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夢の旅人  作者: トトコ
46/76

43.回帰する記憶(後)

ラドゥーは震えていた。


視線の先には、硬い緑の鱗に覆われ、今は折りたたんで全貌が見えないが、骨ばった翼をもつ巨大な生き物。


手足の隅々までの神経が麻痺したように上手く動かない。

口はなんとか真一文字に結び、間抜けにぽっかりと大口を開けるような失態は犯さなかったが、その震えは隠しようがない。

今だって叫びそうになるのを、有りっ丈の理性で、押さえ付けているのがやっとなのだ。


口元から毀れんばかりの牙は、岩など簡単に噛み砕けるのではないかと思うほどに凶暴にぎらついているが、もさもさした眉毛から覗くワインレッドの瞳は、賢知に富み争いを極力避けようとする理性を湛えた伝説の生き物。



      龍



ラドゥーは目の前の存在に釘付けで、広大な高原など既に眼中外である。

この状況は夢ではないのか…ああ、ここは夢だった。

一人ノリ突っ込みするくらいにはテンパるラドゥーはうち震えていた。


恐怖なんかじゃない――――――感動で、だ。



ああ、どうしよう。感動で涙が出そうだ。

よし、キターーーッ!! という万歳三唱したい気分である。

何かしらの大会の優勝者よろしく万感のガッツポーズを構えたい。


そうだ。夢の世界で、遭遇するのを期待するべき龍と出会わずして、夢の世界を知った気になるなんて有り得ない。


ラドゥーの世界において、偉大なる生き神とも崇められている龍。古来より、様々な国の紋章や軍旗に好んで描かれる程に神聖視されている神獣。

そんな存在を前にして冷静でいられる訳がなかった。しかし、ラドゥーにとって重要なのは神聖視云々ではなかった。


『ガルド・バリューの英雄』でガルドと出会い、守護神ともなるあの龍だ!!!


ラドゥーの愛読書の『ガルド・バリュー』シリーズの中にも龍が登場する。その他にも様々な本に登場する龍は、物語を壮大に広げる重要な要素だ。よく考えなくても、実在しようがしまいが、人々の胸に刻み込まれている龍が夢の世界に存在しない筈はなかった。…ちなみに、『ガルド・バリューの英雄』とは、『ガルド・バリューの冒険』の続巻である。


「……お主は誰じゃと訊いておる」

あまりにも長い間凝視されて居心地が悪くなったのか、草原と同じ体色をした龍は身動ぎし、ラドゥーに再度問うた。その声はひどく皺枯れており、聞きとるのがやっとだ。その声にハッと我に返ったラドゥーは、咳払いをして何とかいつもの平常心を取り戻そうと努めた。ここで、神にも等しい尊敬を集める龍に奇妙な奴とでも思われたら堪らない。

「あー…こんにちは、初めまして。俺はラドゥーといいます」

「うぬ、ジェイラッサ。わしは…そうじゃな、ユノとでも呼んでおくれ」

友好的な態度に気を良くしたのか、龍もにっこりと笑った。いや、“にたり”と表現した方が適切かもしれない。まさに好物を前にした獣の如く牙がギラリと輝いた。

「…ジェイ?」

その凶悪な顔は気にせず、聞き慣れない言葉に首を傾げるラドゥーに、ユノの方も驚いたように眉をあげた。

「おや、お主は草原が仮住まいさせてもらっている世界から迷いこんで来たのではないのかね?…今のは挨拶さね。“―――”の」

何かの名前を言ったようだが、何故かそこだけ聞き取れなかった。まるでモザイクにかかったかのようにくぐもって聞けなかったのだ。少なくとも、ラドゥーの世界で使われている言葉ではない。ラドゥー以外の…

「…やばいな」

世界は一つじゃないと言われても、未だ懐疑的であるラドゥーの方こそ、常識を認めない頑固でおかしいヤツみたいに思えてきた。

「ここへは、夢屋…いえ、とある紳士な方に連れてこられたのです。ここは、日当たりの良い草原と伺いました」

「おや、それを知っているとは驚きだ。どっちにしろ、君の世界も仮住まいさせてもらっている世界の一つの様じゃ。君が受け持っている所は何処かね。森か? それとも湖かい?」

ラドゥーは首を傾げた。

「…よく分かりませんが、極彩色の森からこの夢に入りました」

「豊穣の森か。ケンの守護地だ。…しかし、おかしいね。馬小僧には会わなかったかい? あれは意外に用心深くての、易々と人の子を夢に入れはしない。ロジェとロジャーのように、悪戯半分で引きずりこんだりしないはずじゃが…?」

「ああ、いえ、俺達はそのケンさんに連れて来て頂いたので。実は―――」

ただの人の子が一人で森から離れた草原にいることを訝しんで目を眇めたのを感じ、ラドゥーは慌ててドロテアにしたように同じ事を説明した。



「…ふむ、闇か。道理でここのところ、換気が悪いと思ったわい」

得心が言った様にブルルと鼻を鳴らした。その拍子に鼻穴から煙が漏れる。

もしや、この龍殿は火でも吹くのだろうか。ラドゥーはちょっと期待した。

「わしはこの通り老いさばれておる。近頃は寝ておる期間が長くなっておってな。じゃから今の状況が良く飲み込めておらなんだ。しかし…よりによって“奇術師”とは…」

ユノはグルルと威嚇するように口元を震わせた。

「“奇術師”をご存じで?」

「知っているとも。あれはわしが幼龍の頃よりずっと前から存在している危険な奴じゃ。わしの故郷の世界でも幾つかの国を荒らし回ってくれよった!」

忌々しそうに語るユノは本当に悔しそうだった。


聞きとりづらい声を頑張って繋げてみると、ユノのいた世界では龍が少数ながらも普通に存在していたという。龍と人が共存する世界にラドゥーは憧れを抱いたが、人の世界が活発になるに従って、龍の存在はだんだんと追いやられるようになってしまったらしい。

そんな中、“奇術師”が人の国にやって来た。そして嫉妬、欲望、欺瞞、堕落、を植え付け、国同士を憎むよう仕向け、戦をけしかけさせ、共倒れになるように戦局を操って滅ぼしたりと、かなり悪辣なことをしたそうだ。

「人の世からはみ出されたわしらが、何とかしようと説いても、既に聴く耳を持たんかった。村の長老に教えを請うた古き良き習慣が廃れてしまえば、老人の言葉など、小うるさい説教でしかない」

自嘲気味に首を降った拍子にラドゥーの許にそよ風が届く。

「あれの所為で故郷を追われたも同然のわしの前に、今またやつは姿を現すかっ!」

今度は口から洩れた煙に、将に目の前にいたラドゥーは慌てた。万一、火でも吹かれたらラドゥーは瞬時に消し炭になってしまう。

「落ち着いて下さい。そのお気持ちはよく分かりますが、ここは奴にこれ以上好きにさせないための対策を考えるべきでは?」

ラドゥーは気を逸らす他に、ちゃっかりさりげなく協力を申し込んだ。

「…おお、そうじゃな。この夢に来たのも運の尽き。ここで奴の悪行に終節を打とうではないか」

ラドゥーの言葉に落ち着きを取り戻したユノは、ラドゥーと目線を合わせる様に首を下まで降ろした。

「しかしな、わしはここから動いてはいけないのじゃ。そういう契約での」

「契約?」

「そうじゃ。あの魔女と会ったのじゃろ? 故郷を追われたわしはドロテアと契約し、この草原を守る変わりに棲み処を手に入れた。わしだけじゃのうて、小僧も、悪戯人魚共もじゃ」

ユノは自分達の関係を簡単に説明してくれた。曰く、各々の理由で、元いた場所を追われた彼らはドロテアと出会う。ドロテアも森と湖と草原を守護できる者達を求めていた。利害が一致して、ユノらはこの世界に住まうようになった。

「この世界はの、元々現実世界にあった一部の地域を夢の世界に丸ごともってきたものじゃ」

「何ですって?」

「ここは現実のものじゃ。全てな」

俄かに信じがたい。けれど、この龍は偽りを言っている風でもない。現実のものを夢に持ちこめるというのは知っている。しかし、ここにある草や花、水や土も、もろとも全て本物というのは…。

「…では、元々その世界にここがあった場所はどうなってるんです?」

現実からその土地を奪ってしまったらそこはどうなってしまうのか。小さなものはともかく、土地となると…

「察しの通り、消えておるよ。確認したわけではないが、おそらく、ここがあった場所は今は霧のような白色がそこを覆っているはずじゃ」

灰色空間の様にな。そう言ったユノを声をラドゥーは聴こえてはいなかった。

「現実世界が夢に浸食される……」

なんて事だ。それが本当だとしたら、現実世界の人間など夢の住人の気分次第で、いとも簡単に土地ごと夢の世界に引きずりこまれてしまうではないか。

「それは無理じゃよ。人のいる土地はとても強い地盤を持っているからの」

…読まれた?

「少々、気持ちの色が伝わってくるのよ。恐怖や喜びといった感情の波が少し伝わってくるのさね」

ラドゥーの強張った顔を見て、苦笑するように付け加えた。

「そうじゃな…お主にわしの知っている事を教えておこうかの。ドロテアに直接聞いた話も交えて」

「それは、ありがたいですが…会ったばかりの俺をこうも信用していいのですか?」

「何、邪気のある者かそうでないかは見れば分かる。それにお主は“破者”じゃろう? 知っておかんと面倒な事態になりかねんしの」

「…は?」

…破者? なんだそれ?

そんな彼に構わずユノは語りだした。




現実世界において、人のいる土地にはその活気に比例して地力が強くなる。生気とも言えるその力は人がいないと途端に弱まる。だから、都などは栄えているうちは良いが、一度廃れると夢の世界の連中が手を出す隙を与えてしまうという。

「よく聞くじゃろ? 廃墟に亡霊や妖解なんちゅうものが出たとか。夢の世界は人のいる世界とも強く結ばれておるが、本来、“扉”を介してしか現と夢を行き来出来ぬ。その“扉”はそこそこ力のある者しか通れぬのでな。その数も少数に限られるのでたいした影響はない。しかし、生気の弱まった所では大した力の無い餓鬼達でも“扉”を使わずとも、空間を裂いて行き来できるようになってしまう」

本能のままに動く事しか知らない餓鬼などの下級の魔達は、手当たり次第に人間に襲いかかり、様々な厄災をまき散らす。

「人の世で起こる病や事故などの不幸の殆どは、人の手で起こすものであるが、その中のごく僅かに、闇の者達が引き起こしたものもある」


ユノの世界で幾つもの世界が破滅していったように。


そうなれば悪循環で、心の荒んだ人は自ら進んで闇に染まる。それを餓鬼達が吸って力を付ける。そうしてまたさらに大きな厄災をもたらしていくのだ。

「ここはな、そうした餓鬼によって人の住めなくなってしまった土地なんじゃ」

ドロテアは魔女の癖に人間に傾倒していた。だから、昔の彼女は魔女にしては珍しく人の世で普段を過ごしていたらしい。

かつてここら一帯は、そこそこ大きな街だったそうだ。豊かな土地に恵まれて、都と言うほど大きくはないが、村といわれる規模から順調に人口が増えていった長閑な街。

「しかしな、大国同士の戦争の火の粉を被ってしまったその村は、周囲で起きた戦争に巻き込まれ、負の遺産を抱え込んでしまった」

青々としていた緑は薬品の為に枯れ、敵を殲滅せんとばかりに埋められて、地雷だらけとなった草原。命の糧であった湖の水は放射能を浴びて人を死に至らしめる毒に変わり果てた。人間はこうも残酷になれるものかと思い知らされる光景だったそうだ。


ラドゥーは驚いた。正直、ラドゥーの世界はそこまで科学の進歩はしていない。そこまで大きな被害の出る戦はこれまで聴いたことがない。

「ドロテアは人ではないからの、その被害は被らなかったが、周囲の人間は全員死に絶えた。僅かに生き残った者もいたそうじゃが、後遺症が酷く、まもなく息絶えたときいておる」

ドロテアは悲嘆にくれた。しかし、もう一度この土地に人の声に溢れる事を願った。たった一人で、人のいなくなった土地の再生を試みた。

「害を及ぼすのは一瞬だが、修復には長い時間がかかる。悠久の時を生きる魔女といえど、気の遠くなるほどの時間がな」

魔女の力を持ってしても、人の残した傷跡を治すのは容易ではない。土に染み込んだ枯葉剤を中和し、地雷を一つ一つ除去し、放射能を浴びた死の水を少しずつ清めた。

そして、亀の如き歩みではあったが、長い年月をかけた甲斐があり、少しずつ元の綺麗な土地に戻りつつあった。

「じゃが…ここでまた、問題が起こった」


人間が、再びその土地にやってきた。


本来であったならドロテアには喜ぶべき出来事だ。しかし、その土地は未だ人の住めるほど改善できたとは言えなかった。

見た目はとおの昔に綺麗にしておいた。見るに堪えなかった景色を、魔女は夢幻の力でせめて見目だけでも、と綺麗に見えるように修復したのだ。けれどその元の豊かな森、綺麗な湖、太陽が眩しい草原に戻しておいたのが仇となった。


何故なら、人間は綺麗になった上辺の景色しか目に映らない。


ここまで聴いたラドゥーにはもう結末が見えていた。

豊かな森、日当たりのいい草原、底が見えるくらい澄んだ湖――『いじわるおばあさん』の、舞台。その末路は…


「目の前の利益しか見えていない愚かな人間。この土地に移住したいと申し出た人間を、ドロテアは拒否するしかなかった」


まだ住めない土地だからと何度言っても、綺麗なんだからどうして住めない訳があるのかと反論する人間達。

その土地の近くに住み、頻繁にその土地を与える様に訴えに来る人間。人間の及ぶ時間程度で染み付いた毒が抜けきるはずもない。

人間が好きなドロテアは勿論受け入れたい。けれどそんなことをすれば、土地に残った毒が人間達を蝕む。だからドロテアはあえて邪険に人間達を追い払った。二度と来てくれるなと言わんばかりに。だが詳しい説明の無い突っぱねに人間が納得するはずもなく、人間の訴えは段々と過激なものへと変貌していった。


そして、ついにドロテアを強制的に退かせようと、人間達が武器を片手に立ちあがった。


「人間達の住む土地だとて、そう貧しい土地でもない。しかし、隣の芝は青いとはよく言ったものじゃ。さらに豊かな土地があると、その土地が欲しくて仕方がなくなるらしい」

今持っているものでは満足できなくなるのが人間。隣で豊かな土地を占領している人間に嫉妬や憎悪を向ける。魔女や龍には理解し難い独占欲。

「魔女は人に手は出せぬ。結局、夢に逃げるしかなった」

そして、ドロテアのいなくなった土地を、嬉々として開拓しようとして……悲劇は起きた。

「…絵本にありました。多くの人が死んだと」

龍は重々しく頷いた。

「そうじゃ。しかしな、それだけではない。守り手のいなくなった土地は容赦なく、その他の命をも屠った。犬も鳥も穴熊も、全てな。ラドゥーよ。おかしいとは思わんか? 最後、生き残った村人達の結末が、何処かこじつけた様にしっくりこんのを」

「……」

ラドゥーには小さな時に読み聞かせられた話だ。そういうものだと思い込んできたが、よくよく思い返してみると、確かにしっくりこない。

優しさを忘れず、幸せに暮らした…なんて。


「あれはな、ドロテアが人間達の幸せを願うがあまりにでっち上げた結果なんじゃよ」


夢の世界から、人の滅ぶのを指をくわえて見ているしかなかったドロテアは、再び繰り返される光景に耐えられず、人間達の幸せになった姿を空想をした。まさに現実逃避。夢に逃げたというわけだ。


 回帰する記憶


蘇る良き隣人達の死に様。

肉は破裂し、手足は切断され、肌は紫色に爛れて。

そして囀る鳥も、駆け回る犬も、全て、消えていく。



もう一度繰り返すのか。



   死   ヲ



嫌だ。 いやだ。 イヤダ。イヤダ イヤダ イヤダ…




イ        ヤ         ダ






ドロテアは無我夢中で、死臭が漂うその土地を夢の世界に引っ張り込んだ。

気が付くと、村人達のいた村をも巻き込んで、その土地全てが夢に吸い込まれていた。

魔女に、夢の住人に、涙を流すことは出来ない。夢は癒しの楽園。楽園の住人に涙を流す事態などあるはずがない。ドロテアには、涙を流す権利さえ無いのだ。

しかし、もし、可能だったならドロテアはきっと枯れぬ涙を流し続けたのだろう。転がる死体に、言い尽くせぬ悔恨を抱いて。


自失したドロテアは、人だった肉塊を見下ろして呟く。

だから、言ったのに。森に、湖に、草原に入ってはいけないと。

人間と魔女の性質の違いが齟齬を生じさせ、互いに歩み寄る事を怠った代償。

魂の抜けたヒトは人に非ず。ただの肉だ。ドロテアは顔があって、手足があって、胴体がある肉の塊を足で小突いた。肉は物。愛する人間じゃない。優しく手を差し伸べるべき存在ではない…。

彼女は血や肉片で汚くなった地面を嫌そうに眺め、さっさと人間界に肉だけを戻した。態々埋葬せずとも土に還る。それが生き物の理だと…。


「……これで、人間達に邪魔されずに土地を綺麗にできると喜んだそうじゃ。…その時、少し彼女は疲れておったのかもしれんな」

人と共に穏やかに暮らすことが目的だったはずなのに、いつしか土地の浄化が目的となっていたドロテア。人への愛情を一時期枯らしてしまった。

「現実世界のものを変えるには、やはり現実世界の空気が必要じゃ。夢の世界は時が止まっているのでな。土地を元に戻したいのなら、何処か適切な現実世界に共存させてもらい、自然治癒力を分けてもらう必要があった」

一度失敗しているから、元の土地に戻して修復を試みるという選択肢はなかった。

「じゃが、見ての通り広い土地じゃからの。全てを丸々同世界に紛れこませるのは難しい。じゃから森と湖と草原を、それぞれ別々の世界に潜ませた。確か、ケンの森は滅多に人の来ぬ、夢に近い気配を持った森だそうじゃが」

そこが“酩酊の森”とあだ名される『キグの樹海』であることは、領主の家の者であるラドゥーには分かった。

一体いつからかは知らないが、相当に長い年月、知らぬ間に自領の一部を勝手に間借りされていたのに驚きだ。家賃払えよ…というのは冗談だが。


「そして、さらにまた永い年月が過ぎ、わしらと出会った」


一人で広大な土地を改修するのには骨が折れる。ドロテアは彼らに住まいを与えた。実際彼らは理想的だった。人ではない上に、簡単に闇に支配される恐れのない高位の幻獣達。ケンタウルスに人魚、極めつけは龍だ。人の作った毒に対して被害は受けない。

「ケンには森の浄化。ロジェ達には水の浄化。そしてわしには草原の地雷の除去を頼んだ」

そしてドロテアは、人間のいた村を拠点にして、継続的に現実世界とこの夢を繋ぐ事に集中する事が出来るようになり、その改善は速度を増した。

「今では、触れても少々爛れる程度にまで直ってきたのじゃ。もう少しなんじゃ。こんなところで“奇術師”に邪魔されてなるものか」


そう言って話を括った龍をしばし眺めた。それから、軽く深呼吸してラドゥーは口を開いた。

「…もうすぐ土地が浄化出来ることと、ドロテアさんが消える事は関係ありますか?」

「…ドロテアが言うたのか?」

「ええ。自分が消える前に、と」

「…そうじゃ。魔女は消える。来る日も来る日も土地を浄化し続けて、ドロテアの力は尽きかけておる。ついに尽きた時、魔女は消える。いや、魔女は不滅じゃ…ドロテアが消えると言った方が正しい」

「どういうことです?」

「魔女は消えぬ。ドロテアは消える。つまり“ドロテア”として意志を持った存在が消滅するという訳じゃ」

「よく分かりません。結局魔女が消えるという事ではないのですか?」

「魔女は再生するのよ。一度夢と同化した後は、またどこかで生まれ魔女として新たに夢を創る。しかし、そこに“ドロテア”はいない」

「つまり…意識だけ消える…」

たとえ再生した魔女が今のドロテアと似た姿をしていても、もう、人間を愛して、土地を浄化しようとしたドロテアにはなり得ないという事だ。

「どうして、そこまで拘るんです? 自分の命と引き換えにしてまで。休み休みやるとか、諦めるとか、そういう考えは無いのですか」

「ドロテアは己が消滅に何ら気にしておらん。土地を浄化しきった後は元あった所に戻し、己は消え、新たな再生を待つつもりじゃ」

「誰の為ともいえぬこの行為の為に、死ぬというのですか? そこに躊躇いはないと?」

「魔女は人間ではない。人の言う死と、魔女にとっての死は根本的に違う。死は恐れるものではない。休暇程度にしか思っておらぬ。魔女の生死を周囲が何と思おうと、所詮考えが違う者が何と言おうと、理解出来るものではない」

「しかし、貴方達はそれでいいのですか。ずっと暮らしてきたのでしょう? 寂しくないんですか?」

「そうじゃな。土地を返した後はここにも居れぬであろうが、なに、夢人の様に“ルーツ”で迷いはせぬ。また何処かの夢に居座らせてもらうまで」

種族の違いの片鱗を見せつけられた気分だ。人間は薄情な一面を持つ半面、とても情に篤い生き物でもある。長い間共にいた者には、それだけで特別な情を抱き、例えば、その人が死ぬかもしれない時には、必死になって死別を免れようとするだろう。


しかし、目の前の龍にはその思いが全くない。淡白というのでもない。それが当然といわんばかりだ。

「そ…うですか」

「うむ。それでじゃ。その浄化仕切る前に“奇術師”に茶々を入れられるなど到底見過ごせぬ。ヤツを妥当するためにはこの草原の地雷を全て取り除く必要がある」


そこで、ハタ、と気付いてしまった。


「そういえば、ここの土地には爆弾が埋まっているんでしたっけ…」

よく考えなくても蒼白ものだ。いつその爆弾の埋まっている地に足を踏みしめる事になるやもしれないのだから。俄かにもぞもぞしだしたラドゥーに龍は笑った。

「ここらはもう大丈夫じゃ。わしが既に取っ払っておる」

安心したのもつかの間、伝説の龍殿はおもむろにラドゥーに長い棒状の物を与え、こうのたまった。


「ここより先にあと数百埋まっておるのでな。その除去をお主に頼みたい」


「……………」

え、何を言いだすのか、このヒト?は。

「何、心配はいらぬ。地雷のある場所は不自然に盛り上がっている。注意深く観察すれば分かるはずじゃ。そして地雷の部分をその棒で突くのじゃ」

「……何で俺が、と訊いてもよろしいでしょうか?」

「わしの巨体ではいい加減、そのチンマイな棒で一々地雷除去するのに疲れた。かといって火を吹いて除去しようとも、他のものに引火して連座で大爆発をしかねん。全く人間というものはなんと理解しがたい迷惑物を作りだす生き者じゃ」

「………………」

「契約故に、地雷を除去するまで他事でここを空けるわけにもゆかぬ。…大丈夫じゃ、お主は破者の魂を持つ者。任せたぞ」


その後、暫く抗議を続けたラドゥーであったが、如何に数々の修羅場を潜り抜けてきた彼といえど、(おそらく)数千年生きてきた老龍に話術で敵う訳も無かった。








――――――そうして、今に至るわけだが…。


「地面が盛り上がっているといっても本当に微妙な差で、しかもダミーだって半端なくあるというこの手の込みよう」

その世界で戦を起こしたアホ共をナイフで切り刻んでやりたいと本気で思った。

しかし、なんだかんだいって、龍の手助けか、思ったより早く幾つもの爆弾を取り除く事が出来た。実際の埋まっている数は知らないが、数百と言っていたからにはもういくつも無いだろう。

気が付けばそこら中、穴ぼこだらけ。爆弾で土が弾け、その被害はラドゥーの服にも及んだ。

「しかし、それももう終わりそうですね…」

頬に付いた泥を裾で拭い、あたりを見渡した。


と、その時、後ろでザリ、と土を踏む音が聞こえた。


ラドゥーは目を眇めた。背に突き刺さる殺気。素人じゃない。

全く、誰だ、と飛びかかられる気配と同時に、構えたナイフを後ろに降り被ろうとして、振り向いたラドゥーは凍りついた。


「―――ディーッ!」


その正体は、ラドゥーの悪友の一人。ディーグレイという名の彼は、ディーと愛称で呼ばれ、バル達と共によくつるんでは、何かしらやらかして教師達に叱られている問題児。しかし、その性格は陽気で、クラスでムードメーカーでもある明るい男だ。そんな彼がラドゥーに向ける目は、とても友人に向けているとは思えない程、冷たく無機質にラドゥーを射抜いている。どころかラドゥーを人間としても見ていない目だ。ラドゥーを殺すことだけを目的とした眼差しだ。

「………とんだ宝探しだ」

舌打ちをしたラドゥーは、ナイフを引っ込め、間合いを取った。

だらんと手を降ろし、こちらを見据えるディーはとても襲いかかろうという風には見えないが、放たれる殺気は紛れもない本物。

「…ヤツは友人と殺し合いでもさせたいんですかね」

友人に刃を向けられない。しかし、今にも飛びかかってきそうな彼を体術で組み伏せるのも如何なものか。

「しかも、後続までくるとは…」

十人弱の人間がぞろぞろとディーに続く。皆、見覚えのある顔ばかり。肝試しのメンバーだ。

「これは、色んな意味で肝試しですね…」

爆弾が潜んでいる草原で、自分を殺す気満々の人間を相手にどこまでやれるか。


クラスメイト達は再度飛びかかってきた。今度は全員で。


「…ちっ」

飛びのいて押しつぶされるのを回避する。何とか地雷を取り除いた地まで彼らを連れて行きたい。

しかし、理性の吹っ飛んだ彼らが都合よくラドゥーについてきてくれるわけも無く。

奇声を発しながら爪立ててラドゥーに突進してきたり、掴みかかってきたりする彼らをなんとかやり過ごそうとするが、いかんせん、相対する人間が十人近くもいるのだ。隙を突かれて腕を取られそうになったラドゥーは、反射的にその手を掴んで投げ飛ばした。

「しまった…」

ラドゥーは蒼くなった。

投げ飛ばした事に対してではない。投げ飛ばした場所に対してだ。


そこはまだ綺麗な草原だった。…まだ、除去しきれたとは言えない、場所。


「待って…そこを動かないでください…今行きますから」


尚も襲ってくる彼らをやり過ごし、のそりと起き出した、投げ飛ばしてしまったクラスメイトの元へ駆け寄る。

その周りに爆弾が無いのを確かめて再度投げ飛ばして安全地帯に放り投げるつもりだった。


 が


投げ飛ばした彼の手前の土が、微かに盛り上がっているのを見てラドゥーは血の気が引いた。


これまで棒を使って爆弾を取り除いてきたのだ。その威力の程は嫌というほど知っている。抑制されてはあったものの、もし実際に暴発していたら中には半径三メートル以内に被害を及ぼすだろう程の規模を有していた物もあった。


頼むから…そこから動いてくれるな…


しかし、ラドゥーの願い虚しく、そのクラスメイトは再度ラドゥーに向かって来ようとした。



足が踏み出される。



  土が押しつぶされる。





         靴 の 下 か ら 煙 が




  ボンッ





案外軽い音だった。

ラドゥーはその一部始終を見開いた目で見てしまった。

ラドゥーがラドゥーでいられる学校のクラスメイトが、木端微塵になるのを。


飛び散った血の一部がラドゥーに降り注がれる。


「――――――――――――――――――――!!!!」


ラドゥーは声にならない叫び声をあげた。





解説広場をどうぞ↓


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「明けましておめでとう」

「明けまして?」

「ある世界での新年のあいさつ。ラゥのところはなんて言うの?」

「俺のところは、『新しき扉の開闢かいびゃくに祝福を』です。それか簡単に『開け扉!』とか」

「(『開けゴマ』みたいだ)やっぱ扉にまつわる文句になるのね」

「そうですね。なんだかんだと扉は俺達の世界とは切っても切れない仲ですから」

「やだ、妬けちゃうわ」

「それで、新年はその為にとっておいたお酒を家族や友人で開けてその日中に皆で飲み干すのが習わしです」

「(スルーされた…)ふーん…お餅とか食べないんだ」

「餅?東の国にそんな風習があったような…俺は見た事ありませんが」

「あるにはあるのね」

「ええ。でもうちの地域は米文化圏じゃないですし、小麦が主流ですから」

「じゃあビールとか飲むのね」

「そうですね。隣国のギータニアはワインが特産ですけど」

「…ドイツとフランスみたいだわ」

「何か?」

「ああ、何でもないわ」

「そうですか。ところでなんでこの話してるんです?」

「ああ、そうだった!かぼちゃ頭さんが新年のかぼちゃ祭やるからおいでって言われてたの忘れてた」

「新年のかぼちゃ祭?」

「かぼちゃ頭さんのいた世界では新年はかぼちゃをお菓子にしたり煮物にしたりして食べる習慣があったんですって。それをこっちでもやるから来ないかって」

「もしかして、こないだ言っていたかぼちゃの実で連絡するとかなんとか言ってたやつですか?」

「そうよ。早速やってみたんだけど。さすが私ね。ばっちりだったわ」

「その言い方、まるで出たとこ勝負みたいに聞こえますけど」

「出来たんだから良いじゃない。さっさ、早く行きましょ!」

「はぁ…まぁいいですが」


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