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夢の旅人  作者: トトコ
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48.パズルのピースを求めて

―――お誕生日おめでとう。大切にするのよ?







夢を見ていたんだと思う。けれど、意識が浮上するにつれてその残像も掻き消えて行く。

遠くで誰かの声が…

「……ん」

何だろう…何か柔らかい物が身体をくすぐる。

ラドゥーはうっすらと目を開けると、俯けになっていたのか白いシーツが目に入った。

シーツの匂いや肌触りで自分のベッドでないことはすぐに分かった。

え、ここ何処だ…?

瞬きする間に頭を覚醒させようと、断片的に転がる記憶を並べて行く。


「お気づきになりました?」


頭上からかけられる声。恐らく自分に対しての。ラドゥーはゆっくりと身体を反転させた。

ラドゥーを見下ろしていたのは、質素な衣に身を包んだ妙齢の女性だった。みつあみに結われている長い砂色の髪が胸元に垂らしている。目が合った彼に気遣う様な笑みを見せ、如何にも純粋で真面目そうな女性レディ。修道女みたいだ。

「…?」

ラドゥーは内心首を捻った。彼女の衣服がラドゥーの街では見かけない仕立てのものだった。彼女の着こなしは違和感はなく、平素で着る姿なのだと分かるが、ラドゥーには馴染みが無いせいで、仮装の様な印象を受けた。

…とりあえず、彼女が俺を害する者か否かを確かめる必要があるな。

「すみません。ここは何処でしょうか?」

警戒心を抱かせぬよう柔らかく微笑んで尋ねる。すると、彼女はほんのり頬を赤らめ、ラドゥーから少し目を逸らして早口に述べた。

「ここは、ノルメよ。レレティーヌ様の御守護によって守られるバーム教の聖地です」

……は?

「……すみません。もう一度言ってくれませんか?」

「ノルメです。バーム教の聖地で有名な。…ご存知ないんですの?」

「あ、いえいえ、少し聞き取りづらかっただけですので。そうですか、ここは…ノル、メだったんですね」

ラドゥーは不審な目をしかけた彼女に慌てて取り繕った。


………そんな地名、聞いた事もねぇぞ?


ここか何処なのか全く分からなかったが、彼女の話しぶりからノルメという街は有名らしい。その名を知らないということは、余程の田舎者と笑われるならまだいいが、宗教の色が濃い地域にあってはそれだけで迫害対象にされる可能性もある。宗教によっては過激な一派もあるから、下手なことは言えなかった。


再び笑顔に戻った彼女を見て、間違っていなかったとほっと息を吐くも、ラドゥーの脳内は疑問でいっぱいだ。引き続き、彼女から情報を聞き出す。

「あの…俺はどうしてここで眠っているのですか? 情けないんですけど、それまでの経緯を全く覚えていないんです」

これは本当。ラドゥーは寝室にいたはずだ。そして、酷い頭痛に襲われて……それからの記憶が無い。

「まぁ、それはお気の毒に。貴方はここから近くにある噴水広場で倒れていらしたのよ」

そこを、たまたま通りかかった彼女が見つけ、彼女の家――つまりここ――に運んだのだという。

「それは、すみません。重かったでしょう?」

「あら、流石に殿方を私だけで運ぶのは無理ですわ。街の皆に手伝って貰ったのです」

ころころと可笑しそうに笑う。

「…ここの方達は親切な方達なんですね」

「当然ですわ。私達は皆バーム教の敬虔なる信者。バームは例え十悪を犯した悪人であろうともパンと水を与えよ、と説いております。貴方は見たところこの街の者ではありませんが、私達は助けを求めて来る者を拒みはしません」

別に彼女らに助けを求めた記憶は無いが、ここで彼女の話の腰を折ることはしない。

ここはノルメ。予想通り宗教色の強い街らしい。そして人を助ける献身的な者が多い。という事は住民の殆どが信者と思っていいだろう。一神教だったらさらに面倒だ。一神教は他宗教の信者には厳しい。

「どうかしました?」

考え込んだ彼を不思議そうに見る。

「…いいえ、何でも。――あぁ、申し遅れました。俺はムークットという者です。貴女の名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あら、私ったら気付かなくて。私はハナッチェル。ハナと呼んでください」

「では、ハナさん。あの、介抱していただいたのに、俺持ち合わせが無くて、何もお礼が出来ないんです」

事実、彼は夜着のまま。無一文だ。

「あら、そんなこと。私が勝手に貴方を拾っただけですから、お礼なんていりませんよ」

「そういうわけにはいきません。俺の故郷では恩には必ず報いねば、これ以上ない非礼にあたります。後ろ指を指されてしまいます」

「まあ。なんてご立派な心得でしょう」

実際そこまで酷いわけではないが。だが恩を返すというラドゥーの言葉が効いて、ハナの目にはラドゥーへの信用の光が芽生えた。

「それに、ずっとここで御厄介になるわけにもいきません。重ね重ねご迷惑をおかけしますが、何処か人手を募っているところなんかありませんか?」

感心したようにハナは頷く。目論見通り、彼女の中にはラドゥーの為に何かしてあげなくては、と思い始めたようだ。

「貴方の故郷はとても真摯な街ですのね。私達の街の他にそれほど素晴らしい街があったなんて。…そうね、人手が必要なところは今はぱっと思いつかないけれど…よかったら明日、街を案内するわ。そこで仕事を探しましょう。私も手伝うわ。それまでここにいて下さいな。私は一人暮らしだから誰に気兼ねする事もないし」

正直、年頃の女性と二人きりという状況はあまり良くないと思った。少なくともラドゥーの国では男と一緒に部屋にいたというだけで貴族令嬢なんかはあらぬ噂を浴びせられる。ラドゥーを運んだという男達の誰かの家に運べばよかったのに。が、今のラドゥーには有り難い申し出だ。

「では…暫く御厄介になります」

ラドゥーは礼儀正しく頭を下げた。



ご飯を持ってきますね、と上機嫌なハナが出て行くと、ラドゥーはゆっくりと身体を起こした。

少々身体はダルイが、動けない程じゃない。あの頭がカチ割れそうな頭痛も嘘のように引いている。


壁に背をもたれかけると、ラドゥーの腰あたりに黒っぽい布切れがあるのを見つけた。

「あ…」

違う。布切れじゃない。ぬいぐるみだ。身体をくすぐる柔らかい感触の正体はこれだと悟る。

「一緒にここに来てしまいましたか」

腰を浮かしてぬいぐるみを引き抜き、持ち上げてしげしげと眺めた。首根っこを掴まれてぷらんと垂れ下がるうさぎ。

「……」

当然ながら動かない。けれど、その赤い瞳が何となく不満そうだと感じて、ラドゥーは持ち方を少し丁寧に改めた。

「…ここは、何処なんでしょうね? つぎはぎ」

無意識にこのうさぎの名前を呟く。呼ぶことに何の違和感もないから、呼んだことさえ彼は気付かない。

「…俺は自分の部屋で寝ようとしてたはずなのに…君と」

いっそ夢だと思いたい。けれど、うさぎの無機質なボタンの目が、紛れもない現実だと知らしめる。

「何でノルメなんて聞いたこともない地に行き倒れていたんですかね」

しかも宗教なんて面倒なもんが絡んできそうなところに。

そう宗教だ。

「……やばいかな」

人に恵を与えよという宗教ほど他宗教を受け付けない場合が多い。人とは、全人類ではなく、信者限定を指していう場合が多いから。宗教というのは得てして胡散臭い印象を持たれるものであるが、それは、教祖が尤もらしい事を言っては信者を洗脳し、金品を搾取する悪徳商法まがいのエセモノもあるからで、国を支えるまでに発展するきちんとしたものだってあるから一概には言えないのだが…。

ここが、まずどういう気風なのか調べる必要があった。本物か、偽物か。

場合によってはさっさとここを出なければいけない。

ノルメ。どれほど考えても聞き覚えのない地名だ。もしかしたら海の向こうの大陸に来てしまったのかもしれない。それはそれで新たに誘拐説が浮上してしまうので、どう転んでも厄介な事態になってしまったのは確実である。

それに…一番引っかかったのは、言葉が通じることだ。

うさぎの前足を戯れに上下させつつ考える。

「大陸の向こうも俺らと同じ言語を使っているなんて有りか…?」

まさか、先祖は一緒とかじゃないだろうな。


と、扉の向こうからこちらに向かってくる足音が聞こえたので、とりあえず思考を中断し、ぬいぐるみを掛け布の中に押し込める(ぬいぐるみについて説明を請われても面倒なので)。言語云々は一先ずおいといて人心地をつくことが先決だ。


ラドゥーの袖の影から、緑玉の光が揺れる。








翌日、約束通り街を案内してもらう事となったラドゥーだが、まだた一つ、問題が。

「そのままじゃいけないの?」

「皆さんがどう思われようと、俺は絶対嫌です」

服だ。服が無いのだ。唯一の着物である夜着では外に出られない。ハナに言わせたら生地は立派なもので、充分外でも通用するだろうというのだが、どうしてもこれまで培ってきた常識がそれを許容しない。

室内ならばまだしも天下の往来を夜着で出歩くなんてありえない。心許なさすぎる。かといって、ハナのお下がりもごめんだ。身体の丈が違いすぎる上、可愛らしい刺繍のあしらったスカートなぞ、その方面の気でも無い限り憤死ものである。

「なんでも良いんです。間に合わせで良いんです。何か無いですか?」

悲壮な気持ちが伝わったのだろう。ハナはううん、と考えてくれた。

「そうだわ。古いものだけど、父が着ていた物なら…」

ラドゥーは最後の希望を見つけたと言わんばかりに顔を輝かせた。

「ええ。それで全然構いません」

そうして出された服を見ると、確かに古びて少々汚れも見えたが、ラドゥーは真っ当な男物だという点でのみ感激し、押し頂く様にその衣を被った。



「貴方、運が良いわよ。なんたって今日は月に一度の大市が開かれる日なんだもの」

大きな篭を腕にかけて歩くハナはにっこりと笑った。

「大市?」

「そう。たっくさんの食べ物とか布とか、小物とかが軒を並べて大通りに集まるの。色んな地方からの物も多いから、一日中、市に居座っちゃうくらい」

ラドゥーは楽しそうに話すハナに相槌を打ちながら分析を進めた。


ノルメは面積でいえばそれほど大きな街ではないが、人口の多さでは随一だという。そのノルメには週に一度纏まった市が開かれるが、その中でも特に外国の商人も受け入れて開かれる市を大市というらしい。

…ハナの様子を見るに、ノルメでの娯楽は少なそうだな。

月に一度しかない市というのをとってみても閉鎖的な印象を受ける。宗教は時に人の自由を奪う。それは思想であり、行動であり、人格でさえも。

特に、大衆向けの娯楽というものは抑圧対象となりやすい。俗っぽいものは痛烈に支配者を揶揄し、非難する。おまけに人民への影響力が凄まじく強い。


角を曲がると遠くからでも分かる、人のざわめきが聞こえてきた。

「良い物はあっという間に無くなっちゃうの! 早く行きましょ」

ざわめきを聞いて居ても立ってもいられなくなったハナはラドゥーの腕を掴んで走り出した。





がやがやと幾百の声が交じり合った人ごみ独特の音。

ハナはラドゥーの腕を掴みながらあちこち店を覗いては何かしら物を買っていく。ラドゥーが見たこともない果物や野菜、珍しい肌触りの布。可愛らしい色石の髪飾り等々。

「ムークットさん。これとこれ、どっちが良いと思う?」

「そうですね。ハナさんにはこちらの桃色が似合うと思いますよ」

時折ラドゥーに意見を求めながら次々露天を踏破していくハナに、ラドゥーは苦笑しながら付いていく。彼女の買い物の姿は母を連想させる。やはり買い物と女性は切っても切れない間柄らしい。


ラドゥーは街通りを練り歩く中、注意深く街の様子を探った。看板一つ見逃すまいという真剣さでラドゥーの目線は上に下に右に左にとしきりに動く。

そうしてラドゥーが倒れていたという大広場の日時計が正午を指す頃、ラドゥーはがっかり肩を落とした。


…本屋が無い。


「…本の無い生活なんて想像もつかない」

「何か言った?」

何でもありませんと言いながら、ラドゥーは未練がましく街の看板を眺めていた。




露天で手軽に昼食を済ませ(ハナ持ち)、散策を再開しようとした時、市のざわめきとは違うどよめきが湧きあがった。

「何でしょう?」

ハナを振り返ったラドゥーはぎょっとした。

「ああ、レレティーヌ様がいらっしゃったんだわ…滅多においでになられないのに」

感極まった様に涙ぐむハナをラドゥーは一歩引いて眺めた。

「レレティーヌ…さ、ま?」

昨日も聞いた気がする。ハナッチェルの話からすると、特別な名前のようだが…。

司祭長みたいなものだろうか?

ラドゥーの疑問はすぐに解消されることとなる。


どよめきは次第に噴水広場の方へ近づいてくる。ラドゥーの傍に。

「…………」

ラドゥーは黙って周りと同じ動作をした。要は膝を折って地に平伏したのである。ラドゥーにとって、王以外にこんな体勢をとるのは屈辱でさえあったが、こと宗教がらみともなるとラドゥーは神経質にならざるを得ない。ラドゥーは黙ってその行列の過ぎ去るのを待った。

しかし、一向に去る気配が訪れない。どころか、ざわめきがより大きくなった。

「………?」

思わず顔を上げると四人の男によって担がれている輿がラドゥーの目の前にあった。


「そなたですか? 昨日倒れていたという男は」


頭上に美しい声が降ってきた。周囲のざわめきさえなければ天使の声とでも思えるほどに。

この女性が…レレティーヌか。

そっと横目でハナを見ると、思いがけず驚愕の顔をした彼女と目があった。

周囲の目もラドゥーとレレティーヌに注がれていた。彼女の取り巻き達は氏素性の知れぬラドゥーに話しかけるなど、と眉を顰めていた。

そんな彼らをいなしてレレティーヌはラドゥーに答えを求めた。

「…ええ。そうです」

仕方なく、ラドゥーは目の前の女性に答える。


白いひとだった。髪も白に近い銀。瞳孔が無いんじゃないかと思えるくらいに白銀の目。純白の衣に袖を通したたおやかな肢体も真っ白。いっそ病的な程に白い。美しいが、彼にはひ弱さの方がより強く映る。

「名は?」

「ムークット、と」

「珍しい名ね。何処の者です?」

ラドゥーは一瞬言葉に詰まった。果たしてラドゥーの出身地の名を彼らは知っているだろうか。

「…グリューノス、という街より」

案の定、白い女は首を傾げた。

「聞かぬ地です。遠いのですか?」

「ええ。とても」

「そう。こんなところへはるばるようこそ。もしや、旅の途中であったのですか? ここまで名の届かぬ遠方よりいらした異国人よ」

「…。…ええ」

ラドゥーは聞かれた事のみ簡潔に答えた。相手がどういう手合いか分からない以上、不用意に情報を与えるのは得策でない。

「分かりました。…この街は異国との交流はあまりありません。今度、是非貴方のお国のお話をお聞かせ願いたいわ」

幸い、それ以上問われることなく彼女一行はゆっくりと遠ざかって行った。


「ムークットさん!」

ようやく平伏の姿勢を解き、周りも元の活気に戻った後、ハナはラドゥーに詰め寄った。

「信じられない! レレティーヌ様とお言葉を交わすなんてっ」

「あー…えーと…失礼でした?」

でも彼女の方が言葉をかけてきたんだからしょうがない。

「違う! 凄いって言ってるの! レレティーヌ様と言葉を交わして…ううん、目を合わせるだけで誰もが恍惚としてまともに喋れなくなる人だって多いのに!」

「…そうなんですか?」

確かに奇麗な部類に入った。ラドゥーも男だ。奇麗な女は嫌いじゃない。

でも…

[多くの国の王族の方々もレレティーヌ様に求愛なさっているのに! ムークットさんったら厳格ストイックなんですね」

「…はは。よく言われますよ」

ラドゥーは困ったように笑った。






彼は知らない。もっと、彼の魂を揺さぶる誰か・・がいる事。



彼は知らない。時折、己の視線が虚空を彷徨うのを。



まるで、誰かを捜す様に。


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