39.楽園に蔓延る闇
ようこそ、疑似楽園へ
素敵な素敵な絢爛の地。触れたければ触れるがいい。
その命を、投げ打つ覚悟が、あるならば。
傷が疼く。
「厄介なことになったな…」
ラドゥーは髪を掻き上げた。
他に選択肢はなかったから勝負を受けたが、今のところ、これといった打開策があるわけではない。考えに集中しようにも、先程からより自己主張をし続ける腕の傷が集中力を削ぐ。
づくづくと鼓動のように波打つ痛みは熱を持って身体中を包む。全身が心臓のようだ。
「大変なことになったわねぇ」
他人事の様にのんびり呟くアルネイラに、その落ちつきようが無責任と映ったのかテリーが噛みついた。
「何でそんな冷静なの?!友達皆あんなおかしな奴に連れてかれたんだよ!?」
突然の噴火に少々驚いたラドゥーは彼女らを振り返った。
「焦ったって事態は好転しないわよぉ」
アルネイラはまるで動じず、のんまりと返す。
「友達が心配だったらそんな冷静でいられるわけないじゃない!皆怪我してないかとか、怖い思いしてないかとか!」
「テリーちゃんは友達思いの良い子ねぇ。きっと見知らぬ人でも困っていれば助けるべきだと迷わず言うんでしょうね」
その言い方は何やら含みを感じた。案の定、テリーはカチンときたように眼差しをいっそう厳しくした。
「何その言い方…。そんなの当たり前のことじゃないっ。アルネは友達のこと大切じゃないんだ!そんな冷たい人だとは思わなかった!!」
普段は明るく活発なテリーには珍しく憤っている。アルネイラに向ける侮蔑の目はぎらついていた。
「アルネはいっつもそうっ!いつも澄ました顔しちゃってさ、人の事おちょくってばっかりで!そんなアルネ私はっ…」
「はいはい、痴話ゲンカもそこまでになさい」
パンパンと手を叩いて二人を止めたのはドロテア。
「何よ。貴女に関係ないでしょうっ?」
収まらぬテリーの怒りを、ドロテアは気にせず彼女の額に人差し指を当てた。
「まんまと闇に引きずられてまぁ…これだから感情で動く人間は厄介なのよ」
硬直したテリーに溜息を吐く。テリーは嘘みたいに大人しくなり抵抗する様子はない。
「テリーとかいったけ? テリー、少し《落ち着きなさい》」
テリーは従順に頷いた。
「はい、これで仲直り」
ドロテアはにっこり笑って額から指を外した。
「えっ…今…何…?」
はっと気が付いたテリーは、キョロキョロとあたりを見渡した。ラドゥーは胡乱げに半眼になった。
「何をしたんですか?」
これまでの経験上、だいたいの予想はつくが。
「“お願い”しただけよ」
事も無げな答えが返ってきた。
「それってぇ、ちょっぴり不思議な力だったりぃ?」
ラドゥーはともかく、どういうわけかアルネイラもたいして動じた風もなく、寧ろ興味深げな様子だった。
「そうねぇちょっぴり不思議な力よ」
美女の笑みは、どこか老成した隠者を思い起こさせた。
「それより、さっきからダウってんだけどぉ、一番近いのはどうやらあっちのみたい」
アルネイラは続く道の先を指差した。テリーと(一方的な)言い合いの最中にそんなことをしていたらしい。テリーをまるで相手にしていなかったのは、単にダウジングに集中していただけだったらしい。
その方角を見てドロテアは頷いた。
「ああ、あっちは湖の方角だわ。それじゃとりあえずロジェとロジャーのとこにでも行ってみましょうか」
ケンさんはその名を聞くや不安そうに眉を潜めた。
「あやつらは協力なんぞするか? それならばゴーツェの方が…」
「さぁね。確かにあいつらこそ、人の子を引きずり込みそうだけど」
「………」
それはつまり、やばい奴らという意味じゃなかろうか。
「でも、ここからなら草原よりあの子達の所の方が近いし、行くしかないでしょ」
それもそうだなと、ケンも同意した。
「あ、そうそう君達に一つ言っておくことがあったわ」
ラドゥー達はそれぞれ顔を見合わせた。
「ここのものには一切触れないこと。良いわね?」
「ここ?」
「この森にある葉も花も実も、この先目に映る興味を引くモノぜぇんぶ、よ」
「え…どうして…ですか?」
ようやく落ちついたテリーが首を傾げた。周りは極彩色の豊潤な森。見る者を楽しい気分にさせるそれらに触れるなというドロテアの意図が理解できなかった。
「見るだけなら、そりゃもう素敵でしょ。そういう風に見せているんだから。でも、触れちゃダメよ。ひどい目に遭いたくないなら」
その脅しには真摯な思いが込められていた。だから納得しないまでも三人は素直に頷いた。
「では、早速行くとし」
「お待ち」
早速勇んで行こうとしたケンさんの尻尾を、ドロテアは引っ掴んで引きとめた。ついでに、反射的に尾を掴んだ犯人を後ろ足で蹴ろうとしたケンさんを、天誅といわんばかりに地面にめり込ませた。
ドロテアは地に沈むケンさんを見下ろし、命じる様に言い放った。
「気遣うって言葉を知らないの? この子達をその背に乗せてあげなさい」
ケンさんは噛みつかんばかりにドロテアに抗議した。
「何を言うのだ! 気高いケンタウルスを荷馬車扱いする気か!」
「緊急事態よ。二束三文の矜持なんぞドブに沈めてしまいなさい」
「わたしの誇りは空を突き抜けるほどに高いのだぞ!」
「たまには役に立ちなさい。…そういう訳だから、こいつの背に乗っていいわよ」
後半部分は振り返りながら三人に言った。しかし、ケンさんの剣幕を見て素直に乗れるわけも無い。
「…でも三人も乗れないんじゃない? ケンさん大きいけど、場所的にも重量的にもケンさん潰れちゃうよ」
テリーが至極まともな事を言った。
「何を言う! わたしは何人でも運べる強靭な力を持つケンタウルスであるぞ。十人でも百人でもわたしに運べぬわけがない!」
そうしたらケンさんは憤慨したように反論した。
「あら、なら証拠見せてくれる?」
「当然だ!」
「ですって。良かったわね。さあ気兼ねなく乗っていいわよ」
まんまと乗せられた(いや、乗せた)ケンさんは三人を乗せて誇らしげにパコパコと歩き出した。
やっぱり、馬は鹿だったということか。
「どうだ! わたしにかかればこんなこと造作もないのだ!」
「うんうんっ凄い凄い! 力持ちなんだねケンさん!」
テリーの称讃に気を良くしたケンさんは心なしか歩くリズムが陽気になった。
ケンさんの相手はテリーに任せて、ラドゥーは馬の速度に難なくついていくドロテアに顔を向けた。
「そういえば、何処に行くって言いました?」
ロジェとロジャーのところとはいかなる場所なのか。湖と言っていたか。
「双子が番してる湖よ。『豊麗湖』というのだけど。それはもうすっごい奇麗な、底まで見えるくらい透き通った水がなみなみと湛えられた大きな湖なのよ♪」
早く見せてあげたいというドロテアに楽しみですと笑みを向けながら、ラドゥーの意識は別のところにあった。
底が見えるくらい澄んだ湖。どこかで…聞いた様な…。
しかし、答えはラドゥーの記憶には、無かった。
エルメラは己の夢の世界に戻るとすぐさまつぎはぎを探しだした。
「おかえりなさいませ、あるじさま」
蜂蜜色の髪のアンティークドールがちまちまと歩いてきて、主に向かってちょこんとお辞儀をした。
「あぁメアリー、ただいま。…つぎはぎは?」
すると、ひび割れた白磁の顔に、ちょっぴり拗ねる様な表情が浮かんだ。
「ダーリンはまたあそびにいっちゃいました」
エルメラは『ティンカーベルの粉』の瓶を握る手に力を込めた。
「……見張りのモノはどうしていたの?」
内心は叫びたい気分でいっぱいである。
「まかれてしまったそうです。ダーリンはわたくしたちのなかではいちばん“かくうえ”ですので、しょうがないですわね」
エルメラは仕方ないというふうに溜息をついた。
「何処に行ったか見当はつく?」
カキ、と陶器が擦れる音を立てながらメアリーは首を傾げる動作をした。
「なにかいっていたようでしたが…おもいだせません」
メアリーは脳みそ綿毛類に次いで物思えがどん底つるつる陶磁器脳。しかし、綿毛なつぎはぎよりは大分マシだ。つぎはぎと違って一時間前のものでもちゃんと覚えている。それで思い出せないとなると、出て行ったのはそれ以上経っていると考えてよいだろう。
「いい加減…放っておいていいかしら」
つぎはぎはしょっちゅう遊びに行く割にふと思い出したようにここを恋しがる。しかし家に帰りたいと嘆いても、どうせ三秒したらまた別の興味に惹かれて遊びに駆けだすのだ。このループは永遠に終わらない。エルメラとしてはつぎはぎが戻らなかろうと実のところどうでもいいのだが。
「そんなっわたくしダーリンがいなくなったら…あとをおいますわっ」
しかし、つぎはぎの遊び仲間の人形達はつぎはぎを連れ戻してくれと懇願する。無視するのはたやすいが、悠久の時を過ごしてきた彼女は暇つぶしも兼ねて彼らの望みを断ってはこなかった。
人形は、本当の意味で自身の意志など莫いのだけれど。
さめざめと泣く動作をするドールを無感動に見る。
その感情も、動作も、魂も、全て自分達の“持ち主”達から教わったもの。いかに人間らしく動こうと所詮は人形。人の様に動く事を仕込まれた人形。
「分かったわ。適当に探しておくから。……ったくあんにゃろ…ラゥとのウキドキデートを一旦区切ってまで粉を貰ってきたのに…」
“探しもの”を見つけた今、エルメラの時は無為のものではなくなった。“夢の旅人”の時も存在も全て“探しもの”の為にある。片時も離れず傍にいたいと望む“夢の旅人”の本能とも言える衝動を抑えて、天国の様なデートを一休みして、ダイパルソンの元に出向いたというのに。
「…ん?」
ブツブツと愚痴っていたエルメラはふと嫌な気配を察した。しかし自分の夢の世界に闇属の奴らが来られるわけがない。とすると、残る可能性は一つ。
「…また、あの人に近づいてきた馬鹿がいるようね」
あの人に渡した自分の力の一部。そこから伝わる闇の気配。彼は今、闇にとても近い所にいる。どうして夢の世界にいるのかはとかひとまず置いておこう。
―――私のものに近づく者は誰だろうと容赦しない。
エルメラは引きとめるメアリーを無視して駆けだした。
「うわぁっ何これ! すっごい綺麗!!」
テリーが感激して叫んだ。叫びはしなかったがラドゥーもテリーと同意見だった。思わず目の前の光景に見惚れた。
空から舞い降りる光が水面できらきらと反射して揺らめいている。銀砂が散りばめられたように光輝き、ビロードの様になめらかな波に漂う。光彩陸離とはまさしくこの事だと思わず溜息をついた。
ケンさんに揺られて数分、結構な速さで進んだせいかあっという間だった。そして今まで森しかなかった視界に突然広大な蒼色が現れた。
「ふふんっ綺麗でょう?この『豊麗湖』は世界一の透度を誇る美しい湖なのよ」
誇らしげに湖の事を語るドロテアはとても嬉しそうだ。まるで宝物を自慢する子供の様だ。
ドロテアのいう“世界”というのは何処の世界のことなのか。何処までの範囲を“世界”と言うのだろう。
いや、異世界なんてまだ認めていないだろう? 俺。そうだ…深く考えまい。
「ロジェー! ロジャー!」
ドロテアが湖に向かって叫んだ。
ケンさん以外の三人が不思議そうな顔をして湖を見つめていると、湖の真ん中がポコッと泡立った。
その泡が見る見る間に広範囲に広がりボコボコと、まるで噴水の様に重力に逆らって水面に水柱が立った。
ザバァッっとその水柱から薄緑の肌をした人が二人出てきた。
テリーは豆鉄砲を食らった様に目をまん丸にした。声も出ない。アルネイラも少々呆気にとられた様に出てきた生き物を見つめている。
水面に浮かぶようにゆらゆらと身体をくゆらす二人は、まさしく人魚だった。下半身が魚で、上半身は人、所々に堅そうな鱗が見える。容姿は女の方は極上だった。男の方は、声高には言わないが…海坊主みたいだった。
おそらくロジェは女、ロジャーは男の名前だろう。二人とも藻の色をした髪で、その長い髪はうねって海藻のように体に張り付いていた。
髪の奥に光る暗い瞳を二人はこちらに向け、伺う様にじっと見つめていた。お世辞にも歓迎しているとは思えない。
「…様子がおかしいわ」
ドロテアは二人を訝しげに見た。
「いつもなら『ドロチ~パッピ~っ? きょ~もみらくるなトロピカリち~だねっ☆』とかいってハグってケンを湖に引きずりこもうとするのに…」
「………」
そんなファンシーで猟奇的な歓迎は嫌だ。今の二人を見る限り、そんなはっちゃけた戯言を口にするような風には見えないが。
「お主ら、どうした? この子供達は怪しい者ではない。そう警戒せずとも―――」
ケンさんはラドゥー達を警戒しているからと思ったのか、宥める様に前に進み出て人魚二人に近づこうとした。
「「近づくなッ!! 毛むくじゃらっ!!!」」
すると突然、ヒステリーを起したように見事に声をはもらせて叫んだ。と、思うと湖を波立たせて矢の如く尖った水をラドゥー達に向けてきた。
「うおぉ!?」
ケンさんは間一髪で馬刺しを免れたが、下半身の馬の部分は気が立った様に忙しなく蹄を鳴らした。ラドゥーは一足先にアルネイラ達を背に庇って後ろに下がっていたので無事だった。
「…どうしたっていうの? 確かにムサイからしょっちゅうケンに津波くらわせてたけど、こんないきなり水矢なんて物騒なモノ、向けたこと無かったのに…」
眉をひそめたドロテアの言葉を聞いてラドゥーは、ああ、普段からケンさんの扱いはそんなもんだったのかとケンさんに同情の眼差しを向けた。
二人がなおも攻撃をくりだしそうなそぶりを見せたので、ラドゥーらは湖から距離をとった。ケンさんのみならず主のはずのドロテアにまで突き刺すような警戒の眼差しを受け、ドロテアはうろたえた。
「―――闇に引きずり込まれた…?」
今や敵意を隠そうともしない二人の人魚を見て愕然とした様に呟いた。
かぼちゃ頭さんの夢の時に見た、あの男達と重なった。
だとするなら、この二人は狂いかけている。堕ちてしまった一人の夢人を思い出す。あの惨劇を生み出しかねない事をあの“奇術師”はただ遊びの為だけにやってのけたのだ。
痛みで入らない力を腕に込めて拳を握りしめた。
ふざけるなよ……
声には出さず口だけがそう吐き捨てた。
腕の痛みが、いっそう、増した。
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「そういえば、ラドゥーの世界ってどうなんてるのかまだ詳しく描写されてないわよね」
「そうでしたっけ? ちょこちょこ国名とか地名出てたと思いますけど?」
「だから、その地理的な関係とかラゥの街の歴史とかいろいろ」
「…別に知らなくても困らないと思いますよ?」
「ネタの一環として一口メモみたいな感じで言っときましょうよ。まずグリューノスの事についてとか」
「いいですけど…隠すものでもないし。まず俺の暮らす街、グリューノスですが、昔は国で、今は街としてダルクルの傘下に収まってます」
「確か鉱物が特産物だったわよね」
「はい。街といっても面積は広大で、人里離れた所に鉱山があります。宝石とか鉱石とか豊富なんで良質の武器や宝飾品を作れるという事で栄えたのが始まりです」
「国の時から領地は変わってないって事?」
「そうですよ。全くではありませんが、ほぼそのままです。自治権も持ってますし。現ダルクル王の意向もあってダルクル管轄の軍警は駐屯していますが外からの干渉は殆どありませんね」
「国だったのに街になったのは戦に負けたとか?」
「いいえ。当時最先端の武器を誇るグリューノスだったのでそういう訳ではありません」
「でも、一国の王が公爵となったわけでしょ? 相応の理由があるはずでしょ?」
「ええ。グリューノス家が初代当主ゴルグの指導の元、戦乱の世を駆け巡り、数代を経て国として認められ、じい様から五代目前にダルクルの元に下るまでグリューノスは外交の要所としても重要な国としてありましたが…」
「ありましたが…?」
「ある時突然ダルクルの元に下ると当時の王が宣言したそうなんです。でもどうもそこが曖昧なんですよね…実は俺も詳しい事は知らないんです」
「貴方、跡継ぎじゃなかった?」
「そうですけど、これは爵位を継ぐ時に同時に受け継ぐものだそうなんで…」
「なるほどね…じゃ現当主のお祖父様しか知らないわけだ」
「後はダルクル王くらいでしょうね。まあ知ろうと思えば分かる事でしょうけど、どうせいつかは分かる事なんであえて調べてなかったというのが本音だったりするんですが。ダルクルと何か密約でも交わしたのではないでしょうか?」
「ふぅん…まあいいわ。じゃあ次回はグリューノスとその他の国との関わりとか教えてよ」
「いいですよ。無駄に設定があったりするんで長くなるかもしれませんけど」