番外4-2.僕の日記「不思議の扉」
僕の名はゴルグルド。世界でも屈指のグリューノス公爵の息子だ。名前は僕が生まれて数日後に亡くなったひいおじい様から頂いた。つまり将来公爵家を継ぐことを約束された由緒正しい貴公子なのさ。
だから僕の家は城と言っても差し支えのないくらい立派な屋敷で、広大な敷地を有している。部屋数は母屋だけで三十部屋くらいあるし、使用人棟や客間を合わせると百を下らない。調度品だって母様やおばあ様の指示の下、常に流行の最先端の物で揃えられている。使用人の教育も行き届いているし、専属の料理人の腕だって最高だ。僕の周りは一流のものばかりなんだ。
勿論庭園だって一流さ。何人も雇っている庭師によって毎日手入れされていて、四季折々の美しさを演出している。庭園はよくおじい様が監督している。土いじりがお好きなんだって。おじい様は僕を膝に乗せて故郷の植物のことを話して下さる。
〈春は桜。夏のひまわり、秋に撫子、冬の竹。ああ、春に摘んだヨモギの草餅も美味しかった。夏には家で作ったキュウリを頬張ってね、残暑厳しい秋の頃では、近所の墓場で咲く彼岸花を夜中に摘んでくる肝試しをやらされた。冬には家族でこたつを囲んで年を越したものだ。…懐かしいね〉
グリューノスには無い名前の植物ばかりだ。おじい様は遠い御国からたった一人で来たらしい。どうしてここに来ることになったのか、その理由を聞いてもおじい様は困った笑みを見せるだけ。家族に囲まれて幸せだというけれど、時折寂しそうに故郷に思いを馳せているのを僕は知っている。おじい様が手入れされている庭園では、おじい様の故郷にあるのと似ている植物が植えられている。おじい様が土いじりをご趣味としているのは、その為だろう。
その庭園なんだけど、屋敷の一番奥の隅っこに、何故か畑があるんだ。かぼちゃの。
おじい様の手によるものではない。なんと父様の畑なのだ。手入れは庭師の一人に任されているけれど、仕事の合間に様子を見に行くのを何度も見ている。
別に何か作物を作ることは悪いことじゃないんだけど…何でかぼちゃなの?
そのかぼちゃは時々我が家の食卓にのぼる。その味は抜群に甘くて美味しい。御菓子にしても最適だ。だから僕はかぼちゃが好きだ。僕の学校にはかぼちゃが嫌いな子も珍しくないから、そのかぼちゃを平然と食べられる僕は密かに尊敬されていたりする。
だけど、畑についてはそれだけじゃない。それだけなら、ただの父様の意外な趣味で済む。実は、その畑の傍には小屋があって、その戸は“開かずの扉”と使用人の間で専ら噂になっているんだ。
父様によって必要以上に畑に近づくことを禁じられている為、現在は使用人は大っぴらに小屋に近づけない。だけど、禁止令が出る前に興味本位で近づいた者がいて、戸を開けようとしたところ、びくともしなかったという。それからまもなく使用人達が扉に興味をもったことを知った父様が禁じた所為で、ますます使用人の好奇心を刺激し、噂が屋敷全体に広まった。
何なんだろう。凄く気になる。
僕は真相を突き止めんと早速行動を開始した。次期公爵として迅速な行動は当然のことだ。うん。
まず、畑を任されている庭師が畑で働いているところを捕まえ、小屋について尋ねてみた。本当に開かないのかどうかを。最初こそはぐらかされたけど、僕には甘い使用人の口を割らせるのは簡単だった。
公爵様には内緒ですよ、と念を押した庭師曰く、畑仕事にいそしむ彼は毎日その小屋を目にする為、自分も興味を持ってしまったという。だから、誰も見ていないのを確認して、こっそり小屋の戸を開けようと試みたらしい。けれど、押しても引いても、横にも上にもびくとも動かない。鍵はついていないのに、だ。暫くその試みを続けたが無駄に終わった。今ではすっかり諦めて、その戸を小屋の飾りとみなすことにしたと、庭師は締めくくった。
あらゆる開閉の角度に挑戦した庭師の諦めの悪さはともかく、いずれこの屋敷の全てを受け継ぐ僕が知らない扉があっていいのだろうか。いいや、いい筈がない。
畑は父様のものなんだから父様に聞けばすぐに謎は解けるだろう。父様を尻に敷いている母様でも分かるかもしれない。
でも、そんなの面白くない。
そして、父様達が妹のクロエと添い寝をする日を狙い、計画を実行することにした。二人にはバレていない筈。ご飯の時にだってちゃんとお行儀よくしていたし、足をぷらぷらさせてもいなかったはず。頑張って椅子に足を絡ませていたんだから。
そして皆が寝静まった深夜。僕は小屋の前に立った。胸がドキドキした。謎を解明するのはいかなる時も胸が躍るものだ。だが一方で、もし父様の秘密が隠されていたらどうしようという不安もあった。
国の中枢を担う大貴族の父様に、何の後ろ暗いものがないなんて思えない。母様を愛し、僕達を慈しむ父様の心を疑うんじゃない。だけど、池の御婦人の件から、僕は父様の別の顔を垣間見た。御婦人の愛人説は誤解だったと分かっても、父様に誰にも言えない秘密がない確証はない。
母様や学校の友達が、有力な貴族ほど、とんでもない趣味を抱えているものだと揶揄しているのを聞いたことがある。
どうしよう。もし、父様が母様にも言えないような恥ずかしい趣味をもっていて、この小さな小屋にその秘密があったら…。
一度疑い始めたら、それがとても信憑性がある様な気がしてきた。だって、ここは父様の畑だし、屋敷の隅っこで客間のある棟からは絶対に見えない。何でもない小屋だったら父様が近づくことを禁止する筈がない。禁止する理由があるはず。でも、一見何の変哲もない小屋にそんな理由が何処にあるというのだろう。
だけど、父様の隠れた嗜好を隠す為の小屋であるとしたら、全てのつじつまはあう。
どうしよう。どうしよう。小屋の前に立った今になって不安になってきた。従者のハリスは今はいない。一人で来た。もし、その、そんな理由が隠されていたら僕の胸にそっとしまっておこうと心に決めていたから、口止めが必要になるような事態は避けたかった。
“とんでもない趣味”といっても具体的な内容は知らない。でも想像は出来る。要は社会的な地位の男の人が明るみに出れば人様に顔向けできなくなるような恥ずかしい趣味だ。いわゆる変態趣味とかいうやつだ。
実は女装が趣味とか、姉様やクロエみたいにお人形遊びが好きとか、いかがわしい絵を蒐集しているとか。まさか昔流行った黒魔術の再興を企んではいないだろうな。いや、それを考えるとしたら母様の侍女のアルネイラだろうな。鼠を生贄に捧げて恍惚とする姿がすごくしっくりきて身ぶるいした。
生贄、と考えて、はっとした。まさか、少女を誘拐して監禁してはいないだろうなっ?
小屋には窓がない。物を入れるには小さい規模。でも、少年少女の一人や二人くらいなら楽に入れられるだろう。
可愛らしい恰好をさせて、淫らな行為を…その姿を思う浮かべてしまい、必死で頭から振り払おうとた。
「愛らしい姿をもっとよく見せておくれ」
「公爵様。こんな格好恥ずかしいです」
「恥ずかしがる姿も愛い奴だ。やはり愛でるには若い子供に限る」
「ああ、おやめ下さい、もう許して。お家に返して」
「ははは、良いではないか、良いではないか」
………なんていう会話が脳内に流れた。
なんて非道なことを! 父様、見損なったよ! こんなところで立ち往生している場合じゃない。今すぐ助けなければ。
僕は勇み足で戸の取っ手を握った。取っ手は簡単に捻り、戸が開いた。
あれ。“開かずの扉”じゃなかったのか?
「簡単に開くじゃ…」
僕は小屋の中に足を踏み入れる足を止めた。
だって森だったから。
僕は踏み出した足を引いて、小屋の全体を見渡した。間違いなく小屋だ。小屋には小部屋があるはずで、実物と共に深緑の香りが漂ってくるなんて誰が、想像するだろう。しかも何が“開かずの扉”だ。こんな簡単に開くじゃないか。
僕は恐る恐る戸を潜った。足元の感触は板張りじゃなくて、柔らかい土。本物だ。
ここは何処の森何だろう。柔らかい風が戸からふわりと流れ、僕の頬を撫でた。森は危険だ。獣がいる森だってあるし、毒をもつ植物が生息していることもある。森に慣れていない僕一人では何かあっても対処できる自信がない。近くのキグの森にだって深いところまで行ってはいけないと父様に言われている。それでも僕は引き返さなかった。警戒心はあったけど怖くはなかったから。何故かは分からないけど、この森は危険じゃないと感じたんだ。
勇気を出して三歩だけ前に出てみる。戸を振り返る。その戸は開いたままだ。踏み入れた途端、勢いよく閉まるというびっくりな仕掛けはないようで安心した。
森の中に戸だけがあるのはとても奇異だけど、小屋に森があることからして奇異なので、僕は一先ず森の探索を優先した。
まずは状況確認。僕は小屋の扉から森に入った。森は深そうだ。静かで、涼しくて柔らかい森。だけど小鳥の囀りもなければ、ふいに獣が飛び出してくることもない寂しい森ともいえる。
生い茂った木々には動物が好きな木の実はついていない。実のなる木じゃないのか、季節じゃないのか。とにかくこの森は閑散としている。
僕は好奇心のままに歩き出した。ちゃんと帰れるように目印を付けて。三十歩も歩けば戸は葉に覆われて見えなくなった。
それから数分すると獣道を抜けた。整備はされていないけど、人が楽に歩ける山道だ。人の足で踏みならされて固くなり、草が生えていない地肌が直接現れた砂色の道に僕は嬉しくなった。ここには人がいる森だと判明したから。樵か森の管理人かは知らないが、とにかく人がいる。ここは父様の秘密の小屋。ならその小屋の中の森にいる人は父様の知り合いである可能性が高い。なら、危険な人物ではないだろう。僕はどっちに行こうと左右に首を巡らせた。
右を見て、左を見て、そしてもう一度右を見て、僕は跳び上がった。
何故って? かぼちゃ頭の人が目の前に立っていたからだよ!
思わず声を上げて後ずさった僕をかぼちゃ頭はじっと見つめてきた。かぼちゃの目は三角で周りを威嚇しているようにつり上がり、口はぎざぎざ。何でそんなおっかない顔に彫っているんだ。どうせならもっと可愛い顔にすればいいのに。○と○と▽とか。
そんなことを考えているとかぼちゃ頭の人は片手をあげた。
「よ」
「…え?」
「…うむ」
何を満足したのか、かぼちゃ頭の人は小さく頷くと踵を返した。
「あ…ま、待って!」
勢いで呼び止めてしまった。呼び止まってくれたかぼちゃ頭の人は首を傾げて僕が口を開くのを待ってくれている。案外、いい人?
「あの、ここって何処なんですか?」
「…森」
それは分かってる。
「貴方の森?」
「そうだ」
「ここで暮らしているの?」
「そうだ」
返答がえらく短い人だ。でもきちんと対応してくれる。
「父様…ラドゥーという方と知り合いなの?」
「そうだ」
「僕の家の小屋とここが繋がっているんだ。なんで?」
「定期的に彼らに菓子を贈っている」
僕はその答えを聞いて目を丸くした。
「もしかして、よく父様が持ってきて下さるお菓子は貴方が作った物なの?」
「わたしと、リンが作った物だ」
「リン?」
「わたしの同居人だ。家事をしてくれる」
「使用人ですか」
「同居人。わたしに仕えているのではない」
他人の家の家事をするのは使用人であるのが普通だった僕には少し分からなかったけど、そんな細かいことは今はどうでもよかった。
「…お前は、ムークットの子か」
「ムークット?」
「…まあいい。付いてきなさい」
かぼちゃ頭の人は僕を手招きした。彼が僕を連れて行ったのはかぼちゃの家だった。かぼちゃ頭さんの顔そのままの家。目は窓、口は扉、一番頭上のへたの部分に煙突があった。同じ顔なのに家だからか姉様やおばあ様が好きそうな可愛らしい顔に見える。怖い顔のかぼちゃ頭の人が住むにはお似合いの様な意外のような…。
「あら、お早いお帰りですね。そちらの可愛らしい坊やは?」
かぼちゃの口から家政婦の様なおばちゃんが出てきた。かぼちゃのお家に住んでいても違和感はない朗らかな女性だ。この人がリンという人だろうか。
「リン。この子は彼の子供だ」
簡潔に僕を紹介したかぼちゃ頭の人は僕を彼女の前に優しくおしやった。
「あらあら、まあまあ。本当に人の世の時は早いのですね」
リンおばちゃんは驚いた顔をしたと思ったらすぐに柔らかく笑った。リンおばちゃんは僕の前に屈みこみ、目線を合わせた。
「坊や、お名前は?」
「ゴルグ」
「ほう。グリューノス家の英雄の名を貰ったか」
「ジャック様。お名前を聞いていなかったのですか? まず始めに聞くのは名前でしょう?」
全く、と息を吐く彼女だったけど、怒っていないのは初対面の僕にも分かった。
「ゴルグ様。ここに来たということは扉をくぐっていらしたのですよね?」
僕はリンおばちゃんの言葉にはっとした。そもそもここは父様が禁じた場所。知られたら父様に怒られるかもしれない。
「あの、その、父様には内緒にして下さい。こっそりここに来てしまって」
「あらあら、腕白な子なのね。心配せずとも、告げ口するようなことは致しません」
リンおばちゃんの約束にほっとすると、家の方から美味しそうな匂いが漂ってくるのに気が付いた。
「何か焼いているの?」
「ええ。かぼちゃのパウンドケーキを。折角ですから、召し上がって行ってちょうだいな」
僕は有り難く御相伴に預かることにした。部屋の内装も凄く可愛らしかった。黒と橙色で揃えられた空間とジャックさんというらしいかぼちゃ頭の人は同調し過ぎて飾りの一部みたいだった。
出してくれたかぼ茶は、リンおばちゃん特性ですっごく美味しかった。ケーキを腹に納める頃にはすっかり馴染んだ僕にジャックさんは言った。
「お前が後継者だというなら、向こう六十年は安心だな」
「何がですか?」
「あの扉はムークットの血筋に反応する。みだりに夢の扉を開くのは夢にも現にもよくない影響を与えるから制約が必要だった」
ジャックさんの言っていることはよく分からなかったけど、父様が関係しているのは分かった。そして僕にも。
「あの扉はわたしとムークットの友好の証だ。しかし、ムークットの時間は限られている。後継者はムークットの意思を継ぐ者が望ましい。お前なら、安心だ」
僕は、思いがけず真剣な声に何も言えなかった。そして僕は
「何しているの?」
姉の声にゴルグルドは飛び上がった。
「姉様! 勝手に人の部屋に入ってこないで下さいっ」
ゴルグルドは日記帳を庇うように前かがみになった。
「何よ。ノックしても答えないゴルグが悪いんじゃない」
姉のソニアは頬を膨らませた。同じようにふくれっ面になった弟の頬を突いて空気を抜いた。
「それで、何の用ですか?」
「あのね、私これからおばあ様についてギータニアに旅行に行くことにしたの。新しい最新のドレスとか帽子とか靴が欲しいから。三日くらいですぐ帰ってくるけど、その間つぎちゃんをお願い」
ソニアは弟の顔にぬいぐるみを押しつけた。
ソニアのいうつぎちゃんとはつぎはぎという名前のうさぎのぬいぐるみだ。その名の通りボロボロのうさぎなのだが、僕ら三兄妹は赤ん坊の頃にお世話になっていて、家族の一員として大切にされているぬいぐるみだ。一流に囲まれた僕にとって唯一の三流品。だけど、何よりも馴染み深い親友だ。
つぎはぎを受け取ったゴルグルドは呆れたように姉を見上げた。
「姉様。また行くんですか? ついこないだも行ったばかりでしょう」
「流行は三カ月が限度よ。それが過ぎれば新しいものを揃えなきゃ。私達は常に流行の最先端を走って令嬢達を率いていけないようでは、グリューノスの女として恥ずべきことよ」
人の上に立つことが当たり前で、自然にこなしてきた姉はおばあ様似だ。浪費家ともいえる台詞を吐いた彼女だが心根は素直で可愛らしい。姉の言葉は殆ど祖母の受け売りなのだ。
「母様も一緒に?」
「いいえ。お父様と王都に行くそうよ。でも明日には帰ってくるでしょう」
ということは今日一日は僕は妹と二人でお留守番らしい。使用人は沢山いるし、おじい様も残るそうだから寂しくない。久々におじい様のお膝で昔話でも聞かせてもらおうかな。
「それじゃ、行ってくるわね」
ソニアはゴルグルドの頬に口付けると嬉しそうにスキップしながら出て行った。
ゴルグルドはソニアを見送ると、つぎはぎを膝に乗せて机に再び向かった。日記を書きあげる為に。
あの日、気が付くと僕は寝台で眠っていた。手足に土が付いていなかったら僕は夢を見たのだと思ったかもしれない。
この時の僕は知らなかった。あの小屋の向こうは紫淡に染まる夕暮れ時に開く“扉”の向こうの世界だということ。
だけど、僕がくぐった時は“扉放時”ではなかったし、家の使用人には開かなかった。
その理由を知るのは、僕がもう少し大きくなったあと。
ジャックさんとの交友は世代を超えて。