4.夢の始まりは
さて、俺は今どこにいるのか。
途方に暮れながらも現在の状況を把握しようとあたりを見渡した。
とりあえず、日が高い。
まず、そこからしておかしい。
さっきまで月があった場所に、代わりに太陽がさんさんと輝いているのだ。おかしく思わないわけがない。俺の街じゃない? ということは時差が生じるぐらい遠い場所ということに…。…瞬間移動?
「ここは、貴方の世界じゃないってば。繋がってはいるけども」
「…貴女の言う夢の世界だと?」
「んー…“どういう”夢かは説明するより実際体験した方が早いわ」
「体験?」
聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
「ええ、ここの夢はもう私たちを迎えて、始まってるの」
「何が、」
始まっているのか、と続けようとしたところで、かすかな地響きがすることに気付いた。
目線を上げて、遠望すると地平線まで続く荒野に一本の道が真っ直ぐに伸びている。その道の果てから砂埃が立っているのを見つけた。
「あれは…」
「すぐに分かるわ。―――さあ、夢を始めましょう」
エルメラは歌うように腕を広げて宣言した。
「あ、私は私の役割があるみたいだから。じゃあ、また後で合流しましょう」
そして突然消えた。
ラドゥーが問いつめる隙もなかった。
「なっ…ちょっ!」
見知らぬ地にいきなり連れてこられ、挙句置いてけぼりにされては、流石に怒りもする。しかし、責める対象である彼女はもういない。そうこうしているうちに近づいてきた地響きに、ひとまず苛立ちを引っ込めた。
もう肉眼ではっきり見える距離になっていた砂埃の正体は軍馬の群れだった。馬を軍馬だと分かったのは騎手たちの見てくれがどう見ても兵士だったからだ。少々前時代的ではあるが。
どんどん大きくなる地響きと、馬の蹄の音に俄に緊張したが、しかし、あれは大丈夫だと理性とは別のところで確信する。
その軍馬の群れもラドゥーに気付いたらしく、ラドゥーの許まで駆け寄り、手前で停止した。一番前にいた、隊長格だろう男がラドゥーに話しかけてきた。
『お前は何者か。名は』
すると、ラドゥーは自身も予期せぬ行動を起こした。
『おや、人に名を尋ねるときは自分から名乗るもんだろ。しかも馬上でなんてあり得ないね』
『なっ! 無礼者! 隊長になんて口のきき方だ。控えろ!』
後ろにいた、いかにも血気盛んな若い兵士がいきり立つ。ラドゥーにしても、今の発言は初対面の人に対しては如何なものかとちょっと思ったが、ラドゥーは自分の意志で言った訳では無い。まるで、決められた台詞を言わせられたような…。
隊長がその兵士を諫め、ラドゥーに向き直った。
『それは失礼をした。わたしの名はゼノム。お主の名はなんと申す』
一人馬から下りて、少々柔らかい態度で再度問うてきた。
『ガルド。まぁ俺を警戒すんのもわかってるけどね。隣国のギシュアと戦りあいそうってんで警戒態勢布いてんだろ。見慣れぬ者を詰問すんのも当然だよな。まっオレにゃ関係ねーから。もう行っていいか』
ガルドと名乗ったラドゥーも、話が分かる隊長にはつっけんどんな態度を改めて朗らかに応じた。俺、ガルって名前じゃないんだが。しかし、会話をしているのは紛れもない自分自身なのに、話の流れについていけないラドゥーに抵抗の余地はなかった。
『ほう、ギシュアとの事を知っているのか。国民もまだ知らぬというのに』
感心したようにゼノム。ただし目には鋭く相手を探る色が宿った。
『旅にはいち早く情報を入手する必要がある。か弱い旅人が身を守る為には常識だろう?』
変わらない態度に嘘が見当たらなかったのか、隊長はしばし考えるそぶりを見せまた問いかける。
『ならば、ギシュアについても何か知っているのか』
『ゼノム様』
別の比較的落ち着いた雰囲気の兵士が諫める。
『そりゃ当然さ、一方のみの情報じゃ偏りが出る。うっかり戦に巻き込めれでもしたら一大事だ。情報は、常に新鮮で、正確でなきゃ役に立たない』
『その情報、我が国に提供してほしいといったらどうする』
兵士の諫めも聞かず身を乗り出してくる。
『…へぇ?』
ガルドは片眉をあげた。ラドゥーはもはや諦めてこの流れに付き合うことにする。
『もちろん身の安全は保障しよう。王城への招きを受けて頂きたい』
『こんな身元の知れない、怪しげな旅人からの情報を王都のお偉いさんは信用すんのかね』
『あの国は、情報を漏らさぬことに長けた国だ。旅人の情報は正確さが売りなのだろう? 役立つ情報を提供した暁には相応の褒賞をとらせよう』
『つまり、バリバリに警戒されて、折角放った間者からも有益な情報が得られなくて、藁にもすがる状態なわけか』
痛いところを突かれて、後ろの兵士が憮然とした。しかし隊長に目で押えられ突っかかってくる者はいなかった。顔色を変えない隊長はさすがというべきか。
『そんなところだ。で、招きに応じてくれるのか、くれないのか』
選択肢を与えておきながら目に見えないプレッシャーをかける。ガルドはそのプレッシャーに臆さず茶目っ気な目を返した。
『いいぜ、美味い飯と柔らかいベットも付けてくれるんなら』
隊長はそこで始めて相好を崩した。
『承知した』
隊長の馬に相乗りさせてもらい、連れてこられたのは活気に満ちた都。彼らの国、エテピアの王都だ。さすがに王都だけあって大きい。そして街も整備されていた。乗馬は初めてではないが、少々疲れてたガルドに上等な宿の一室に通され休むよう言われた。
『あれ、王城に行くんじゃないの?』
『いや。招待が突発的なものだからな。これから上に許可をもらいに行く。まあ一週間もすれば王城に招かれることになろう。それまではこの宿にいてくれ』
『たかが許可に一週間もかかるわけ?』
『お役所仕事などそんなもんだ』
都に着く間にちょっと打ち解けた隊長は肩をすくめる。
『まあ先を急ぐ旅じゃないから構わないけども』
『そうか、それなら良かった。信用できる配下を二人置いていくから何かあれば言うといい』
ゼノムは外套をひるがえして去って行った。
部屋に一人になり、突然身体の主導権が戻ってきたラドゥーは、糸が切れたようにキングサイズのベットに座り込んだ。
「…なんだったんだ、今の」
後ろに倒れこみ、手を額に押し付ける。ふかふかのベットはラドゥーの身体をやさしく受け止めてくれた。
今まではラドゥーでなくガルドというヤツがこの身体を動かしていた。ラドゥーはそれを見ているだけだった。今は完全にラドゥーの自由になる身体に、先程のガルドが出てくる気配はない。
「しかし、この展開どっかで…」
その瞬間脳裏に天啓が閃いた。
「そうだっ、『ガルド・バリューの冒険』!あの話だ」
『ガルド・バリューの冒険』とはラドゥーの愛読書本である。おじじの店で気に入り、借りるのではなく購入するほどのお気に入りであった。
もちろんその本はラドゥーの部屋の本棚にある。エルメラはその本棚のいずれかの本から“道”を開いてやってきたという。ならば、同じようにして今度はラドゥーを連れてやってきたのではないか。
今までのやり取りは、その話をそっくりそのままなぞるように進んだ。先程の不敵ともいえるセリフもそのままだった。
だとすると、この“夢”はその小説の中だということになる。そしてどうやらラドゥーはこの話の主人公の役を演じることになっているらしい。ここまでは分かった。漸く地に足を付けられた心地に少し安心したラドゥーは、未だ根本的な謎が全く解けてないことに気付く。
「…ま、それはおいおい考えるとしましょうか」
結局帰れないことには変わりがない。
早くもラドゥーにはあの緑玉の少女に関して達観した思いが芽生えていた。