54,5 前触れ~鬼ごっこの果て~
ぼくらは、もういらない?
ラドゥーはつぎはぎを追って走っていた。…走っている、筈だ。
周囲は深遠の闇だからよく分からない。視界の全てが黒で覆われている所為で、その場で駆け足している様にも感じる。どこまでも続く果て無しではなく、ただ箱の中にいる様な…走り出した地点から一歩も動いていないような…。
そんなことを思っても動かない訳にはいかないので、さらにラドゥーは走った。
相変わらず闇しかない空間だ。走ることに集中し、不安に苛まれないようにするのに一苦労。そのうち悟りを拓けるんじゃないか? 俺。
ここは何処なのかという疑問はとうの昔に放棄していた。
ラドゥーには自覚は無いが、記憶が欠けている。その欠けた記憶の中にここの記憶もあるかもしれない。だからここにいるのも意味があるのかもしれない。何故なら、何の縁かパティの店に辿り着き、記憶を取り戻すべく怪しげな薬を決死の思いで飲み干したらここに流れ着いたのだ。というのも、どういうわけかつぎはぎの記憶を見ていって、そのままここに自動的に辿り着いたからで…
ん?
何故だ。ラドゥーは自分の記憶を取り戻すためにあの薬を飲んだはずである。つぎはぎの夢を見るためじゃない。
「………あれ?」
意識が吹っ飛ぶ寸前、パティの叫びを聞いた気がする。
「じゃあつぎはぎに邪魔されたわけですか、俺」
つまりだ。折角、楽に記憶が取り戻せる絶好の機会を潰され、代わりにつぎはぎの飛び飛びの思い出を見せられた挙句、鬼ごっこに付き合わされたということか。
「…何やってんだ俺」
思わず脱力しそうになった。しかし、五歳児のように無垢なぬいぐるみに八つ当たりする気にもならない。
そして、(おそらく)三時間後経った今、ラドゥーはとうとう痺れを切らした。
「――――だぁっ…くそっ!!」
ついにラドゥーは立ち止り、膝に手をついて肩で息をした。ぜぇぜぇと荒い息を繰り返す。
「あのぼろうさぎ…どんだけ俊足なんだ」
認めよう。つぎはぎを舐めていた。精々一時間ほどで捕まると思っていた。だが誰が予想出来るだろう? 日常的に身体を鍛えているラドゥーを寄せ付けないぬいぐるみなんて――
〈だから隠れ鬼。してたの、つぎはぎと。ずっと探してたんだから〉
隠れ鬼。
どうしてか耳にすんなり馴染む言葉。つぎはぎと隠れ鬼の言葉が連結している。つぎはぎといえば、追いかけっこ、という感じに。では、つぎはぎと隠れ鬼をしていたという誰か。遊んでやっていたのだろうか。そう、今の、俺と同じように。記憶にちらつく辟易した声からすると、かなり時間をかけて。
ラドゥーは知らず穏やかな笑みを浮かべた。
「…どうやら、態々薬に頼らなくても何とかなりそうですね」
ラドゥーは改めて暗闇を見渡した。
この暗闇が、ただの暗闇じゃないことくらい、重々承知だ。ここが現実世界ではないことくらいは理解している。いい加減、おかしな体験をし続けている以上、認めない訳にはいかない。認めた所でここが何処なのか判明するわけでもないけれど。
「……」
ラドゥーは闇に手を伸ばす。何も掴めない。人は暗いだけで不安を感じるものだが、この闇は故意に精神にあてこすってくる。
ラドゥーの胸がじわじわと落ち着かなくなってきた。
「…ちっ」
鬼ごっこに集中していた時には感じなかったものだ。集中力を欠いた途端にこれだ。
ラドゥーは否応なく自身の内面と向き合い、欠点、疚しい部分を突き付けられた。そして闇が、その劣等感につけこんで、日の差さない心の闇に忍び込んでくるのを感じた。
「この、無茶苦茶に切り刻みたくなる感じとか、どうせ俺なんてとか言って、いじいじしそうになるというか…この後ろ向き思考へ引き摺り込む、嫌ぁな感じ…前にも」
ずぶずぶと足元から闇がラドゥーを呑みこもうとする。しかしラドゥーはその闇を踏みにじった。
「…知っているよ。自分の醜さくらいは」
物語の主人公ならば心が真っ直ぐであったり、素直だったりするが、生身の人間に、そんな清らかさは求めるべくもない。純粋な者が問題を解決するには、代わりに手を汚してくれる協力者がいなければ成立しない。そして現実では、手を差し伸べてくれる者はいない。助けを待っていたら、潰されるだけだ。
「だから俺は、自分の汚れを受け入れているんだ。進む為に」
その時、ラドゥーの腕が輝いた。闇に慣れた目には微かな光でも眩んだ。
「…腕輪?」
こんなのしていたか? と思いつつも腕を前にかざすと、発光源の腕輪から緑色に輝く一筋の光が闇のその先に続いていた。
「…つぎはぎを見失ってしまったことですし、ついて行くしかないでしょうね」
この光がつぎはぎに続いているのかは分からないが。今更土俵から降りられない。っていうか闇の中で一人で取り残すのは止めてくれ。
「………ぜってぇ捕まえてやる」
ラドゥーは力を振り絞り再び駆けだした。
それからまた暫く走ると、喜ばしいことに闇以外の物と出会うことが出来た。
「………扉?」
ずっと同じものを見ていると他のものが見たくなるものだ。しかし、闇に浮かぶ扉というのは如何なものか。怪しいことこの上ない。
「…入ればいいのか?」
もう闇の中を彷徨うのも嫌だし。
つぎはぎは、この先に行ったのだろうか? 光もこの扉を示しているようだ。
扉は観音開き調で、蔦をモチーフにした細い格子が嵌められている。美しく弧を描くブロンズの蔦。精巧に象られた葉。
その向こうにはさぞや立派な屋敷でも聳え立っているのかと思いきや、格子の隙間の向こうは馴染みの闇しかない。漸く闇から解放されると期待しただけに少し落胆した。
それとも、この向こうには何かがあるのだろうか? ラドゥーはこの光景に既視感を覚えた。こんな闇体験などしたことはないはずなのに。闇も、扉もラドゥーが忘れていても、心が覚えてる。
「ここは…狭間…」
頭痛を堪えて記憶を掘り起こせば答えが出てくる。そして予感。この先に求めている何かがあると。
そろりと手を伸ばす。重厚そうな扉は、見た目に反して触れる前に簡単に開いた。
「…おいでませってか?」
招く様に開かれる扉に、予想から確信の思いを抱く。
ラドゥーは覚悟を決めて扉の向こうへと足を踏み出した。
それでは、解説広場です。↓
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「~♪」
「…おばあさま?」
「あら、ラゥ。ごめんなさいね、起こしてしまったかしら」
「いいえ。…おばあさまは、よくそのメロディーを口ずさんでいますが、何の歌なのですか?」
「うん? うふふ、このお歌はね、旦那様に頂いたオルゴールの曲なの」
「おばあさまのお部屋にあるオルゴールですか?」
「ええ。あれは貴方のおじいさまが、ノックスへ行った際にわたくしへの土産として買い求めて下さったものなの」
「…あのおじいさまが?」
「ふふ、あの厳格なあの方が愛らしい天使のオルゴールを手渡して下さった時のお顔は、それはもう可愛らしいものだったわ」
「へぇ」
「あら、その顔は信じてないわね」
「そんなことは」
「じゃあ、こうしましょう。いつか、あのオルゴールを貴方に差し上げる。そうしたら、そのオルゴールの由来をおじいさまにお訊きしてごらんなさいな。きっと照れくさい顔をして話して下さるから」
「今度、帰っていらしたときではいけないのですか?」
「……わたくしが生きている間は、きっと知らんぷりなさるでしょうからね」
「え?」
「おじいさまは照れ屋さんだと言ったのよ。さぁ、お薬の時間ですよ」
「…これを呑んだら、そのお話、もっと聞かせてくれますか?」
「その歳で交渉術を身に付けるなんて、将来有望だこと。いいわ、おじいさまに内緒にしてくれるなら。わたくしがぺらぺら喋ったって知られたら、怒られちゃうもの」
「はい、お約束します」
「そうねぇ…ああ、そうそう、この曲の名前なんだけどね―-――-」
――---------優しい記憶。祖母との内緒話。そして祖父をからかう情報をゲッツ。