あぁ、麗しのガブリエーヌ〜愛に生き、愛に殉じた我らの天使〜
「え?ガブリエーヌが死んだ?」
元婚約者ガブリエーヌ・ニクズキーの突然の訃報を聞き、ジーコ・チューリップ王太子は、筆を止めた。
「はい。昨晩、身罷られました」
「何故?殺しても死なないような女だっただろう?」
「卒業式の次の日より寝込まれ、それからは、起きることもままならず・・・。亡くなられた時、体重は、半分にも満たなかったそうです」
「半分でも、平均的令嬢の倍はあったぞ!」
「殿下、神に召された方に、そのような冒涜は許されません」
執事に窘められても、ジーコは、憎々しげに顔を歪め、鼻息を荒くする。
なにせ、生前のガブリエーヌは、兎に角、よく食べ、良く人を罵倒し、何事にも意地の悪さを見せつける女性だった。
公爵令嬢と言う立場を最大限利用し、他の婚約者候補をあの手この手で引きずり下ろし、まんまとジーコの婚約者に成り上がった強者。
今更、心労で死ぬなどと、誰が納得いくと言うのだ。
「殿下」
「何だ!」
「ニクズキー公爵令嬢の残された日記により、あの方が今まで行ってこられた『虐め』と称される出来事の真実が明らかになりました」
「はぁ?」
「あれは、全て、殿下の為だったのでございます」
ハンカチを目頭に当て、執事は、声を震わせた。
「ニ、ニ、ニクズキー公爵令嬢は、殿下のお心がご自身に向かないと察して、あえて、憎まれ役を買い、殿下に相応しいご令嬢を探しておられたのです」
「そんな馬鹿な」
「陛下が再調査された結果、殿下が『虐められた』と思われていたご令嬢の皆様は、確かに言葉汚く罵られは致しましたが、皆、言われても仕方のない無作法をしていたのです」
ある者は、爵位の上の者に対し、許しもなく話しかけ、
ある者は、ガチャガチャと音を立てて食事をしていた。
些細な事だが、王妃になるには、資質不足。
ガブリエーヌは、特に殿下好みの容姿を持つ娘を、厳しい目で見定めてきたのだ。
「そんな事、誰も頼んでいない!」
折角、見目の良い令嬢を見つけても、先にガブリエーヌが蹴散らす為、声を掛ける事すらできなかった。
卒業式の日、今までの積み重なった悪行を理由に、やっと婚約破棄出来たのだ。
これから、心置きなく、自分好みの女を漁れると心躍らせていた。
「ニクズキー公爵令嬢の気高き思いは、今、巷に美談として語られております」
「昨晩死んだのに、早すぎだろ!」
「殿下がお呼びになられた令嬢の方々からも、ニクズキー公爵令嬢には敵わないと、お断りのお手紙がゾクゾクと届いております」
「いや、だから、死んだの昨日だよな?」
「陛下が、ジーコ殿下には、元婚約者の死を悼む為に、三年喪に服するようにと・・・」
「何が、どうなっているんだ」
ジーコは、手に持っていた羽ペンをバキリと折った。
こうなっては、ガブリエーヌの呪いにしか思えなかった。
「ガブリエーヌ様、貴女様のお陰で、皆、愛する方の元へ、嫁ぐ事が出来ました」
ガブリエーヌ・ニクズキー公爵令嬢の墓には、色とりどりの花が手向けられている。
彼女の美談に心打たれた乙女達が、捧げていった物だ。
しかし、今日訪れた三人の女性が手にするのは、貴族でなければ手に入らない豪華な花。
彼女達こそ、ジーコに目を付けられていた令嬢達だった。
皆、儚げで、清楚。
体付きも細く、気も弱い。
王太子であるジーコに命令されれば、家の為と諦めて、側室入りも辞さないつもりでいた。
ある日、ガブリエーヌに怒鳴りつけられるまでは。
最初は、怖くて、怖くて、身を縮める事しか出来なかった。
だが、時折見せる、ガブリエーヌの優しい眼差しに、疑問を持ち始める。
普段、学園内ですれ違っても、何も言ってこないガブリエーヌが、声を荒立てて怒鳴るのは、ジーコが側にいる時だけ。
三人三様、怒られる内容は違うものの、全てが礼儀作法にまつわるもので、言い方さえ優しければ、ただの親切心と取れぬ事もない。
それまで、あまり交友の無かった三人は、密かに、連絡を取り合う様になった。
そして、確信する。
ガブリエーヌは、自分達を守ってくれているのだと。
ジーコは、見た目は申し分ない王子様だが、内面に問題を抱えていた。
幼い頃から、虫を集めては水責めにしたり、犬を猛獣の檻に放り込んでみたり。
嗜虐趣味が隠しきれず、護衛につく騎士達は、半分、見張り役のようなものだった。
動物のみならず、人にも向ける怪しい光を宿した視線は、娘を持つ親達からすれば、恐怖でしかない。
だからこそ、ガブリエーヌの傍若無人ぶりが、ジーコの抑制力に繋がっていることに、皆、気付いたのだ。
彼女の気持ちを、無にしてはならない。
親娘一丸となり、ガブリエーヌを隠れ蓑に、密かに幼馴染や優秀な青年と婚約を結び、卒業と共に結婚を果たした。
なのに、まさか、3ヶ月後に、命の恩人の訃報を聞くことになるとは。
「ガブリエーヌ様、私共、貴女様への感謝の気持ち、いつまでも忘れません。どうか、安らかに」
涙を止めることが出来ず、彼女達は、支え合う様にして、その場を去った。
静寂を取り戻した墓場には、ただ、風が虚しく吹き過ぎていった。
都で今流行りの歌劇『あぁ、麗しのガブリエーヌ〜愛に生き、愛に殉じた我らの天使〜』は、多くの貴族から多額の寄付が寄せられ、連日上映をされた。
平民達は、無料と言うこともあり、ゾクゾクと劇場に足を運び、噂を広めていく。
見せ場は、自分を思いやってくれたガブリエーヌを偲び、ジーコが、自ら弟に王太子を譲る場面である。
我が最愛は、ガブリエーヌのみ
他の女を娶るなど、出来ようか!
この名台詞で、ジーコ殿下の名声は鰻登り。
実際に、彼が、王籍を抜け、国境警備の最前線に身を投じた事で、物語に真実味が出た。
「盛況で、なによりですわ」
「それもこれも、ガブリ・・・いえ、オチョボンヌ様のお陰でございます」
興行主、ボタックの前で、嫣然と微笑むのは、絶世の美女。
「あちらの名前は、捨てましたの」
オチョボンヌと呼ばれた女は、人差し指を唇に当て、口角をほんのり上に上げた。
「私の脚本、なかなかのものね。自画自賛しても良いくらいには」
「それは、もう!」
手をハエのように擦り合わせ、ボタックは、頭をペコペコ下げた。
彼女との付き合いは、五年になる。
最初は、匿名で原稿が送られて来た。
それは、貴族の内情を面白おかしく描いた喜劇。
あまりの面白さに、ボタックは、そのままの内容で、上演を決めた。
一年後、送られてきたのは、これまた貴族を題材にした、愛憎劇。
ちょうど、ある男爵家で、年老いた当主と若きメイドの『真実の愛』騒ぎがあった頃だ。
夫を憎みながらも、離婚は頑なに拒否し、メイドを陥れようとする正妻。
メイドを深く愛しながらも、老いを前に、無理心中を計ろうとする当主。
父を早くに亡くし、父性を当主に求めるメイド。
時間を忘れて読み進め、最後のオチの部分が、抜けていた。
『続きを読みたければ、こちらに御入金を』
指摘されたのは、冒険者ギルドが運営する銀行の口座ナンバー。
匿名性が高く、何処の誰なのか探る手立ては無い。
ボタックは、半信半疑ながら、言い値を振り込んだ。
次の日に、残りの原稿が届き、ボタックが行った興行でも1番の収益を上げる芝居が出来上がった。
そして、次の年、まだか、まだかと首を長くして待っていると、やはり、新たな原稿が届いた。
そこには、極悪非道な悪役令嬢が、実は、心根の優しい女性で、王子の為に憎まれ役を買って出る悲恋が描かれていた。
確かに、女性受けしそうな内容。
しかし、男性のボタックにとっては、何処にでもありそうな物語で、どうも食指が動かない。
少し、裏切られた気分で原稿を閉じたボタックの目に、裏表紙に描かれた姿絵が目に入った。
それは、悪役令嬢のデザイン画。
『演じるのは私。この着ぐるみを作ってくだされば、貴方を億万長者にして差し上げます。1週間後、お伺いします』
ゴクリ
唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。
想像を絶する肉ダルマ。
目も、鼻も、口も、肉に埋もれて、人相すら定かでない。
ボタックの頭の中に、ありありと、暴言を吐き、愛を求め、暴れ狂う彼女が見えた。
ニヤリ
下品な笑みを浮かべ、ボタックは、小道具係りを呼びつけた。
早々に、悪役令嬢の試作品に取り掛かる。
更に一週間後。
ボタックの元に現れたのは、まだ、十三歳のそれはそれは美しい少女だった。
デビュタント前とは思えぬ聡明さと落ち着き。
子供と分かっていても、胸を騒つかせる色香があった。
どんな手を使ったのかは分からないが、彼女の頭の中には、今の社交会の内幕が、隅から隅まで入っている。
『そのような情報を、どこから?』
『企業秘密ですわ。ふふふふふ』
微笑む少女に、ボタックは、完全に心酔していた。
「歴代の悪役令嬢着ぐるみは、お約束通り、お譲りいただけるのでしょうか?」
ボタックは、着ぐるみを脱ぎ、元の美しい姿に戻ったガブリエーヌ、もとい、オチョボンヌに媚びた笑いを向ける。
「えぇ、元は、貴方が作ってくださった物ですもの。有効活用して下されば嬉しいですわ」
「ありがたき幸せ」
深々と頭を下げるボタックの前に、オチョボンヌは、一冊の台本を置いた。
それは、『悪役令嬢ガブリエーヌの真実』と書かれた演目だった。
醜悪な着ぐるみを纏い、まんまと鬼畜王子を騙した希代のペテン師令嬢ガブリエーヌの物語。
「これも、上演して宜しいのでしょうか?」
「えぇ・・・でも、あくまで、二次作品としてね」
悲劇の悪役令嬢を憐れんで、せめて物語の中だけでも、彼女を主役に。
そんな一人の作家が作った創作の物語として、語り継がれるだろう。
真実が、嘘に変わった瞬間に、ボタックは、ゾクゾクと震えた。
「あぁ、そうだ、忘れる所でした」
ボタックは、ポンと手を打ち、顔を上げる。
「ずっと気になっていたのですが、何故、ジーコ殿下は、辺境領へ行かれたのですか?」
彼には、ガブリエーヌを愛していなかったジーコが、わざわざ表舞台から降りた理由が分からなかった。
確かに、真実を知る者には、最大の謎。
不思議そうな顔の男を前に、目を糸の様に細めた女は、囁いた。
「自分から行ったなんて、誰が言ったのかしら?ふふふふ」
そう、これは、あくまで物語。
王家の厄介者、ジーコの行く末を握るのは、ジーコ自身でない事だけは、確かだった。
完