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夢の旅人  作者: トトコ
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57.終点『――』

目を開けば、そこは駅だった。



ここは何処だろう。後ろに階段、目の前に線路、足元にはモノクロのタイル。そして何故かベンチに座っている俺。

ここに着た経緯が思い出せない。

何とか思い出そうとして、順々に記憶を辿る。寝室でつぎはぎと一緒に寝ようとしたら、頭痛がして、意識がぶっ飛んだあたりから。


そうして、漸く朧気ながらも己の胸を貫かれたところまでを思い出し、深い溜息を吐いて脱力した。


「じゃあ、ここは…」


その続きは声にならなかった。認めたくなかった。認めるにはあまりに俺の意識がはっきりしすぎていて、俺がそこ・・に辿り着いたのだという気がしない。

「どうしましょう…」

分からない。分からないが、分かっている。知らないくせに、不思議と分かっているのだ。何を分かっているのか、やっぱり分からないけれど。


取り敢えずラドゥーは立ち上がり、後ろの階段を見下ろした。

階段はとても長かった。短かった。どちらでもあって、どちらでもない。長いか短いかの境目が分からない。まあいい。上ることには変わりはないさ。


周囲には溢れかえる程の人がいるというのに、そこはひどく静かだった。さわさわと微かな声のような音がラドゥーの耳を撫でる。すれ違った人は何か口を動かして呟いていたようだけれど、聞き取れなかった。

ラドゥーの後からも、階段を次々と人が上ってくる。一人、また一人とホームに入っては、思い思いに所在を落ちつける。


何をして…ああ、電車を待っているのか。いや、当たり前か。ここは駅なのだから。


疲れた顔。安らかな顔。後悔に満ちた顔。悲しそうな顔。満ち足りた顔。憎しみに歪んだ顔。

何度も階段の下を振り返って、諦めたようにホームに入る人、迷いなく清々したように真っ直ぐホームを目指す人、虚ろで惰性で足を動かして、そのままホームに足を踏み入れる人。中々階段を上りきれない人、数段で頂上に辿り着く人。


人 人 人 人


共通しているのは、どれも顔色が青白いことだけだ。それもそうだろう。俺と、彼らは…


「ねぇ、君一人?」


ラドゥーが最後の一線を越えようとした、まさにその時、女の子からナンパされた。






「こんにちは、色男さん。今暇かしら? お姉さんとお話しない?」

年恰好はラドゥーより少し年が下の少女だが、話振りは確かに大人のお姉さんだ。ラドゥーの肩までしかない背丈、一世代前に流行したものだが清楚なドレスに身を包んだ美少女。色白で、癖の無い亜麻色の髪、琥珀色の瞳。

見た目と言葉のギャップが酷すぎる。

「ナンパは受け付けてませんよ。俺はもう予約済みなんで、他当たって下さい」

「あら、意外と硬派ね。彼女いるの?」

なんだ、この周りの空気をガン無視した会話は。

「ええ。運命の糸で結ばれた女性がね」

「やだぁ素敵。私も旦那様にそう言ってもらいたかったなぁ」

頬を手に当ててしなを作る彼女は、俺の母を連想させた。

「…ご結婚されてるんですか?」

「そうよ。置いて来ちゃったけど」

少女のなりをしたお姉さんは、一瞬だけ寂しげに目を伏せた。次いでお姉さんの琥珀の瞳は真っ直ぐにラドゥーを見つめた。

「貴方も置いてきちゃったの?」

ラドゥーは言葉に詰まった。

「俺は…」

「駄目じゃない。今頃きっと、その子泣いてるわ。女を泣かせるのはイイ男の証でもあるけど、同時に女の敵でもあるのよ」

めっと言ってラドゥーの額を軽く突いた。

「別に置いてきたんじゃ…。彼女の為…いや俺の為に来たんです」

「ふぅん、何しに? こんな所に何があるとも思えないけど」

「探し物を…俺の中にあるらしいんですけど。俺は彼女の名前を…」

言いかけ、ラドゥーは口を噤んだ。何でこんな、会ったばかりの人にこんなことまで話そうとしているのか。俺らしくない。

「何々? お姉さん今、すんごい暇だから、親身になって手伝ってあげるわよ」

しかし、お姉さんは食いついた。上機嫌で何故か聞き覚えのある曲を口ずさんで、ラドゥーを奥に案内した。





「――名前ねぇ」

結局洗いざらい吐かされたラドゥーが話を締めくくると、お姉さんは上を仰いだ。

「眼鏡みたいに落し物センターに届けられているわけないし。掲示板に載ってるわけでもないし。こればかりは貴方が頑張って思い出すしかないわよね」

彼らは現在ホームのど真ん中でお悩み相談室を開き、膝を突き合わせて通行人の邪魔になっていた。

「でも、魂と向き合うなんて、どうすればいいのかさっぱりなんです」

こんなことなら、オカルトな知識をアルネイラから仕入れておくんだった。

「あら、簡単に出来るわよ。ちょっとした切っ掛けさえあれば。そのピエロさんは嘘は言ってないわ」

「…どうして」

「だってここは、終点だから」

お姉さんは微笑み、手のひらを返して、線路の向こうを示した。

「ここは始点で終点。終わりと始まりの場所。ね、魂と向き合うには絶好の場所でしょ?」

ラドゥーは指し示された看板を見上げた。

「……『世界』?」

「そう。ここは、全てと繋がった場所。夢の世界とはまた違う、生きた人に平等に訪れる終着点」

「全て?」

「全て。それが何?」

「…字が、読めますけど」

全てがある所の言語が自分の国の言葉とは、随分我が国の言語は地位が高いようだ。

「あら、いい所に目を付けたわね」

何故か誇らしげに頷いたお姉さんは、どう説明しようかちょっと考えた。

「あのね、世界って何ていうの?」

「……何って、何ですか?」

「貴方が生きる世界の名前のこと」

「……」

「世界って、つまり自分が生きる“ここ”でしょ? 自分を取り巻く世界は一つ。私達が直面する現実の全て。なのに、同時に複数ある。すぐ隣に、でも容易に触れられない遠い所に。何故?」

今のラドゥーなら分かる。

「世界を表す言葉は沢山あるわ。それこそ無数に。存在する言語と同じだけ。でも、世界の意味は一つ」


〈――お前の世界は何という?〉


過ぎる言葉。そして思い出す。

時折、夢の世界で出会った者達の言葉が聞き取れなかったことがあった。

それは、彼らが自分の『世界』の名前を言っていたから。

ラドゥーの認識出来る世界は一つだった。自分の『世界』以外の認識が出来なかったから、時折、他の者達の『世界』が分からなかったのだ。

「……俺の世界の名前は…『世界イーレ』」



「――そうだ。それがお主の世界の名前だ。自分を悟った者は、世界を悟る。そして世界を知った者は決して迷うことはない。何処にいようとも」



ラドゥーは目を見開いた。まさか…

「久方ぶりだな…ラドゥー」

背後をゆっくりと振り返る。一瞬だけ、道筋が交差しただけの、けれど、決して忘れることのなかった、彼。

驚きを胸にしまって、ラドゥーはゆっくりと笑みを浮かべた。

そうだった。この旅は、記憶をなぞっていくもの。だとしたら、彼に会わずに、どうして終われるだろう。


「ちゃんと奥方と再会出来ましたか?――――ウォンバルト殿下」







「生きている内にまた会えるとは思いませんでしたよ。成仏なさったんじゃないんですか?」

軽口を叩くラドゥーに、ウォンバルト殿下は肩を竦めた。

「生憎、夢で彷徨っていた時間が長すぎて、切符の順番待ちだ」

ここでは、身分というものは意味の無いものだからな、と皇子は言った。

「お一人で?」

「いや、レーリア…妻も一緒だ。長く待たせてしまったせいで、やはりとても怒っていたよ。何故一緒に果てた筈の余ではなくて、我らの臣下と先に再会を果たさなくてはならないのかと。許してもらうのに随分かかった」

それはそうだろう。手を取り合って一緒に電車に乗るつもりだった彼女にとっては予想外もいいところだっただろう。

「許してもらえただけ、良かったではないですか」

諦めてさっさと電車に乗り込んでいてもおかしくなかったのに。彼女はずっと待っていた。それが二人の答えだ。

「そうだな」

そう言って笑う皇子は、とても穏やかな表情をしていた。最愛の妻と漸く一緒になれたのだ。幸せでないはずがない。

彼の惚気を聞きながら、彼に対してのしこりのようなモノは完全に溶け落ち、ラドゥーは心が軽くなっていくのを感じた。

「…でだな、お主が来たと聞いたのでな、まさかと思って来てみたが、本当だったとは。どうした、まだこちらに来るには早いのではないか?」

「…聞いた?」

何で人伝なんだ。

「余は頼まれて来たのだ。お主を捜して来てくれとな」

迷子のお知らせでもあるまいし。

「…誰に?」

頭を掠めたのはエルメラだった。だがウォンバルトが口にしたのは思いがけない人物だった。

「名は知らぬ。お前の知り合いだと言っていた。何やら、大きなかぼちゃを被った男なのだが」

「えっ…かぼちゃ…ジャックさんっ!?」

「そういう名前なのか? まぁいい、その者はここに入れないからと、たまたま階段付近でふらふらしていた余に頼んできた。捜している者の名を聞けば、なんと私の知り合いだったので驚いた」

ラドゥーはぐっと唇を噛んだ。

「…俺は、探し物をしに来ているんです。見つけるまで、帰れない」

「しかし、長いことここにいるのは良くない。己の命を賭けてでも、見つける価値のあるものなのか?」

勿論だ。

「名前を、捜しているんです。俺のつがいの名前を」

「…なるほど。狭間まで来るとは、余程大事な者なのだな」

想う女性に関して、皇子は随分理解を示す。

「多分、貴方が奥方を想う以上には」

「言ってくれる。余の…わたしの妻への愛は誰にも負けぬ」

堂々と言い放った彼にラドゥーは笑った。妻の為に玉座を捨てた、王になれなかった皇子。見様によっては彼を女に溺れた昏君というかもしれない。けれど、彼は意志の強く、愛情深い男。エルメラの目さえ惑わした強固な夢を作った皇子だ。妻と共に果てることなく国を治めることが出来たのなら、国民は幸せだっただろうに。

勿体無いと思った。追い詰められる前に、いくらでも最悪の事態を避けられた筈なのに。尤も、そうしなかった――出来なかった理由を、今はちゃんと理解しているからこそ、ラドゥーはここまで来てしまったのだが。

「俺は、既にその名前を知っているんだそうです。思い出せないだけで。魂と向き合って、それを見つけなければ」


今帰っても、何の解決にもならない。彼女を夢から取り返せない。


「魂と向き合う…。そうか、お主より以前の者の記憶か」

前世なんて信じたことはなかった。けれど、ここまで来たらもう受け入れるしかない。ラドゥーは現実主義者だが、肩にぶつかったモノが妖精だったとしても、それが真実妖精ならば受け入れるだけの度量を持っているつもりだ。

「…向き合うとは、どうすればいいのか…」

ラドゥーは思い出そうと記憶の箱を引っ繰り返し続けている。もう、ずっとその繰り返し。けれど、それでも思い出せない。空白部分が見えない。


俺はもう答えを知っている。後は、見つけるだけ。でも、それはいわば盲目の状態で彷徨っているという状況なのだ。膨大な記憶の中から、その一つを見つけられる筈もなかった。

分かっている。分かっているんだ。けれど、どうやって見つければいい?


「…ねぇ」


ふと、焦燥ばかりが募る彼の手を、お姉さんが手を取った。

「闇雲に捜したって、見つからないわ。まずね、思い出す切っ掛けを捜さなくちゃ」

「切っ掛け…」

「例えば…彼女がどんな顔をしていたかとか、どんなことを言えば笑ったのか、どうすれば喜んだのか、彼女との思い出、とか」

ゆっくりと、彼女は顔を上げ、ラドゥーと目を合わせた。

「その子に、貴方は何を望んだのか、とか」

「………」

「貴方にとって大事な人なんでしょう? そして、離れてしまった人。失ってしまう時、貴方はきっと悔やんだ。彼女の名前を連呼した筈。それが思い出せれば、きっと名前も自然と見つけられるわ。ねぇ――」


――貴方は彼女とどんな未来を築きたかったの?


その言葉が、記憶にかかった靄を一気に吹き飛ばした。









草原、白い雲、蒼い空、流れる風、二つの影。

雲の影で見えない彼女の顔は、見えなくても彼女が泣いてることを俺は知っていた。


相対する二人。言葉を交わして決別をした。そして殺し合い、傷つけあって、俺が倒れる結末でその戦いは幕を下ろした。

その後、虫の息の俺を膝に抱えて、逝かないでと嘆く少女。

その時、俺は思った。


泣かないで。でも、ずっと見ていたい。

笑っていて。でも、俺以外に見せないで。

死ぬまで生きて。でも、一緒に来てほしい。

解放したい。でも、ずっと俺に囚われていて。


相反する想いを抱え、俺は…俺は……少女の口にした禁忌に飛び付いたんだ。


彼女は、俺を終わりの無い輪廻に捩じ込んだ罪に苛まれていたようだけれど、それは無意味だ。俺には、何よりの褒美だったのだから。

見えなくなっていく彼女の名前を何度も呼び続けた。

声が出なかったから、心の中で。刻み込むように。


彼女の名前は―――――――








「――思い出した?」

ラドゥーは黙って頷いた。頭がぼんやりとする。でも、嫌な気分ではない。漸く手にしたという充足感がラドゥーを満たした。

「じゃあ、もう帰れるわね。貴方が次にここに来るのは、最低でも五十年後くらいになさい」

お姉さんは優しくラドゥーの背に触れ、ウォンバルトの方に押しやった。

「本当にありがとうございました。あの、お姉さんは…」

「私? 私は何処にも行かないわ。旦那様を待ってなくちゃいけないから」

「美人を待たせるなんて、ひどい男ですね」

「でしょ? 会ったら言っておいてよ。薔薇の花束は諦めたけど、せめて君と結婚して良かった、くらいは聞きたかったわって」

「そんなのでいいんですか?」

いつまで待たせるの、とか、さっさと来なさい、とか。そういう恨みごとを頼まれるかと思ったのに。

「私、碌に睦言を言われたことがなくてね、美辞麗句に飢えてたの。態度で分かれっていう人だったから」

今時、硬派な旦那さんなんだな。

「ラドゥー。そろそろ行かなければ、お前は帰れなくなる」

皇子がラドゥーの腕を掴んだ。

「早くしろ。あまりここに馴染みすぎると、そのまま身体に戻れなくなるのだ。わたしみたいに彷徨うことになりかねない」

それは困る。ラドゥーは慌ててお姉さんを振り返った。

「あの、それじゃあ、俺行きます。その伝言を伝えますから、その人の名前を教えてください」

「ゴルグルド」

「―――え?」

ラドゥーはきょとんとした。だってその名前は…。その意味を理解する前に身体が震えだした。

「ラドゥー」

皇子が急かす。引き摺られ、ラドゥーは足を踏み出す。けれど未だ顔はお姉さんに向いていた。分かっている。帰れなくなっては元も子もない。


けれど、もう一度会いたいと願った、もう一人の人なのだ、彼女は。ラドゥーの目尻が薄く赤く染まった。

どうして、気付かなかったんだろう。髪は白くなくても、その目は全く変わっていなかったのに。

彼女は俺の…


「お……ば…」





お姉さんは微笑んだ。優しげで茶目っ気のある笑み。あのオルゴールの天使にそっくりな。

「おじい様に、よろしく」



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