番外4-1.僕の日記「僕の両親」
僕の名はゴルグルド。
世界でも屈指のグリューノス公爵の息子だ。名前は僕が生まれて数日後に亡くなったひいおじい様から頂いた。つまり将来公爵家を継ぐことを約束された由緒正しい貴公子なのさ。
僕の両親は当たり前だが貴族だ。公爵と公爵夫人。国を代表する大貴族。王の覚えもめでたく、母など王妃陛下の御友人だ。国の中枢に深くかかわる二人だが、その夫婦仲は凄く良い。二人が屋敷にいる間はだいたい一緒にいる。
庭先で二人で歩いている時は父様の手は母様の腰に回っていて、ぴったり寄り添っているし、
母様が作ったお菓子は真っ先に父様に持って行って食べさせてあげるし、
仕事から戻った父様の出迎えはまず母様のキスだ。
それはともかく、貴族ともなると政略結婚は当たり前で、実際僕の周りも家の意向で結婚した夫婦が多い。その中で完全な恋愛結婚を断行した二人は、尊敬すべき人物の筆頭だ。
けれど、今でこそ周囲に認められている母様だけれど、やっぱり身分差はあるわけで、平民の母には苦労も多かった筈。だから母様にどうして父と結婚したのと聞いたんだ。そうしたら、私達はお互いに“約束の人”だったからよ、と笑って頭を撫でてくれた。
誰でもない、その人でないと幸せになれない番なんだって。
番ってなんだろうって思ったけど、母様にとって父様は大切な人だということは分かった。母様はとても幸せそうな顔をしていたから。
いつか僕もその“やくそくのひと”と出会って結ばれたい。
僕の父様と母様は理想の夫婦。
そう思ったのに。
このあいだ僕は見たんだ。父様の裏切りを。あんなに慕ってくれる母様意外の女性が父様の隣にいる場面を!
遠目でよく見えなかったけど、僕が父様を見間違える筈がない。あれは間違いなく父様だった。父様は郊外の公園にある小さな池、いつも静かで人気のないそこにいた。僕が何故そこにいたのかっていうと、僕はハリスを連れて散歩中だったからだ。ハリスっていうのは僕の従者だ。お忍びでこっそりの密かな楽しみだったのに、父様を見た瞬間、その楽しい気分は吹っ飛んだ。
その女性の顔はよく見えなかった。でも屋敷の者ではないのは分かった。家で豪奢に着飾る女性なんて僕の家族しかいないし。
その女性は父と腕を組んで睦まじそうに池の周囲を散歩していた。言い逃れは出来ない、決定的な場面だ。
「そんな…いけないわ。貴方には奥様が…」
「今は妻なんて関係ないさ。ここにはわたし達しかいない」
「まあ。いけない人」
「妻は平民だから貴族の雅な会話が出来なくてね」
「御苦労お察し致しますわ」
「わたしに相応しいのは君だよ」
…そんな会話が脳裏に浮かんでは流れて行った。
そんな、酷い、父様! ろくでなし! 女好き! 絶世の美女を妻に迎えてまだ満足しないのか!
今すぐ父様の前に出て行って、あらん限りの言葉で父様を罵ってやりたかった。でも、母様の笑顔が消えるのが怖かった。父様を一途に思う母様の気持ちを踏みにじったなんて知られたら、優しい声で絵本の読み聞かせも、抱きしてくれる柔らかい腕も失ってしまう気がして、僕は身体が動かなかった。
僕の後ろについていたハリスも父様達に気付いたようだ。おや、あれは…と呟いたハリスを振り返り、向こう側に押しやった。
口を開こうとしたハリスを黙らせ、この事に関しては何も言うなと口止めした。
それからすぐに家に帰り、自室に籠った。母様は鋭い。僕が隠しごとをしていたらすぐに見抜く。
何くわぬ顔で帰ってきた父様は当然だけど一人だった。後ろには我が家の執事セルナンティスがいたけど、僕は騙されない。仕事だなんだと言うに決まっているが、女性と会っていた間、きっとセルナンティスは馬車に待機させていたんだ。
そこで僕は気付いた。セルナンティスは父の腹心でもある。セルナンティスに手引きさせてその女性と会っていたんだと。
なんてことだ。父様は単なるお遊びではなく、それほどにその女性が好きになってしまったのだろうか。
きっと屋敷を与えたり、母様よりも高価なドレスを買い与えたり、宝石を毎日プレゼントしたりしているんだ……
どうしようどうしよう。このまま僕が黙っていても鋭い母様はすぐに気付くだろう。そうしたら母様はどうするんだろう? 父様と言い争う姿が目に浮かんだ。二人は時々喧嘩するが、すぐに終わって元の仲の良い夫婦に戻った。でも、今回は事情が事情だ。
普通の貴族の夫婦は互いに愛人を抱え、見て見ぬ振り。夫婦が顔を合わせるのは公式の場に出る時くらいだというのも珍しくない。でも、二人は恋愛結婚なのに…。
でもでも、もし、父様の気持ちが変わってしまったとしたら?
あり得ない話ではないのを僕は知ってる。僕の通う学校には平民の子もいる。平民は政略結婚はしない。でも、その子たちの両親が皆仲がいい夫婦ではない。その子のお父さんが浮気してお母さんが出て行ってしまったという話を聞いたことがある。
…母様が出て行ったらどうしよう。それとも、父様が追い出してしまうのだろうか。その代り、池にいたあの女性を新しい妻として迎え入れたら…
「ゴルグ、紹介しよう。新しい母様だよ」
「よろしく、ゴルグ様。仲良くして下さいませ。まあなんて可愛らしい方」
とかなんとか最初は笑顔で僕にも優しくするかもしれないが…
「まあゴルグ様は礼儀がなっていませんのね。やはり血は争えませんかしら?」
「ゴルグ様ったらそんなことも分かりませんの? これだから平民の子は…」
とかなんとか……
………絶対、嫌だ!!
母様と寄り添って庭を歩く父様が階下に見えた。こうして見ると本当に仲がよさそうなのに。父様は母様の何が不満なんだろう。
…誰かが、英雄色を好むとか言っていた気がする。ずっと僕とは無縁の言葉だと思ってたけど…やっぱり父様だってオトコだもんな…。
母様が出ていってしまったら僕も付いていこう。性悪女の継子なんて嫌だ。
でも…そうしたら、もう父様に会えなくなるんだよな…どうしようハリスに頼んで定期的に…いや平民になった僕はハリスより身分は下になるから、命令は出来なくなるかもしれない。ハリスはセルナンティスの息子だから…
いや、やっぱり駄目だ! 姉様とまだ揺り籠の中の妹を置いてはいけない。女性は僕が守らなきゃダメなんだって母様が言っていたから。それに性悪女にこのグリューノスを乗っ取られる。あの父様を唆した女なんだ。あらゆる手管を持ってるに決ってる。そんなの正当な後継者たる僕が見過ごすわけにはいかない。
でも…そうしたら、母様は一人になる。母様は美人だからすぐに新しい人を見つけるだろう。母様の隣に知らない男が寄り添う姿はどうしても思い浮かばないけど…
やっぱり嫌だよ。父様達は二人一つじゃなきゃ駄目だ。家族がバラバラになるなんて。明日父様に直談判しよう。母様を捨てないでって。もし好きじゃなくなっても僕らの母様だから……
「我が子ながら…すごい想像力」
ラドゥーは妻の言葉に顔を上げた。
「何がだい?」
「我らが息子は小説家の才能があるのかもしれないわって話」
彼女はラドゥーに持っていた本を差し出したが、ラドゥーは受け取らなかった。
「息子の物とはいえ、人の日記を勝手に読むのは駄目でしょう」
「だって開いてたんだもん。不可抗力で見ちゃったの」
「日記を書いたまま寝ちゃったんだね」
ラドゥーは机に突っ伏したままの息子を抱き上げ、寝台に横たえた。
「で、池の御婦人って誰?」
ラドゥーの動きが止まった。
「何だって?」
「私達の腕白な息子が貴方を公園の池で女性と一緒だったのを見たんですって」
「へえ、もう一人でお出かけ出来るようになったんだね。随分難しい言葉も覚えた見たいだし。流石僕らの」
「で、誰よ」
「………。…多分、サラだと思う」
「多分? 思う?」
「いや…だって…こないだ、潜伏先から報告に一旦戻ってきたサラが指定した場所がそこだし…その時サラは変装していたから」
「ふぅん」
「………」
「………」
ラドゥーは両手を上げて降参した。
「…分かった、今度から、君の許可がなければ女性を五歩以上近づけさせないから」
「そうして。舞踏会で御婦人と踊るのだって、面白くないんだから」
「君だって踊ってるじゃないか」
ラドゥーは息子の肩まで毛布を引き上げた。
「ちょっと優しい声をかければ殿方ってすぐに口を割るもんだから、便利なの」
「俺は面白くないんだけど」
ラドゥーのしかめ面に彼女は口付けた。
「ラゥのヤキモチ焼き屋さん」
「…ともかく、明日ゴルグの誤解を解かないとね」
そうして二人はゴルグの寝台に入り、息子を挟んで眠りに就いた。
子供と眠るのは、グリューノス家の習慣。