番外1.ぬいぐるみと少女
ある日、ラドゥーの妹ツェツィーリエは道端に落ちている物を拾った。
最近妹の様子がおかしい。
そのことに気付いたラドゥーはツェリに何度も訪ねた。
何か悩みでもあるのかと。何か欲しいものでもあるのかと。何か不満でもあるのかと。
その過保護ぶりにラドゥーの婚約者は呆れたそぶりで首を振ったが、何も言わなかった。彼女もツェリの様子がいつもの違うことに気付いていたから。
「女の子だもの。そろそろお兄ちゃんに何でも話すのも卒業でしょう」
「もしや、誰か想う男でも」
「殆ど家から出ない令嬢がどうやって男と知り合うのよ。まだ十歳なのに。学校だって女子校じゃないの」
それはそうだが。ラドゥーら三兄妹は皆母親譲りで甘い顔立ちをしている。特に妹のツェリは、勝気さも相俟って、小生意気な愛すべき少女だった。女の子は早熟だから、何処で誰と出会って恋に落ちたとも限らない。
「兄として、その男の真価を問うのは当然ですよね」
「あの子の悩みの原因はもう男で決定なの?」
「まだ保留です」
兄が勝手に突っ走ってもツェリに迷惑をかけるだけだ。取り敢えず、不意打ちで彼女の部屋に行けば、何か知る手がかりが掴めるかもしれない。
計画を早速実行したラドゥーは、狼狽した妹に出迎えられた。
「おはようツェリ」
「…おはようございます。お兄様」
ラドゥーの頬に口をくっつけた彼女は、部屋を守る様に扉の前で仁王立ちしている。
「…どうして部屋に入れてもらえないのかな?」
「…女の子の部屋にみだりに入るものじゃありませんわ」
なんてませた子なのだろう。彼女は既に淑女としての片鱗が見え始めている。しかし、そうやって大人の階段を上り始めたのなら、やはり男が原因なのか?
「そうか。そうだね。ツェリはもう大人のレディだもんね」
「…え、そう、そうです、ね?」
挙動不審な彼女に気付かないふりをして、この場では大人しく身を引いた。
その夜、ラドゥーは再びツェリの部屋へといった。口実は、お休みの挨拶だ。
ラドゥーが足音を忍ばせて扉まで近寄ると、部屋から話声が聞こえた。
「――よ。うん、―――だから」
「―――か? ―――ね」
誰かいるのか?
ラドゥーは一気に警戒心を抱いた。こんな夜更けに来る客なんて(あのダンクルの王以外)いない。まして、妹に用がある客なんて、もはや客と認めるものか。
ラドゥーは意を決し、ノックもせず妹の部屋を開けた。
「お兄様!」
弾かれた様に妹が振り返る。ラドゥーは返事をせず、あたりを見渡す。誰もいない。
「ツェリ、お客様はどうしました?」
厳しい口調にツェリが強張る。
「あの…その…」
「こんな夜更けにお客様を招くなんて、非常識だよ。招きたいなら、せめて俺や父様達に紹介してくれなくては困るよ」
実際にこんな幼女を相手にする男を紹介されたら、問答無用で叩き出す自信があるが。
「だって…」
「だってじゃない。ツェリはもう大人なんだろう? ならば分別を見に付けなければ」
「ごめんなさい、でも、捨ててきなさいって言われるのが怖くて」
「ツェリ?」
まるで捨て犬を元の場所に戻してきなさいと言われてしょげているような…。男はヒモなのだろうか。
その時、ツェリの布団がもぞもぞしているのに気付いた。そこか。
ラドゥーはツェリの制止を聞かず、掛け布団を取り払った。
「………な、何で」
「ん~ぬくぬく」
そこにいたのは、つぎはぎだった。
話によると、ツェリは学校の登校中に拾ったのだそうだ。最初はボロ雑巾かと思ったが、耳や尻尾を見てぬいぐるみだと分かった。
ゴミとして捨てられる途中で、落とされたのかと思い、ツェリは半分好奇心で拾った。
「でも、その夜、この子が動いて…」
おまけに喋りだした。ツェリは驚いたが、嬉しくなった。秘密の友達が出来たと。
「でも、こんな汚いぬいぐるみを拾ったって言ったら取り上げられるかもって思ったの」
だから何とかこのぬいぐるみを守ろうと必死に誰も部屋に入れないようにした。学校で部屋を空ける日中は、一緒に持っていった。何故かぬいぐるみが動くのは夜中。日中は普通のぬいぐるみだから心配はなかった。
「なるほどね」
ラドゥーは納得した。件の密通者はラドゥーの腕の中で気持ち良さそうにごろごろしている。
「…黙っててごめんなさい。でも、ちゃんとこの子を洗うわ。破れたら繕うわ。だから」
「いいですよ」
尚も言い募ろうとしたツェリを遮る。
「え?」
兄は笑っていた。しょうがないな、という風に。
「い、いいの?」
「ええ。でも、ちゃんと一緒に遊んであげてくださいね。このぬいぐるみは、遊ぶことが大好きですから」
「う、うん! 大事にする!」
ツェリは不安が取り払われて満面の笑顔を見せてくれた。ラドゥーはつぎはぎをあやしながら、その笑顔に微笑み返した。
これで、つぎはぎに新しい主が出来る。つぎはぎがずっと待ち続けた、一緒に遊んでくれる子供が。
翌日、ラドゥーの屋敷にやってきた少女につぎはぎの件を話した。彼女は暫くかぼちゃクッキーを齧った体勢のまま、固まった。
「…そう」
それだけ言って、紅茶を飲み始めた。色々な思いがあるのだろう。彼女は珍しく神妙な顔をしていた。
「分からないのは、何故夜には動けるのかということです」
つぎはぎは、過去二度ほどラドゥーの世界に落ちている。ギータニアの城と、ラドゥーの屋敷に。その時は、夜でも動くことはなかった。
「そりゃ、誰かさんのお茶目な計らいなんじゃないの?」
「誰かさん?」
「ラドゥーは知らない人よ」
彼が知っているのは『本の虫屋』の店主という一面だけだ。彼女が今身を寄せている家の宿主。
「…本当に、幸せな子」
今は少女の腕の中で普通のぬいぐるみとして座っているうさぎに目を落とす。
「ええ、そうですね」
ラドゥーは優しくつぎはぎを撫で、寄り掛かってきた彼女に口づけを落とした。
それからのグリューノスの屋敷では、夜な夜な屋敷中に罠を張り巡らす悪戯小僧が出没するようになる。地味に苛立たせ、地味に迷惑な罠に、ラドゥーの家は毎日叫び声が上がる賑やかな屋敷となった。
そして、例の悪戯小僧が、主に被害を被る使用人達の恐怖の的となるのは、また別のお話。
そんな、日常。