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8.

 ◇◆◇◆◇


 午前中にモーリス先生のダンスレッスンを受けたわたしは、軽食をとった後に着替えを済ませ、逸る気持ちを抑え…きれず、はしたなくも駆けるようにアセル様の待つエントランスへと向かいました。


「アセル様! お待たせいたしました!」

「ツェリ。そんなに慌てずとも、置いて行ったりしないぞ」


 まるで子供のように燥ぐわたしを、アセル様は楽しそうに見詰めます。今更ながらに自分の行動が恥ずかしくなったわたしは、熱くなった頬を押さえて謝りました。


「申し訳ございません。ですがアセル様と一緒にお出掛けできると思うと心が弾んでしまって…。こんなお転婆では貴方様のお嫁さんにはなれないでしょうか?」

「いいや。ツェリがお転婆なのは今に始まったわけじゃないからな」

「まあ!」


 確かにわたしは幼い頃けっこうお転婆だったとお父様から聞いてはいますが、それをアセル様に言われるとは思いませんでした。

 アセル様とお会いしてから一月が経ちますが、未だにわたしは十年以上前に会っているという記憶を思い出してはいません。だから懐かしそうな目で見られるとどうしていいかわからなくなり、心苦しい気持ちになります。

 正直に思い出していない事実をお話しした時は、アセル様はほんの少しだけ寂しそうな顔をなさいましたが、焦らずにゆっくりと思い出してくれればいいと、おおらかに仰ってくださいました。

 少しでも早く思い出せるようにヒントをくださいとお願いしましたところ、春になっても思い出さなかったらとある場所(・・・・・)に連れて行ってくれるそうです。

 とにかく今は再来月のパーティーに向けて、ワルツを完璧に踊れるよう頑張るのみです。

 そんな勉強と特訓漬けの日々の中、息抜きも必要だと言って時折アセル様は視察と称して領内を案内してくださいます。

 辺境伯家の妻となるための勉強の一環だとアセル様は説明されましたが、その後でこっそりとポールさんが、「これでもデートのお誘いのつもりなんですよ」と教えてくれました。

 そのようなこともあり、わたしたちは最少人数の護衛、トールギス様とビビさんと共にお邸で一番質素な馬車に乗り、視察へと出かけました。


「その恰好も可愛いな。やはりツェリはどんな服装でも似合う」

「あ、ありがとうございますっ」


 並んで座席についたわたしをじっと見ていたアセル様は、唐突にそんなことを言い出しました。

 アセル様が褒めてくださったわたしの今の格好は、やや質素なブラウンのワンピースの上に厚手のコートを羽織り、足元はハーフ丈の編み込みの革ブーツ、髪は高い位置に一つにまとめ、フリルの付いた赤いリボンで結んであります。

 だいぶ寒くなってきたので、風邪をひかないようにとライナに厚着をさせられました。

 慣れない服装になんとなく落ち着きませんでしたが、馬車に乗る前にビビさんが笑顔で良く似合ってると言ってくれたので、わたしはちょっとだけ安心しました。


「アセル様、今日はどちらへ向かわれるのですか?」


 行き先を聞いていなかったのでアセル様に訊ねてみると、彼は神妙な面持ちで教えてくれました。


「もうすぐ冬本番となるソーンネルフの領民の冬支度を、領主の妻となるツェリのその目で直に見てほしいんだ。地域や気候によって越冬のために用意する物や準備は些か異なるだろう。セネガルに比べるとここは標高が高いこともあって、寒さが厳しい上に冬の時期が長い。雪が深くなれば外に出られなくなるため、それぞれの家は人数分の食糧や薪を蓄えておかねばならないのだ」

「大変なのですね…」

「ああ。だが、大変だからこそ皆が力を合わせる。幼い子供から力のない年寄りまで。我がソーンネルフ領の一番の自慢は”結束力”だと胸を張って言えるぞ」


 そう告げたアセル様の顔は誇りに充ち溢れ、あまりの眩しさにわたしは目を細めました。

 そんなお話を聞きながらいくつかの町を見て回り、最後に到着したのは山にほど近い場所にあるこじんまりとした集落で、小さな家がぽつぽつと点在しています。


「あ! りょうしゅさまだ!」

「ホントだ! わーい、りょうしゅさまー!」


 村の入り口に停めた馬車から降りた途端、通りで遊んでいた幼い子供たちがアセル様に気が付き、満面の笑顔で駆け寄ってきました。一人は五,六歳くらいの男の子。もう一人はおさげ髪が可愛い三,四歳と思われる女の子です。


「おう、トム。ボーニャも、元気そうだな」

「「うん!」」


 躊躇することなく脚に抱きついてきた二人の頭をアセル様はワシワシと撫で、しゃがみこんで子供たちと目線を合わせました。


「最近はどうだ? ちゃんと父ちゃんや母ちゃんの手伝いをしているか?」

「ちゃんとしてるよ! きょうもさっきまでくんせい(・・・・)のてつだいをしてたんだから! あ! あのね、オレんち妹ができたんだぜ!」

「うちもだよ! もうすぐあたしお姉ちゃんになるの!」

「そうか!」


 身振り手振りをしながら懸命に話す子供たちの話に、アセル様は嬉しそうに頷いています。


「そうか。今日は燻製作りの日か。なら父ちゃんたちは広場にいるのか?」

「うん。たぶんもう始まってるよ。いっしょに行こう!」


 そう言ってアセル様の手を取り走り出そうとした子供たちが、漸くわたしに気が付きました。


「あれ? りょうしゅさま、その女の人は?」

「もしかしておよめさん⁈」

「およめさん⁈」

 

 興味津々にくりくりのお目目でこちらを見上げる子供たちへ、わたしは深くお辞儀をしてご挨拶しました。


「初めまして、こんにちは。ツィツェリアと申します」


 怖がらせないように笑顔をつくると、二人は一度互いの顔を見合わせ、すぐにわたしへと向き直りました。


「オレ、トム!」

「あたしボーニャ!」

「トムくんとボーニャちゃんですね。わたしも作業を見せてもらっていいですか?」

「うん! いいよ! オレがあんないしてあげる!」

「ちぇちぇりあさま! あたしもあんないする!」


 見学しても良いかと訊ねると、二人は笑顔で力いっぱい頷き、突然ぎゅっとわたしの手を握って駆け出しました。


「きゃっ」

「ツェリ!」


 驚いたようなアセル様の声がわたしを呼びましたが、二人に引っ張られるわたしは立ち止まることができず、転ばないよう懸命に足を動かすことしかできませんでした。



 *



 

 やっと手を離してもらえたのは、村の広場のような場所に着いてからでした。ケロッとしている子供たちに対し、わたしはゼェハァと淑女にあるまじき荒い呼吸を繰り返し、ものすごい速さで打つ心の臓が落ち着くのを待つばかりです。

 

「大丈夫か?」


 アセル様が心配そうにわたしを覗き込みますが、なかなか息が整わず、大丈夫だとお返事することができません。そしてそんなわたし達を、村長さんと思しき老齢の男性をはじめとした村民の方々が、おろおろと見ているのがわかりました。


「領主様、そちらのご婦人はお加減でも悪くなさったのでしょうか?」


 気遣わし気に訊ねたのは働き盛りと言った年齢の若い男性で、アセル様やトールギス様に比べれば到底敵わないものの、彼も背が高く逞しい体つきをしています。

 薄っすらと額に汗をかいている彼は、信じられないくらいに薄着で顔や手が煤で黒く汚れています。どうやらわざわざ作業の手を止めてくださったのでしょう。

 邪魔をしてしまったようで申し訳なく思っていると、そんなわたしの気持ちを読んだのか、アセル様が集まっている皆様に謝罪されました。


「忙しい所を邪魔してしまいすまない。だが彼女にどうしてもソーンネルフの冬支度の様子を見せたかったんだ」

「と言うことは、もしかしてその方は…?」

「ああ。そう遠くない未来のソーンネルフ辺境伯夫人となる」


 さあと言わんばかりに背中を押されたわたしは、大勢の注目を浴びつつワンピースの裾をちょこんと抓み、挨拶をいたしました。


「は、初めまして。ツィツェリアと申します。今日は皆様の作業を見学させてくださいませ」


 たどたどしくも自己紹介をすると、村民の皆様は一瞬ポカンと目を見開きましたが、その次にはわっと歓声が上がり、拍手が鳴り響きました。


「領主様、とうとう奥様をお迎えになられるんですな!」

「はあ、よかったよかった! このまま独身を貫くつもりかと心配しておりましたよ!」

「しかもこんな別嬪さんを捕まえるなんて、領主様も隅に置けねぇですわ」


 アセル様の肩を遠慮なくバシバシと叩き、乱暴な言葉遣いながらも口々にお祝いの言葉を掛ける皆様に、彼はやや照れ臭そうに笑みを浮かべ「ありがとう」とお礼を言いました。


「いやよ! あたしは信じないわ!」


 ですが、そんなお祝いムードに包まれた広場に、否定する高い声が響きました。わたしたちを含めた皆の視線が声のした方を振り返ると、そこには眦を吊り上げた怒りの形相の女性が、わたしを睨んでいました。


「そんな真っ白で細っこい手で何ができると言うの! ソーンネルフ家はアンタみたいな余所者が務まる家じゃないのよ!」

「これ! ドリス、口が過ぎるぞ! あいてっ!」


 慌てて近くにいた青年が彼女の口を手で押さえましたが、噛まれてしまったらしく飛び退いて手をプラプラと振っています。そんな青年にも構わず、ドリスと呼ばれた女性は、ずずいとわたしの前へと歩み寄ると、間近で見下ろしながら宣戦布告をしました。


「辺境伯爵家の嫁になるってんなら、燻製作業ぐらい手伝いな! アンタが領主様に相応しいか、あたしが見極めてやるよ!」

「えっ⁈」


 予想もしなかった展開に、わたしを含めたその場の全員が驚きの声をあげました。

 ですがびっくりしたのはほんの一瞬。すぐにこれは村民の方々に認めてもらえる好機なのではないかと考えました。

 きっと大丈夫。わたしだって四年もの間、ケヴィンやメイサをはじめとした皆にあらゆる家政を習い、メイドとして働いてきたのですもの。


「…わかりました。やります!」

「「「えええっ⁈」」」


 意気込んでそう答えると、ドリスは黒い睫に縁どられた焦げ茶色の瞳を眇め、「は! できるものならね」と鼻で笑い、自身の肩にかかる焦げ茶色の髪を無造作に手の甲で払い除けたのでした。






次も暫く間が空くかもしれません。

できるだけ早く更新できるように頑張ります。

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