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4.

 ◇◆◇◆◇


 セネガルを旅立ってから五日目の夕方、わたしたちは漸く西方の辺境の地ソーンネルフに到着しました。

 オレンジ色の空の下、ビビさんの手を借りて馬車を降りるとそこは小高い丘の上で、高く積まれた石造りの塀に囲まれた、大きいながらもやや古びた邸の前でした。

 周囲の景色をぐるりと見渡すと、邸の周りには草原が広がっており、その向こうには点在した民家と手入れの行き届いた農場が整然と続き、更にずっとずっと向こうには建物の屋根が密集していて、町があるのがわかります。

 どこか懐かしさを覚えながらもセネガルとは違う景色に遠くまで来たのだと感慨に耽っていると、ザザァッと丘の下から風が草原を駆け上がり、わたしのドレスの裾を翻して空へ上ってゆきました。


「素敵な景色…。ここがソーンネルフ…」

「でしょ? ここからの眺めはサイコーなのよ。それに邸も悪くないわよ。見掛けはちょっとボロっちいけど、防衛のためにかなり頑強な作りになってるんで安心して。あと、内装はちゃんとしてるから大丈夫」

「こら、ビビ。言葉遣いが乱れてるぞ」

「はーい」


 この五日間ですっかり崩れていた言葉遣いをトールギス様に注意され、ビビさんはべっと舌を出し、わたしに向かってウィンクしました。

 いたずらな子供のような仕種に思わずくすくすと笑うと、ビビさんもにかっと笑い、トールギス様はやれやれと肩を竦めました。

 わたしたち女二人は、この数日間でとても仲良くなりました。馬車の中でお菓子やオシャレなどの話で盛り上がり、緊張と不安で凝り固まっていたわたしの心はすっかり解されてしまいました。

 久しくそんな風にお話しできる相手がいませんでしたから、それはそれはとても楽しい時間を過ごせたのです。 


「まあビビは置いておくとして。ただいま部下が馬を走らせて主に姫の到着を報せに参りましたので、まずは中へどうぞ」

「えっと、辺境伯爵様は出掛けておいでですか?」

「出掛けているというか、主は一日の内、外に出ている時間の方が長いもので」

「?」


 わたしの問いに苦笑しつつも、邸から出てきた家人にわたしの鞄を運ぶよう指示したトールギス様は、ビビさんには旅の後片付けを指示し、勝手知ったるご様子でわたしを邸の中へと案内してくれます。


「ポール! 姫をお連れしたぞ」

「おお、これはこれは! 遠路遥々ようこそおいでくださりました!」


 玄関に入ると、トールギス様は大きな声で呼びかけました。すると呼ばれた当人と思われる白髪交じりの痩躯の男性が奥から飛び出してきて、わたしを見るなり大仰に歓迎してくださいました。


「姫、彼はこの邸の執事のポールです。私は馬を厩舎に連れて行きますので、ここからは彼に案内を任せます」

「はい。ありがとうございました。ポール様、よろしくお願いします」

「様だなんて滅相もない。ポールで結構でございますよ」


 トールギス様にお礼を告げると、ご機嫌なポールさんに委ねられたわたしは、彼に案内されて広い応接室へと通されました。勧められるままに長椅子に腰を下ろすと、まるでタイミングを計ったようにメイドがワゴンを押して現れました。


「長旅でお疲れでしょうが、主人が戻られるまでもう少々お待ちくださいませ。その間によろしければ我がソーンネルフ自慢のお茶をご賞味いただければ幸いでございます」

「あ、…はい。ごちそうになります」


 頷くとすぐにメイドがお茶を淹れてくれました。


「おいしい」


 渋みが少なくどこかフルーティーな香りが残るさっぱりとしたお茶です。今まで味わったことのないお茶に感動していると、ポールさんは満足そうに微笑みながら、こちらもどうぞとお菓子も勧めてくれました。

 厚意に甘えてお菓子を一つ抓んで口元に運ぶと、さくりという軽い歯応えの後、口の中でほろほろと崩れます。口中にふわりと広がるナッツの香りと控えめの甘さがとてもわたし好みで、無意識に顔が綻びました。

 美味しいお茶とお菓子で旅の疲れを癒されていると、控えめのノックののち入室したメイドが、辺境伯爵様がお戻りになられたと報せました。

 それを聞いて一気に緊張が戻ってきたわたしは、慌てて口の中に残っていたお菓子をお茶で流し込んでカップをソーサーに置こうとしたその時、ドドドドッとどこからともなく地響きが鳴り響き、バンッ!と勢い良くドアが開け放たれ、シャツとズボンだけという軽装のかなり大柄な男性が飛び込んできました。


「漸く到着したか!」

「っ!」


 第一印象は獅子のようだと思いました。

 赤銅色の髪はやや癖毛なのかあちこちが跳ねており、肌はかなり日焼けしています。ぱっと見た感じだと背丈の差はわたしの頭二つ分くらいで、横幅は倍以上でしょうか。がっしりした体格です。

 顔立ちは一般的な貴族令嬢が好む中性的とはだいぶ違うやや角ばった輪郭に、澄んだ紫水晶の瞳と、シュッと高いお鼻と、ちょっぴり厚めで大きな唇が絶妙のバランスで配置されています。

 ビックリしすぎて危うくカップを落とすところでしたが、なんとか音を立てずにソーサーへ戻すことに成功したわたしは、無作法にならないよう気を付けつつも急いで立ち上がり、辺境伯爵様と思しき男性へ挨拶をしようとしましたが、それは叶いませんでした。なぜなら、


「きゃっ!」

「待っていた! 待っていたぞ、漸く会えた!」


 わたしがドレスを抓んだ瞬間、彼が唐突にがばっと抱きついてきたのです。

 思わず上げてしまった悲鳴にも構わず、彼はぎゅうぎゅうとわたしを抱き締めます。

 布越しに感じる固い筋肉の付いた厚い胸板とわたしの太腿ほどもありそうな太い腕。それと嗅ぎなれない男性の汗のにおい。

 お父様とだってこんなにも密着したのはずっと小さい頃までだったのに。初対面の男性による予想もしなかった状況についてゆけず、混乱と驚愕で今にも卒倒してしまいそうです。

 

「ああ、この日をどんなに待ち侘びたか!」


 彼は感極まっているようですが、わたしには技が決まっています。丸太のような腕がわたしの首筋を圧迫していて苦しく、だんだんと視界が暗転していっています。

 声すら出せない代わりに彼の背中をぺしぺしと叩きましたが気付いてくれる様子はなく、このまま意識を手放しそう……というところで、トールギス様の慌てた声が聞こえました。


「おいっ、離せアセル! 姫が潰れてんじゃねぇか!」

「え? あ? わぁっ!」


 婚約者を絞め殺すつもりかと叱られた彼は、やっと状況を察したらしく腕の力を緩めてくださいました。


「す、すまない! あまりにも気持ちが昂ってしまって!」


 漸く圧迫から解放されてぜえはあと荒い息をしていると、心配そうな彼がわたしの背中をさすってくれました。そして慎重な動作で長椅子に座らされると、メイドが新たに淹れなおしてくれたお茶を、トールギス様自らわたしの前へと差し出してくださいました。


「ゆっくりと呼吸して。ほら茶だぞ」

「すーはー。…ありがとうございます」


 もう十分落ち着いてはいましたが、ソーサーごと持ち上げて目の前に出されたお茶を断るのもなんなので、わたしは素直に受け取り、そぅっと口をつけました。


「ありがとうございます。もう大丈夫です」

「いや、本当にすまない。君が今日到着すると先触れから知らされていたのだが、どうしても急を要する事案があって外出していたものだから。本当にすまん」


 焦れに焦れていたところに顔が見れた喜びに、思わず舞い上がってしまったと告げた彼は、大きな体躯をしょぼんと縮こまらせ、何度目かの謝罪を口にしました。


「そんなに謝っていただくことではありませんから、もういいのですよ」


 そこまでティレシアに会いたかったのかと思うと、良心が痛みます。

 噂はともかく、なぜティレシアはこの方ではいけなかったのでしょう? 確かに大柄ではありますが、野蛮などといった感じはしません。とても誠実そうな方なのですが。

 オーディオン殿下のご尊顔を拝見したことはありませんが、辺境伯爵様も十分…いえ、十二分に美丈夫だと思います。


「えっと、俺の顔に何かついているか?」


 うっかり凝視していたらしく、辺境伯爵様は自身のお顔を手のひらで撫でながらそう訊ねられ、わたしは恥ずかしくなり慌てて下を向きました。


「も、申し訳ございません! 無作法をいたしました!」

「いや、先に失礼をしたのは俺の方だ!」


 いやいやわたしが、俺がと言い合っていると、すぐそばからゴホンと咳払いが聞こえました。

 視線を向けると拳を口元に当てたトールギス様が微笑みを浮かべてこちらを見ており、その隣ではポールさんが眦に浮かぶ涙をハンカチで拭いながら、嬉しそうにうんうんと頷いていました。


「お二方。随分と気が合うようだけど、ちょっと落ち着いてまずは自己紹介からしようか?」

「うう…ようございました、坊ちゃま。これで旦那様や奥様にもご報告ができるというものです」






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