前編
◆プロローグ
──中世ヨーロッパ風の王城内にて、18歳になった王太子の誕生日祝いとして目出度い式典が開催されていた。──
──キャロット王太子が、ピンクのドレスとリボンで着飾り高価な宝石をじゃらじゃらと飾りたてた義妹のチェリーを伴い、アプリコットに近づくと指差して、開口一番に宣言した。
「アプリコット・キューカンバー侯爵令嬢! 貴様との婚約は今夜限りで永久に破棄する!」
キャロット王太子は得意そうに、側にエスコートしていた義妹のチェリーの腰を抱いて、立ち尽くすアプリコットを見下した態度で高らかに宣言した。
「お義姉様。何か言いたいことがあるのならお聞きしますわよ?」
義妹のチェリーもキャロット王太子に科を作り胸を押し付けて勝利者のような態度でアプリコットを見下した。
「……」
「ふん。例え何か訴えても、貴様が義妹のチェリーを、殴る蹴る、食事を抜いたり毒を盛ったりなど、虐げてきたと言う報告は、使用人の証人から聞いて明らかだ!
それと、義母である侯爵夫人の持ち物を盗んだと言う証言も証拠もある! 言い逃れはできんぞ!
よって貴様との婚約は未来永劫、金輪際あり得ん! 辛気臭い黒づくめの貴様の相手を今後しなくて済むと思うとせいせいするわ!
そして俺様は新たに、愛するチェリーと婚約する!」
虐げられ続けていたアプリコットであったが、とうとう16歳のデビュタントに、本来なら婚姻するはずだったのが、婚約破棄が告げられ、義妹を新たな婚約者にすると告げられた──
◆パンプキン王国とキューカンバー侯爵家の事情
アプリコットの母であるジンジャー皇女が、隣国のベルペッパー帝国から嫁いでくる少し前。
パンプキン王国と隣接するベルペッパー帝国は長きに渡る大小の戦争を続けていたが、パンプキン王国内が少しづつ飢饉に襲われ荒れ果てた王国内の事情により戦争の締結と和平条約を組むことになった。
その後、帝国からの支援がなければ王国はとっくに滅びていたかもしれない時期だった。
但し和平の条件の1つとして、パーシモン・ガーリック皇帝の末娘であるジンジャー・ガーリックが年頃になったことを機に、王家と婚姻を結ぶことが条件として加えられた。
しかし国王陛下も、ラディッシュ王太子も既に結婚していた上、長き戦争と荒れた国内に入り込んだ魔獣討伐で王家の男子はことごとく命を落としたため、王家の男子は王太子一人しかいなかった。
それならば側妃にすればいいのではという話があがったが、側妃や第2妃として嫁がされるのを皇帝であった祖父が大反対したため、急遽、王家の遠戚であるキューカンバー侯爵が婚約者を探している段階だったため、ジンジャー皇女と婚姻することになった。
そこでようやく長きに渡る戦争の締結と和平が相成り、逆に帝国は王国に支援すると言う恩恵迄与えた。
しかし侯爵家に嫁いだジンジャー皇女が、一人娘で候爵令嬢となるアプリコットを産むと、産後の肥立ちが悪かったらしくすぐに儚くなった。
侯爵はそれなりにしばらくは残されたアプリコットを彼なりに育てていたが、仕事や領地経営との両立が難しくなり、やがて後妻にベリー・オニオン子爵令嬢を迎えて侯爵邸とアプリコットのことを委ねることにした。
しかしやがて後妻のベリー子爵令嬢が侯爵邸に迎え入れられてから数か月してアプリコットの義妹であるチェリーが生まれたために、アプリコットは乳母の手に委ねられ、侯爵邸の片隅の部屋を与えられ、次第に義母だけでなく、使用人たちからも蔑ろにされていった……
◆侯爵家と義母義妹と彼女の日常
義母のベリー・オニオン子爵令嬢と父親であるプラム・キューカンバー侯爵が再婚してから、ベリー侯爵夫人はアプリコットに、
「お前の母親は、お前を産んだせいで産後の肥立ちが悪くてしんだ。お前のせいだ。お前の父親であるプラム・キューカンバー侯爵様はそう言っていたわよ? だから職場からも領地からも侯爵閣下は本邸にちっとも帰ってきてくれないのだ。お前に会うのが疎ましいからだ!」と言われ続けた。
実際に、父親から嫌われているから、だから冷たい態度を取られているのだ、だから父は最近一度も家に帰ってこないのだと思い込んだのも事実であったから。
本来、亡母のジンジャー皇女は、隣国の帝国との和平条件の1つで王家に嫁ぐはずだったのが、当時の国王陛下も、ラディッシュ王太子も既に結婚していたため、それならば側妃にすればいいのではという話もあがった。
しかし側妃や第2妃として嫁がされるのを皇帝であった祖父が大反対したためと、王家の遠戚であるキューカンバー侯爵が婚約者を探している段階だったため、王家からのたっての頼みで、婚約候補者たちとの話はなくなり、半ば強引に母を娶らせられたのだ、とも。
これも義母であるベリー侯爵夫人から聞かされた。
しかし、アプリコットが生まれる時に、今度こそ和平継続のためにも王家に嫁がさせろ。息子が生まれたら王女と、娘なら王子と、生まれた時に最初から婚約することが決められた。
だがアプリコットは義母から、
「婚約を破棄などしたら、祖父と同じくらい年上だが金回りの良い貴族で、お前のような醜女でも若ければいいと言う貴族の後妻に嫁がせるからね。」邪悪な笑顔で常日頃から脅された。
また母亡きあと、候爵の婚約候補の一人だった義母は、少しでも気に入らないことがあると……否、理由もなくムチを奮った。
また、わざと自分の子飼いの侍女や家政婦長に自分の持ち物をアプリコットの部屋に置かせ
「この盗人が! お前は見た目も卑しそうだが、心根まで卑しいのね?」となじられて、事情を知らない使用人たちにまで聞こえるように叱りつけ、嫌われ、疎まれていった。
さらに、自分の部屋もドレスも装飾品も、王太子からお義理の様に贈られるドレスも宝飾品も奪っていく義妹チェリー。
唯一、忌み日や葬儀時などにしか着られない灰色か茶色か黒いドレスだけは奪われなかった。
だから王城に王子妃教育に行くときには灰色か茶色か黒のドレスだけだった。汚れも目立たないし、アレンジして使いまわしても気付かれにくかったから。
しかし、ますます使用人たちからも馬鹿にされ蔑まれ、食事を抜かれたり虫やゴミや軽度でも毒にもなる雑草など食事に混ぜ入れられ、嫌がらせされた。
父親がいた頃に、義母と義妹たちとの仲をそれなりに気遣った父親から住むように言われた離邸からすら底意地の悪い使用人たちや義母から追いやられ、とうとう離邸にも住めなくなったアプリコットは、侯爵領の誰も寄り付かない森の中に建っていた粗末な小屋で、一人で食事をし、洗濯をし、掃除をして暮らすことになった。
また、領民たちからは、義母と義妹が行っている贅沢や散財による重税を、アプリコットのせいだと使用人たちや義母たちから言われたために領民たちから
「過酷な徴税をやめろ!」となじられるが、アプリコットは理由もわからず憎まれ、村や町へ食料や薬を買いに出る度に、石を投げつけられ、棒で叩かれ、犬をけしかけられ、結局何も売ってもらえなかった。
仕方ないので、森で出会った動物たちや、生まれた時から彼女の周囲にまとわりついていた妖精たちが集めてくれた木の実や自然の野菜や果物やイノシシやシカやウサギの肉を料理して、飢えを凌ぐしかなかった。
『アプリコット、元気出してー。』
『アプリコット、これ食べてー。とっても栄養が高くて美味しい実だよ?』
『アプリコット、もっとお話聞かせてー。』
『アプリコット、もっと一緒に遊んで遊んでー。』
「ふふっ。私にはあなたたちさえいればいいわ。いつも美味しいお肉や木の実をありがとうね、みんな。
そうね。今度は何のお話とゲームがいいかしらね?」
◆婚約と彼女の日常2
アプリコットがまだ離邸で暮らしていた5歳の時に、キューカンバー侯爵邸で久しぶりに会う父親のプラム侯爵に呼ばれて、中庭で開催されたお茶会のテーブルに座って待っていると、婚約者の顔合わせだということで、7歳のキャロット王太子が訪問してきた。
しかしキャロット王太子はしかめっ面で顔をすぐにそらして側にいた側近と従者にぼそりと言った。
「毒々しい赤い髪に、血のような紅瞳。まるで悪魔みたいだ。あれが俺様の隣に立つと思うだけで、ぞっとするね。気持ち悪い。」
しかし小さい頃から妖精が力を貸してくれていたアプリコットには、はっきりと聞こえていた。
だから顔合わせが済んで離邸に戻った彼女は、髪の色と瞳の色を、妖精に頼んで父と同じ黒髪と緑目に変えてもらった。
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アプリコットが10歳になると、登城させられて王子妃教育が始まった。
教師たちからアプリコットは、
「キャロット王太子より2歳も年下なのに、とても優秀な成績を収めていて素晴らしいご令嬢です。」と褒め讃えられているのを知ると、キャロット王太子が文句を言ってきた。
「お前が優秀過ぎると俺様が馬鹿か阿呆に見られるだろうが! だから貴様は目立たず、無能の振りをしろ!」
何しろアプリコットは、なぜか一度見たことや聞いたことは一回で直ぐに覚えられるし、経験や体験したことダンスなどの振り付けなども一度で直ぐに覚えてしまうハイスペックな能力の持ち主だったのだから。
だから、わざとキャロット王太子より一歩遅れて見えるように、無能の振りをするようになった。
しかし優秀過ぎるがゆえに全ての王子妃教育の基本だけでも既に終えているようなものだったので、実は何の問題もなかった。
だから登城する期間が一月一回になろうと、妃教育が1時間しかなかろうとも、なんの問題もなかったのだ。
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また逆に、キャロット王太子が侯爵家に訪問にくるときは、いつも義母のベリーから用事を言いつけられて、アプリコットは不在にさせられた。
だから必然的にキャロット王太子の相手は義妹のチェリーがしたので、二人が恋人同士になるのにそう時間はかからなかった。
「初めて出会った時に見た派手な色合いの髪と瞳も、よくよく見ると愛らしい色ではないか。そうか、7歳の時に顔合わせに出会っていたのは目の前にいる彼女、チェリーのほうだったのだ。やはり俺様の初恋の人はチェリーだったのだな。」
実際、アプリコットが5歳の顔合わせの時に、義母が企んだのか、義妹……といってもアプリコットと数か月しか年齢が変わらないので同じ年齢の義妹のチェリーも、確かに同席していたのだから。
しかし、当時のチェリーは通常の5歳児並みにそわそわと落ち着きがなく、王子のことなど全く興味がなく、お茶会の席に座り続けることが我慢できなくなり、王太子が訪問した時には庭の花や虫を観察するので椅子から離れていたのだが。
だがキャロット王太子は、ただ忘れてしまっていただけなのだ。赤髪と紅瞳のアプリコットの美しさと可憐さに。一目惚れの初恋だったはずなのに、恥ずかしすぎて目を反らし、心にもないことを言ってしまったのだと。
しかし幼少時であったがためと、成長するにつれ、そのことをすっかり忘れ去り、キューカンバー侯爵家を訪ねても、いつも婚約者本人は義母と義妹の策略で居留守か、自分に会いたくないのかと思い込まされたのが誤算の一つ。
またアプリコットの赤髪紅瞳と義妹の桃髪桃目を見間違えたのだと思い込んだのが誤算の二つ目だったことに。
しかもアプリコットに似合うだろうと贈ったドレスや宝飾品を、チェリーが身に着けているのを見て愕然とし、身に着けるのも嫌がるくらい嫌われているのかとキャロット王太子は意気消沈した。
「お義姉様が気に入らないと言って捨てようとしていたから、あたしがもらい受けましたの。……もしかしてあたしには似合っていないでしょうか、キャロ?」
チェリーは計算づくで、あざとく目をうるうると潤ませてキャロット王太子を礼儀知らずにも愛称で呼び捨てにし、懇願して媚びへつらった。
(愛称で呼んでいいとは許可していないのだがな……はぁ……でもなんて可愛いんだ、参ったな。)
「うん。君にとてもよく似合っているよ、チェリー嬢。
……そうか、俺様の贈り物は婚約者殿は気に食わないと言うのだな。だったら、最初から君に似合うように、君が身に着ける前提で今度から贈り物を選ぶことにするよ。」
チェリーはそれを聞き表面上は満身の笑顔で、しかし内心はしてやったりとほくそ笑んだ。