どうせ庭師のサム爺だろ?
だがリンディの口から出た名前は、緩んだままのルーファスの顔を一気に凍り付かせた。
「タクト!そうだわ、タクトにあげよう」
…………タクト?
今にもタクトの家に走って行こうとするリンディを引っ張り、ルーファスは問い詰める。
「……何で、何でタクトなんだ?」
「だって好きだもの」
「……何で、あいつのどこが好きなんだ?」
「うーん……好きだから、好き!」
妹が、家族や屋敷の者以外の男を好きだと言ったのは初めてだ。
ルーファスの中で何かがガラガラと崩れる。
小さなリンディも、いつかは自分より好きな男が出来て、この手を離れていく。
分かっている、分かっているけど……
その現実を突き付けられ、崩れた何かの破片がルーファスの胸を刺した。
「……リンディ、そんな得体の知れない指輪を、他人にあげたら駄目だ」
ルーファスは昏い声でぼそっと呟くと、小箱から片方の指輪を取り出し、自分の薬指に嵌めた。
「お兄様?」
一瞬、眩しい光がカッと二人の指を包んだが、特に大きな変化は…………ある。
ルーファスは指輪に顔を近付け、目を凝らした。
────石の砂が減っている。
リンディの指輪に比べ、自分のはその五分の一程度しか砂が入っていない。指に嵌めるまでは、確かに石の上の方まで入っていた筈なのに……
壊れて砂が漏れたのだろうか?
角度を変えて色々な方向から見るが、特に亀裂や穴などは見られない。
『石の砂は相手を表す』
相手ということは……この砂はリンディを表している? リンディの何を……
「……さま、いいの?」
話し掛けられていることに気付き、慌ててリンディを見る。
「結婚出来ないのに、着けちゃっていいの?」
……その通りだ。何故着けてしまったのだろう。
ただ何となく、他の誰かがこれを着けるのが嫌で。
自分がこんな風に冷静さを欠くなんて……これも魔力のせいなのだろうか。
ルーファスは、指輪をじっと見つめた後、安心させる様に言った。
「大丈夫、これは玩具だからね。ちょっと不思議な」
「リンディ!」
甲高い声と共に、向こうからタクトがとことこ走って来る。ふくふくの手には出店の食べ物が沢山握られていて、クリームの付いた頬っぺたは何とも幸せそうだ。
「タクト!」
リンディも笑顔で駆け寄る。
「業者のおじいさんには会えた?」
「うん! 砂時計はもう無かったんだけど、代わりにこれをもらったの!」
左手の薬指を、タクトの前にずいっと突き出す。
「指輪! 綺麗でしょ?」
タクトは細い目を一層細める。
「……指輪?」
「うん!」
「どこにあるの?」




