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7.

 ◇◆◇◆◇


「おはようございます、ツェリ様。今日は朝からとても良いお天気ですわ」


 シャッとカーテンを開ける音と共に部屋が明るくなったのを感じ、ベッドの中でもそもそと寝返りを打ちました。

 のそりと上掛けから顔を出すと、いつも通りピシッとしたメイド姿のライナが寝室の隣のクローゼットを開けているところでした。


「うう、寒い。今朝は一段と冷えますね」

「まあ! このくらいで音を上げていると真冬は越せませんよ」


 頬に当たる空気がひんやりと冷たく、反射的に鼻先まで布団に潜り込んで零したわたしの呟きを、ドレスを選び終えてベッドに近づいてきたライナが聞いていたらしく、くすくすと笑われてしまいました。

 これ以上恥ずかしい姿を見せるわけにはいかないので、覚悟を決めてベッドから抜け出します。


(あわわ…やっぱり寒いですっ)


 きゅうっと首を竦めて体を縮こめると、ライナが厚手のガウンを着せかけてくれました。


「ありがとうございます」

「いいえ。ツェリ様はまだソーンネルフの気候に慣れておいでではございませんから、無理はなさらなくていいのですよ」


 そう言って微笑んでくれるライナの優しさが、わたしの心に温かく染み入ります。

 この地に来てから一月が経ち、季節は秋から初冬へと移り変わりました。

 ソーンネルフは険しい山々に囲まれたやや標高の高い土地なので、セネガル領よりもずっと早く冬が訪れ、先日初雪が降りました。

 ここに来てからのわたしはどうしていたのかと申しますと、自分でも驚くほどにとてものんびりしています。

 あれほどティレシアやスチュアートに蛮族の地だと脅されたというのに、ソーンネルフでの生活は心地良く、花嫁修業をしながら緩やかで穏やかな日々を過ごしているのです。

 

「ねえライナ。今日は何のお勉強でしょうか?」

「本日は、午前中はダンスの練習で、午後はご主人様と領内の視察となっておりますわ」

「まあ! アセル様とご一緒できるのですか?」


 嬉しくなって思わず大きな声を出してしまいましたが、ライナは注意することはなく、それどころか笑顔で頷きました。


「はい。もっと寒くなって雪が深くなると、なかなか外へ出歩くことができなくなりますから、ツェリ様さえよければ今のうちに一緒に出掛けられればとお考えのようです」

「はい! 是非ご一緒したいです!」

「ええ。では午後を楽しみにダンスの練習を頑張りましょう」


 くすくすと笑いながら洗面器を差し出され、用意されたぬるめのお湯で洗顔済ますと、ライナによって手際よく淡い水色のドレスに着替えさせられました。

 ドレッサーの前に誘導され、丁寧に髪を梳かしてもらいます。


「ツェリ様の御髪はサラサラとしていてとても滑らかですわ」

「そうですか? 以前は髪にあまり手を掛けられなかったので、ゴワゴワでした。きっとライナに手入れをしてもらってるからサラサラになったのです」

「いいえ。もともとの髪質が良いのですわ。ほら、この光沢の素晴らしいこと。絹糸のようではありませんか」

「あ、ありがとうございます」


 うっとりと髪を撫でられたわたしは、褒められ慣れていないこともあり、嬉しさと恥ずかしさで赤くなりながらお礼を言いました。

 そんなやり取りをしつつも仕上げにドレスと同じ色のリボンで髪をハーフアップに結ってもらい、薄くメイクを施してもらったわたしは、ライナにもう一度お礼を告げてからダイニングへと向かいました。

 わたしは毎朝アセル様と朝食をご一緒します。アセル様はお忙しいので夕食は時間が合えばということですが、朝だけは必ず一緒にと、わざわざお時間を合わせてくださっているのです。

 お気遣い無くと申し上げたのですが、決して彼は譲らず、自分が一緒に食べたいから付き合ってほしいと仰ったのです。

 セネガルの邸では、お父様が存命の間はもちろん一緒に食事していましたが、叔父様一家が来られてからは、わたしがメイドになったこともあり、皆様とテーブルを囲むことはありませんでした。

 ならば使用人のみんなと一緒に…とはならず、長年主従関係にあったわたしと同席したのではゆっくりと食事ができないようでしたから、わたしはいつも一人で食事していたのです。

 ですから誰かと話をしながら食事ができる幸せを、ここに来てからひしひしと感じています。

 ダイニングの前ではポールが待っていてくれて、わたしに気が付くと挨拶をしてくれました。


「ツェリ様、おはようございます」

「おはようございます。ちょっと遅れてしまいましたでしょうか?」

「いいえ。旦那様もたった今お席に着いたばかりでございますよ」

「そうですか。よかった」


 彼に先導されて自分の席へ向かうと、確かにアセル様はすでにお席に着いて、お茶を飲みながら書類を見ていました。


「おはようございます。アセル様」

「ああ、おはよう」


 アセル様にご挨拶すると、彼は書類から目を離し、微笑みを浮かべて返してくださいました。

 ポールが引いてくれた椅子に腰かけると、すぐに給仕が配膳してくれます。

 サラダとふんわりオムレツ、焼き立てのパンにはジャムが添えられておりとても美味しそうです。

 給仕にありがとうとお礼を告げてカトラリーを手に取り、まだ湯気がのぼるオムレツの端を切り分けて口に運びました。


「っ!」


 見た目フワフワのオムレツは中はトロトロで、トマトベースのソースととても相性が良く、とっても美味しいです。

 よほど幸せが顔に現れていたのでしょう。緩みきったわたしの表情を見たアセル様はくくくと笑うと、書類を脇に置いてご自身もカトラリーを手にしました。


「ツェリの顔を見ていると、俺も腹が減るな」

「そ、そんなにおかしな顔をしてましたか?」

「いや。とても可愛い」

「!」


 当たり前のようにさらりと言われた言葉に、思わず噎せそうになりました。

 ここに来てからというもの、こんな風に何かにつけてアセル様はわたしを可愛いと言います。とても嬉しい反面、両親以外からそんな風に言われ慣れていないので、どうにも面映ゆくて仕方がありません。

 火照った顔を隠すように下を向くと、アセル様は声をあげて笑いました。


「もう! また揶揄いましたね!」


 頬を膨らませてムッと睨みつけても彼には何の効果もないらしく、楽しそうに目を細めてわたしを見ています。


「すまない。揶揄ったつもりはないのだが。しかし可愛いと思っているのは本当だ」

「~~~っ!」


 アセル様のセリフと視線があまりにも甘すぎて、せっかくのオムレツの味がわからなくなってしまいました。

 それでもなんとか朝食を食べ終えると、わたしはまた午後にとアセル様と約束を交わし、一旦自室で着替えを済ませてから、ダンスのレッスンを受けるためにフロアへと向かいました。

 到着すると既に講師のモーリス先生がおられ、わたしは慌てて遅れたお詫びをしました。


「ごきげんよう、モーリス先生。お待たせしてしまいまして申し訳ございません」

「いいえ。ワタシも今来たところですから大して待ってはいませんわ」


 モーリス先生は背が高くがっしりとした体形の、とってもきれいな顔立ちをしたオジ…オネエサマです。

 フリル多めのドレスシャツに可愛らしくピンクのリボンタイを結び、ぴっちりとしたズボンは股下が驚くほどにスラリと長く、足元はぴっかぴかに磨かれた革靴です。

 クルンクルンのミルクティー色の髪は窓から差し込む陽の光をキラキラと反射し、青い瞳はまるで宝石のように輝いています。

 今日もきれいだなぁとつい見惚れていると、モーリス先生はにっこりと微笑み、美麗な所作で手を差し伸べてくださいました。


「ではツィツェリア様。前回までの復習を兼ねて、一曲通しで踊ってみましょう」

「はい。よろしくお願いいたします」


 きちんとドレスの裾を引いてご挨拶をしてから、わたしはモーリス先生の手を取りました。そしてわたしたちはフロアの真ん中まで進み出ると、モーリス先生の助手のロランさんが奏でるヴァイオリンの曲に合わせ、ワルツを踊り始めました。

 まだ習ったばかりのスッテプを体はしっかりと覚えているようで、難なくモーリス先生についていけてます。


「そうそう、いいですよ。背筋を伸ばして~。1、2、3、1、2、3。はい、ここでターン」


 彼のリードでくるりとターン。ドレスの裾がふわりと広がり、耳飾りがシャランと鳴りました。


「あら、下を見ちゃだめよ~。視線はずっと相手の目を見てて~」

「はい! すみませんっ」


 うっかりドレスの裾を気にしてしまい、モーリス先生に注意されてしまいました。ですがそれ以外は合格だったらしく、踊り終えると彼は満足そうににっこりとしました。


「とっても良かったですわ。この調子なら再来月のパーティ―でのデビュタントには十分間に合うでしょう」

「そうでしょうか?」


 メイドとしてセネガル家で働いていたわたしは、当然貴族家の子息令嬢が通う学園にも通っていませんでしたし、成人を示すデビュタントもしていません。

 先日そのことをアセル様に聞かれてお話ししたところ、来春の始めにオーディオン殿下の成人を祝うパーティーがあるとのことで、急遽参加することが決まってしまいました。

 お父様が生きておられるうちは家庭教師をつけてくださっていたので、ダンスを含めて令嬢に必要な教養は勉強しておりましたが、叔父様一家がいらしてからは家庭教師の方々はみんな解雇され、わたしは学ぶ術を失ってしまったのです。

 学習することから遠退いて四年。ブランクは大きく、わたしは毎日必死に練習していますが、いくら練習しても足りない気がして、なかなか自信が持てないのです。

 声に不安が現れていたのでしょう。モーリス先生は力強く頷いて「大丈夫!」と太鼓判を押してくださいました。


「ワタシはこれまでにも大勢の生徒を見てきたからわかるのです。どんなに教えてもやる気がなくてまったく上達しない人や、出来ている気になってワタシの言葉を聞き入れないなんて人もいました。まあ、ごく一部ですけどね。ツィツェリア様はもともと基礎ができている上に熱心に練習されていますもの。その成果はちゃんと出ていますわ」


 バチンとウィンクをしたモーリス先生の言葉に勇気をもらったわたしは、少しだけ自信が持てるような気がしました。






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