46,5間章~森を抜けたら異世界でした~
少年の運命が動き出した瞬間。
さく さく がさ ばき さく さく
「…あっれぇ?」
薄暗い森の中、一人の少年がいた。
目の上に手をかざし、キョロキョロとあたりを伺う。
「さっきから、ここ…見覚えあるんだけど…」
手が触れているこの木の蔦の巻かれ具合とか…さっき通り過ぎた気がする。
「…迷った?」
少年は眉をハの字にして情けない顔を作った。
そもそも、僕はどうしてこんな所にいるんだっけ。
まず、そこからが疑問なのだ。
「…。……。………」
分からん。
考えても分からなかったので、少年は記憶をフリダシに戻してみることにした。
まず、そう、僕は母さんに醤油を頼まれた。
で、残ったお金はお小遣いにあげるって言われて、ウキウキと兄さんにこないだ壊されたプラモの修理費にまわそうと思って……うん、そうだ、帰りに文房具屋にも寄ろうと――接着剤の為に――出掛けたんだ。
うん。そう。確かそうだ。片手にぶら下がる重みのあるビニールの袋と、ポケットでじゃらじゃらいう小銭の音がそれを証明している。
……それから…それから?…………………………あっ
少年はパッと顔を上げた。そして叫んだ。
「クワガタ!」
少年は文房具屋へ行く途中、とっても魅力的なモノに出会った。
年頃の少年なら誰もが憧れる、強くて艶々と輝く鎧の体をもつカッコイイ、クワガタ。
少年は得心がいって、何度も頷いた。
「そうそう、そうだった。クワガタを追いかけたんだ」
文房具屋へ行く道沿いに、森がある。あまり大きくない地元の里山で、よく早朝なんかに爺ちゃん婆ちゃんが散歩に行くなだらかな小山。少年が飼ってるサブロー(柴犬 ♂)の散歩にも使っている庭同然の遊び場でもある。
森を通りかかったところ、すぐ目の前にクワガタがいた。その山では滅多に見かけない超レア。少年が追いかけるのに充分な理由。
なんで、こんなとこにクワガタが?という疑問など思い浮かぶ訳が無い。たった今下ったばかりのクワガタを捕まえろという指令に従って少年は駆けだした。
これで、クラスの奴らに自慢できるぞ!!
少年の頭のこれでいっぱいだった。
〈すっげぇ! メガトン級のクワガタだ!〉
〈流石だな! すげー奴だよお前は!〉
クラスメイトや兄さんの称讃が頭の中で木霊する。拍手喝采、自分は壇上に立ち、羨ましがるクラスメイトを見下ろし胸をそらし、凛々しいクワガタを見せびらかす自分の雄姿を妄想した。
見てろ。兄さんも悔しがるほどのクワガタを自分が捕まえるんだ!
妄想が十割ほど入った想像だが少年は気にしない。
色白だからというだけで付けられた“もやしっ子”のあだ名も明日で返上だ。が、気持ちが逸った少年の気配を察したオオクワガタは、とまっていた木から飛び立った。
「あ! 待って!」
少年は、脇目も振らず、山の奥へと突っ込んで行った。
「―――…で、今に至る、と」
少年は冷静になって漸く自分の軽率さに思い至った。
「やっぱ、醤油を持ってたんじゃまずかったよね…早く走れない。…クワガタも小銭の音で気付いちゃったんだ…きっと」
が、その後悔はその行動に対してではなく、クワガタを逃がしてしまった失態に尽きる。きっと自分は迷子になると分かっていても追いかけていただろうから。
迷子の自覚が芽生えても、危機感は未だ訪れていない。
なぜなら。
「さて、そろそろ帰らなきゃだよな…ま、適当に歩けば道路に出られるだろ」
彼はまだ、地元の里山にいると思い込んでいるからだ。
明らかに見たことの無い地形に、鳥の鳴き声、さらに未知の植物が鬱葱と茂っているのに、だ。
気付いたところで焦るか茫然するしかない訳だから、冷静さを失わずに済んでいるだけ、気付かない方がマシかもしれない。
そんなこんなで再び足を前へ前へと進ませると、突然脇の茂みがガサリと音を立てた。
ビクッと少年の方が跳ねる。少年は恐る恐るそちらに目を向けた。
「な…何だろ…」
気配からして結構大きい動物かもしれない。里山の奥には猪や狸も生息している。猪だったら即効木に登ろうと決意し、じりじりとその茂みから距離を取った。
ガサリ
茂みから現れたそれは少年を目に映した。
「お前、誰?」
茂みからは森には不似合いな豪奢なドレスを着た美しい少女が現れた。人だったことに安堵したが、少女は胡乱な目をして少年を睨みつけた。
「あ…え…?」
少年は睨まれたことよりも彼女の格好に注意をひかれた。ドレス? この時代に? ドラマや映画でしか見たことの無い衣装。けれど少年は目を奪われた。
彼の視線の先に気付いた彼女は、ますます厳しい目を向けてきた。
「あんた貧民? あたくしを攫うつもり?」
突然の濡れ衣に少年は焦るよりも呆気にとられる。
「だったらお生憎様ね。あたくしはお前みたいな貧相な子供に攫われる程軟じゃないわ」
「……」
「それとも、何処かに大人の仲間でも潜んでいるの? まずお前で油断させようって?」
「………」
「お前もどうせ金目当てなんでしょうっ!? 誰も彼もがあたくしを金の成る木としか見ない! 貴族も、貧しい平民も! …馬鹿にしないでよ!」
「……………――はっ」
勝手に少年を誘拐犯と判断し、敵意を剥き出しにして咬み付いてくる少女の言い様がやっと理解出来ると、少年は慌てだした。
「あ…ち…違う! 違うよ! 僕は誘拐犯なんかじゃないっ」
手を体の前に出して振り回し、身の潔白を証明しようとする。
「じゃあお前は何者? ここはキグの樹海よ。見たところグリューノス市民じゃなさそうだけど。余所者は立ち入り許可証が必要よ。お前持っているの?」
「え…」
許可証? 許可証ってなんだ? それから…キグって? 樹海? 里山はいつ改名したんだろう?
「…いつの間にここは入山制限される様になったの?」
「何言ってるの? ずっと昔からに決まってるじゃない。もっと言えばここは山でもないわよ」
未だここが地元の里山だと思っている少年には全く話が分からなかった。それでも彼女の詰問が続くうちに、だんだん、ここが里山じゃないかもしれない、という疑問が浮かびあがってきた。
「………え、えぇ?」
ぐるぐる考え出した少年を見て、少女は少女で彼が迷子かもしれないという可能性に思い至る。
森の浅い区域は散歩道としても一般に開かれているが、一歩森の奥に足を踏み入れてしまえば地元民でも簡単に迷う森なので、彼女は彼の迷子説に何の疑いも持たなかった。
「ふぅ…もういいわ。お前が迷子なのは分かったわ」
「…はぁ」
少年が危険な存在でないと分かるや、無遠慮に近づいてきてじろじろと見つめた。
「ふぅん…?」
「……」
落ちつかなくなり、少年は身動ぎする。
「お前、珍しい目の色してるのね」
彼の藍色の瞳を覗きこんだ彼女は、物珍しそうに呟いた。
「あ…これは、突然変異で…」
あまり見られたくなくて顔を背ける。
彼にとって自分の目はコンプレックスだ。黒目黒髪が主流の彼の国ではこんな藍色の瞳なんて生まれない。
というか外国人だってこんな濃い藍色なんてあまり無いだろう。
僕が生まれた時、この瞳を見て父は母を疑った。他の男とこさえた子じゃないのか、と。当然だ。普通ならあり得ない色なのだから。
でも、心当たりのない母は首を傾げるしかない。当時、両親はその事を巡って何度も喧嘩したそうだ。離婚寸前まで迫ったくらいの規模で。
幸い、DNA鑑定で父の子と断定出来て元鞘に戻ったが、自分が原因で両親の間に亀裂が走った事実は少年の心に暗い影を落とした。
医師の話だと、突然変異、というものが起こったらしい。
遺伝子レベルである組み合わせが突然消失、もしくは別のと入れ変わることで起こる現象だそうで、詳しくは知らない。
とにかく、そんな感じのものが母体の中にいる時に起こり、結果藍色の瞳を持って生まれてきた。
かなり珍しいケースだという。数千、数万分の一くらいの確率。
今では、両親はこの藍色を綺麗な色と褒めてくれて、彼を運命の悪戯の産物、と称して笑い話にしている。
家庭内では僕もそれを笑って受け流せる。色自体は彼も好きな色だ。
だが、やはり知らない人から見ると僕の瞳は異常らしい。根強く母の不貞の末に生まれた子と疑う人もいるし、昔から瞳の色で同級生達からもからかわれた。
だから、あまり外では自分の目を堂々と晒すことが出来ない。
「……」
彼の性格上、周りに反発してグレるなんて事は到底出来ない。いつの間にか笑ってやり過ごす事を覚えた彼だが、心に燻る行き場の無いもやもやが溜まる一方だ。だが、分かっていても、どうしようも出来ない。
「突然変異? 何それ」
「あ…えっと…」
少年もよく知らない仕組みをどう説明しようかと考えあぐね、少女の顔を困った様に見つめる。
すると、少女は慌てて顔を背けた。
「ま…まぁいいわ」
「?」
「それで、お前、何処から来たの?」
何処も何も里山のある街が彼の出身地だ。
「…君こそ、綺麗な髪と瞳をしているけど、何処の国の人?」
日本人じゃないよね? という意味を込めて少々婉曲に聞いたつもりだった。
「あ…き、綺麗って」
しかし、少女が反応したのは綺麗、の部分で、質問は素通りだった。
会話がどうも上手く交わせなくて少年は困ったが、少女も少女でうろたえていた。
綺麗とか可愛いとか生まれた時から言われ慣れている賛辞に照れるなんて。社交会で幅を利かす、美麗な貴公子でもないただの平民の子に。
「どうしたの?」
今度は少女の様子がおかしいと気付いた少年が少女の顔を覗きこんだ。
「な…何でも無いわよ! 無礼者!」
顔をそむけ、少年の差し出した手を咄嗟に振り払う。そして、後悔した。
「あ…えと…その…」
少年を傷付けてしまったのではないかと少女は焦る。
一方、年頃の少女は気難しいものだと親に教えられていた少年は、大して気にすることなく払われた手をひらひら振った。
「……」
「……」
途切れてしまった会話に気まずくなった二人はあちこち視線を走らせ、打開策を求めた。
「……ルミネ・ガーネア・グリューノス」
暫くそんな状態が続き、突然少女が口を開いた。
「うん?」
「あたくしの名前よ! お前にあげるっていってるのっ。あたくしの名を欲しがる人は山といるのよ。光栄に思いなさい」
つんと高飛車に首を逸らす。が、髪の隙間から覗く耳が赤い。なんで?
「…?」
彼女の街のならわしなど知る筈もない少年は、やっぱり首を傾げるしかない。
「それで?」
無反応の彼に痺れを切らした彼女は、顔を戻して少年を睨んだ。
「…それでって?」
「鈍いわね! 貴方の名前よ! あたくしだけに名乗らせる気!?」
この無礼者! と再び責める彼女に気押され、彼はしどろもどろに答えた。
「だ、槫次郎…鈴木…槫次郎だよ」
「スズキダンジロー?」
発音が外人風だ。やっぱり僕の街の子じゃない。日本語がとても堪能なのを見ると日本に長いのかもしれない。名乗りも外人風に言った方が良かったかもしれない。
「ダンジロウ・スズキ。ダンジロウの方が名前だよ」
「ふぅん…じゃあダンね」
ダンジローという言葉が発音しにくいのか少女は名前を縮めた。
なんだか僕の名前も外人風になってしまった。でも何となくカッコいいから頷いた。
「あたくしのことはルミネって呼びなさい。…でもどうしてもというなら、二人きりの時ならガーネアと呼んでもいいわ」
「え? なんで?」
何故場合によって呼び名を変える必要があるのか。どっちかにしてほしい。
「デリカシーのない男ね。レディにそんなことを言わせるなんて!」
ミドルネームは、将来を誓い合った相手や、強い絆で結ばれた者同士が呼び合う。そして名乗るということは、名乗った相手とそういう関係になりたいという遠まわしな告白だ。当然そんなこと知らないダンは、何故怒られるのか全然理解出来ない。
ルミネはひとしきりぷんぷん怒ると、気を落ちつかせるようにふぅ、と溜息をついた。諦めを多分に含んだ吐息だ。
「まぁ、いいわ。余所者で平民だし、知らなくてもしょうがないわよね…」
「…」
反論したら余計こじれそうなので少年は大人しく黙って聞いた。
「貴方、家は?」
「勿論あるよ」
「家族は?」
「いるよ」
「じゃあ、帰れるの?」
この問いには少年は黙った。かれこれ二時間迷い続けている。しかも、ここがもし本当に里山じゃないなら、ダンに帰る手段はない。
ポケットの小銭じゃ、電車賃が足りるかも怪しいよなぁ。
そもそも駅の場所さえ分からない状況なのに、そんなことを思う。
キグなんて聞いたことの無い森だし。里山にいた筈なのに、いつの間にか遠い森に来ちゃったのかなぁ。
恐らく家族がその考えを聞いたら、子供の足でそんな遠いとこまで行ける訳あるか、と呆れるだろうが、生憎家族は傍にいない。
「しょうがないわね…だったら家に来なさい。家族に迎えに来るよう知らせてあげる。…もし一日で来れないようでも心配することないわ。…あたくしの家は小さい子の一人や二人養うくらい平気だもの」
何故か咳払いをして一息に言う彼女。
小さいって…彼女も僕と変わらないと思うのだけど。そりゃ周りの同級生より小さめかもしれないけど…。
話ぶりからして、やっぱり彼女は良いトコのお嬢さんらしい。
綺麗な萌黄色のドレスがひらひらしててとても可愛いかった。森の妖精みたいだ。って僕何考えてんだろ…。頬が熱くなって、首をぶんぶん振って熱を冷ます。
「え…とじゃあ…少しの間だけど…よろしくお願いします」
自分が何処にいるのかもわからない今、彼女の申し出を断るなんてできない。お世話に改まって頭を下げた。
「……何してんのよっダン! 早く来なさい!」
え、と頭をあげた少年は吃驚した。少女は少年から既に離れて歩き出していた。
もうあんなことろまで行っちゃってる!
「ま、待ってよ!」
槫次郎――ダンは慌てて少女の後を追った。
――――――少年が、ここが自分の国じゃないと気付いたのは彼女と森を抜けた後。さらに、どうやら自分は異世界にいるようだと気付いたのは、グリューノスの屋敷に滞在して一週間経った頃だった。
ラゥパパとママの出会い。