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夢の旅人  作者: トトコ
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0.Epilogue

名を呼ばれた。




「ん…」

「あなた」

まどろみつつも、彼はゆっくりと目を開けた。

柔らかな日差しの中、妻が柔らかく微笑んで見下ろしていた。小さな笑いがラドゥーの耳朶をくすぐる。

「眠っていたの?」

「君の夢を見ていたよ」

かつてのわたし達が出掛けた冒険の夢を。妻は、あら、と面白そうな顔をした。

「あの時の私は美人だったでしょう?」

「美人だよ…今も」

「こんなお婆ちゃんにもお世辞を言うなんて相変わらずなんだから」

ころころと笑う妻に、ラドゥーは手を伸ばした。もう若くない肌。だがこの皺は、彼と同じ時間を過ごした証だ。張りが無くなってなお美しい妻の膝から身を起こし、頬にそっと口付けた。

彼女が永久の存在のままであったら、決して過ごすことの出来なかった時間。だからこそ、この皺がいっそう愛しい。




エルメラに名前を返した後、ラドゥーは現に帰った。ラドゥーの世界では時が一日も経っていなかった。自分の寝台で目を覚ました彼は、一月以上にも及ぶあの旅が、まるで儚い一夜の夢のように感じた。いや、実際夢だったのだが、実際あったことではある。

その足で祖父の部屋に足を運び、お姉さんの伝言を伝えた。祖父はラドゥーの言葉を疑わなかった。そうか、と一言呟いた時に浮かべていた表情は、言葉よりも雄弁に気持ちを語っていた。


その祖父も、ラドゥーが正式に公爵位に着いてからは床に臥すことが多くなった。そして、後継ぎの息子が生まれた数日後、満ち足りた顔で祖母の許に旅立った。

寂しかったけれど、悲しくはなかった。あんな穏やかな顔で、ばあさん、と最期に呟いた祖父を見ておいて悲しいなんて思うのは失礼だ。

手を取り合って電車に乗ったのだろう二人を思い浮かべる。




「仕事に戻るの? 熱心なことね」

いつの間にか手から零れ落ちていた読みかけの本を手に立ち上がり、部屋から出て行こうとするラドゥーを引きとめる。からかうような口調もそのままだ。懐かしさに胸を突かれ、苦笑を洩らした。

「重要な件は我らが賢い息子に任せているよ。今度、クロエの奴が孫を連れて里帰りすると手紙を寄こして来たからね。雑用をさっさと片付けたいんだ」

「クロが? はぁ…この間やっとはいはいするようになったと思ってた次女まで子供を産むなんて…時間が経つのは早いわ…」


妻の言葉には、いろいろな思いが詰まっていた。彼女にとって、時間はとても重い。


「…そうだね、たった数十年でこんなにも変わるものだよ。人の世は」

「そうね、人が生きて死んで、革命が起きて新しい時代がやってくる…目まぐるしいくらい」

妻は茶器を片づけ始めた。その際、一つだけ余っていたお茶請けのかぼちゃクッキーを口の中に放り込む。このお菓子を好んで食べる『本の虫屋』の従業員を思い出した。

「…全く、忌々しいったら」

「え? なんですって?」

「いいえ、何でもないわ」

小さく首を振って、ラドゥーと二人、連れ立って部屋を出た。





賭けをしようと、遠い昔、彼は言った。

〈君が勝ったらの時は好きにして良いよ。言い伝えとして“夢の旅人”の望みを叶えよ、とでも言い残しておくから〉

〈…あんたが勝ったら?〉

〈僕が勝ったら、会いに来て〉

〈は?〉

少女は目を丸くした。彼女が探しものと出会えたとしても遠い未来だ。その頃にはとっくに死んでいる奴にどうやって会えというのか。

〈あんたを追って死ぬなんて絶対イヤだから〉

〈そんなこと言ってないよ。つまり毎日僕の墓前に来てよって意味〉

〈墓?〉

〈大丈夫。僕はこれから頂点に立つつもりだから立派なお墓を造るからね。すぐに分かるよ〉

〈そうじゃなくて〉

彼は少女の言葉も聞かず、自分の都合の良い想像に浸った。

〈楽しみだなぁ。僕に感謝の念を抱いて毎日花を添えてくれる美少女。なんて絵になるんだろう。早く見たいな〉

〈勝ってから言いなさいよ。まあいいわ。……どうせ勝ちっこないんだから〉





あいつは賭けに勝った。


結局、墓参りではなく直接会う羽目になったのだが、会う度に意味ありげな笑みを向けられるのは勘弁してほしい。今も新しい賭けに興じている。今度こそ絶対…

「…絶対負かしてやるわ」

ラドゥーは突然高らかに、だが忌々しげに笑い出した妻に驚いて振り向いた。

「どうした?」

美しい妻は、やはり美しく微笑んだ。

「ううん、何でもないのよ」








俺達の冒険は、夢の世界で繰り広げられたものであったけれど、決してお伽噺ではない。

体験した冒険は、子供達に寝物語として何度も聴かせた。別の物語を同時にせがまれ、うんざりしたものだ。その子供達も今や人の親となり、自分の子供に聴かせている。その子も、また己の子に語って聴かせるのだろう。

いつの間にか、俺が“わたし”と称するようになるぐらい年月が過ぎても、俺達の物語は決して消えることはない。脈々と受け継がれていく。

夢のような、本当のお話を。




いつだったか、妻が言っていた。


誰もが、旅人なのだと。


自分の時間を自分の足で歩いていく。自分さえ知らない“何か”を探すため、一秒先も見えない暗闇の中を手さぐりで、辿り着くまで歩き続けるのだと。

私の場合は人よりちょっとばかり長かっただけで、特別な訳じゃないわ、と妻は笑った。




わたしの旅はもうすぐ終わってしまうけれど、こうして最愛の者が傍らにある最期なら、これ以上何を望む。


手に入れた瞬間、再認識した。わたしも君をずっと探してたのだと。あの時には叶えられなかった未来を今度こそ掴むことが出来て、わたしは満足だよ。




旅の終焉を、君と迎えられて幸せだよ。


そう言ったら彼女はデコピンをくらわす真似をした。


「終わりなんかないわよ。ずっと続くの。――来世で、また逢いましょう」



―今度は、貴方が探してよ?



その言葉に淡く微笑んで、ラドゥーは静かに目を閉じた。






――さあ、ゆめを始めようじゃないか。





夢の旅人・完


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