49.求職活動
―――ずぅっと一緒だよ。
そう言ってぎゅってしてくれたその子は、もういない。
翌日、ラドゥーは一人で外に出た。街を歩いて人手不足の店は無いか探す為に。
街中で野宿するのは避けられたが、いつまでも着たきりスズメではいられない。服の調達や要り物を買う為の資金がいる。それには労働しなければいけない。女性に頼って生きるヒモ状態なんぞ容認できるものか。
身分はこの上なくセレブな彼だが、庶民と机を並べているだけあって、ラドゥーの感覚は庶民気も交じっていた。
街の構造は単純だったので、一度歩いただけの道でも迷わず歩くことが出来た。
仕事を探す前に教会に寄ってみる。神を敬う気持など一切持ち合わせていない彼だが、一応ここの御神体様に敬意を払ってると周囲に示すのは必要だ。
教会の位置もハナに昨日の内に案内してもらっていたから難なく辿り着いた。
そこは昨日会ったレレティーヌに相応しい荘厳な白さを誇る教会。神殿、といっても良いだろう。民間にも開かれている礼拝堂の扉をくぐる。
中は薄暗く、微かに甘い香の匂いがした。
左右に列をなすベンチには、時間も早いせいか一人二人の信者しかいなかった。
神を祀る社独特の静謐さ、とでもいうのか神殿の中はひんやりとしていた。
ラドゥーはベンチの間に横たわっている通路をゆっくりと歩く。
その先に待ち構えている清らかな顔をした美女像。聖女か聖母かは知らないが、救いを求める人全てに向けられたような笑みが、如何にも神聖さを表している。これがバームとかいう女神か。
この万人向けの笑みをして八方美人に思えて仕方がないラドゥー。縋る人の多さに逆比例してその加護も薄まりそうなのだ。
「………」
ラドゥーは何も言わず静かに目を伏せ軽く頭を垂れた。礼拝の仕方は知らないので、ラドゥーは彼なりに礼を尽くす。
神が人を救えるもんなら、救ってみろと、心中で呟きながら。
「あら、貴方昨日の…」
振り返ると白いマントを頭から被った人がいた。声に聞き覚えがある。
「あ…」
「ここに来たばかりなのに、早速感心だこと」
「レレティー…」
しっ、と人差し指を口に当てる。どうやらお忍びらしい。
「…わたくしも毎朝この礼拝堂でお祈りしているの。バレてしまっては明日から来れなくなってしまうわ」
レレティーヌは優雅な所作で祭壇の前に跪き、小さく口を動かす。多分、祈りの言葉だろう。暗記した歌のように淀みなく言葉を紡いでいく。
このまま去っても良かったが、聞きたいことがあったのでラドゥーは彼女を待った。
レレティーヌは祈りを数分で済ませると、すっと立ち上がり、ラドゥーを振り返って共に歩きだした。
「…良い天気ね」
空の快晴を眩しげに見上げ、ずれそうになったマントを被りなおす。
「これからどちらに?」
「それは私の台詞。これから何処に行くの?」
ラドゥーは大人しく答えた。
「仕事を探しに」
「まぁ」
その答えは意外だったようだ。
「恥ずかしい限りですが、俺は無一文ですから。それに、女性に頼りっぱなしというわけにもいきませんし」
至極当然の事を言ったまでだが、レレティーヌはひどく感動した様に何度も頷いた。
「貴方はとても素晴らしい人ですのね。異国の者にもこんなに真っ当な人がいたなんて…」
「あの……?」
「ああ、ごめんなさいね。久しぶりに良き殿方を見えたものですから」
「この街の方々だって親切な方ばかりじゃないですか」
行き倒れの不審人物を拾ってくれるくらいには。
「ええ、勿論。勿論この街の者達は善良な者達ばかりよ。でもね、この街を一歩外に出れば獣と相違ない欲に塗れた人ばかりだから」
「………」
「今は世界が乱れているから。外からいらしたのだもの、分かるでしょう? 周囲の国々は相手の領土を侵略することに始終してる。わたくし達のこの街も例外でなく狙われているわ」
「…何処に行っても人って変わらないんですね」
何処に行っても戦は無くならないものだ。人が人である限り。悲しみを生む戦。けれど、富を生むのも戦争だ。全てを破壊する戦。けれど、戦のおかげで技術は向上し、後世の発展に繋がる。戦争は矛盾を両立させる最大の逆説なのだ。
どれだけ奇麗事を並べても、後世に生きる人達は先人の戦で発展した経済の中で以前より豊かな暮らしを享受している。ラドゥーも然り。
戦は政だと、誰が言ったんだったか。
「そうだわ。貴方、お仕事探してるのよね」
「え? ええ」
「ちょっと大変な仕事なんだけど、貴方みたいに優しい人には合ってると思うの。 良ければこれから案内したいわ。如何かしら?」
ラドゥーは数拍考え、
「ええ、是非。よろしくお願いします」
柔らかい笑みで頷いた。
ラドゥーが連れて行かれたのは歩いて数十分程度の位置にある街外れの家だった。
簡素な造りだが民家というには大きい、けれど屋敷という程大きくはない平屋。
風雨に晒されて黄土色と化した白壁。整列した窓には物々しい鉄格子が嵌っており、建物の周りは高い壁で覆われ、その上を棘付きの針金が張り巡らされていた。
…収容所?
「養護施設よ」
ラドゥーの疑問に間が良くレレティーヌが答える。彼女は門番二人に門を開けさせ建物に入った。中へ導かれたラドゥーの鼻に薬草や埃の匂いが掠めた。
廊下隅に置かれたベンチ、等間隔に設けられたドア。清潔感は感じられるがラドゥーはまず息苦しさを覚えた。
「空気が悪くないですか?」
窓の絶対数が少ない上、僅かにある窓も閉め切られていた。
「仕方ないわ。ここでは迂闊に窓は開けられないし」
「どういうことです?」
「今に分かるわ」
と、レレティーヌが言うや否や突然叫び声が室内に轟いた。
何だ、とそっちを向くと大男が扉を蹴破って廊下に飛び出て来た。
「もう嫌だ、俺をここからだせ!!」
同じ扉から二人の男女が現れ、彼を床に押さえつけた。
「はい、シュバッセさん。お薬の時間ですからね~お外に出るのはその後にしましょうね」
まるで子供に言い聞かせるようにして彼を言い含める。
「俺は病人じゃない! 薬なんかいるか!!」
二人がかりで関節を抑えられて暴れられない大男はそれでも声を張り上げる。
「あれは……」
「患者の一人よ」
「……………」
精神病患者だろうか?
そのまま扉の奥へと引き摺られて行く男を見送りながらラドゥーは思った。
その時、扉を閉めようとした二人の内の一人の女がこちらに気付いた。
「あっこ、これは……レレティーヌ様!」
男の方も気付いて、同じように驚いた顔をした。その瞬間、拘束が緩んだ隙を狙って大男が暴れ出した。
「お前か! ノルメの蠍女は!」
男は血走った眼でレレティーヌを睨みにつけ、彼女に殴りかかろうとした。
しかし、すぐ隣にいたラドゥーがそれを防げぬわけがない。
「ぐっぁあ!!」
「どのような理由であれ女性に手を上げてはいけませんよ」
そこで初めてラドゥーに気付いた様に彼はラドゥーを見た。
「てめぇ……誰だ」
ラドゥーはおや、と思った。しかし、ラドゥーが口を開く前に二人がすぐさま彼を拘束した。
「レレティーヌ様の御前で失礼な事はしてはいけませんよ。さ、お薬飲んでお昼寝いたしましょうね」
女が口だけは優しく言って、先程より強く彼を羽交い絞めにした。
「止めろ、止めてくれ! 俺は狂ってなんかいない! 俺を誰だと思ってる!!」
「はいはい。シュバッセさんは大国の守護隊長ですもんね~とぉっても強くて偉いんですよね~」
とても本気でそう思っている様には聞こえない。子供のなり切ってるごっこ遊びを大人目線で付き合っている感じだ。
男の必死な目とラドゥーの目が合った。
「お前! お前はこいつらの仲間か! そうでないなら助けてくれ! 狂ってるのはこいつらだ!」
縋りつくような目で見られラドゥーは首を傾げた。確かに仲間じゃないが世話になっているのは確かだ。
ラドゥーはにこりと笑って彼から目を離してレレティーヌを見た。
「彼らの仕事を見たいんですが、構いませんか?」
その言葉に絶望した彼の顔が蒼白になる。身体の動きが止まった隙に女性は瓶の蓋を開けて何やら液体を男の口に流し込んだ。男は一瞬暴れるそぶりを見せた者のすぐにぐったりと床に伏した。
そんなやり取りに見向きもせずレレティーヌは嬉しそうに笑い返した。
「ここでの仕事を引き受けて下さるの?」
「ええ。やりがいがあります」
楽しそうですし。
と、そんな事は言わずラドゥーは微笑んだ。
「まぁ、嬉しいわ。ここはいつも人手不足でね、猫の手も借りたいくらいだったから」
これは職員の女の言葉。
「男手は本当に助かるよ。早速明日からお願いできるかい? 仕事の内容はやりながら教えるから。最初は戸惑う事ばかりだけどその内慣れるから心配しないで」
男の方も拘束を緩めず嬉しそうに言った。
「ここに住み込むのは可能ですか?」
「毎日交代で泊まりの当番をしているから暮らせないこともないけど、部屋は仮眠室しかないし、そこだって共用だし、普通は通いよ」
「そうですか。その部屋を俺に宛がって下さるなら、これから毎夜の当番を俺が引き受けますよ」
ラドゥーの急な申し出に嬉しいというより戸惑いの表情を見せた。
「え…それは助かるけれど、まだ貴方始めてもいないじゃない」
「ここの仕事は本当に大変なんだ。今まで過労やノイローゼにかかった職員は沢山いる。やる気があるのは感心だが、あまり気負うと君が参ってしまうよ」
「では、最初の方は通わせていただきます。仕事に慣れたらここに移っても良いですか?」
「どうしてもここに住みたいのかい?」
その問いに答えたのはレレティーヌだった。
「彼ね、ついこの間ここに来たばかりで、仕事を探していたの。今は行き倒れの所を助けてくれた子の所でお世話になってるそうなんだけど、ずっとそこにいるのは気が引けるって言って…」
その答えに不審そうな顔が一瞬にして晴れた。
「まぁ…なんて謙虚で慎ましいんでしょう。まだこんなに若いのに…」
男の方も酷く感銘したように何度も頷いた。
「そんな、当たり前の事で…」
そんな風に決まり悪げに顔を逸らせば、ますますラドゥーに優しい視線が寄こされる。
「そういうことなら仮眠室を君用に改装しよう。暫く他職員と共に夜の番をしてもらう事になると思うけどね」
「本当ですか? それは助かります。あの、すみません。新参者がこんな無理を言ってしまって…」
「気にしなくていいのよ。寧ろとっても助かってるの。これからよろしくね」
ラドゥーは彼らと握手を交わした。
そして夕方、ハナッチェルの家に戻ったラドゥーは食卓を囲みながら仕事が決まった事を報告した。
「本当? 良かったわね。こんなに早く見つかるなんて」
我が事のように喜んでくれた。そんな優しい笑顔にラドゥーも笑い返す。
「ええ、本当に。ハナさんには本当にお世話になって」
「ううん。私なんて大したことしてないわ。あの、それで、ここから通うのよね?」
「いいえ、あそこに住み込みで働くつもりです」
「え…」
ハナは笑顔を引っ込めた。
「どうかしましたか?」
「ここを出て行くの?」
「ええ。ずっとここでお世話になるわけにはいきませんので」
「……そんなの全然気にしなくていいのに。何処で働くの? 遠いの?」
「街の外れの養護施設です」
「えっ! あそこっ?」
予想以上に驚いた顔をした。
「だって、あそこは選ばれた人しか働けない、凄い方達ばかりの所で…」
「そうなんですか?」
確かに昼間見学した仕事振りはてきぱきとしていて無駄が無かった。街の有能揃いというわけか。
「ええ、だって彼らは字が読めて、外国の言葉を話しても穢されない凄い強い人達ばかりなんだもの」
「はい?」
字が読めたりするのはいけないのか?
「本は…」
「え、何?」
「本屋はないんですか? この街には」
「本? あんなもの何になるの?」
心底不思議そうな彼女に、ラドゥーは目を細めた。
「人は知恵なんかあるから悪事も思いついてしまうのよ。知恵のある人には悪賢い悪魔に仲間だと思われて近寄られてしまうんですって」
「……」
「外には本があるそうね。沢山。だから誰もが悪魔に取り憑かれていて互いに盗みや殺人なんか起こすって聞いたわ。それはそうよね。そんな酷いこと、悪魔に取り憑かれてるのでなければとても出来ないわ」
「…………」
「でもね、その可哀相な人達を救うには、その知恵を身につけなきゃならないんですって。普通の人はあっという間に彼らに心を操られてしまうから。心が強くて悪魔に打ち勝てる選ばれた人は、それに引き込まれない為に知恵を身につけるのよ。ね、だから普通の人が知恵を持っちゃいけないの。分かるでしょう?」
ラドゥーはスープを飲んで、笑った。
「………ええ、本当に、その通りですね」
目だけは冷え冷えと彼方を睨みつけていた。
早解説広場です。どうぞ↓
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「暇だ」
「何言ってんですか。こんなに仕事が溜まってるのに」
「やる気が起きないからそれはしない。しないからすることがない。暇だ」
「単なる我が儘じゃないですか。いいからとっととこの決済済ませちゃって下さい」
「アオト、お前俺の舅か…」
「それで陛下が仕事をして下さるなら喜んでなりましょう」
「…ラドゥー呼べよ」
「あの方もお忙しいんですよ。貴方もそれくらい忙しい筈なんですが」
「あいつはなぁ~面倒は早めに終わらせる主義だから…」
「陛下とは全く反対ですね」
「何を言う。俺は面倒は先延ばしにしない」
「おや、珍しく賢明なお言葉」
「俺がやらねばならなくなる前にヤツに押し付ける」
「ちょっと見損ないましたよ、陛下」
「全くですね。これが我らの王だと思うと涙が出てきます」
「…こ、これはシューノレイヤ伯爵。いつこちらに」
「つい数分前です。陛下に頼まれていたノックスの件やギータニアの件とかその他諸々の報告書を持参しました」
「伯爵御自らですか?」
「ええ、たまには顔を見せないと。忘れられてしまうといけないので」
「そんな、この城に貴方を忘れられる方がいらっしゃったら寧ろ知りたいくらいです」
「ありがとう」
「おい、いつまで俺を無視して会談してやがる」
「おや、クローガ様。お仕事はもうお済みで?」
「後少しだ」
「全くさっさとやるき出して仕事済ませて下さいよ。民は待ってはくれないんですよ」
「うるせぇ。ちょっと休憩してただけだ」
「午前中から凡そ数時間に及ぶ長い休憩でしたね」
「…………」
「陛下。これ終わったら街に出ましょう」
「マジで!」
「ええ、ですからあと十分で終わらせて下さいね。わたしは明日には戻らねばならないので」
(パタン)
「アオト、至急急ぎの案件だけ出せ。五分で終わらせる」
「はい陛下。―――――本当に、いつもいつも伯爵には頭が下がります」
―――――――――――――――ダルクル王都、王の執務室での一コマ。…陛下とラドゥーは仲が良い。