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3.

 ◇◆◇◆◇


 一晩経ち、今日はわたしがソーンネルフ領へと出立する日になりました。

 先ほどソーンネルフ辺境伯爵様が寄越してくださった馬車が到着し、邸の玄関先では使者の方が叔父様に挨拶をされています。


「慌ただしく申し訳ございませんが、我が領は常にヤンカンの脅威を警戒しており、一時も気が抜けない状態です。なので私もすぐに戻らねばならない故、このまま出立するご無礼をどうぞお許しいただきたく存じます。ではセネガル伯爵、貴家のご令嬢をお預かりいたします」

「あ、ああ。我が娘をどうか宜しくお願いします。道中もどうぞお気を付けて」

「はい。この命に換えましても、必ずやお守りすると誓いましょう」


 ソーンネルフ辺境伯爵様の側近だと仰るトールギス様は、サラリとした濃灰色の長い髪を一つに束ねた、涼し気な面立ちの美丈夫です。確かに上背があって逞しい体つきをしているものの、整った顔立ちのおかげでティレシアが言っていたような粗野な感じはほとんどしません。

 彼は叔父様に向かって正しく騎士の礼をとった後、流れるような所作でわたしへと手を差し伸べられました。


「では姫、馬車へどうぞ」

「え…姫、ですか?」


 予想もしない呼称に驚きにピシリと固まってしまいましたが、トールギス様が紳士然とした微笑みのまま辛抱強く待っていてくださるのを申し訳なく感じたわたしは、恐る恐るその手を取りました。

 大きく肉厚な手のひらは剣ダコと傷跡だらけですが、触れた指先はとても暖かく、どこか安心できます。

 引かれるままに馬車の前まで来た時わたしはふと思い立ち、後ろに立つ叔父様と叔母様を振り返りました。


「では行ってまいります」

「ああ。精進しなさい」


 ドレスを抓んで挨拶をすると、叔父様は僅かに瞠目しながらも頑張りなさいと声を掛けてくださり、叔母様は微かに口元が引き攣ってはいましたが、それでも微笑んで見送ってくれました。

 スチュアートとティレシアは学院へ行っている時間なので、昨日のうちに挨拶は済ませてあります。わたしはティレシアとしてソーンネルフへ向かうので、二人はこの場にいない方がいいそうです。

 そして乗り込んだ馬車が走り出すと、家族との思い出が詰まった宝箱のような邸が遠ざかってゆきます。次第に小さくなっていく生家を、わたしは寂しい思いで見つめていました。


「心細いですか?」


 いつまでも車窓にしがみ付いているわたしの気持ちを察したのでしょう。大きな軍馬に跨るトールギス様が馬車と並走し、そう訊ねました。


「はい。十六年過ごした家なので…寂しいです」

「そうでしょうね。ですがソーンネルフも田舎ではありますがいいところですので、きっと気に入っていただけると思いますよ。主はもちろんですが、私も、そしてほかの家人も姫が心地よく過ごせるよう尽力するとお約束します」


 そう仰るとトールギス様はニコリと笑いました。


「今から気負ってらっしゃると疲れてしまうでしょう。馬車の中には誰の目もありませんから、ゆっくりとお過ごしください。宿に着く前に声をお掛けしますから」

「えと…、はい。ではお言葉に甘えて寛がせていただきます」


 ぺこりと会釈すると彼は満足そうに微笑み、車窓から離れていきました。

 わたしは窓の外から車内に視線を移し、毛皮を敷いたフワフワの座面を手のひらで撫でました。


(柔らかくてサラリとした触り心地…。なんの毛皮なのかはわからないけれど、こんな高そうなものを座面を覆うのに使うなんて、なんて贅沢なのかしら。それにこんなにも綿を詰め込んだモコモコのクッションやひざ掛けまで用意してくれて)


 クッションを押すとふかふかの感触が手のひらに伝わります。思い切って抱き締めてみると、ちょうどいい大きさと弾力と触り心地の、すべてが満点のクッションでした。


(やだ…すごく気持ちがいい)


 車窓からほんのりと陽が差し込んで温かい車内。

 柔らかくフワフワの心地よい座面やクッション。

 ひざ掛けもうたたね(・・・・)を想定してなのか、ゆったりとしたサイズ。

 それにセネガル家(我が家)の馬車とは構造が違うのでしょうか、車輪が砂利を踏んだ時のガタゴトという衝撃が伝わりづらく、穏やかな揺れの馬車はまるでゆりかごのようで、どうにも眠気を誘います。


(ゆっくりしてていいって言ってらしたものね。少しだけなら…)


 ここのところずっと寝不足気味だったこともあり、わたしはクッションを抱いたままコロンと横になると、あっという間に夢の世界へ引き込まれたのでした。



 *



 結局、初日は宿に着く直前まで馬車の中で眠ってしまいましたが、二日目はすっかり寝不足も解消された上に車窓から見える景色がいろいろとセネガル領とは違って珍しいものばかりで、わたしは窓枠に齧りついて夢中でそれらを眺めていました。

 すると向かいの席からくすくすと笑う声が聞こえます。


「姫様、そんなに目を開くと目玉がころりと落ちちゃいますよ」

「え⁈ 目玉って落ちるものなのですか⁈」


 慌てて両手で顔を覆うと、くすくす笑いは爆笑に変わりました。


「あーはっはっは! まさかまさか! 目を見開いただけでは落ちませんよ。私が言ったのは、落ちそうなくらいに目が大きくなってますよってことです」

「まあ! ビビさんたら!」


 騙されたと思いムッと唇を尖らせると、ビビさんは自分の膝をバシバシと叩きながら更に大笑いしました。


「ひ、姫様サイコー…っ」

「もう! そんなに笑うなんてひどいわ!」


 仕返しにクッションでバフバフと殴り掛かりましたが、騎士として鍛えられている彼女(・・)には、僅かなダメージも与えられませんでした。

 彼女はソーンネルフ辺境伯爵家で、女騎士として仕えていらっしゃるビアンカ様です。今回の旅にメイドは同行しなかったため、わたしの身の回りの世話役として彼女が選ばれたそうなのです。

 赤茶色の短い髪に、淡い緑の瞳を持つ野性的な美女のビビさん。鼻の頭に薄っすらと残ったソバカスと感情を隠さずコロコロと変わる表情が少女のようではありますが、自己紹介によるととうに成人し結婚もしているそうです。

 人見知りしない質なのでしょうか。昨日は宿の部屋に案内された途端にあけすけなく話しかけられ、気付けば旧知の仲のように、互いに気を使わない態度で接するようになっていました。

 そして今日は馬車の中でソーンネルフ辺境伯爵様のことや領地のことを教えて頂こうと思って同乗をお願いしたにもかかわらず、うっかり景色に釘付けになってしまったのはわたしがいけないのでしょう。

 なので素直にそう謝ると、ビビさんは目の端に滲んだ涙を拭いながら、謝らなくていいと手を振りました。


「姫様はまじめですねぇ。そんなんじゃ息が詰まりますでしょ」


 しみじみと告げられた言葉がピンと来なくて、わたしは首を傾げました。


「まじめ、でしょうか?」

「ぶぶっ、自覚なしですか。まあそれぐらいの方が大雑把で豪快なダンナ…いえ、主様とはちょうど釣合が取れるかもしれませんけどね」

「辺境伯爵様って大雑把な方なのですか?」


 漸く聞きたかった話題になり、わたしはすかさず質問しました。


「大事なところは決して手を抜きませんけどね、それ以外はかなり適当です。だらしないわけじゃないんですが、きちっとしているかといえばそうではなくて。う~~~ん…まあ、良い男ですよ」


 「ウチの亭主の方がもっと良いけど」とおどけて付け加えるビビさんが可愛らしく、わたしもついつい笑ってしまいました。

 

「とにかく会ってみればわかるから…って、そうか、初対面ではないんですよね。主様はそれはもう待ちわびて…」

「ええっ! 待って、ビビさん! 辺境伯爵様とティ…わたしって以前お会いしたことがあるのですか⁈」

「へ? いや、えっと、私はそう聞きましたが…?」

 

 ビビさんの言葉に一瞬にして血の気が引きました。

 どうしましょう。わたしはティレシアとしてソーンネルフへ行くのに、辺境伯爵様とティレシアに面識があるのでは、すぐに替え玉であることがバレてしまいます。

 早々にバレて送り返されたら、どんなに叱られるかと思うと怖くて仕方がありません。

 わたしが目を潤ませてオロオロと狼狽えているのをどう捉えたのか、ビビさんは慌ててフォローしました。


「そんなに悩まなくても大丈夫ですよ! 話によると姫様と会ったのって十年以上前らしいですから! ダンナのことを忘れちゃっててもしょうがないですって!」


 十年以上前? そんなに幼い頃のことなら覚えてないのも仕方ないって思ってくださるかしら?

 わたしは両手を握り締め、縋るような気持ちでビビさんを見つめました。


「辺境伯爵様は怒らないでしょうか?」

「だ、大丈夫。怒らない怒らない!」


 なぜか一瞬怯んだ様子を見せたビビさんは、ぶんぶんと勢いよく頭を振って否定した。


「…本当に?」

「本当に!」

「絶対?」

「絶対! …もしグチグチ言うようでしたらあたしがバシッと叱ってやりますよ!」


 ビビさんが任せてくださいと胸を叩いたので、わたしはその場では納得したように微笑みましたが、結局その後もずっと気持ちは晴れませんでした。






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