56.クマ介と風船
差し出される風船の数だけ、笑顔があった。
そして、その笑顔に言うんだ。
ようこそって。それが、僕の仕事。
「………どうして…」
二人が暫く見つめあった後、最初に口を開いたのはエルメラだった。
「どうして、ここに?」
改めてそう問われると、ラドゥーとしても首をかしげざるを得なかった。
「どうしてと言われましても…つぎはぎとあちこち行っていたら、どういうわけかここに流れ着いてしまったというか」
答えになってないな、とラドゥーは苦笑した。
「つぎはぎ?」
「ええ。何故か俺の部屋にいまして」
「……そう」
エルメラは一呼吸置いた。
「思い出したの?」
「一応。もしかしたら、まだ忘れている部分があるかもしれませんが…」
ラドゥーは風船を見上げ、それをエルメラの方に差し出した。
「ここは、貴女の夢ですよね」
エルメラは風船を突きはしたが受け取らなかった。
「そうよ」
「中々、可愛い趣味してるじゃないですか?」
ラドゥーのからかいにエルメラは口を尖らせた。
「違うわよ。お人形遊びはとうに卒業したわ」
エルメラは風船を持たない方の手を取り、ラドゥーを導いた。
「ここは、人形の墓場として創ったの」
「…墓?」
ラドゥーは墓場とは程遠い可愛らしい人形達の遊び場を見渡した。さっきまで走り回っていた果てなしの闇の方がよっぽどおどろおどろしかった。寧ろ、霊でもなんでも何かがいてくれれば、と思わずにはいられなかったくらい、何も無かった。だが、ここは、人形達の笑い声が絶えない、明るい場所だ。
「ここの住人は行き場を失くしたモノばかり」
「行き場を失くした…」
ラドゥーはつぎはぎの夢を思い出した。
「つまり、ここにいるのはつぎはぎみたいに、持ち主がいなくなってしまった人形ということですか?」
「つぎはぎの記憶、見たんだ?」
「ええ。所々抜け落ちてはいましたが、持ち主の人生と寄り沿い続けた夢でした」
どんな時も、つぎはぎは嬉しそうだった。それは、いつだって持ち主と一緒だったからだろう。
「つぎはぎは幸せな子よ。持ち主に愛されたままここに来たから。だからこの夢の外へ出たって平気なくらいに強い。でも、殆どの人形はそうはいかない」
エルメラは足を止めた。ラドゥーも足をとめた。いつの間にか二人は高台に上っていた。さっきまでいたメリーゴーラウンドが見下ろせる。
「…人形の殆どは、捨てられ、忘れられてここに来るの」
エルメラの口調からは彼女の感情は読み取れなかった。
「ねぇ、ラゥの部屋にも、見向きもされなくなったお人形はいない? 妹さんがいるのよね?」
「人形は…沢山ありますよ。妹だけでなく、母も祖母も好きだったこともあって、飾りきれなくなった人形が俺の部屋に流れ込むくらいに」
「そうやって飾られている間はいいの。少なくとも、埃を払ってもらえる間は」
エルメラはラドゥーを振り返った。表情の無い顔を見るのは久しぶりだった。いつもの彼女は太陽のように笑い、月のように微笑む。“無”というのはエルメラには似合わない。
「沢山可愛がられて、幸せ一杯だったお人形は、ある日突然、何の説明も無くお払い箱にされる。己の過失ではなくて、単に飽きられたり、古くなって部品が壊れたりして」
「………」
「人形は口が利けないし、悲しい顔も出来ないけど、ちゃんと分かってるの。ああ、自分はもう、いらないんだなって」
そして彼らは、ある日突然、ころん、と夢の世界に転がり落ちる。
「だから、ここに来るんですか?」
「“道”に漂っているのを、私が見つけてくるの」
「優しいんですね」
するとエルメラはすん、と鼻を鳴らした。
「同情したわけじゃないわ。ただ…人間の無聊を慰める為に作られて、人間の都合で捨てられるモノ達にだって、その役目が終わったら、安らげる場所があってもいいじゃない」
だから、墓場――『玩具箱』。子供に遊ばれない時に休む人形達の寝床。
エルメラは風船を指差した。
「…その風船をくれた着ぐるみ」
「うん? あの服を着たクマさんのことですか?」
「そう、クマ介のこと。クマ介も、そういう理由で夢に来てしまった子の一人。そしてここの最初の住人。ここは、クマ介がマスコットをしていた廃遊園地なの」
「遊園地?」
「ああ、ラゥの世界にはまだ無かったっけ。遊園地は、子供の遊び場よ。もしくは、恋人のデートスポット」
エルメラはふざけるようにラドゥーと腕を組んだ。そして遊具の一つを指さして続けた。
「ああいう機械のことをアトラクションというんだけど、それに乗ったり、広場でショーを見たりして楽しむ場所なの」
彼女に倣って、そのアトラクションを見た。そこにはメアリーとはまた違うドール達が軽やかに笑いながら遊んでいた。きらきらと光を振りまいて。
「…クマ介の仕事は、遊園地にやって来た子供達を出迎えることだったの」
風船をあげて、子供を笑顔で一杯にして、興奮のままに親を置いて走り出す子供に手を振って見送っていた。ラドゥーに対してそうしたように。
「でも、ここが潰れてクマ介もお役目御免になった。お客さんも、そこで働いていた人達も、皆クマ介を置いて遊園地から離れていった」
廃墟となった場所は人の足が遠のくのは自然なことだが…
「……それは、寂しいですね」
「それだけじゃないわ…クマ介は、夢に来ても、人を待ち続けていた」
エルメラは笑った。哀しげに目元を歪めながら。
「笑っちゃうでしょ? クマ介はね、分かってないの」
「分かってない?」
「クマ介は特定の誰かに捨てられた訳じゃない。遊園地が潰れて、そのままなし崩しに倉庫に置かれたままにされたの」
放置。それは、人形にとって捨てられるよりも残酷な仕打ちだ。何故なら…
エルメラはラドゥーを見上げた。
「私がクマ介を知ったのはたまたま。すっごくちっちゃくて、ほわほわしてる夢があったから、ちょっと覗いてみたの。そこに…一人で立っていたの。風船を持って」
「クマ介は、役割を終えたことを知らないから?」
「ええ。だから、クマ介は待ち続けていた。自分の小さな夢に、覚えている限りの遊園地を模って、いつでも遊びに来てくれた子供を出迎えられるように」
色彩鮮やかなアトラクション。離れていれば分からないが、近くで見ると色が剥がれ落ちていたり、部分部分が欠けていたりしている。それはずっと昔に、その賑わいが遠のいてしまった証拠。
この広い遊園地に一人佇むクマ介を想像し、ラドゥーの胸に寂寥感が広がった。
「生き物ですらない人形の淡い思いで創られた夢に、他人が入る隙なんて無いのにね。…流石に、見ていられなくて…」
誰も来るはずがない遊園地で、ずっと、ずっと、いつまでも待ち続ける着ぐるみに、境遇は違うが、同じように人を待っていた自分とを、重ねてしまったのかもしれない。
夢を持つ気は無かったけど、クマ介が、やってくる住人を出迎えられるようにするくらいなら、とそう思って、クマ介を夢ごと掬い上げた。
そして今、クマ介はかつてと同じように居場所を失くした人形達を出迎えている。風船を持って。遊園地は寂れたままだけど、人形達が駆けまわり、メリーゴーラウンドは回り、クマ介は一人ぼっちではなくなった。
ふと、ラドゥーは不思議に思った。
「どうして人形限定なんですか?」
遊園地は本来人の為の遊び場だ。エルメラの夢ならば、人形だけでなく、いくらでも夢の住人を受け入れられる筈だ。そうすればもっと賑わわせることが出来るだろうに。
「人形達の寛ぐ場所に、人は必要ないから」
エルメラの答えは簡潔だった。
「元々、人形の為に創ったのに、闇を持つ夢人を受け入れるなんて矛盾してるわ」
「闇…」
「善良な人間っていうのは、闇が小さい人のことをいうわ。でも闇があるのは変わらない。私にも、貴方にも」
「それが?」
「私は、主だからいいけど、他の人がいては、それを手繰って闇は必ず忍び込んでくる。私は常にここにいる訳じゃない。私がいない間に、そこに付けこんで、夢に入り込む餓鬼がいたら鬱陶しいじゃない。だから最初から受け入れないようにしてる」
エルメラはラドゥーから顔を離さず続けた。
「貴方も、本来来るべきじゃなかった。闇を抱える一人間だもの」
「じゃあ、俺は早々にここを出ていった方がいいでしょうか」
「…でも、もう遅いかもしれない」
不穏な空気を感じ、ラドゥーは目を眇めた。
「…ねぇ、どうして異世界に行けたの?」
エルメラの宝石のような瞳は、ラドゥーを真っ直ぐに射抜いた。
「私の腕輪があるから、夢に行くことは出来る。でも異世界に行くなんて、まず無理よ。夢と現実の境目は紙より薄いものだけど、人間には超えられない壁だから」
夢は渡れる。別の世界へ行くのは不可能? だが、最初に行ったのは、オイボレーのいる紛れもない現実世界だ。
「…どういうことですか?」
「私の腕輪は迷ってしまったら、困らないように助けはしても、そもそも迷うような場所に連れて行ったりはしない」
「…エルメラ?」
「でも実際にここまで来てしまった。私を忘れていた貴方に、確固たる目的があった筈がないし、逃避を願う訳も無い。残るは――」
突如、エルメラの周りに風が渦巻いた。
「――御機嫌よう、姫」
二人は同時に振り返った。二人きりだった筈。その気配は突如現れた。エルメラの声は忌々しげにその正体の名を口にした。
「“奇術師”…」
夢を超えて世界を渡るには、ただならぬ決意と、相応の力、そして人ならざる存在であることが必要。
でなければ――
―――誰かに、招待されるか。
“怪盗”からラドゥーのことを聞いた時からおかしいと思っていた。
今の“彼”は普通の人間なのに、どうして世界を渡れるのか。
それが可能なのは、“夢の旅人”か、相応に力を持つ存在だけ。他人を巻き込むには、さらに倍以上の力が必要だ。そして、ラドゥーを引き込んだのはエルメラではない。
彼を捜しながら考え続け、辿り着いたのは一つの結論。
ラドゥーをおびき寄せて、ふざけた真似をしようとしている誰かに、一人、否、一匹、心当たりがあった。
「随分舐めた真似してくれるじゃない…っ!」
ラドゥーはエルメラにとって唯一の弱味。エルメラの“さがしもの”で“約束の人”。ラドゥーに何かあれば、エルメラは足場を失う。
ここの夢へは、彼女の許可が無ければ、いかなる存在も入れない。だからこそ、エルメラの夢は絶対安全領域を誇った。他の夢とは違う格別に強い夢。であるからこそ、力の無いひ弱な人形達が憂えずに遊べるのだ。
しかし、そんな鉄壁の夢も、ラドゥーに限っては無効だった。ラドゥーに対してだけは、エルメラは無条件に受け入れてしまうからだ。
そして、人間が一度入ってしまえば、ヤツにも入る隙が出来る…。
「良かったネ。ずぅっと当てもなく彷徨い続けた果ての感動の再会。観客が涙ぐむ絶好の場面だ」
黒いピエロは黒い鎌をくるくると回しながらラドゥーに話しかけた。エルメラの殺気だった風にも動じもしない。
「君は記憶に無い誰かを探し続けていた。知らないはずなのに、知っていなければならない誰か。苛立つ君にその手助けをしてあげたのは、ボク」
針金のように細い手足、悲喜の仮面を被り、禍々しい道化の服を纏う“奇術師”。ラドゥーはこいつのことも、既に思い出していた。
学友達がこいつの手に落ち、ばらばらになったことも。
「なるほど…」
つまり、今までずっとこいつの掌の上で転がされていたということか。こいつの所為でめちゃくちゃにされたのに、こいつのおかげでエルメラに辿り着いた。
「……っ」
だが、最も忌々しいのは、たとえ罠と知っていたとしても、“奇術師”が示した道に、自分は間違いなく乗っていただろうということ。
闇は自分の中にこそいるのだということを忘れていた。いや、甘く見ていた。自分は闇を抑え込める理性を持っていると驕っていた。だが結果はどうだ。抗えない欲求を突き付けてくる奴に対抗できたか?
闇は鏡
なるほど、“夢屋”の忠告は正しい。
「でもモノガタリはそれで終わらない。最後のクライマックスが待ち構えているものだヨ」
くるくる くるくる
鎌が歯車のように回る。運命の歯車を回すのは悪しき闇の手か。それとも…
「観客は最高のフィナーレを期待して、目を皿のようにしてボク達に注目してる」
ピエロは喋り続ける。耳障りな声で。神経を逆なでする様な声で。けれど、聞かずにはおれない声で。
「舞台は大地、夜空は客席、瞬く星は観客の瞳。ボクらの上で高みの見物。満足させなきゃ強制退去。人生は世知辛い。そりゃ当然だネ。僕らは踊らされてるんだから」
高らかに台詞を読み上げるピエロ。鎌を黒鳩に変えたかと思うと、黒い炎に包まれて瞬時に消え、再び手の中に黒鎌が出現した。
「…何が言いたい」
すると、“奇術師”は鎌をラドゥーに向けた。
「姫の名前を知りたくないかい?」
「……な、んだって?」
「姫の名を知りたくないのかって聞いたんだヨ」
「名前…が何だと」
「君は姫が欲しい。だからはるばる時空を超えてやってきた。でも、残念。それだけじゃ不完全。このままじゃ一緒にいられない。そうだろう?」
口をはさむ間もなく捲し立てられた言葉はラドゥーの胸を貫いた。
「“夢の旅人”は夢のイキモノ。永劫の時間と引き換えに、人の世界に居場所を失う」
言われずとも、そんなことは分かっていた。
ラドゥーが老いても、彼女は変わらない。ラドゥーが死んだら、彼女はまた一人。今のままでは、ラドゥーとエルメラは同じ時の中で生きることは出来ない。
「………」
「姫を手にする方法はただ一つ。人の名前を取り戻して、姫に返してあげること」
聞いては駄目だとラドゥーの頭の中で警鐘が鳴った。けれど…その誘いを無視することが出来ない。
甘い誘惑が、ラドゥーを誘う。
「……そうするには?」
「ラゥ! ヤツの言葉に耳を傾けないで!」
焦って制止するエルメラの声も遠くなっていく。ラドゥーは闇に取り囲まれつつあった。
「簡単だヨ。自分の魂と向き合って、記憶の中から名前を見つければいい」
「……魂?」
「そう、こうやってね」
ラドゥーが考え込んだその一瞬、黒鎌が翻った。
ラドゥーは意識が途絶える寸前、風船が上に昇っていくのが見えた気がした。
「ラ…ゥ」
ラドゥーの胸に黒鎌が突き刺さっていた。
エルメラの、目の前で。
解説広場です。どうぞ↓ m(_ _)m
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「お待たせしました」
「いいえぇ」
「何か飲みます?」
「じゃぁ、ミルクティーがいいわぁ」
「では、俺はコーヒーで」
「畏まりました」
「……でぇ? ムークット君、わたしに何のお話?」
「今の状況に驚かないんですね」
「えぇ? うん、まぁそぅねぇ。ムークット君が、実はお坊ちゃんだったって言われても、あ、やっぱり? くらいにしか思わないわぁ」
「流石ですね、ファルデさん」
「伊達に人間観察してきてないわよぉ。で、話って?」
「ファルデさん、家で働く気はありません?」
「家って」
「ここ、グリューノス家の屋敷で」
「わたしを雇うの?」
「ええ、卒業後、俺の婚約者の侍女となってもらいたい」
「ふぅん」
「どうです? 給金の心配はいりませんし、途中で辞職してもきちんと保障をします。また、この話を断ったからといって貴女の不都合なことにはなりません。悪い話ではないと思いますが」
「わたしを雇おうとする動機はぁ?」
「貴女は俺に近いからです。考え方に共感できる。貴女は人波を上手に泳ぎますし。社交界に連れて行ってもすぐに慣れそうだ」
「………」
「それに、俺の婚約者とどうやら顔見知りらしいのです。彼女の絶対の味方が欲しい俺にとっては、ファルデさんはまさに理想の相手なんですよ」
「高貴な方とお知り合いになった覚えは無いけどぉ?」
「彼女は、そうですね。ここでは地位はありません。でも、上流階級のお歴々と渡り合えるほどの度胸と知己はあります」
「面白そうな人ねぇ。わたしはその人に侍ればいいのぉ?」
「ええ。貴女は侍女として、彼女の手足となって動いてほしいのです」
「ふぅん。まぁ、就活面倒くさいし、丁度いいかしらぁ」
「では?」
「いいわよぉ。お城の方達との腹の探り合いって何だかわくわくするしぃ」
「貴女なら、きっとそう言ってくれると思いましたよ」
「オカルトが好きな殿方とかいるかしらぁ?」
「いっぱいいるでしょうよ。どういう訳か、暇と金を持て余した貴人ほど、怪しげなオカルトに嵌る方が多いみたいですし」
「うふふ、ますます楽しみだわぁ」
「では、契約書を」
「ああ、そうだ」
「何でしょう」
「正式に雇われたら、貴方のことを、様付けで呼ばなきゃならないかしら?」
「はは、ファルデさんに様付けされるとどうも落ち着かないですね。人前にいる時以外はいつも通りで呼んで下さい」
「じゃぁ、遠慮なく」
「若君、お茶が入りました」
「ああ、領主様の紅茶はまた格別ねぇ」
「これからはいつでも飲めますよ」
「じゃあ、これからよろしくぅ。お友だち兼雇い主さん」
「よろしく。期待してますよ」
―――――-少し先の光景。彼女とも因縁を持つ少女との取引。そして、これから始まる、彼らのお話。




