7.つかの間の日常
不思議な不思議な夢の世界のお試し体験から数日、ラドゥーはいたって平和で平凡で平坦な日常を過ごしていた。
授業の合間にある休憩時間には、クラスメイト達の楽しそうな会話が教室中に花開く。
「それってほんとなの…?」
「ほんとほんと、だって家のお兄ちゃんが――…」
「おい、誰だよ俺ん机に菓子のゴミ入れたやつっ――」
「ぎゃははっ! ゴミ箱にされてやんの…」
「つかお前だろ! いい加減に――…」
「親戚の知り合いも行方不明になったって…」
「そっちも? 怖いね…同一犯の誘拐事件かもって―――…」
「『グリューノス』も治安悪くなってきたのかなぁ…」
「それでぇ、うちのママったらぁ―――…」
「あはは、あたしん家だって―――…」
雑音と紙一重なざわめきの中に混じる、最近騒がれている事件の話。隣接する街々と比べ、治安がすこぶるいいラドゥーの住む街『グリューノス』。だから、時々起る事件は退屈な日常の格好の話題となる。
ラドゥーもそれらの会話を、何とはなしに耳に挟む。
話題は連続失踪事件。消えた人達の手がかりが、何も痕跡が残っていなかったから、軍警は当初、単なる家出と高を括ってたやつだ。
しかし、失踪者が相次ぎ、さすがに家出と断じることは出来なくなった。今ではこの街だけでも既に十名の行方不明者を、僅か数日の間に出している。
消えた人達の間に共通点は無い。性別も年齢も所属もバラバラ。互いに知り合いであったわけでもない。捜査の進展は芳しくなく、軍警は無能と民衆に叩かれる始末。今頃、奴らは名誉挽回の為、必死こいて捜索に当たっていることだろう。平和な街に胡坐をかいているからだ。
祖父であるゴルグも彼らに脅しかけたこともあり、さらに拍車をかけた。つい一昨日の報告に来ていた彼らの真っ青な顔は見物だった。
「―――ねえ、ムークット君。貴方も怖いと思わない?」
事件の噂をしていたグループの一人が、ラドゥーに突然話を振ってきた。
とはいえ特に驚きはしなかった。自分に話しかけるタイミングを計って、ちらちらこちらを覗き見していたのは感じていたので。
「…そうだな。もし同一犯の者の犯行なら相当の手練でしょうね。標的にされたらひとたまりもないな」
「そうよねぇ。あんまり鮮やかなものだから、神隠しなんて書いてる新聞もあるのよ」
やだぁこわぁい、と他の子達も続く。
「気を付けてね、ムークット君」
やや身を乗り出してきた少女に小さい笑みをこぼす。
「心配してくれてありがとう。貴女達も気を付けてくださいね」
少女達は聞いているのかいないのか、次の授業が始まるまでぼぅっとした表情で見つめられた。
帰ろうと教室を出ようとしたラドゥーは、控え目な声に引きとめられた。
「あの…ムークット君」
振り向くと、昼間の女生徒の真剣な顔と目があった。
「何か?」
何となく空気を読んだラドゥーだが、素知らぬ顔をした。
「話が、あるんだけど」
「今ですか?」
「うん。…いいかな?」
緊張を交えながらも、こちらに媚びた目を向けてくる。
「ええ、いいですよ」
女生徒の目に期待の色がのぞく。内心溜息をつきつつ連れだって人気のない場所へ移動した。
「あ、あのね、私、ムークット君の事が…す、好きなの」
やっぱりな。こんな風に時間をとらされるのは告白以外にない。少女を見下ろす。それなりにもてるのだろう、なかなか可愛らしい顔立ちをしていた。
「そ、それで付き合ってほし…」
「すみませんが、気持ちはとても嬉しいと思いますがその気持には応えられません」
彼女が言い終わらないうちに、ラドゥーはキッパリ答えを出した。愕然とした顔がラドゥーを見上げた。
「え…」
「気持には応えられません」
もう一度繰り返した。
「ど、どうして? もしかして、す、好きな人でもいるのっ?」
先程までの緊張しながらも、期待し、断られることなど予想もしていなかった顔が崩れた。
「特にいるわけではないですが」
「だったらっ…!」
「かといって、貴女と付き合う理由もないので」
この手合いは曖昧な態度でいるとしつこく迫ってくるタイプだ。初めからはっきりと拒絶するのに限る。
しかし、そうするとヒステリーっぽいのを起こす子もいるもので…
「なっなんで付き合ってくんないの!? ムークット君のことすっごく好きなのに!」
「今言ったばかりだと思いますが」
涙声になった少女を前に、あくまで平静なラドゥー。男は女の涙に弱いと言われるが、訂正してほしい。惚れた女の涙は、と。
無感動に自分を見てくるラドゥーに気が高ぶってきたらしい。彼女の顔がみるみる紅潮していった。
「付き合ってくれないんだったら、ムークット君の秘密ばらすから!」
「嘘はいけません」
冷やかな声音になったラドゥーに少女は怯んだが、引き下がらなかった。
「う、嘘じゃないもん」
「では俺の何を貴女は知っているんですか?」
「それはっ」
「俺は知っていますよ。ここ何日か帰り道の俺をつけてましたよね」
「なんで…」
「気付かなかったとでも?」
好意を寄せられるは素直に嬉しい。しかし自分のことをこそこそと嗅ぎまわられるのは気分が悪い。正式な身分を伏せてこの学校に通っているのだから尚更だ。
学校生活くらい、普通に過ごしたい。
「家までついてこられたくなかったので撒きましたが」
「だ、だってムークット君自分のこと全然話さないし、ムークット君のこと、もっと知りたくて…」
「それでも、それをされる方の気持ちも考慮しなければダメだよ」
その前に何故本人に聞こうとしなかったのか。訊かれても答えなかっただろうけれど、まぁそれはそれだ。ラドゥーはこれ以上話すつもりはないとばかりに、女生徒に背を向け歩き出した。
「っ……それでも、それでも諦めないからっ」
涙と共に零した呟きは、ラドゥーの耳には届かなかった。
「どっきどき☆青春の一ページ! な告白シーンだったのに」
既に人気のない正門を通ると、頭上から声が降ってきた。
「…………貴女ですか」
狂は千客万来か? 見上げると正門の柱の上にエルメラが座っていた。見上げる形となったラドゥーはすぐさま目を逸らす。スカートの裾から覘いてしまいそうで危ない。
「なかなかオモテになっているようで? 殿下」
「やめて下さい。俺は王子様なんかじゃないですよ」
「今はねぇ」
ラドゥーは溜息を吐いた。まあいい。この少女には何を知られたって構いやしない。
「久しぶり、というほど日は経っていませんか」
「ひどいっ。私なんか、一日経っただけで千年待ち続けた気持ちでいたのにっ」
「で、何の用ですか」
不愉快な気分をまだ引き摺っていたラドゥーは素っ気なかった。
「私の用はいつだって一つよ」
軽口に乗ってこなかったラドゥーにエルメラは気にすることなく答えた。
「またどっかの夢の世界に御招待して下るんですか?」
「正解」
「今回は遠慮させてもらいます。試験が近いんですよ」
「連続失踪事件」
再び歩き出したラドゥーの足が止まる。
「最近消えるのよね、人が」
「現実世界の這い捨てるほどある事件の一つに過ぎない事件を、貴女が知っているとは意外です」
「それ、夢の世界と繋がってるかもねって言ったら?」
「…どういうことです?」
「そのままよ。消えた人は夢のどこかの世界に連れ込まれてるみたいなの」
「俺も貴女に連れ込まれました」
「私はちゃんと帰すもん」
心外とばかりに可愛らしく口を尖らせた。
「で、何が言いたいんです?」
「その消えた人をこっちに戻してやってよ。迷惑だから」
「…どうして俺が彼らを引き戻す手伝いをしなければいけないんです? 人探しは軍警の仕事でしょう」
「そんなもの何の役に立つのよ。その他大勢の有象無象が束になったって無理よ。それに、連れてくなら貴方がいい」
「結局自分の都合ですか。でも俺がしなきゃいけない義務も無い」
「あら、そう? この街の領主家としては如何? それに、ほんとは貴方も気にしてる癖に」
「それほど正義感が強いわけでもない」
「自分の縄張りの人間に手を出されても、指咥えているほどプライドは低くないでしょう」
ラドゥーはついに、エルメラと目を合わせた。
「…俺にどうしろと」
エルメラは満足げだった。
「私の手を取って」
ふわりと、二階ほどの高さもある柱の上から降りてきた。まるで重力を感じさせない軽やかさにこの少女が人外の存在だというのを再認識させられる。…この要領で初対面の時も降りたんだろうな。
「被害者さん達にはね、一個共通点があるの」
「何?」
「消える時間帯は、皆今見たいな夕暮れ時か、深夜」
夕暮れ時と聞いてピンとくるものがあった。
「“扉放時”…」
エルメラは頷いた。
「一般人が自力で夢の世界に入れるのは、その扉からだけ」
「じゃあ、夜というのは」
「だから、貴方を呼んだのよ」
エルメラはまっすぐにラドゥーを見つめた。
「自ら望んで行くなら好きにすればいいけど、深夜にも消えるってことは手引きしてるヤツがいるということよ。貴方も私に連れられて夜に夢の世界に入ったじゃない。そう、夢の世界の住人に招待されて」
何者かが意図的に人を呼び寄せてる。
「そいつの目的は」
「さあね。でも、どうせ碌な理由じゃないでしょ」
「貴女と同じ“夢の旅人”ですか?」
「そこまでは知らない。人を引き込むなんて、“夢の旅人”が態々するとも思えないけども。…何かヤな感じがするのよね」
ラドゥーは少女の手を取った。
「…この前みたいになるべく早く帰して下さいよ?」
少女は笑った。
「なるべくね」
期待しない方が良さそうだ。