第10話 一回目 リンディは10歳(3)
リンディは大きな瞳をさらに大きく見開くと、興奮しその場でくるくると回った。
「すごい!すごいっ!ねえ、もう一度出来る?」
「ううん。三回使って、もう砂が無くなっちゃったから出来ない。君が一回、僕が二回使ったから」
「あなたは何に使ったの?」
よくぞ聞いてくれましたとばかりに、少年は得意気に鼻の下をこする。
「ドーナツを食べ終わった後のお皿を、時計の上に置いたんだ。そしたら……」
期待に満ちた目で、少年にぐいっと迫るリンディ。
「またドーナツが出てきたんだ!」
丸い頬っぺたをふくふくの手で押さえる少年。
「すごい!じゃあケーキも!?ケーキもまた出て来る?食べちゃっても、もう一回食べられるのね?」
リンディは今にも涎を垂らしそうだ。
「もちろん!えっと……どこかに説明書が」
少年はごそごそと机を探り、「あったあった」と言いながら一枚の紙を開き読み上げる。
「砂が落ちた後に最初に時計に触れた物、及びその物に……ふ?つ?」
「付属」
ムスっとした顔で助け舟を出すルーファス。
「……付属するものを、10分前の状態に戻す。つまり、触れた物にくっついている物も戻るのさ。君の服も、お皿のドーナツも」
「ねえ!この砂時計もお店に売ってる!?」
「これはまだ売らないよ。卸売業者からもらったヤツだから。まだ試作段階なんだって」
「じゃあ、その人に会えばもらえる!?」
「どうかなあ」
「その人、どこに居る?いつ来る?」
じりじり迫るリンディに、少年は茹でダコの様に赤くなりながら答える。
「店のオープンに向けて沢山仕入れちゃったから、しばらく来ないと思うよ」
「そうなの……」
しゅんとするリンディを少年から引き剥がし、ルーファスは青い瞳を覗きながら静かに言った。
「リンディ、こんな時計使わなくても、家にはおやつが沢山あるだろう?」
我が家は公爵家なのだ。
ケーキだって画材だって洋服だって。リンディが望むなら、父は有り余る財産で何だって用意するだろう。
「でも私、魔法のケーキが食べたい!10分前と同じ味がするか、確かめたいの」
まあ、確かに……少し興味はある。
いやいや!
首を振るルーファス。
「……あっ!」
何かを思い出し、ぽんと手を叩く少年。
「そういえば豊漁祭の時にまた来るかもって言ってた!」
「祭?」
「うん、豊漁祭。今月末にあるでしょ?この大通りで」
「そうなの!?」
ルーファスはしまったとばかりに顔を手で押さえる。
此処、クリステン公爵領では、毎年この時期に大通りで盛大な豊漁祭が行われている。
出店がズラリと並び、手品師や踊り子による催し物など、それはそれは賑やかだ。
興奮し暴走しそうなリンディを恐れ、毎年その日は何処か他の場所へ連れ出すか、屋敷に籠らせていたのだ。
「行く!お祭り行く!その人にも会いたい!」
「時間は分からないけど……来るとしたら大体午後かな。早めに来て、家で待っててもいいよ」
「うん!」
にこにこ笑い合う二人に、ルーファスは思う。
……本当に面白くない。
「リンディ、まだお父様に許可をもらってないだろ?君は“公爵令嬢”なんだから。勝手に決めちゃ駄目だ」
「公爵……令嬢?」
みるみるひきつる少年の顔に、ふっと溜飲が下がる。
「そっかあ。じゃあ、お兄様も一緒にお祭り来てくれる?そしたらいいよって言ってくれるかな?」
「……どうだろう。君はすぐ僕の手を離してしまうから」
「離さない!絶対に離さないから!ねっ?」
ぎゅっと自分の両手を掴み、上目遣いで首を傾げるリンディは、破壊力抜群だ。本人は全くもって自覚がないが。
今年10歳になったリンディは、小さな子供から大人の入口に差し掛かっている。
その無邪気さは変わらないが、時折はっとする様な大人びた顔をすることもあり、ルーファスを驚かせていた。
彼女が絵を書く海辺にも、先程の様に異性の姿が増えてきている気がする。
……やはり兄として、彼女の傍を離れる訳にはいかない。
「ちゃんと約束を守るなら、一緒にお父様にお願いしてもいいよ」
「本当!?ありがとう!!」
嬉しさのあまり自分に飛びつくリンディ。ルーファスはふふんと少年を見やるも、彼は何か別のことに気を取られている様子だ。
「あの……僕、公爵令嬢様だとは知らなくて。失礼なことを」
「なんで?」
リンディはきょとんと少年を振り返る。
「だって……公爵様なんて、僕らにとっては王様みたいに偉い人だから。そしたら君はお姫様でしょ?」
「私はお姫様じゃないよ。リンディはリンディ!」
「リンディ……可愛い名前だね。君にピッタリだ」
「あなたはなんて言うの?」
「僕は店の名前と同じでタクト。10歳なんだ」
「私と同じ!よろしくね、タクト」
差し出された小さな手を、タクトは赤く染まったふくふくの手でしっかり握った。
ルーファスが同行すること、また、護衛の人数を増やすことを条件に、デュークから割とすんなり許可を得た豊漁祭への参加。
一番は、リンディが10歳の節目を迎えたことが理由だった。
再来年には、彼女も何処かの学校の中等部に入る。ずっと家族が傍に付いていられる訳ではないし、外で色々な刺激を受けながら、自身をコントロールする術を身に付けなければ……というフローラの意見を、心配性のデュークも受け入れたのだ。
豊漁祭当日。
張り切って午前中にタクトの家に向かうリンディだが、既に業者の姿はなかった。
「ごめんリンディ!道が混むから、午前中に来ちゃったみたいで。さっき帰ったばかりだから、まだその辺に居るかも」
……リンディ……
昨日の今日でいきなり呼び捨てなんて気に食わない。
わざわざ公爵令嬢だとアピールしてやったのに。
だが今は、そんなことを考えている暇はない。
慌てて飛び出そうとするリンディをぐんと引っ張り、ルーファスはタクトに業者の特徴を聞く。
──人の巡り合わせは奇跡の積み重ねだ。
あの日、タクトと出逢わなければ。
この日、二人で祭に来なければ。
リンディの二度目の人生はなかったのかもしれないのだから。
ガラス戸を開け、二人は通りに飛び出した。